華、七輪。

 



 まだ昼間だと言うのに薄暗い路地の奥には、獲物を探す野犬のように鋭い目をした男達が木箱や樽などに座ってこちらの様子を窺っている。若干荒れてはいるがオストに比べれば可愛らしい。


 西の雌しべスドピスティルは貴族の住む区域に近い花街だけあって、東(あちら)よりも治安はマシだ。決して良くもないがスリに遭うこともないし、歩いていて突然ナイフを持った男に飛び掛かられる心配もない。


 懐中時計で時刻を確かめればまだ午後の二時前。使用人のお茶の時間は午後四時からなので、出来ればそれまでには調査を済ませたいのだけれど、移動距離を考えれば無理そうだ。


 家政婦長お手製ジャムたっぷりのスコーン、食べたかったなあ。


 西スドの端まで行くのは言葉にすると簡単だが、正直骨が折れる。


 今いる場所から少なくとも五キロ近くは歩かなければ端には到着しないし、東の枝オストラーモ川を経由してアラウンドストリートへ行くとなると単純計算してもその三倍か四倍はかかる。


 これでは今日中に終わらせるのは不可能だろう。


 一日二十キロ前後も歩いていたら本当に足が棒になってしまう。


 ……お金がかかるけど辻馬車で移動しようかな。


 花街を抜けて大通りに出てから軽く溜め息を吐き出していると、後ろから来た馬車がわたしの少し前で停まった。


 見覚えのある家紋があしらわれた馬車の窓よりひょっこり人の顔が覗く。




「久しぶり、セナ!」




 声をかけてきたのは伯爵の幼馴染兼御友人兼仕事上では同僚のリディングストン侯爵令嬢の弟君、キース・エンバー=アクスファルムだった。


 背の中ほどまである色味の薄いブロンドヘアーを首の後ろで一つに括り、男性にしては大きな瞳はエメラルドグリーンだ。黙って微笑んでいれば非常に女性受けしそうな甘い顔立ちだが、十五歳という年齢通りの屈託のない笑顔と人見知りのない性格は不思議とよく似合う。


 ちなみに彼とわたしは初対面から驚くほどに馬が合って、今は友人である。




「お久しぶりです、キース様。このような所で御会いするとは珍しいですね」


「今日は姉さんにちょっと頼まれてさあ。セナこそ、こんな所で何してるんだよ?」




 すごく浮いてるぞ、と言われて苦笑してしまう。


 上質な使用人の服を纏った年若き少年が花街の周りをうろついていれば浮くはずだ。




「今日はでこちらに」


「なるほどね。で、これからどこ行くんだ?」


「とりあえず西スドの端まで行って、それから東の枝オストラーモ川を通って東の雌しべオストピスティルへ向かう予定です」


「はあっ? 歩きで?!」




 頷くと彼は「伯爵も人使いが荒いなあ」と呆れ気味な顔をしていたので、一応否定しておく。


 調べても良いと言われたが今日中にやれと言われたわけでもない。


 ただ少しでも早く情報を集めた方が良いだろうというわたしの独断と、用事はなるべく一度で終わらせて屋敷に残っている仕事を片付けておきたいだけだと伝えれば、今度こそ呆れの含んだ声で「お前、働き過ぎじゃない?」と言われる。




「そうだ、乗ってけよ。俺も東側むこうに用事があるし」


「よろしいのですか?」


「ああ、友達が大変そうなのに放っておけないしな」




 手で扉が示され、話を聞いていた御者が扉を開けてくれる。


 それに礼を述べ、次の目的地である娼館の場所を告げてから馬車へ乗り込めば、キースの他に柔らかな蜂蜜色の髪にエメラルドよりも色味の鮮やかなグリーンの大きな瞳を持つ、人形かと思うほど可愛らしい少女が乗っていた。頭全体を覆うボンネットはレースとリボン、布で出来たオレンジ色の薔薇が少女の可憐な面差しを更に際立たせる。ドレスも薔薇と合わせているのかオレンジで華やかだ。


 擦れ違った十人中十人が絶対に振り返って見惚れてしまうだろうその美少女はわたしと目が合うと頬を僅かに赤く染めてサッと視線を逸らしてしまった。


 わたしと少女を交互に見てから笑ってキースは自分の横を叩く。


 どこに座るか悩んでいたので助かった。




「彼女は俺の知り合い。ティア嬢だよ」


「……初めまして、ティアといいます」




 馬車の中なので座ったまま、深めにお辞儀をして自己紹介をする。


 深く説明しないのはこの御令嬢らしき少女もキースと同じくお忍びだからか。


 どことなくキースと顔立ちの雰囲気や瞳の色が似ているので、もしかしたらリディングストン侯爵家と血縁関係を持つ家の方なのかもしれない。詮索するのはやめておこう。





「初めまして、ティア様。わたしはアルマン伯爵家にお仕えさせていただいております瀬那せなと申します。若輩者ですが、どうぞお見知りおきください」


「は、はい……」




 どうやら恥かしがり屋なようで、頷いた後はやや俯いたままドレスのレースを直したり髪を整えたりと所在なげにしている。キースが気にしていないところを見るに普段から彼女はこんな風なのだろう。


 あまりジロジロ見ては失礼に当たるのでキースへ視線を戻す。




「本当に助かりました。ありがとうございます、キース様」


「気にするなって、友人同士遠慮はしない約束だろ?」


「そうでしたね」




 偶然の出会いだったとは言え、随分親しくさせてもらっている。


 キースの家は侯爵家なので子息の彼自身は一つ下の身分でも伯爵相当だ。そんな上位貴族の子息と友人だなんて、使用人には過ぎた関係だけれど、本人にそれを言うと「友人は身分だけで選ぶものじゃない」と怒るので口にはしない。


 わたしには勿体ないくらい良き友人だ。




「で、今回はどの事件について調べてるんだ?」




 問われ、チラリと視線をティア様へ向けたわたしにキースは大丈夫だと頷いた。


 下手に見知らぬ者へ情報を流す訳にはいかないからだ。


 彼もそうではないかと思うだろうが、実は別である。リディングストン侯爵家は代々警察を束ねる貴族であり、アルマン伯爵家との交友も深く、互いに信頼も厚い。


 アルマン伯爵家に依頼される事件もリディングストン侯爵家を通しているため、子息のキースであれば多少事件の内容に触れても問題はない。どうせ事件については知っているだろう。




「最近起こっている娼婦の連続殺人についてです」


「ああ、あれか。姉さんの手に余っていたから、そのうちそっちに行くかもとは思ってたけど」


「やはり知っていましたか。今日はその被害者について調べようと思いまして、娼館を回っている最中だったのですが、その後には花屋も当たることになりそうです」




 娼婦、娼館という言葉にティア様が少し眉を顰められた。大半の貴族の女性は己の身を売って金を得る娼婦を最低な職業だと思っているそうなので、その反応も仕方がないだろう。


 けれどわたしは娼婦だとか浮浪者だとか、己よりも金銭的、立場的に下の者達を見下したくはないのだ。


 一歩間違えばわたしもその道を辿っていたと思えば尚のことである。


 現代に生まれたわたしにはこちらの常識や価値観は未だ理解し難い部分が多い。伯爵に拾われていなければ本当に人買いに捕まって、どこぞの娼館か珍しいもの好きな貴族に売り飛ばされていたかもしれない。


「早く解決してくれよ」と軽い調子で言ったキースに笑い返しながらもティア様を盗み見た。


 どれほど名門貴族に生まれようとも、どれほど貧しい場所に生まれようとも、この世に生きている者は全てが同じ人間なのだということに何時か気付いて欲しい。


 そんな事を話しているうちに馬車の速度が落ちて停車した。


 車窓を見ればもう目的地に到着していた。やはり馬車は早くて助かる。




「ではわたしは行って来ますが、お二人はどうされますか?」


「俺たちは適当にそこら辺の店でも見ながら待ってるよ」


「なら、出来る限り早めに終わらせてきますね」


「ああ」




 二人が馬車から降りて近場の装飾店に入るのを確認してから、わたしも目的の店に足を向ける。


 あまり目立たない場所にあったその店は、それなりに売り上げが良いのか外観が綺麗だった。扉を開けると中にいたのは二人の女性だけ。鮮やかな色合いのドレスに身を包み、胸元の開いたそれは実に扇情的だ。


 客だと思ったのか立ち上がりかけた二人を軽く手で制す。


 懐から家紋入りの懐中時計を出して見せる。




「このような昼間に申し訳ありません。わたしはアルマン伯爵家の者です。先日亡くなられた方がこちらで働いていたと聞き参りました」


「もしかして、あの子のこと? 警察にもう話したけど……」


「いえ、お聞きしたいのは警察に話した事とは別のことです。亡くなる数日前に高価な指輪を彼女はつけていませんでしたか?」




 双子のどちらかの指にあった指輪。第五の被害者がつけていた指輪。


 これらの指輪は犯人が彼女たちの気を惹くために贈った物ではないだろうか?




「そういえばちょっと高そうな指輪を付けていたわね」


「え、でもあれって結婚指輪じゃないの?」


「あの子の身請け先の旦那様は貯めたお金であの子を引き取ったのよ? すぐに高価な指輪を買ってあげられるほど裕福な家なら、もっと早くに身請け出来たはずだもの」




 そう話す女性たちの様子に、頭の中で予想が確信に変わる。


 二人から指輪の特徴を聞き出してみれば案の定あの指輪と特徴が合致した。


 きっと犯人は被害者全てに指輪を贈っていたに違いない。


 それが同一の物なのか、それとも同じデザインの物を全員にそれぞれ贈っていたのかは分からないが、これは犯人を捜す重要な手がかりに成り得るだろう。


 二人の女性に丁寧に礼を述べて店を出ると、キースとティア様が楽しげに馬車の前で話し込んでいた。


 ティア様はとても楽しげに笑っていて、キースも何時もの貴族の子息にしては少々やんちゃそうな笑みではなく、むしろ情に厚い彼らしい柔らかい笑顔を浮べている。


 ……もしかしてキースに春到来?


 貴族としての自覚が足りないと他の貴族たちに囁かれているみたいだが、キースは澄ました顔で他人に対して地位や権力を振りかざすのが嫌いなだけで根は好い人間だ。そんな友人に好きな女性が出来るのは喜ばしいと思う。


 出来る限りゆっくりと馬車へ近付いて行けば、先に気付いたキースが手を振ってくる。


 それに軽く振り返しながら傍へ行くとティア様が一歩後退した。


 おや、と思ったが一瞬合わさった目線はバツが悪そうに逸らされてしまう。




「どうだった?」




 キースが好奇心のこもった目で見つめてくるが、こんな所で話して誰かに聞かれては困るからと馬車へ乗り込みつつ、御者に第四の被害者が働いている娼館の場所を伝えた。


 心得た表情で御者は頷き、わたしが中へ入って腰を下ろすと心得た様子で走り出す。


 御者はどうやって馬車を出すタイミングを計っているのだろうか。


 覚えていれば今度聞いてみようと頭の片隅にメモをしながら、キースと顔を突き合わせて先ほど聞いてきた件と遺体の発見現場で見つけた指輪についてわたしなりの仮説を声を抑えて口にする。




「あなたはもう知っているでしょうが、被害者は左手の薬指を犯人に持ち去られています。ですが今朝、双子のどちらかの指を見つけまして、そこに高価な指輪がはまっていることに気が付きました」


「その指輪が事件と関係してるってことか?」


「ええ、第五の被害者と先ほどの第七の被害者が元々働いていた娼館で確認しましたが、同じ作りの物を持ってたそうです。恐らく、犯人が彼女たちに同一または類似の品を贈ったのではないかとわたしは考えています」


「でも娼婦だって装飾品に指輪の一つくらい持ってるだろ? 被害者が買った可能性は?」


「指輪はわたしの給金三ヶ月分でも足りないほど高価な物だと伯爵がおっしゃっていましたので、それは無いかと思いますよ」




 わたしの言葉に納得した様子で「そうか」と腕を組んで考えるキース。


 横にいたティア様には声を抑えていても聞こえてしまう。あまりこの話題を聞きたくない様子で車窓に視線を投げかけたまま、ピクリとも動かない。彼女の前でこれ以上はやめておこう。


 キースが口を開く前に、わたしは自分の唇の前で人差し指を立てて制し、それから視線だけでティア様を示してみせる。


 それだけで通じたのか軽く頷いてからキースはティア様に先ほど行ったのであろう装飾品店の話を振って、振り向いた彼女と楽しげに会話を始めた。


 使用人のわたしが会話に混ざるべきではないだろうと口を噤んでいればキースの視線を僅かに感じたが、わたしが口を開かないことを察したのか視線はすぐに消える。


 これから向かう先は第四の被害者が住み込みで働いている娼館だ。


 狙われながらも唯一生き残った娼婦で、彼女から少しでも犯人に繋がる情報を掴めればと思う。


 こういう時に現代ではないことが惜しい。もし現代であれば様々な手段や方法を用いて犯人を絞り込むことも、今すぐ指輪の件とこの閃きを伯爵に伝えることもできるのに。科学技術の進歩が現代よりも遅れたこの世界では現代のそういう知識はあまり役に立たない。


 特に離れた相手との連絡手段が少ない上に遅いというのは本当に面倒臭い。


 車窓へ視線を向けて心の中だけで溜め息を吐き出す。


 それと同時に馬車がガクンと勢いを残したまま突然停まった。



 

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