実、十一口。

 



 だが女の子はその廊下を躊躇いなく進む。


 しっかりとした足取りにわたしもついて行く。


 空気が流れ難い場所独特の空気の悪さと埃臭さが混じり、廊下の端に置かれた荷物も奥へ行くほど増えていく。倉庫に入らないものやすぐに使う予定のものが廊下にあるらしい。


 廊下のどん詰まりに辿り着くと、女の子は倉庫のだろう扉の前で一旦立ち止まり、扉右側の壁にある通気口の網を掴んで引っ張った。


 小さな金属音を立てて簡単に外れた網は、よく見れば留め具が錆びて壊れてしまっている。




「何で二人がいなくなった時にすぐ教えてくれなかったんだ?」




 網を脇の壁へ立て掛けながら女の子が答えた。




「ここ、はいっちゃダメなの。みんなのまえでいったら、おこられるもん」


「ああ、それは怒られるな」


「シスターおこるとこわいんだよ」


「なるほど」




 子供らしい理由を教えてくれた女の子は、ぽっかり開いた通気口へ四つん這いになって入っていく。


 わたしも通気口へ入ったが、中はかなり狭く、やはり少し埃っぽいが子供達がよく使う道なのか埃の塊はなかった。子供達が出入りする度に衣類に埃がついて通気口の中が綺麗になったというのもありそうだ。


 だが長さは大してなかったらしく、あっという間に外へ出た。


 埃を払いつつ周囲を見回すと倉庫の中に繋がっていた。木箱や使われていないベッドの枠、壊れた机やいすなどが所狭しと置かれた室内は埃っぽく、窓も上部にある嵌め殺しの小さなものだけ。


 行く手を遮る荷物を避けて更に奥へ行く。


 すると、聞き逃してしまいそうなほど小さな泣き声が耳に届いた。


 押し殺すようなそれに思わず立ち止まったわたしの手を女の子が引っ張り、嬉しそうな声を上げた。




「みつけた!」


「!」




 慌てて女の子が指差した場所を見ると茶色の頭が少しだけ木箱の向こうから覗いている。突然聞こえた声に驚いたのかビクリと震え、泣き声が止む。


 これ以上驚かせないようゆっくり木箱を回り込めば床に座った男の子がいた。


 俯いた、少したれ目がちの可愛らしい顔は涙に濡れてしまっている。柔らかな茶色の髪に同色の瞳、この国の人々がそうであるように色白で、孤児だからかやや痩せ気味だ。


 そっと手を伸ばすと小さな体が大げさに震えた。




「皆のところに戻ろう」


「っ……!」





 パッと立ち上がったかと思うと勢い良く飛びつかれる。受け止め切れずに尻餅をついてしまったけれど、それでも離れようとはしなかった。


 震える体を両手で抱き締め、日も落ちて肌寒いというのに薄着のイルに自分が着ていた上着をかける。


 こらえられなくなった様子で泣き出す小さな背を優しく撫でてやる。女の子も何故か釣られて泣き出してしまい、仕方なく大泣きする二人を抱き締め続けた。


 胸元と左肩が涙で少し濡れてしまったが仕方ない。


 たっぷり泣いて少し落ち着くと、男の子はしゃくりあげながらも口を開いた。




「ごめ……ごめん、なさっ……」


「良い、無事で良かった。アルはどうしたんだ?」


「っ、ボク、アルのこと……!」




 またボロボロと零れ始める涙を手で拭ってやりながら、背中をトントンと軽く叩く。


 もう一人の女の子の方はハンカチを顔に当ててやれば、気恥ずかしそうにそれを受け取って自分で涙を拭く。ちょっとませた感じがした。


 大丈夫だと言う代わりに背をゆっくり摩り、辛抱強く待つと、イルは必死に言葉を紡いだ。




「遊んでる時に、アルが倉庫に行こうって……っ……それで、中へ入って」


「うん」


「そし、たら……奥の床に、扉があって、アルが開けてっ……みようって……」


「開けたのか?」


「う、うん…」




 倉庫には様々な物が置いてあり、大きな家具や壊れた物など触ると危険なので子供達は倉庫への立ち入りを禁止されている。


 だが、女の子が言った通り子供達はどうやら言いつけを破って度々忍び込んでいたらしい。


 続きを促そうとしたが、イルの様子がおかしいことに気付く。


 思い出すのも怖いのか頭を抱えて体を縮ませる。




「床の下に、部屋があって……アルが一人で入っちゃったけど、ボクは真っ暗が怖くて、入れなくて」




 怯えたように両手で顔を隠す。




「そしたら、シスターが来て」


「うん」


「怒られたくなかったから、隠れて――……」




 隠れたイルに気付かず、シスターは開きっ放しだった床の扉の中へ入ってしまったらしい。


 少しして中から今まで聞いたこともないアルの叫び声が聞こえ、暫くしてシスターだけが出てきて扉を閉めた。誰もいなくなってから何とか床の扉を開けようとしたものの、鍵をかけられてしまい無理だったそうだ。


 出て来ないアルを放っておけないが、誰かにば勝手に倉庫に入ったことも知られて叱られる。


 引っ込み思案なイルにしたら神父やシスター達のお説教は相当な怖さなのかもしれない。


 オマケに恐ろしいアルの悲鳴を耳にして身が竦んでしまったのだろう。


 結局動くことも出来ずに倉庫の隅に隠れていたということだ。




「床の下に入っていったシスターの名前、教えてくれるか?」


「うん、シスター・ヘレンだったよ。……えっと、金色と茶色の間みたいな髪の色で、青い目の、他のシスターよりちょっとだけ大きい人。……分かる?」


「大丈夫。多分、見れば分かる」




 話を聞き終えたわたしは、女の子にイルと一緒にココで待つよう告げて立ち上がる。


 今いる場所より更に倉庫の奥へ行くと話の通り南京錠がかけられていた。


 扉自体あまり頑丈とは言えない木製のもので、近くにあった不用品入れを探って古びた火掻き棒を引っ張り出し、それを扉へ思い切り振りかぶって火掻き棒を曲げるくらいの勢いで叩き壊す。派手な音がしたが構わないか。砕けた扉の破片を適当に外して退けておく。


 覗き見た地下は暗闇に包まれて一寸先も見えない。


 またその辺の物を拝借して欠けて使われなくなったティーカップと小さな蝋燭を見つけたため、ティーカップの中に蝋燭を入れてマッチを一本擦って蝋燭に火を灯す。


 このマッチは主人である伯爵がパイプなどを吸う際に差し出す火元として使うものだが、仕事上必要で使ったとあればそうお咎めは受けないと思う。


 小さな光源を手に地下へ伸びる階段を慎重に下りる。


 するとそこは小さな空間になっており、扉が壁にポツンと一つ存在する。壁は石造りだが地面は硬い土が剥き出しのままで、空気はヒンヤリと冷たく少し淀んでいる感じがした。


 手垢と錆びのついた取っ手を掴む。ギィと軋みながら開いた扉の向こうも真っ暗闇だ。


 イルの話だけでは証拠がイマイチ足りないので決定的な何かを見つけなければ。


 室内へ入ろうと足を踏み出し、嫌な臭いが漂ってきた。申し訳程度だが袖で口元を覆うと少しだけマシになる。漂う濃い鉄の臭いやどこか甘さを含んだ生臭さは、呼吸の度に奥歯で砂を噛むような不快感と吐き気を感じさせる。


 わたしは明かりを掲げて室内を照らした。




「うっ……」




 地下室の正面に向けて左右に置かれた棚に有り得ない物の山が整然と並べられていた。


 それらは写真で見た子供達と同じ顔をしていたけれど、首から下は見当たらなかった。中には骨になり崩れているものもある。


 いくら気温の低めの国の地下室とは言え冷凍庫ではない。この悪臭の元は言うまでもなかった。


 数えるのも嫌になるくらい沢山の子供達の顔だが、全員目を閉じていることだけはわたしにとって救いであった。


 それらを通り過ぎると今度は沢山の小瓶が積み上げられていた。中には丸くて白い玉が二つずつ入っており、やはりそれが何なのかは考えるまでもない。


 縦に広い地下室の奥に辿り着いて絶句した。


 …………何なんだ、これは。


 大小様々な、大量の白い棒状のものが入った大きな鍋、傍にはくすんだ白い棒が積み重ねられて小山と化し、床に敷かれた大きな木板には夥しい量のドス黒い液体の乾いた跡。そこに鉈のような包丁が二本。


 少し離れた床や壁にも乾いた液体がベットリとこびりついているのに、包丁だけは丁寧に血を拭われて蝋燭の火を鏡の如く反射させる。




「!」




 蝋燭で突き当たりの壁を照らすと息が止まった。


 無造作に置かれた木のたらいの中に横たわる小さな体に駆け寄り、蝋燭を置いてその首筋に触れると冷たく、体温の欠片も感じられない体は死後硬直が大分進んでしまっていた。


 体を伸ばして顔を覗き込む。


 ……やはり、それはアルディオだった。


 顔立ちは似ているがイルとは違いややツリ気味の目は見開かれたまま、驚愕と恐怖に引き攣った表情で死んでいた。


 悲鳴を上げたというのなら犯人の顔を見た上で殺されたのだろう。この子が最期の瞬間に感じた痛みや恐怖を思うと遣る瀬ない気持ちになる。もう恐ろしいものを見なくて済むように、せめてもと瞼に触れて目を閉じさせる。


 黒と見紛うほど服はどす黒く変色し、盥には流れ出た血が同じ色で溜まり、よどむ。


 ……ごめん、もう少しだけ待ってて。絶対、ココから出してあげる。


 冷たいアルの冷たい頬を一撫でしてわたしは立ち上がった。


 先ほど触りたくないと思っていた玉の入った小瓶をベストに包んで持つ。


 このベストはもう使う気にはなれないな。古着で良かった。普段着ているものだったら流石にこうは使えない。


 蝋燭とそれを持って階段を上がり地下室を出る。


 イルと女の子の元へ戻れば、二人が腰に抱き着いてきた。




「セナ!」




 小さい二つの頭を撫でてやる。




「ねえ、アルは……?」




 震える声でイルに問われたものの、答えは返せなかった。




「……とりあえず戻ろう」




 小さな背を促して荷物を合間を縫って倉庫の入口へ向かう。


 倉庫の扉にも鍵がかかっている。ただし、こちらの方が頑丈で厄介だ。




「危ないから下がってろよ」




 持っていた小瓶を傍の木箱の上へ置き、即席の蝋燭を女の子に持ってもらって一度深く呼吸をする。




「セナ、どうするの?」


「きっとあかないよ。あっちからでよう?」


「いや、開かないなら開けるまでだ」




 言って、扉に全力の蹴りを入れた。


 ミシリと軋む音がしたが構わず繰り返す。


 二回で僅かな隙間ができ、三回目でヒビが入った。


 四回目でへし折れる大きな音がして、両開きの扉のドアノブ部分が破壊され、両開きの真ん中の扉同士の接触部分が外側へ少し折れ出す。


 更に蹴って扉の鍵を完全に破壊し、散らばった破片も足で脇へ避けておく。


 小瓶と燭台を再度手に持って三人で元来た道を戻り、途中で廊下にいた警官にイルを頼んだ。


 わたしと離れるのを酷く嫌がったけれども強く警官と共にいることを勧めれば渋々諦めてくれた。行けば身の危険に晒されるかもしれないし、この子は残酷な真実を知ってしまう。そんなつもりがなかったとしても結果的にイルは兄(アル)を見捨ててしまったのだ。


 ただでさえ一人で隠れた己の行いを責めているのに、今真実を知れば取り乱すのは目に見えている。


 絶対に目を離さないようお願いして警官から離れる。女の子もイルと一緒に警官やシスターがいる部屋に残った。ティーカップの燭台は女の子が気に入ったのか持って行った。


 ベストに包んだ小瓶を持ち直しつつ客間へ行く。


 上着もベストもないので流石に寒いがそうも言っていられないか。


 戻ってきた薄着姿のわたしに客間の前にいた警官は不思議そうな顔をしたが、それには触れず、きっちり閉じられた扉を一応ノックしたが返事を待たずに開けた。


 中にいた伯爵と神父、シスター達、後から来たらしい刑事さんが振り返って埃で薄っすら汚れてしまったわたしに眉を顰める。




「失礼致します。旦那様、早急に御報告申し上げたいことがございます」




 もう芝居をする必要もない。普段通りの敬語で話し出したわたしに、伯爵と刑事さんを除いた神父とシスター達が驚きに目を見開く。


 伯爵はソファーに腰掛けたまま指で自身の側へ来るよう示したた。


 わたしは歩み寄り、持っていた瓶をベストごとテーブルに置く。




「随分埃まみれだな」


「これには少々訳が。……まずはいなくなった双子について、一人を無事発見致しました。倉庫の奥に長時間隠れていたせいか少々疲労していたため、保護して部屋で休ませています」


「良かった! イルが見つかったのね!!」




 わたしの言葉に感極まった様子でシスターがソファーから立ち上がり、部屋を出て行こうとしたため、前に立って道を塞いだ。




「行方不明なのは双子のはずなのに、何故、保護されたのがイルフェスだと分かったのですか? シスター・ヘレン」


「それは、あの子は気が弱いからきっとすぐに孤児院ここに戻って来ると思って………。だから見つかるとしたらあの子が先だと思ったのよ」




 苦し紛れな言葉を心底心配した風に口にする姿にカッとなって、止められる暇もなく目の前の顔を殴りつけた。


 鈍い音と共にシスターが悲鳴を上げて床に倒れ込み、頭を覆っていたコルネットが外れて長いダークブロンドの髪が露わになる。


 もう一度殴ろうとしたわたしを刑事さんが慌てて羽交い絞めにする。




「何してんだ坊主! 捕まりたいのか?!」


「離してください! そちらを御覧になれば彼女の所業が分かります!!」




 テーブルの上に置いた物を示すと、伯爵が巻いてあったベストを剥がす。


 中身を見て、それが何であるか気付いてしまったシスター達は小さく引き攣った悲鳴を上げながら口元を押さえ、耐え切れずに殆どが部屋の外へ走り去った。


 扉が閉まる直前、一瞬だけ覗いた警官の怪訝けげんそうな視線には誰も応えられなかった。



 

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