ステップ、八つ。

* * * * *






 年が変わった一月上旬、アビー・ドナ=イームズ男爵夫人の報告書が届いた。


 だが正しくはアビー・ドナ=フェニルファーである。彼女は警察署に連行された翌日には男爵より離縁されて元の家に籍が戻された。その二人の子供も貴族の子息から庶子という扱いに格下げされ、学院に通う費用もなく、遠く離れた修道院へ兄弟揃って送られたという話だ。


 元々フェニルファー家は別の男爵家の血筋を引いていたからバディット男爵と結婚出来たのだが、警察の厄介になるような妻は子供共々要らぬと判断したのだろうか。


 逮捕された当日は喚き、暴れ、言うことを聞かず、手が付けられなかったらしい。


 けれども二日目に男爵の代理人から警察を通して離縁状を渡され、そこに既にバディット男爵本人のサインと代理として父親であるフェニルファー商会長のサインが記されていたことに泣き叫んだそうだ。


 そして同日中に今度は父親から絶縁状を送られ、フェニルファー家からも見放された。


 離縁状と絶縁状を渡された彼女はもはや生きる屍のようだったと、報告書を持ってきた刑事さんが教えてくれた。暴れる気力すら失くした元バディット男爵夫人は静かになった。




「言うことを聞いてくれるようになったのはいいんだがなあ、何と言うか、ありゃあ壊れちまったって表現すればいいのか……。泣きながら急に笑い出してよ、そのまんまずっと笑ってるんだ。お蔭で他の奴らは気味悪がって俺が相手するハメになっちまったのさ」




 ただのアビー・ドナー=フェニルファーとなった彼女は常に微笑み続けている。


 しかし素直に話をしてくれるので調書を取るのはラクになった。


 何故、少年達を殺したのか問うと彼女は訥々とつとつと語った。


 彼女の人生が狂ってしまった事の発端は二十年前に遡る。


 父親が持って来たバディット男爵との縁談だ。


 当時十九歳の彼女には、実はフェニルファー商会に籍を置く男性と恋仲になっていたのだが、それを知っていながら父親はアビーを家の発展のためにバディット男爵との政略結婚を半ば無理矢理推し進めたのだ。


 大商会で蝶よ花よと育てられた十九歳の娘に父親に抗えるはずもない。


 もしも断れば男性を商会より除名すると父親に言われたという。この王都でも有名な大商会フェニルファーから除名されれば、例え実力があったとしても、どの商会も相手にしないだろう。そうなれば男性は商売が立ち行かなくなり生活もままならなくなる。


 それは実質的には脅しであり、バディット男爵と結婚するしかなかった。


 結婚当夜、純潔を散らされて泣く彼女を見て男爵は嗤ったそうだ。


 男爵家の屋敷に移り、使用人と言う名の監視役の下でバディット男爵夫人として生活を始める。


 そうして二つ目の引き金が起こった。


 結婚して二週間も経たないうちに彼女が想い続けた男性が死んだ。


 それも夫婦の夜の情事の最中にバディット男爵が彼女にその事実を告げたそうだ。


 聡い者でなくとも誰が男性を死に追いやったかは言うまでもない。


 嫌がる彼女を力で組み伏せて抱き続け、嫡男を産ませ、そして次男も産ませた。




「とりあえずバディット男爵はどうしようもないだということはよく分かりました」


「本当にな。俺も聞いてて胸糞悪い気分になったぜ」


「そうか? 貴族ではその程度は普通にあるぞ」




 わたしと刑事さんの話に小首を傾げながら伯爵がそう言うものだから、二人で顔を見合わせてしまった。


 ……貴族社会、めちゃくちゃ怖い。


 跡継ぎとスペアを産ませるとバディット男爵の彼女への興味が薄れたという。


 愛した男性を殺された挙句、憎い相手の子を産ませられ、今度は放置される。


 それを幸いと思うことが出来れば良かったのだが、父親には己の愛を無視され、愛する男性を失い、憎い男との間に出来た子を愛せず、フェニルファーの家を出た彼女にはバディット男爵夫人という地位しか残されていなかった。


 だから彼女は男爵夫人の座に拘った。そこに縋るしかなかった。


 憎いはずだった夫を愛する努力をし、その愛を取り戻そうとした。


 でも男は追われれば追われるほどに冷めてしまう生き物だ。


 やがて男爵は外に愛人を囲うようになる。愛人は別の男爵家の令嬢で、アビーよりも年嵩の上に美しさでも礼儀作法でも劣る女だった。彼女より優れた所は一つもない。そんな女に負けた。


 それがより一層彼女の狂気を加速させた。


 最初に奴隷を買ったのは十年前。彼女が二十九歳の時である。


 買い物の帰り道に偶然見かけた奴隷商に愛する男性に似た面差しの少年がいた。


 バディット男爵夫人の立場に縋ろうとしていた彼女だけれど、男性への愛が消えた訳ではなかった。


 むしろ以前よりもずっと強く、狂おしいほどに愛は深まる一方だ。


 少しは罪悪感を覚えたのか父親は彼女に毎月莫大な額の金を送ってくれていたので、彼女は考えるよりも先に少年奴隷を購入した。連れ帰った少年を彼女は側仕えとして大層可愛がったらしい。


 しかし少年はあくまでであって愛した男性ではない。その違いを感じる度に彼女は癇癪を起して少年へ男性の仕草や性格を真似させるようになり、疑似的な恋人として扱うようにもなっていった。


 恐らく、この時には既に完全に狂ってしまっていたのだろう。


 少年はその生活に耐え切れずに逃げようとした。


 そして、それを見た彼女は衝動のままに少年を手にかけてしまった。


 同時に彼女はあることに気付いてしまった。


 死ねば逃げない。抵抗もされないし、愛情が薄まることもない。


 潤沢な金に物を言わせて彼女は剥製師に少年を剥製にするよう命じた。剥製師は大商会の娘の願いを断って職を失うことを恐れたのか、少年の剥製を作った。


 でも初めての人間の剥製は失敗した。


 彼女はそれから愛する男性に似た顔立ちや雰囲気の少年を見つける度に奴隷ならば買い、貧民街の子供であれば使用人として引き取り、自分を愛するよう強要した。時には少女奴隷を買い、少年達との情事を見せつけては飽きたら少女を売り払うということもしていたそうだ。


 バートさんは今の『愛する男性』の一人だという。


 それも今までで最も長続きした少年だった。


 十年間で二十三人の少年を彼女は手にかけた。


 最後の方は剥製にするために少年達を集めた彼女は、それでもバートさんだけは殺せなかった。


 彼女はその理由を「あまりにも彼に似ていたから」とだけ言ったそうだ。


 見た目はどうか知らないが性格や雰囲気がよく似ていたのかもしれない。




「……彼女が愛した男性は、きっと優しく善良な人だったのでしょうね」




 もしもその男性と結婚出来ていたら彼女の人生は幸せなものだっただろう。




「さあな。だがあの女の中じゃあ恋人は死んでないんだろうよ。牢屋の何もない所へ向かって楽しそうに笑いかけたり、話しかけたりしてるくらいだからな」




 想像するとゾッとするような、けれど哀れな姿である。


 元バディット男爵夫人は結婚して以降、が最も幸せなのかもしれない。




「刑は?」


「事情を考慮しても殺し過ぎた。財産の没収と非公開の斬首だそうですよ」


「財産など持っていないだろう?」


「そこは元凶である元夫と元父親から結構な額を毟り取るって話だ。被害者の遺族がいれば、それを慰謝料として渡すことに決定してますぜ」


「……そうか」




 元凶達にもそれなりの罰が下るのならば少しは溜飲が下がるかな。


 通常、斬首刑は公開処刑だが、非公開というのは情状酌量だろうか。




「ちなみにバディット男爵は元男爵夫人と離縁した数日後に、元愛人の男爵令嬢を新しい夫人に迎えて、その間に生まれた子供を次の後継者に据える気らしいぜ。……それと、俺の予想だが告発文を送ってきたのは男爵自身だな」


「だろうな。あれほど詳細を書けるとすれば、それは身内で同じ屋敷に暮らす男爵くらいしかいない。あの告発の手紙も質の良いもので、平民が買うには値が張る」




 全くもって、最後まで気分の悪くなる話であった。


 刑事さんを玄関まで見送り、応接室へ戻ると伯爵は浮かない顔をしていた。


 多分わたしも同じような顔をしている。


 新しく紅茶を淹れ直していれば伯爵がぼんやりと窓の眺めて口を開く。




「私も一歩間違えばバディット男爵と同じ道を辿るだろうな」




 思わず勢いよく振り向いてしまった。




「想いを寄せた方がいらっしゃるのですか?」


「いや、いない。いないが、何れは結婚して後継を残すという義務がある。その義務のために娶る者は恐らくこの家に嫁ぎたくないと思って来るだろう」


「何故?」


「例え妻の実家であろうと、血縁関係のある家であろうと、アルマン伯爵家は容赦しない。してはならない。そう定められているからだ。娘を嫁がせ、それによって娘から家の暗部が私に漏れることを恐れてどの家も嫌がるのだ」




 伯爵の言葉にホッと胸を撫で下ろした。


 …………? 何でホッとしたんだ?


 小首を傾げていれば伯爵が顔を顰めて低く呟いた。




「嫌がる女性を妻にして子をはらませる。……想像もしたくない」




 紅茶の入ったカップとソーサーを伯爵の前へ置く。


 空いた両手で伯爵の頭を横から抱き寄せる。


 予想外のことだからか、珍しくビクリと伯爵の体が震えたが手は離さない。




「大丈夫ですよ。伯爵がそれを忌むべきものだと思っている間は、ありえません」


「そんなこと分からないだろう。人は変わる。私もバディット男爵のように他人を好き勝手に弄ぶ日が来るかもしれん」




 低い声で抑揚を抑えるのは震えを出さないためか、感情を押し殺そうするためか。


 わたしよりも大きい人なのに、まるで小さな子供みたいに起こるかどうかも分からない未来に怯えている姿は小さくて、弱くて、でも強くありたいと願う気持ちが感じられる。


 そっと胸元にある頭を撫でた。銀灰色の髪は少し硬いけれど指通りが良い。毎日、従僕フットマン三兄弟が代わる代わる丁寧に梳いているからだろうか。


 伯爵の愛用する香水の匂いがする。




「その時はわたしが張っ倒してあげますよ。『何やってんだこの馬鹿野郎』ってね」




 抱き寄せた頭を心臓に押し付ける。きっと、わたしの心音が聞えている。


 人の心音は心を穏やかにしてくれるし、人と触れ合うことでストレスが軽減されると元の世界で聞いたことがあった。不安な時、誰かの体温を傍に感じるだけで安心するものだ。


 小さな子供にするように頭の形をなぞって、指で髪を梳きながら撫ぜる。




「大丈夫ですよ。あなたは男爵とは違う」


「だが……」


「不安な時はこの音を思い出してください。あなたに助けられ、あなたを信じる者の心臓の音を。この音は何時でもあなたの側にあります。……何時か伯爵が言ってくれたように、間違ったことをしたら全力で止めてやりますよ。だから、大丈夫」



 回した腕に伯爵の手が触れる。そっと触れただけなのに縋られた気分になった。


 わたしも応えるように腕に少しだけ力を入れる。


 胸元から聞こえる震えた呼吸音に胸が締め付けられる。


 ああ、せっかく気付かない振りをし続けていたのにダメだ。


 わたしはやっぱり、どうしたって惹かれてしまう。

 



 ――――……伯爵クロードのことが、好きだ。







* * * * *






 翌日、屋敷に伯爵の衣装をよく作ったり直したりしてもらっている服飾店のお針子を呼んだ。


 応接室に招き入れ、まずは温石を見せて「これを入れる袋を頼む」と伯爵が言う。


 お針子達じゃただの石ころと適当な端切れの布を縫い合わせた小物入れを見て、困惑した表情を浮かべるのも無理はない。


 温石が何であるか説明しようとしたら伯爵に止められる。




「いいか、誰彼構わず知識を出すな」


「……畏まりました」




 とりあえず小物入れを渡して見てもらい、釦で留めても巾着にして上で口を縛るものでも良いと告げ、伯爵は適当な布の切れ端で作ったもの百、高位貴族の女性と男性向けに四つずつ入れ物を注文した。


 もう一つは材料がなかったので植物紙に書いてみせた。


 服飾関連で働くだけあってお針子達は興味深々だ。




「これは大体、四角で中に綿が入っておりまして、上部にこうポケットがあります。このポケットに足を入れておくと冬場でも足が冷えない、というものです。特に座り仕事の多い方は足先の冷えはつらいのでココにこちらの石を温めて入れると長時間温かい状態を保てます」


「あの、室内履きではダメなのでしょうか?」




 お針子の一人に質問される。




「室内履きは生地が薄いので床からの冷気を遮断出来ませんし、石を入れてもすぐに冷めてしまうでしょう。もし室内履きで温かくするなら裏表両方に綿を詰めるしかありませんが、座っている時間の長い方であればこちらの方が綿の量が多い分、保温性が高くて温まりやすいと思いますよ」




 わたしの説明にお針子達が「へえ~」「なるほど~」と声を上げる。


 他にも縫い方はどういうものが良いか、ポケットの開き具合はどの程度がいいのか、大きさは、厚みはと次から次へ質問をされて返答するのが大変だった。


 ちなみに温石の小物入れもどきは宝石や貴金属はあまりつけないようお願いした。熱い石に触れて割れたり変形する可能性もあるからだ。代わりに刺繍などは問題ない。


 温石の小物入れもどきも足元のクッションも出来上がるのに数日を要した。


 それでも素人のわたしが作るよりもずっと綺麗で丈夫そうな小物入れもどきは大好評で、暫くの間は温石に合う石探しが使用人間で流行した。わたしは自分のものとは別に八つほど温石を探す羽目になった。


 足元クッションはわたしが知っているものによく似た物をお針子が作ってくれた。


 ただ高位貴族の女性向けということで刺繍だの布で作った花だのフリルやレースがふんだんに使用されており「足を突っ込むだけのクッションにそこまで金をかけるのか?」といった出来栄えだった。


 それでも「女王陛下に渡すには少々華がないが仕方ない」とぼやく伯爵に内心で戦慄した。


 放っておいたら宝石やら貴金属やら付けそうだったので、温石の小物入れもどきと同じく外に熱が漏れたら割れたり変形して怪我をするかもしれないから、布や糸だけが良いと何とか押し切って防いだが。


 それらが出来上がった翌日、温石と小物入れもどきと足元クッションをアルフさんに持たせて伯爵は登城した。


 朝に出掛けて、夕方帰って来た伯爵は珍しく上機嫌で、わたしは小さな封筒を渡された。




「これをお前にと頼まれた。……良かったな」




 何が良かったのだろうと首を傾げながら開けた小さな封筒の中には一枚のメッセージカードが入っていた。白いカードには淡いピンク色で薔薇の透かしが入っている上品なものだ。


 カードにはこう書かれていた。




『何か困ったことがあればアルマン卿を通じて申し出なさい。貴方の厚意に感謝します』




 三度ほど読み返して、それが女王陛下からのメッセージカードだと気付く。


 ………女王陛下がわたしに?




「は、伯爵っ、これはどういうことですか!! 何でわたしに?!!」




 アビを脱いでアルフさんへ渡していた伯爵が振り返る。



 

「考案者はお前だと言っただけだ。……ああ、それと、これを貴族や平民の間に広めるとおっしゃっていた。それで出た利益の一部は考案者のものとして伯爵家うちに寄越してくださるそうだ。私にもしものことがあった時は女王陛下の下で働かせてもらえばいい」


「縁起でもないこと言わないでくださいよ!? そんなこと恐れ多くて出来ません!!」




 良かったなって、いざという時に頼れる場所が出来たことと、お金が稼げることか!


 普通なら良いことなんだけど全然喜べない!


 そもそも温石も足元クッションも発明者はわたしじゃないし!




「私には無礼な癖に。……お前は本当に変わってるな」




 プッと吹き出して笑う伯爵の顔は無邪気な子供のようで。


 その笑顔に少しばかり見惚れてしまったなんて、悔しいから絶対に言わない。


 ちなみに温石も足元クッションも安価で暖を取れると陛下が貴族に広め、貴族から各家の使用人や出入りする商人を通じて平民にも浸透し、わたしの考案者としての利益はあっという間に近侍のお給金を超えて持っているのが恐ろしい額の大金となった。


 その管理を結局は伯爵に任せる運びとなるのは数年後の話である。





 

# The sixth case:Lonely masked ball.―孤独な仮面舞踏会― Fin.


* * * * *

・題名「孤独な仮面舞踏会」ついて


男爵夫人は結局、父親や男爵の手の平という舞台の上で踊り、踊らされていたということです。

心は常に孤独なまま結婚生活を二十年続け、その間に狂い、もはや自分が踊らされているのか自ら踊っているのかも分からない状態で裏では欲望を満たし、表向きは美しい男爵夫人として仮面を被っていた。

なので、孤独な仮面舞踏会という滑稽とも言える題名にいたしました。

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