# The seventh case:Crime of the fascination.―魅惑の罪―

過ち、一つ。

 





 雪のちらつく一月下旬、クロードの下へ一通の手紙が送られてきた。


 書斎の机に向かい別の書類を見ていたところにアランがやって来て、邪魔をせぬよう静かにそれを机の上に置くと下がっていった。手紙は飾り気の少ない白いものだった。これは刑事デールからだ。


 あの男は此方が貴族なので一応気を遣って飾り気のあるそれなりに良い品の封筒と便箋を使う癖に、季節感を考えていないので、何時も決まってこの色と柄のものなのだ。


 お蔭で部屋の隅に控えていたセナが手紙を見て微かに反応した。


 それを視界の端で捉えつつ、机の上にあるペーパーナイフで手紙の封を切り、中に納められた便箋に視線を落として豪快で少々読み難い文字を追う。


 とある連続誘拐・殺人事件の犯人を逮捕したのだが、口を割らなくて困っているという内容だった。


 溜め息が零れる。皺の寄った眉間を揉み解しながら思う。


 ……最近、こういう案件を寄越してくる回数が増えた気がする。


 確かにアルマン伯爵家うちは警察の相談役の仕事もあるのだが、これは相談ではなく支援要請だ。それもクロード宛てとなっているが来て欲しいのは十中八九、セナだろう。


 心理術の講義を始めてから犯人の事情聴取にセナが呼ばれるようになった。


 本音を言うならば、あまり行かせたくない。


 過去にも殺人犯の事情聴取をしていた警官が犯人に魅入られる、その心に深く触れたせいで精神を病んでしまうといった例がある。警官ですらそうなのだ。まだ若いセナはそうなる危険性も高い。


 しかし当の本人は大抵、自ら事件に飛び込んでいく。




「旦那様、失礼ながら刑事さんは何と?」




 それ見たことか。やはり首を突っ込んで来た。


 クロードは吐きかけた溜め息を飲み込んで、自身の近侍ヴァレットへ手紙を差し出した。


 近寄って来たセナがそれを受け取る。ほんの一瞬、触れた指先にドキリと心臓が鳴る。


 先日あのひ抱きしめられてから否が応でも意識してしまうのだ。


 髪を撫でる自分よりも小さな手、指、温かな体温、女性特有の柔らかさ、緩やかな呼吸の動き、響く声、微かに纏った果物か何かの控えめで爽やかな甘い香り。そして心臓の音。一定の間隔で脈打つその音は酷く心地好く、微睡まどろみに揺蕩たゆたうような心穏やかな感覚だった。


 以前にも一度抱き着かれたが、あの時は背後から首に腕を回された程度だ。


 今回ほど密着すればセナが異性だとを強く意識してしまう。


 抱き寄せたことも手を繋いだこともあったが、それらはの話である。


 完全に気を抜いている時に触れた温もりは記憶に鮮明に残ってしまった。


 チラと手紙を読むセナの顔をクロードは見る。


 その後も反応や態度に変化が見られないことから向こうは全く気にしていないのだろう。


 少し腹立たしいような、それでいてホッとするような、微妙な心境をクロードは味わっていた。


 伏せられた瞼には髪と同じ黒い睫毛が並んでいる。その奥の瞳も黒いが、完全な黒ではなく、黒に限りなく近いダークブラウンだと知っている。見上げられる度に、光が差し込んで透き通ったダークブラウンの柔らかな色と視線が絡むのだ。知らないはずもない。




「どうする?」




 伏せたままの瞳を見ながらクロードは問い掛けた。


 すると顔を上げたセナのダークブラウンの瞳と視線が合う。




「旦那様さえ宜しければ、わたしが伺いましょう」




「興味あるから行きたい」という声が聞こえた気がした。


 好奇心の光の宿ったダークブラウンが期待の眼差しを向けて来る。


 この国での名を与えた時に「私は犬か!」と言われたが、あながち間違いでもない。


 尾があればブンブンと振りながら主人である私の言葉を待っただろう。




「そうか。では直ちに行ってやれ」


「畏まりました」




 近侍らしく礼儀正しい一礼を残してセナが書斎を出ていく。


 心なしかその足取りは軽く、機嫌が良さそうにダークブラウンの目が僅かに細められていた。


 その辺りは分かりやすいのに、恋愛方面になると全く読めなくなる。


 一月ほど前に聞いた質問を思い出す。




【ああいう者が好きなのか?】


【普通ですね。まあ、個人的な好みを述べるのであれば少々面白みに欠けます。わたしはもう少しクセのある人の方が面白くて好きですよ】


【それにしては随分と仲が良さそうだったな】


【一般的に言えば良い方ですから。それに仕事上必要であればそれくらいは出来ます。でも料理と一緒で変化のない味より、少しスパイスの入った変化のある味の方が好まれるでしょう? クセが強いほど好きだという人もおりますし】




 仕事であれば誰とでも親しくなるというのは驚くべきことだ。


 元々、仕事に関してやけに熱心だと思っていたものの、そこまでとは予想外だった。


 それ故にあの時は捻くれ者と言ったが、その捻くれ者に懸想けそうしてしまう自分こそ滑稽こっけいだ。抱きかけていた感情にあえて見て見ぬ振りをし続けた結果がこれとは情けなくて笑いが込み上げてくる。


 大丈夫、と耳の奥に残るセナの声がよみがえる。




「…………私はお前の意思を尊重する」




 例え私を選ばずとも、お前が幸せになれるのなら。


 私のこの想いなど些末さまつな問題だ。






* * * * *






 雪が微かに降る中、辻馬車を拾って警察署へ到着した。


 何だか最近やけに辻馬車を使う頻度が増えた気がする。行き先も警察署が多い。


 それもこれも心理術について話をしてしまってからだ。ちょっと迂闊だったかと後悔したがもう遅い。


 今後の捜査手法における重要なやり方だと言われてしまえば断り様もない。


 こちらの世界に来て、伯爵の近侍になって以降、この手の事件をちょっと面倒に感じたのは初めてだ。気持ちを自覚したせいか伯爵は来ないと分かっていても、一人で署へ向かうことに少しガッカリしてしまった。


 ……一緒だったらいいなあ、とか乙女か! わたしのがらじゃない!


 両頬をピシャリと軽く叩いて気持ちを入れ替える。




「良し、やりますか」




 背筋を伸ばして、若干滑る足元に注意しながら警察署へ入る。


 受付で名前と要件を述べ、上着を預けて刑事さんを待っていると本人がすぐに現れた。


 このやり取りも最近多い。きっと受付の人はわたしの顔を覚えたことだろう。




「いやあ、助かるぜ」




 相変わらずよれた服装の刑事さんに背を叩かれる。


 勢いの良さと痛みに少し咽せた。




「けほっ……。せっかく心理術をお教えしているのですから事情聴取も頑張ってくださいよ」




 微かに痛む背中を我慢して抗議しても刑事さんには何処どこ吹く風だ。


 ガリガリと頭を掻きながらも悪びれた様子はない。




「あー、俺だってそうしたいけどよ、相手が悪い」


「それだと何時も相手が悪いということになりますが?」


「悪い悪い。でも今回もお前さんに頼みたいんだ。他の奴らと違って精神的なを受け難いみたいだしな。こういう仕事は引き込まれやすい奴じゃあダメなんだ」




 わたしが引き込まれ難いことは今まで事件に関わってもケロッとしてるので問題ないと判断したらしい。


 刑事さんの案内でやや狭い応接室に通される。




「とりあえず此処で説明してからな」


「はい、よろしくお願いします」




 渡された資料に目を通すが、内容は刑事さん自ら説明してくれた。


 今回の事件は連続誘拐・殺人事件である。被害者は十代前半から後半、二十代前半ほどの少年や青年だが、正確な人数は犯人が口を噤んでおり把握出来ていない。


 犯人は二人いる。主犯だと思われる男・ティモシー=ホフマンと、共謀犯の男・テッド=ウーリー。


 事件の発覚は十日前、共謀犯のウーリーが警察署へ自首してきたことからだった。


 このウーリーという男は小柄で痩せっぽちで線も細く、オマケに気弱な人間だったのでオドオドした様子で警察署に訪れ、受付の者に「殺人を手助けしていたがこのままでは何(いず)れ自分も殺される」と訴えたものの、最初は誰も真剣に受け止めなかった。


 男はあまりにも気弱そうで、とてもじゃないが殺人などに関わっている風には見えなかったのだ。


 しかし行方不明の届出があった者達の特徴と名前を幾つか口にしたことで、流石の警察もガセとは言い切れず、調査に乗り出した。


 自供通りウーリーの自宅を捜索すると行方不明者の所持品らしき物が大量に見つかった。


 そのため急遽きゅうきょ逮捕し、事情を聞いているところである。


 そしてウーリーが殺人を手助けした相手こそ、ティモシー=ホフマンだった。


 現在は別々に暮らしているが数ヶ月前までは同居していた恋人同士で、同居を解消した理由もホフマンの暴力的思考が段々とエスカレートし、身の危険を感じたためだ。


 ここで問題なのはホフマンだ。この男、逮捕されても全く口を割らないのだ。


 素直なウーリーと違い、ホフマンはのらりくらりと警官の追及をかわし、かと思えば急に拷問について延々と語り出す。警官が止めると不機嫌になりそっぽを向いてもうその警官とは口を利かない。


 ウーリー曰くホフマンは『拷問に異常な執着を持つ男で、被害者が拷問の末に死ぬとそれを見て手を叩いて喜んだり興奮したりする』という。


 しかし拷問方法については饒舌じょうぜつに語っても、いざ誰を拷問したか問うと途端に口を閉ざす。


 口を開いても「本で読んだ」だの「酒場の誰それから聞いたのかもしれない」だのと言ってヘラヘラしたかと思えば急に「冤罪だ!」「警察を訴えてやる!」と激高するなど態度の落ち着かない男なのである。新人の警官は手を焼いてそれを気味悪がり、ベテランの警官は拷問の話を聞いてそれが如何いかに恐ろしい行為か想像がついてしまい担当を外してくれと言い出す始末。


 このままではらちが明かないということで、わたしを呼んだそうだ。




「拷問好きな殺人鬼ですか。好んで殺人を行う者は被害者を心身共に痛めつけたがる場合が多いですからね。快楽殺人鬼でしょうかね」


「快楽殺人鬼?」


「殺人を行うにも理由があるということですよ。金品が欲しくて殺す、憎悪を抱いて殺す、殺すということそのものには執着がなく有名になりたい、相手を虐げることで優越感を得たい。……快楽殺人鬼は殺人や死体を傷付けるという禁忌を犯すことで性的な欲求を感じたり、満足感を得たりするのです。まあ、この方の場合は殺人という結果よりもそれに至る拷問かていであり、人が死ぬのはオマケに過ぎないということかもしれませんが」


「……理解出来ねえな」




 刑事さんが心底嫌そうに顔を顰めて呟く。


 わたしはそれに頷き返した。




「それで良いと思ますよ。快楽殺人鬼の思考回路や感情を理解するのは危険です。客観的に考えられるのであれば構いませんが、それに魅入られて第二第三の模倣犯が出てきても困りますからね」


「まあ、それもそうだな」




 ふと頷きかけた刑事さんがわたしを見る。




「じゃあお前さんはどうなんだ? そんだけ語れるくらいだ、結構ヤバいんじゃねえのか? 頼むから警察の厄介になるのだけは勘弁してくれよ。特に殺人。俺はそんなことで昔馴染みの秘蔵っ子を逮捕したくはないんでね」




 それにわたしは肩を竦めて見せる。




「大丈夫ですよ。今のところ殺人に興味はありません。何より殺人は利点と欠点を比べれば圧倒的に欠点の方が大き過ぎて、一時の利点のために犯すには非効率的ですから」




 金品にせよ、復讐心にせよ、快楽や憎悪だろうとそれは一時的なものだ。


 それらのために一生を棒に振るような真似はしない。


 何より本能のままに他人を殺すのは獣と変わらないとわたしは思っている。




「……坊主が一番怖いと思った俺がおかしいのか?」


「坊主ではなく瀬那せなです。では、そろそろ参りましょうか?」


「そうだな。頼りにしてるぜ、




 また、席を立った背中をバシンと一発叩かれた。


 だから痛いって。せめて力加減くらいはするべきだ。


 思わず腕を背中に回して擦っていると刑事さんは弾けるように笑った。




「それで、だ。どうする? どっちも会うか、それともホフマンだけにするか?」


「勿論両方とも会いますよ。まずはウーリーさんからですね」




 刑事さんは「了解。こっちだ」とわたしを引き連れて警察署の更に奥へ進む。


 幾つか角を曲がったり階段を上がったりして、取調室に辿り着く。


 前に来た場所と違うのは複数の取調室があるからか。


 この辺りは一般人も立ち入らないため、シンと静まり返っていた。




「今も取り調べはしてるからな。ホフマンはあっち。で、ウーリーは此処だな」




 意気揚々と扉を開けようとした刑事さんに待ったをかける。




「あ、刑事さんは御遠慮ください」


「はあ? 何でだよ?」




 ジロリと睨まれても困る。別に一緒にいたくないから、とかではない。


 きちんとした理由があるのだ。




「ウーリーさんは気弱な方とおっしゃっていたではありませんか。刑事さんのような大柄な警官というのはそこにいるだけで威圧感を覚えてしまいます。それでは相手の気を緩ませることが出来ません」




 わたしと調書を取る警官程度ならば恐らく大丈夫だろう。


 小柄な人間にとって、大柄な人間というのは不安を感じやすい。


 そういった事件とは無関係な要素であっても取り除いておくに越したことはない。


 それにわたしも後ろで仁王立ちされると落ち着かないのだ。マイルズ=オアの時も真後ろの壁に居座られて妙に背後が気になった。こんなくだらないことで集中力を削がれるのは御免ごめんだ。




「なるほどなあ。じゃあ俺は隣の部屋にいるか」




 顎を軽く擦りながら納得した刑事さんに頷き返す。




「そうしていただけると助かります」



 

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