ステップ、七つ。
刑事さんや他の警官は忙しなく動き回っているが、伯爵は観音開きの開きっ放しの扉の片方に寄りかかってその様子を黙って眺めているだけだ。伯爵の権限は基本的に陣頭指揮に限られており、他に誰もいない状況でもない限りはノータッチである。
腕を組んで何とはなしに眺めている姿はふてぶてしくて、でもどこか年相応に見えた。
近付くわたしに気付いて首だけで振り返る。
「バートさんがお気に召しましたか?」
そう問い掛けると眉を片方だけ器用に上げた。
「それはお前の方だろう。……ああいう者が好きなのか?」
珍しくこの手の話題を振って来た伯爵の顔を思わず見上げてしまう。
残念だがその表情からは感情が上手く読み取れない。
仕方なく、通行の邪魔にならないよう開いたもう片方の扉を押さえるように立つ。
「普通ですね。まあ、個人的な好みを述べるのであれば少々面白みに欠けます。わたしはもう少しクセのある人の方が面白くて好きですよ」
「それにしては随分と仲が良さそうだったな」
「一般的に言えば良い方ですから。それに仕事上必要であればそれくらいは出来ます。でも料理と一緒で変化のない味より、少しスパイスの入った変化のある味の方が好まれるでしょう? クセが強いほど好きだという人もおりますし」
「捻くれ者め。当てはまるのはお前自身だぞ」
呆れた声に指摘されて「味があって面白いでしょう?」と聞けば「厄介の間違いだろう」と返る。
そうして話をしていると、またどこからともなくドタバタと慌ただしい音がする。
若い警官の一人が部屋に飛び込んで来た。
「け、警部! 大変です!!」
もう十二月だというのに汗だくな警官に刑事さんが振り返らずに声をかけた。
「あん? 何か見つかったのか?」
「ち、地下に……地下に、た、大量の遺体があるんです!!」
「何だって?」
何かの書類を読んでいた刑事さんが顔を上げて振り返る。
伯爵も扉から体を離して腕を解いた。
よく見れば警官の顔色は悪く、血の気が引いている。
余程悲惨な光景なのかとわたしも気合を入れて姿勢を正す。
「おい、案内しろ」
「は、はい!」
刑事さんがこちらを向き、伯爵が一つ頷いて歩き出す。わたしもそれに付き従った。
案内をする警官の顔色はなかなか戻らない。
辿り着いたのは屋敷の階下で、セラーや食料貯蔵室などがある場所だった。昼間でも日が差さないので暗く、この時期は空気がとても冷たく、常に冷蔵庫にいるような寒さだ。刑事さんとわたしがそれぞれカンテラを持って足元を照らす。
その最も奥の部屋へ歩いて行った警官は扉の前で止まった。
「此方に。申し訳ありません、これ以上は……」
思い出して気分が悪くなったのか口元を押さえて俯く。
刑事さんは「分かった。だが早く慣れろよ」とだけ言って扉を押し開けた。
暗い石造りの地下は冷たい空気に包まれ、そして嗅ぎ慣れた臭いが鼻先を掠める。
生き物の腐った臭い。吐き気のする甘さが混じった腐敗臭だ。
伯爵が手で軽く口元を覆う。
「此処で間違いないな」
「はあ、今から此処に入るかと思うと気が滅入りますねえ」
「言うな」
伯爵と刑事さんが出入口の前で僅かに尻込みしていた。
「そこで止まられると後ろが詰まります」と背中を軽く押すと諦めた様子で中へ入る。
中は四畳半ほどの広さで微かな腐敗臭はするが目立ったものはない。
そこにはもう一人警官がいて、やはり青い顔で黙って別の方向を指差した。
入って右斜め前にもう一つある扉だ。
その扉を開ければ、今までの比じゃないほど腐敗臭が強くなる。
カンテラを掲げながら部屋に入り、人影に一瞬ドキリとした。
「おいおい、何だこれ?」
十畳ほどの縦長の地下室、その壁にズラリと棺桶が立て掛けられていた。
腐敗臭はその棺桶達から漂っているらしい。
試しにカンテラを床に置いて棺桶の一つに触れる。軽い素材で作られており、そのフタとなる上部が簡単に開いた。一層強くなる腐敗臭に流石のわたしも顔を顰めてしまう。
中には少年がいた。十二、三歳ほどの栗毛で伏し目がちに開いたままの瞳は若草色で、線が細く見目が良い。真っ直ぐに立った格好で棺桶に納められている。パッと見た限り目立つ傷はない。
他の棺桶も開けてみたが半数以上は最初の遺体と同じ状態で納められ、残りは腕や足が変な方向に曲がっていたり、体の一部が骨しかなかったりと綺麗な状態とは言い難い。棺桶の数は二十近く、少年ばかりだ。
「本当だったにしても、これは多いだろ……」
刑事さんが言葉を濁らせる。
これだけの少年達が貴族の御婦人の手にかかるとは、きっとこの光景を見ない限り、誰も信じないだろう。二十近く並ぶ棺桶の中で直立不動で納められた少年達は非常に不気味だ。
ふと手前に来るほど棺桶の中の遺体が綺麗だと気付く。何でだ?
そっと触れた頬は冷たく、しかし死体とは思えぬほどにしっとりとした感触がある。
髪も本来であれば乾燥してしまうはずなのに、生きているかのように艶めき、柔らかい。
触れた指同士を擦り合わせると潤滑剤か何かがついたのかしっとりと滑る。
もう一度触れて瞼の裏や口内を確認しようとしたが動かなかった。
よくよく確かめてみれば柔らかな肌の下に固い感触があり、それは全身に及び、この固いものが遺体を内側から支えているようだった。
遺体から手を離して顔を上げると、伯爵と刑事さんが変なものでも食べたみたいな顔でこちらを見ている。段々慣れてきたとは言え、毎回遺体に触れる度にそういう反応をされるのも面倒臭くなってきた。
「何でしょうか?」
暗に言いたいことがあるなら言えと促してやれば、伯爵がちょっと引き気味に口を開く。
その間もわたしは遺体の検分を行った。
服は着せてあるだけらしく、裾を捲ると青白い肌が露わになる。
触れたその肌もしっとりと薄く潤っていた。
「何故、そう簡単に
何故って――……
「逆にお聞きしますが何故
「いやいや、坊主、人間の死体だぞ? 怖いとか不気味とかあるだろ?」
「いいえ、特には。むしろ生きている人間の方がわたしは怖いですよ」
生きている人間は何をするか分からないけれど、死んだ人間は何もしない。
同じ人間で、動くこともなければ、喋ることもない。
死んでしまえばそこにあるのはただの器だ。
見知らぬ誰かの器に多少の同情は抱いても怯えはない。
初めて見た時は強い衝撃を受けたが怖いとは思わなかった。
「生まれた瞬間から人は死に向かって歩いていきます。そして聖人君子であろうと極悪人であろうと平等に死は訪れます。死体を怖いと思うのは死が怖いからでしょう。でも、何時か必ず訪れるものに怯え続けるなんて疲れるだけですよ」
「どうせなら面白おかしく生きたいですからね」と締め括る。これは紛うことなき本心だった。
伯爵はどこか納得した風に頷き、刑事さんは呆れた風に肩を竦めた。
そんなことよりも、事件の話をしよう。
「旦那様、ココにある御遺体は全て中に硬いものが入れられているようなのですが、これは何でしょうか?」
「少し待て」
手袋をした伯爵の手が遺体の頬に触れる。
調べるためか撫でたり軽く
その間にわたしは自分の手をハンカチで拭う。
「これは剥製だな。恐らく中身ははぼ別のものに取り替えられているだろう」
「剥製は中身を捨ててしまうのですか?」
「ああ、中身は捨てて、大抵は皮や爪などが外観として使われる。内臓などは腐るから残しておけんのだ」
「骨格は?」
「医学目的でもない限りは捨ててしまうだろう。目もよく出来ているが宝石か何かに見えるな」
へえ、じゃあ学校の生物室にあるキツネやらタヌキやらの標本は皮だけなのか。あれ微妙に獣臭いんだよなあ。
つまりこの遺体は皮や髪だけ本物で、目や内臓は既になく、中身は他の何かということか。
まさしく人間で作った人形である。
「にしても、生きてるみてえで不気味だな……」
刑事さんが棺桶を覗き込んで眉を顰めた。
「パラフィン……蝋燭の原料が塗ってあるのだと思います。生前の外観を保ったミイラに使われていたはずです。遺体の肌の保湿用に塗ったんでしょう」
パラフィンはワセリンの大部分を占める保湿剤だ。
かの世界一美しいミイラの少女にもパラフィンが使われており、それが生前の外観を保つ秘訣の一つであるのは知られていた。死後に乾燥してしまう遺体の肌の保湿性を高めることで生きているかのように見せるのだ。
「剥製の作り方は知らねえのに何でミイラの知識はあるんだよ?」
首を捻って過去を思い出す。
そんなわたしを刑事さんが物言いたげに見る。
「……興味がないから?」
「ミイラはあるのかよ?」
「ええ、通っていた学院で歴史の勉強をした際にミイラの話が一言二言ありまして。調べたのは単にわたしの好奇心からですが」
世界史の授業か何かでエジプトのミイラは内臓などを取り出して壺に小分けしてから防腐処理された、という話で興味を持ったのだ。
ただミイラと違い剥製には興味が湧かなかったため、調べようと思ったことすらなかった。
「どこに興味が湧くんだ……」
「方法が面白いんですよ。脳を取り出し、神の姿を模した壷に内臓を塩と共に納め、何十日もかけて防腐処理を行う作業が実は宗教的な意味合いと腐敗させないための合理性とが上手く噛み合い、死者がミイラとなるなんて興味深いと思いませんか? ……ああ、本物の壷を一度くらいは見てみたかったです」
その「ありえねえ」って顔はやめて欲しい。
人が何に興味を示そうが勝手ではないか。
つい組んでしまった両手の平を解いて刑事さんへ顔を向ける。
「兎に角、まずは安置所に空きがあるかの確認と遺体発見の報告を署にされた方が宜しいのでは?」
一度にこれだけの遺体となれば安置所にスペースを作るのは手間だろう。
ココは地下で、今は冬場だ。そのお蔭で寒いくらいの室温を保っている。
急いで移動させる必要はないけれども屋敷に置き続けることも、ココに暮らす男爵家の者や使用人達の気持ちを考えると出来ないのだ。他に協力者がいて処分されても困る。
刑事さんは思い出したように隣室にいる警官へ声をかけに行った。
黙って聞いていた伯爵が「ミイラは作るなよ」と釘を刺して来たので「興味はありますが面倒の方が多いのでやりませんよ。衣類も汚れてしまいますし」と答えたら、やっぱり何とも言えない顔をされた。
「そんなことよりも、被害者を剥製にして一体何がしたかったんだ? わざわざ遺体を丸ごと残しておくなど発見される可能性が高まって危険なだけだろうに。……目に見える形で成果を残しておきたかったのか?」
難事件を解決してきた伯爵でも、そういう感覚は一般人のそれなのだなあと思う。
何となく理由が分かるわたしはもしかしてサイコパスなのかもしれない。
……そんなことないはずだ。これは元の世界で似たような事件を知っているから分かっただけで、知らなかったらきっと気付かなかっただろう。
「観賞するために保存したんですよ」
「遺体をか」
「ええ。あちらにこんな地下室に置くには質の良いソファーがございましょう? あそこに夫人が腰掛けて、夜な夜な美しい少年を愛でていたのでは? そうだとすれば潤滑剤も夫人自ら塗っていた可能性もございますね」
出入口の脇に置かれたソファーは地下の薄暗い場所に設置するには豪奢だった。ビロード張りで木製の肘掛には植物が丁寧に彫られている。
背凭れに厚手のショールがかけてあることからつい最近、下手したら昨日までそこを誰かが頻繁に使っていたのだと分かる。よく腰掛けるからショールを持ち運ばずにかけてあるのだ。
そうしてこの屋敷でこれほどの椅子に座れるのは男爵家の者のみ。
男爵家の子供達は学院の寄宿舎で生活しているため除外される。
男爵という線もあるがショールも椅子も女性が好む華やかさがあった。
暗い地下室の豪奢な椅子に腰掛けた美女が、自分で手に掛けた美少年の遺体を眺めたり手入れをしたりする様を想像して、それが妙に合っているものだから苦笑が零れ出た。
「戻るとしよう。我々の仕事は夫人の調査であり、こうも証拠が揃っていれば私達が出る幕もない。何よりこの臭いの中に居続けるのは
「畏まりました」
本気でうんざりした声音と口調の伯爵に頷き返し、その場で両手を合わせた。
彼らの魂が安らかに眠れますように。
顔を上げれば伯爵も身近な黙祷を捧げていた。
床に置きっ放しだったカンテラを持ち、わたしを先頭に上階へ戻る。
最初に呼びに来た警官が地下へ続く階段を見張っており、わたしと伯爵を見て何故か敬礼をするので、軽く一礼して前を通った。伯爵は特に反応しなかった。
上階の新鮮な空気に包まれると伯爵は一つ深呼吸をする。
試しに袖に鼻を寄せると仄かにねっとりとした甘い臭いが漂う。あれだけの数の遺体があったので服に臭いがついてしまうのも仕方のないことだった。
伯爵もわたしの仕草に気付き、自分の袖に顔を寄せて顔を少し顰めた。
これは帰ったら二人共入浴するべきだろう。衣類の臭い取りと新しい手袋の用意もしなければ。それにあれも作るので大雑把な形をお針子に教えなければならない。事件が終わっても仕事は沢山ある。
「お帰りになられますか?」
「ああ、もう必要ないだろう。……屋敷へ戻ったら湯を浴びたい」
そうぼやく伯爵にわたしも「同感です」と返したのだった。
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