実、十口。

* * * * *

 





 結局ベッドの上でうとうとしている間に朝がきた。


 寝転がったまま見える空はだいぶ明るくなっていた。


 一度生まれてしまった可能性は一晩中、否定と肯定を繰り返し、何度も堂々巡りをする。


 教会関係者が犯人かもしれないと先に告げられていたにも関わらず、こんなに動揺している自分の覚悟のなさが情けない。


 見知らぬ人間が死のうが殺されようが構わない。その人はわたしにとって何の関係も価値もない。


 でも一度でも関わってしまったならば、それはもう『他人』とは言えなくなってしまう。


 こういう仕事では、そういう弱さは邪魔だと分かっていた。




「理解してるつもりだったんだけどなあ。――……『つもり』は所詮『つもり』でしかないってことか」




 犯人が内部にいたとしても、そうでないにしても、事件を解決させたいと思う気持ちは変わらないし、多分これからも変わらないと思う。


 もう一度見上げた空はわたしの暗鬱な気持ちとは対照的なほど美しく晴れ渡っていた。




「とりあえず、ちょっと揺さぶってみよう」




 それで可能性が消えれば良し。消えなければ、その時は伯爵へ報告だ。


 ベッドから起き上がって衣服を整え、髪を手櫛で直したらブーツを履いて廊下へ出る。


 顔を洗うために井戸へ向かっていると後ろから声をかけられた。




「おはよう、セナ君」


「セナ、おはよー!」


「おはよー!」




 振り返れば神父と数人の子供達がいた。


 何時も早起きをする子達で、わたしと同じく顔を洗いに行くところだったようだ。




「……はよ」


「セナもかおあらう?」


「ん」


「みんなでいこー!」




 子供達に手を引かれ、神父の隣りを歩く。


 チラリと服の袖から覗いた手首に包帯が巻かれているのが見えた。昨夜の怪我なのだろう真新しいそれは腕の方まで続いているようだ。


 井戸に着くとまずは滑車で水を汲んで、先に子供達に顔を洗わせる。


 伯爵のお屋敷も井戸から水を汲むが、あそこは屋敷内に井戸があるので天気に関係なく使いやすいし、良い滑車なのか滑らかだが、これはガラガラギリギリと壊れないか心配になる音がする。


 顔を洗い出したら注意して見ていないと遊び始めて服まで水浸しにしてしまうのだ。


 案の定、隣り同士で手に水をかけ合ったりお喋りで動きが止まる子供達の頭を軽く叩いて洗顔を促すが、これだけで大抵三十分くらい時間を取られる。


 ある程度落ち着いたところでわたしと神父も顔を洗った。


 冷たい水を顔にかけながら隣りを見やれば先に終えた神父が濡れてしまった包帯を触っている。顔を拭いつつ、別の布を差し出すと、神父は苦笑交じりに受け取り包帯の上から押し当てて水分を取った。




「ありがとうございます。顔を洗う前に外しておけば良かったですね」


「そんな酷いの?」


「いえ、それ程ではありませんよ。ただこの辺りまで痣が出来てしまっているので、あまり子供達に見せたくないのです」




 この辺り、と二の腕の真ん中くらいから手首のすぐ上までを反対の手で撫でる仕草に「ふーん」と返事をしておく。


 言い分としてはおかしくない。


 顔は特に目立った傷や赤みはなく、右手は気にしているけれど、肩は問題なく動かせている様子だった。


 怪我は本当にただの打撲で、子供達を心配させまいと痣を隠しているだけなのかもしれない。医者へ行かずに自分で手当てする程度で済むのも頷ける。


 ……ダメだ、全然判断がつかない。


 子供達を連れて先に戻る神父の背を見送り、溜め息を零す。


 やはり伯爵に報告するしかなさそうだ。






* * * * *






 伯爵への報告は昼過ぎに様子を見に来たエドウィンさん経由で伝えてもらい――昨夜の件は既に聞いたようだ――、夕方までは普段通り子供達の遊びに付き合うことにした。


 それから日が落ちたら身を清める時間になり、子供達を集めて大きな暖炉のある部屋へ連れて行く。


 風呂には入れてやれないが夏は水浴び、他の季節は室内で水や湯で濡らした布で体や髪を拭いて身綺麗にさせているそうだ。毎日汚れても遊ぶ子供達には必要だろう。


 相変わらず落ち着きのない子供達の人数を確認してみると二人ほど足りなかった。振り返って小さな子達の服を脱がせてやっているダークブロンドの髪のシスターに声をかける。




「シスター、二人足りない。多分、アルディオとイルフェス」


「え? ……あら、本当だわ。何時もはちゃんといるのにどこに行ったのかしら?」




 周囲を見渡した後にすぐ気付いたシスターは不安そうに眉を下げる。他のシスターも話が聞こえたため室内の子供の人数が多いを確かめ出した。


 どうやら彼女達も二人の行方を知らないらしい。


 二人の顔を思い出す。兄のアルは明るく活発的で皆の輪の中心にいる子で、逆に弟のイルは引っ込み思案なのか兄の後ろにいる子という、性格が正反対な双子の男の子達だ。


 伯爵に苺をもらった時にヘタ取りをしていたのが兄で、水で洗っていたのが弟だったので覚えている。




「ちょっと探してくる」


「お願いね、セナ」


「私達も探すから見つけたら連れて来てちょうだい」


「ん」




 金髪のシスターの言葉にも頷いて部屋を出る。


 あの双子はよく教会を抜け出していると他の子供達が言っていたけれど、一度だってこんなことはなく、今までは日が落ちる前にはきちんと戻っていたのに。


 二人について思い出していくうちに嫌な予感が頭をぎる。


 双子の兄は綺麗な顔立ちをしていた。何時も俯いていたけれど、双子の弟も同様で、女の子達に羨ましがられていた。歳も十歳だと何かの拍子に聞いた覚えがあった。


 ……………まさか……。


 冷や汗が背を伝うのを感じながら孤児院の部屋を全て見て回った。


 子供達の部屋も、食堂も、中庭も行ったのに見つからない。


 小柄な二人が隠れられそうな場所も虱潰しに探した。クローゼットや古びたおもちゃ箱、ベッドの下、図書室の本棚の隙間。子供達がお腹が空くと集まって来る厨房だって調べた。


 しかしどこを探しても二人の影は見当たらず、時間だけが無情にも過ぎて行く。




「セナ!」




 シスターの声に振り返れば、神父と共に走り寄って来る姿が見えた。


 淡い期待もむなしく傍に子供達はいない。




「シスターから聞きました。二人は見つかりましたか?」


「いや、どこにもいない」


「そんな、まさか……っ?」




 街で最近起こっている誘拐事件を思い出したのかシスターの顔色が悪くなる。


「くそっ……!!」感情に任せて壁を殴りつけると鈍い音と共に手に痛みが広がった。だが神父がわたしの手を掴んで血の滲む甲にハンカチをそっと押し当てる。


 その表情は怪我をしたわたしよりも痛ましげに歪められていた。


 あんまりにも哀しそうな様子にただでさえ混乱している頭の中がぐちゃぐちゃになってしまう。


 この人は犯人じゃない? 事件とは実は無関係なのか?


 グルグル巡る思考に気分が悪くなり足元がふらついた。感じる頭痛は寝不足のせいなのか、それともこの突然の状況に心が追い付いていないのか。恐らく両者かもしれない。


 気分が優れないわたしに気付いてか、金髪のシスターが背を摩ってくれた。




「まだ誘拐と決まったわけじゃないわ。もしかしたら遊びに抜け出してまだ戻って来ていないだけもしれないもの。とにかく子供がいなくなったら連絡するよう警察に言われえているのでしょう? セナもまずは手当てをして、その間に他の人が警察署に行ってくるから。……ね?」




 励ますように言う声は微かに震えていたけれど、気丈な姿に何とか頷き返す。




「オレが行ってくる。走れば早いし、手は自分で出来るから後でいい」


「でも血が……!」


「シスターは神父様と一緒にみんなについててやれって。……ほら、見てみろよ」




 チラリと視線をずらせば、何時の間にか廊下の角からいくつかの頭がこちらを覗き見ている。目が合うと慌てて頭を引っ込めたが、気になるのか再度顔を覗かせた。


 シスターと神父も振り返って子供達の存在に気付くと、心配の色を見せながらも「あの子達にあまり不安を感じさせてはいけませんね。では、よろしくお願いします。くれぐれも無理をしないように」と神父が言った。


 部屋に戻って上着を引っ掴むと走りながら着込み、教会を飛び出した。


 警察署は花街を挟んだ場所に位置するが距離がある。


 夜の活気のある花街は全体的に甘い香水の香りや酒の香りが漂っている。店に呼び込もうとする女性達の声を避け、断り、人波を縫ってとにかく目的地を一心に思い浮かべて足を動かす。


 石畳を駆け抜け、他には目もくれずに警察までの道をひたすら走る。


 こんなに走ったのは何年ぶりかと思うくらい久しぶりの全力疾走だった。


 肩で息をしながら階段を上がり、警察署玄関の両開きの扉を勢いよく押し開けた。中にいた夜番の警察達が一斉に振り向く。こんな夜に子供が何の用だと言いたげな彼らに近付いた。




「すみません、孤児院で子供が二人、行方不明になったんです。お願いします、どうか探すのを手伝ってくださいっ」




 わたしの言葉に警察達は驚いた顔をしたが、互いに顔を見合わせ困惑するばかり。大勢の警察を動かすには彼らの上司の許可が必要なのは知っているが、しかしそんな悠長なことを言っていたらセルとイルは本当に二度と帰って来ないかもしれない。


 握り締めた手に爪が食い込んだけれど気にしていられなかった。


 殴ってでも言う事を聞かせてやる。


 そんな考えが浮かびかけた時、聞き覚えのある声が二つ飛び込んできた。




「ん? あれはセナ君か?」


「あん? 何言ってんだ、あの坊主がこんな時間に――……って、あれは坊主じゃねえだろ?」




 出入り口を見ればエドウィンさんとあの大柄な刑事さんがいた。正反対の二人が並んでいる様はちょっと違和感があったけれど、今はそんなことに構っている暇はない。


 振り返った勢いが凄かったのか驚いた顔で半歩下がった二人に歩み寄る。




「すみません、伯爵に連絡をつけてくださいっ。わたしのいる孤児院で子供が二人、行方が分からないのです!」


「え? 本当に坊主かよ? 何で孤児院に? その子供ってのはどこかに出かけて、まだ戻って来てないだけじゃねえのかい?」


「確かによく教会を抜け出す子達だそうですが、今までは日が落ちる前には必ず戻って来ていたんですっ。 いくら遊ぶのに夢中になっていても暗くなったのに帰って来ないだなんて……それに、わたしのいる孤児院は過去にも子供達がいなくなっているのです」


「例の事件に巻き込まれた可能性は拭えねぇってか? ……おい、まだ外回りに出てない奴らを何人か呼んで来い!」




 刑事さんの言葉に何人かが慌てて動き出す。


 同時に横に立っていたエドウィンさんに手を掴まれた。


 視線を落とせば血の滲んだ手が視界に映り、ようやく痛いと感じた。一度認識してしまうと手の甲も平も痛くて、じわりじわりと不安を煽る痛みに手が震えそうになる。




「手当てをしよう」


「いえ、教会に戻ってから自分でやるので気にしないでください。それより――……」


「いいから此方に来なさい」




 有無を言わせぬ強い口調で遮られ、ロビーのソファーまで引っ張られる。エドウィンさんはどこかへ行ったかと思うと、救急箱と濡らした布を持って戻って来た。


 布で血が滲む手を拭かれると鋭い痛みが走って無意識に眉を顰めてしまう。血の汚れが取れると今度は何やら傷薬らしき軟膏を手の甲に塗られた。……凄く沁みる。手の内側は塗らないらしく、最後に清潔な布を当てて手早く包帯が巻かれる。


 手当てが済んだエドウィンさんは厳しい口調でわたしを叱り付けた。




「君が焦る気持ちは分かる。だが、それで自分を傷付けて一体何になるんだ? いざという時にそれが原因で動きが鈍ったらどうする? もっと自分を大切にしなさい」




 責める言葉だが、わたしの身を案じてくれている言葉だった。


 分かってる。そんなの伯爵にだって耳にタコが出来るぐらい言われまくっているんだから、理解してる。でも、頭で理解するのと心が納得するのは違う。




「……すみません、こうでもしないと冷静でいられなくて……」




 わたしの言葉にハッとした表情をした後、エドウィンさんは苦しげに視線を逸らし「送って行こう。君は教会に戻ったほうが良い」とだけ言った。


 それに同意して警察署をエドウィンさんと共に出て夜の街を足早に通り抜ける。


 胸に重く溜まる苦しさは不安と恐怖が混じり合った底なし沼のようで。


 今だけは目も耳も塞いで現実から逃避してしまいたかった。






* * * * *






 わたしとエドウィンさんとで教会へ戻り、それから一時間ほど経った頃、警察と共に伯爵が来た。


 エドウィンさんは伯爵と入れ替わるように署へ戻って行った。


 お世辞にも広いとは言い難い客間に集まって双子がいなくなったと気付いた時の話をしている。伯爵が伴った警察の何人かが二人のシスターと共に子供達の様子を、他の者達も教会周辺を巡回しており、残りの数名のシスターと神父も客間にいた。


 知らない大人の男が増えて不安なのか、わたしにしがみ付いて離れない女の子の頭を撫でながら、燭台の揺らめく炎を反射させる銀灰色の頭をこっそり眺める。


 伯爵と神父、シスター達が話しているためにわたしは出入口の壁に寄り掛かっている。


 恥ずかしい話だけれど、見慣れた姿が視界にあるだけで肩の力が抜けた。


 思わずその場に屈み込んで深い溜め息を吐けば女の子が心配そうに見つめてくる。怪我をした手の甲の部分に触れないようにしているらしく、控えめに指を掴むその子に「大丈夫だ」と笑いかけた。




「あのね、セナにだけひみつのばしょ、おしえてあげる」





 ホッとして笑みを浮かべた女の子が、耳に顔を寄せてきてそう言った。


「……秘密の場所?」小声で聞き返せば強く頷きが返ってくる。


 神父もシスターも知らない子供達だけの秘密の場所があるらしく、神父にもシスターにも教えてはダメだと念を押されて、今度はわたしが頷いた。


 静かに扉を開け、廊下にいた警官に「この子、寝かしつけてくるから」と断って出る。


 少し肌寒い廊下をわたしよりも小さな手に引かれて歩く。




「アルとイルはね、よくひみつのばしょにいるの。きっと、でられなくなっちゃったんだよ!」


「出られない? 前にもそういうことあったのか?」


「ううん。でもシスターがきょうはいたから、でられないの」




 要領を得ない言葉を聞きながら行くと客間から結構離れた倉庫まで来てしまった。


 燭台を持って来なかったせいで辺りは暗く、窓から差し込む月明かりで何とか足元が見えるくらいだ。


 窓がある廊下なのに少し埃の臭いがする。よく見てみれば廊下の壁と床の交わる隅には埃が溜まっており、ココには滅多に人が訪れないだろうことを窺わせた。



 

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