実、十二口。
瓶の中にはよく分からない液体と白く丸い玉が二つ不気味に浮かんでいる。玉には両方とも濁った緑の虹彩がある物体はどう見ても人間の目玉だった。
わたしを羽交い絞めにしている背後の刑事さんも小さく「うっ」と怯んだ。
シスターの顔が強張り、それを見咎めた伯爵が瓶から手を離す。
「そのシスターが犯人という訳か?」
「っ……はい。双子のもう一人、兄も発見しましたが既に死亡しておりました。保護した弟の話によると兄が地下室へ忍び込み、その後シスター・ヘレンが地下室に入り、兄の悲鳴が上がったそうです。恐らくその時に兄の方は……。それは、双子の兄の遺体と共に地下室で見付けました」
伯爵の落ち着いた声音に沸騰していた頭から少しだけ血が下がる。
暴れるのをやめたからか刑事さんはわたしを離してくれたが、代わりに心底嫌そうに顔を歪めてシスターを見た。
「誘拐された子供はかなりの数がいたはずだが、その遺体もそこにあったのか?」
「……いいえ、全てではありません」
伯爵の問いに地下の光景を思い出した。
あの大量の骨と大きな鍋を見てしまえば自ずと分かるが自分から口にはしたくない。
しかし伯爵は床に倒れ伏したままのシスターへ同じ質問を投げかけた。
「子供達の遺体はどうした? 全てを地下に隠したわけではないのならば、他はどこへやった?」
わたしに殴られた左頬を押さえ、ゆっくり顔を上げたシスター・ヘレンの口から吐き出されたのは耳を塞ぎたくなるような言葉だった。
「どこにも隠していませんわ。あの子達の血肉は私の中に。若い子供の血肉は美容にとても良いんですもの、食べない方がおかしいでしょう」
開き直ったのか口角が歪な弧を描く。
伯爵が嫌悪感を露わに眉を顰めたけれど、シスター・ヘレンはお構いなしに朗々と語る。
「あの子達の悩みを聞いたり、育てたりしてあげたのだから、少しくらい見返りを求めても許されると思いませんこと? どうせ沢山いるのだから、一人や二人いなくなったところで誰も気にしないわ。孤児が増えて教会も困っていたから丁度良いでしょう?」
「良い訳あるか! どんな人間だったとしても、死ねば悲しむ奴は必ずいる! 何より子供だぞ?!」
刑事さんがわたし達の気持ちを代弁するように
「子供だから憐れむなんて不平等だわ。それに
「このっ……イかれ野郎っ!」
刑事さんが足を踏み出した瞬間、一番近くにいたわたしは腕を掴まれてシスター・ヘレンに引き寄せられる。
逃げる間もなく首筋に冷たく硬い物が当てられた。
これには流石の伯爵もソファーから立ち上がり、刑事さんは悔しそうに歯噛みし、まだ室内に残っていた神父は呆然とシスター・ヘレンを見る。
「野郎だなんて失礼ね。私は女よ?」
小さなナイフを常に隠し持っていたらしい。
何人も子供を手にかけただけあって動作に躊躇いはなかった。
前回と言い、何故こうもわたしは犯人に捕まる率が高いのだろう。
確かにこの国の人々に比べたら小柄だし、伯爵や刑事さんより華奢だから捕まえやすいというのも頷けるが、前回と違い体はかなり自由なので恐怖感も大分薄い。
「わたしを人質にしても無駄ですよ」
所詮わたしは他国の人間であり、使用人の一人でしかない。
わたしの命を救うために大量殺人鬼を野放しにするなんて馬鹿なことだ。
そんなことをされるくらいなら自らナイフに首を当てて切ってやる。
「そうかしら? この街の外まで逃げるくらいは役に立つと思うわ。……それに貴方に聞きたいことがあったの。昨日の夜、神父様にかけた液体は何?」
ひたりと首筋に当てられているナイフが震えていることに気付く。
理由は分からないがシスター・ヘレンは余程怒っているらしく、肌に触れる刃先部分がピリリと痛む。
「エタノール……病気の原因となる生き物を殺したり無害化したりするためのものです。乾燥して暫く赤みや痒みは残りますが、水でしっかり洗い流せば治りますよ。もしや神父様と共謀していたのですか?」
背後でシスター・ヘレンが微かに身動ぐ。
「いいえ、違うわ。これは私一人でやっていたことよ。神父様は真夜中に勝手に抜け出した貴方を心配なさってコッソリ後を追っただけ」
神父をチラと見遣れば気まずそうに頷いた。
「ああ、その通り。帰りに捕まえて説教をしようと思ったんだ」
「……説教をするにしても、あの捕まえ方は些か問題では? それにわたし以外にも孤児院を抜け出している子はいましたよ」
「それは……」
夜道で突然、後ろから羽交い絞めにしかけたことは本人もやり過ぎたと思ったようだ。
口ごもる神父を見たシスター・ヘレンが「仕方のない人」と微笑する。
「神父様――……いえ、アーロン様は同性愛者でいらっしゃるのよ。貴方はアーロン様の好みに合っているから、少しだけ良くない気持ちが芽生えてしまったのかもしれないわ」
「要するに恋愛対象として見ていたために抜け出したわたしの後を追った、ということで?」
「ええ、そうね。でも貴方が男性と逢引きしていると知って、きっとアーロン様は以前来たあの男性が相手で、貴方が彼に引き取られるのではと焦ってしまったのでしょう。貴方に惹かれているのはアーロン様も同じだったのね」
それは初耳である。というか保護者が孤児をそういう対象で見て良いのだろうか。
首筋に触れていたナイフが動き、ピリッとした痛みが走る。
やっと痣が消えたのに新しく傷が出来てしまったかな。
「本当に貴方は羨ましい。若くて、男なのに美しくて、アーロン様にも愛されて、こんなに見目の良い貴族の方にお仕えして。私がどれほど願っても決して手に入らないものばかり。アーロン様のためならばどんなことでも致しますのに、アーロン様は私の気持ちを受け止めてくださらず、孤児にばかり情けをお与えになるのですもの。愛するアーロン様に愛される孤児の何と妬ましいことか、想像したことがありまして? だからアーロン様が愛した孤児は全て消し去り、私の美しさのために使ったのよ!」
それはアーロンへの怒りなのか、アーロンの心を簡単に奪ってしまえる孤児への嫉妬なのか、それとも自分の気持ちを受け止めてもらえない悲しみと苦しみか。もしかしたら全てが発端だったのかもしれない。
この国の国教では同性愛は赦されているが、神父やシスターなど神に仕えるべき職についた者の結婚は異性同性に関係なく赦されず、神父・アーロンが神父である限り、シスター・ヘレンがシスターである限り、二人が添い遂げることは叶わない。
肉体関係を持つことすら経典では禁止され、敬虔な信者は婚姻前に肌を重ねることもない。
だが、神父が孤児の少年達と肉体関係を密かに持ち、シスター・ヘレンがそれに気付き、そこから幾つもの歯車が狂い出したのだろう。
項垂れる神父は罪悪感を覚えている風だった。
それもそうだろう。自分が愛したばかりに子供達は殺されたのだから。
シスター・ヘレンは狂気を滲ませた柔らかな声で
「貴方も用済みになったら殺してあげる。大丈夫よ、主に仕えるシスターの手で死ぬのだもの、慈悲深い主はきっとアーロン様を傷付けた罪もお赦しくださるわ」
自分のことを棚に上げた言葉に腹が立った。
首元のナイフごとわたしを拘束する腕を掴み、肩へかけ、足に力を込める。
ズレたナイフで切ったのか首に痛みが走るけれど無視して体を動かす。
こいつを逃がすぐらいなら怪我をした方がマシだ!
「っ、ざけんなあぁああっ!!」
突然の抵抗に一瞬怯んだシスターの腕を引っ張り地面から足を離させる。そのまま下半身に重心を置いて勢いよく上半身を前へ倒してやれば、背中に乗ったシスターの体がわたしの上を通って前方の床へ叩き付けられた。
密かにしていた練習が功を奏したのか背負い投げが決まり、鈍い音が響く。
だがその程度で気を失うはずもなく、跳ねるように飛び起きたシスター・ヘレンが取り落とさずに握っていたナイフを再度わたしへ振りかぶる。その姿を目に入れて反射的に顔の前で腕を交差させて衝撃に備えた。
が、想像した痛みは訪れず、乾いた発砲音と同時に何かに包まれる。
驚いて目を開けると黒が広がっていた。
「……旦那、様……?」
顔を上げて確認すると高い位置に伯爵の顔があり、抱き寄せられているのだと知る。
わたしの肩を抱くものとは反対の腕がコートから伸び、その手が握る拳銃の先はシスターの手。
床にはナイフが落ちており、銃口を突き付けられたシスターは真っ青な顔で片手を押さえて酷く震えている。押さえている手の隙間から赤い血が二筋、滴り落ちた。
「何をしている、早く捕らえろ」
拳銃を構えた状態で平然と紡がれた言葉に刑事さんがいち早く反応する。
「俺達もいるんですから、いきなり撃たんでくださいよ!」
「そんな下手はせん」
キッパリ言い放つ伯爵にブツブツ文句を言いながらも刑事さんが動く。
状況から見て威嚇射撃を受けたのだろうシスターは顔面蒼白で座り込んでいて、その腕には一部真っ直ぐな傷跡があった。銃弾が掠った跡だろう。適当な布が傷に巻かれて両手首に手錠がかけられる。
………庇ってくれた?
密着していた体が離されたので礼を言おうと口きかけた途端、今までに聞いた事もない伯爵の怒号が降り注いだ。
「この大馬鹿者! 無茶はするなと何度も言い聞かせだろう!! 貴様は私の寿命を一体どれほど縮ませたい?! それとも大怪我をしなければ理解出来ないのか?!」
初めて聞く伯爵の怒号にわたしだけでなく、シスター以外の全員が肩を揺らした。
客間の出入り口からこちらを覗き込む警官が視界の端に見える。
そちらへ視線を向けようものなら「聞いているのか?!」と更に怒鳴られるのだ。
「で、でも、わたしが人質となり、みすみす逃がす訳には……」
「言い訳は要らん! この頭は飾りなのか?! それとも詰まっているのは知識だけか!!」
「ひっ?! 痛い痛い、旦那様痛いです~っ!!」
ガシリと頭を鷲掴みにする手に力がこめられる。
ああ、マズい。果てしなくヤバ。これはどう見てもブチ切れていらっしゃる。
周りに助けを求めてみても、刑事さんは廊下にいた警官と共にシスター・ヘレンを引っ立てて出で行き、我関せずといった体の別の警官も神父を促してそそくさと部屋を後にしてしまう。
室内にいるのはわたしと伯爵だけ。つまり助けも逃げ場もない。
「申し訳ありません! 以後気を付けますので! 善処しますので!!」
「お前の善処は信用ならん!」
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!! これ以上は頭蓋骨砕けます!!」
何度も謝れば何とか伯爵の手が離れて行く。
痛みで泣きたい気分だ。どれだけ握力あるんだ、この人は。
近付いてきた伯爵のもう片手に思わず身構えてしまう。
けれど今度は深い溜め息と共に、そっと首元が布に包まれる。
「頼むから、こんな無茶はよせ。……心臓に悪い」
少しだけ疲れの色が混じった、でも普段の落ち着いた声だった。
ピリリと痛む首に触れればハンカチが当てられている。
上質な布のそれは伯爵の持ち物で、何故か視界がじんわり滲む。
……でも、だって、だから、やっぱり……。
色々な言葉と感情が混ざり合って胸が苦しくなる。
唯一鮮明に思うことは、地下室に残したままの双子の片割れだった。
「だって、あのままじゃ……アルが浮かばれ、ませんっ。伯爵……アルを地下室から、出してあげてくださいっ。あ、あんなところにひとりぼっちで……っ」
「大丈夫だ。すぐに
頬を温かな液体が伝う。それが自分の涙なのだと気付き、抑え込んでいた感情が一気に押し寄せてどうしようもなくなってしまう。
……苦しい。悲しい。助けたかった。助けられなかった。なんで。どうして。近くにいたのに気付けなかった。気付かなければいけなかったのに。気付けたはずなのに。なんで、あんな、酷いことに……。
謝罪の言葉なんて言える訳もない。そんなものは己の罪を赦されたい者が罪から逃がれるために口にする言葉であって、わたしがそれを口になんて出来るはずがない。
嗚咽を漏らすことすら罪悪感があり、口を手で覆って声を押し殺そうとしたが、伯爵の手が頭から下りて労わるようにわたしの背を控えめに
……温かい。あの子も、アルも今朝までは生きていた。
温かかったはずなのに、今はあんなにも冷たくなってしまった。
まだ手に残っている硬く冷たい感触に体が震える。
「セナ、お前に非は無い。お前のせいではない」
伯爵の低く押し殺した声が耳元で囁く。
わたしは悪くない? 同じ屋根の下で暮らしていたのに?
「他にも大勢の子供がいたんだ、気付けないのも無理はない」
そうなのだろうか? もっと子供達の行動に気を付けていたら双子が倉庫に行こうとした時に止められたかもしれない。そうすれば倉庫に近付かず、アルが死ぬこともなかったんじゃないか? イルが兄を失うこともなかったんじゃあ――……。
伯爵の手がわたしの頭を胸元に引き寄せる。
「もしもの話など無意味だ。お前はお前がやれるだけのことをやったのだろう。我慢するな。泣くのは死んだ者を悼み、お前自身の心を癒すためだ。短い間だったが、お前はそれだけ子供達を
「っ、う……」
「どうせ見ているのは私だけだ。死んだ子供のためにも泣いてやれ」
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