華、六輪。
少年に礼を述べて、見知った男の横へ座れば身を寄せられる。
名前は確かアズールだったか。細身で長身、伯爵に勝るとも劣らない繊細な美しさを持つ顔立ちの彼は見た目とは裏腹に随分腕が立つ。何を隠そう心中騒ぎで凶行に走った男娼を力技で止めた男だ。
彼のような人物が何故男娼になったのか不思議でならない。
「お久しぶりです、アズールさん」
「へえ、覚えててくれたんだ?」
「勿論ですよ。未遂だったとは言え、あの事件はそう簡単には忘れられませんから」
「……事件に結び付けて人を覚えるのはアンタらしい」
するりと細い指がどこか怪しげな手付きで頬を撫でていく。
横にいた少年が怒ったようにアズールさんの名を呼んでわたしに抱き付く。
男だと思われているので、ここでは何かとこういった態度を取られるけれど、そのつもりは無いのであしからず。そして少年は心中の際に怯えて泣いていたのを慰めていたら懐かれただけである。
アズールさんの方はわたしと一夜を共にしたいらしいが、わたしの性別を知ったらどんな反応をするか少し見てみたい気もする。その場合、リスクが高いのはわたしなのでこの先も絶対に誘いには乗らないな。
「仕事中ですので」
「なら、終わってからは?」
「申し訳ありませんが貴方を抱く気も、抱かれる気も起きませんよ」
「だろうね」
「だから余計に落としたくなるんだよ」なんて冗談に聞こえない言葉も曖昧に笑って流しておく。
アズールさんの隣りに座る青年はわたしと目が合うと我に返った様子で勢いよく視線を逸らして、逃げるように奥の部屋へ引っ込んでしまった。
その背を見送れば少年が眉を下げて青年が消えた扉を見つめる。
「ごめんなさい。あの人、来たばかりで……」
「いえ、気にしていませんよ。彼には彼なりの理由があるのでしょうから」
別に男娼がいけないなんてわたしは言わない。
娼婦も男娼も、社会では下に見なされるがこの仕事はある意味社会を支える一部なのだ。
ストレスの吐き場がなくなれば社会は犯罪が現在よりももっと横行するだろうし、一般人が性的暴行のために襲われる可能性も減る。必要だからこそ彼らは存在する。
そして生きていくためにこの道を選ぶ人がいることも分かっている。
元の世界よりもずっとココは生きることが大変な場所だ。
少年が頷いた後にふとわたしを見て「そういえばご用件は?」と聞いてくる。
「ああ、すみません、仕事で参りました。実はこの花の種類を特定していただきたいのです。もし分かるのであれば扱っている店も教えてもらえると非常に助かるのですが……」
「相変らず仕事熱心だね」苦笑するアズールにわたしも笑い返した。
そうして上着に仕舞っていたハンカチを取り出してそっと開きながらアズールへ差し出す。
アズールはハンカチを受け取って顔を寄せる。
まじまじと眺め、鼻を寄せて匂いを嗅いだ。
すぐに眉を顰めて顔を離すとハンカチを閉じて返される。
ついでとばかりにわたしの肩を引き寄せようとしたので手を軽く叩くと肩を竦めながら離れた。
油断も隙もないとはこの事だ。男嫌いという訳ではないけれど、元々恋愛への興味が薄いせいか美形を前にしても何も感じない。美醜は分かるので「ああ、整った顔だな」くらいは思うが、それだけだ。
彼らからしたら自分の誘いに全く乗らない男は気に食わないか金づるにならないと早々に見切りをつけて離れるはずなのだが、何故かアズールだけはめげないし、諦めずにわたしを落とそうとする。
こんな状況を伯爵に見られた日には一日中説教を受けそうだ。
あ、でも女性でも来るらしいから怒られはしないか。
「なあ、何考えてる?」
声をかけられて我に返ると目の前には整った顔。近いな。
「旦那様のことを少々」
「せっかくその匂いのこと教えてやろうと思ったのに、他の男の話するんだ?」
「え、これが何の花か分かったんですか?」
思わず目の前の顔をジッと見つめれば、楽しそうな笑みが広がる。
これは実に嫌な予感のする笑みだ。
「教えても良いけど、何の御礼もなし?」
「謝礼金でしたら多少はお支払い出来ます」
「俺が欲しいのはそういう御礼じゃないなあ?」
やっぱり色気をたっぷり含んだ流し目を向けてくる。
これだからアズールさんは扱い難い。いくら色恋に興味がないからと言っても、誰にでも体を許すつもりは毛頭ない。性別がバレるのも拙い。
でもそれに納得しない。狙った獲物は逃がさんとばかりに食いついて来る。
「……仕方ありません。少しだけなら良いですよ」
「具体的には?」
「キスならば許しましょう。ただし服は乱さないでください」
服の中に手なんて突っ込まれた日には性別がバレてしまう。
アズールさんは少し渋ったものの、それ以上は譲らない言えば了承する。
傍にいる少年はどうしようかとも思ったけれど、部屋から出る様子がなかったのでそのままにしておくことにした。こういう店で働いているのだから見たこともあるだろう。
わたしの顔にアズールの手が伸びる。
手の平で包み込み、耳の後ろから首筋を指が撫でて行く。
ゆっくり下りてくる美形に目を閉じれば唇に温かく柔らかな感触が重なった。
何度も啄ばむように触れたそれが一度離れる。
「……口、開けよ……」
熱の篭もった声が囁く。
……こいつ調子乗ってるな?
更に唇が重なりそうになったところでアズールの腹を軽く殴った。
すぐに唇が離れてアズールが酷く残念そうな顔をする。
そのまま首元へ顔を埋めようとしたので頭突きも食らわせてやる。
キスだけだって言っただろう。ディープは許さん。
不満げに目を眇めて顔を上げ、わたしを見やった。
「キスはいいって言った」
「深いのは許してません。唇が触れ合ったのでキスは終わりました」
「……くくっ、アンタってほんとつれないよねえ」
口には出さないが今回のキスは犬に噛まれたとわたしは思ってる。
相手だってわたしのことは遊び相手かお客様と見てるのだから、こちらだって勘違いなんてしないし、本気にだってならない。
「花蘇芳」
「?」
「さっきの花弁だよ。花蘇芳って名前の花。扱ってる店は分からないけど、贈答用には向かない。人に贈る時の花言葉は‘裏切り’または‘裏切りのもたらす死’。良い意味の花言葉もあるけど」
アズールの言葉にふと思考が頭を過る。
犯人が被害者に贈ったのだろうか。その意味を込めて。
もしもそうであったとしたら、余程のことがあったのだろう。
立ち上がるとアズールは少し驚いた顔をした。
傍でずっと見ていただろう少年も頬をほんのり赤く染めたままわたしを見上げてくる。
ああ、いたんだっけ。少年の頭を優しく一度撫でてやる。
「ありがとうございます。助かりました」
「また気が向いたら来てよ」
「ええ、またそのうち」
扉を開けて裏通りへ出る。
薄暗い路地を抜けて、表通りまで出てから一旦立ち止まった。
晴れていたはずの空は何時の間にか灰色の暗雲が立ち込めている。
……何か急に屋敷へ帰りたくなった。
あの綺麗なブルーグレーの瞳を見るとホッとする。特に彼が嫌がるであろう、このような手を使った後は殊更会いたくなる。知られたくないのに知って怒って欲しいと思う。止めないけど。
……ああ、やっぱりしなきゃ良かったかも。
胸の内をじくじくと蝕む罪悪感を少しでも軽くするために溜め息を一つ吐いてから、今回の事件の被害者達の働いていた娼館の場所を思い出す。
第一、第二、第三の被害者は
「まずは西(スド)からかな」
どうせいるのだから、近い場所から回って行こう。
昼間でもあるせいかやや寂れた感のある花街を歩いていれば、時折美しく着飾った女性に声をかけられる。残念なことにわたしは女だ。もし男であったとしても仕事中は遊ばない。
しつこく声をかけてくる女性たちに丁重に断りの言葉を述べつつ通り過ぎていく。
花街というのは少し歩くだけで女性が集まるから疲れる。
立ち並ぶ娼館の名前を一つ一つ確かめて歩いて行けば、目的の看板を見つけた。第五の被害者が働いていた娼館だ。基本娼婦たちはここに住み込み状態なので、聞き込みもしやすいだろう。
扉を開けて中へ入ると数人の女性が長いソファーから立ち上がって笑顔でわたしを出迎える。
「いらっしゃい。随分お若いようだけど、こういうお店は初めてかしら?」
少し年嵩の女性がキセルを手に艶やかに微笑む。
「何度か訪れたことが。ですが今回は楽しみに来た訳ではありませんので、お気になさらず」
「あら、そうなの。じゃあどういった御用件で?」
「先日亡くなった方のことで少々お話を伺いたく参りました」
「……貴方、まさかその年で警察なの?」
驚きと共にマジマジと見つめられて苦笑混じりに首を振る。
どこかの使用人のような格好をした警察なんて、一体どんな人なんだか。
家紋入りの懐中時計を見せながらアルマン伯爵家の者だと説明すれば納得した顔で頷かれる。
アルマン伯爵家は警察と同じかそれ以上の権限を持っているから一般人にも有名だ。
貴族にも庶民にも広く名が知られているのは便利で助かる。
「その方が亡くなる直前、何か変わった事はありませんでしたか?」
「変わった事って言われてもねえ……。あんたたち、何か知ってるかい?」
女性が振り返って娼婦たちに聞くが、皆一様に首を振った。
どうやら第五の被害者は彼女たちと不仲でほとんど口も利いたことがないのだとか。何でも被害者は金払いの良い客を見つけると他の娘の客でも平然と奪い取り、度々喧嘩になっていたらしい。
女という生き物は本当に恐ろしい。わたしも女だが。
そんな話を聞いていると、一人が「あっ」と声を上げた。
「どうかしましたか?」
「いえ、その、関係ないかもしれないですが、亡くなる数日前にあの人、すごく高そうな指輪をしていたなって思い出して。……皆も覚えてない?」
「そういえばそうだったわね」
「ああ、あった。あった。見せ付けきてさあ。感じ悪いったらありゃしない!」
彼女たちの言葉に発見した双子の指にはまっていた高価な指輪を思い出した。
「すみません、指輪について詳しく教えていただけますか?」
「詳しくって言われても……」
「どんな形や色をしていたというだけでも十分ですので」
彼女たちは思い出そうとしているのか互いに確認するように小声で話し合っていたが、仕事柄、人の格好をよく見ているのだろう。形や色、ついていた宝石などを教えてくれた。
指輪は全体的にシルバーで中央に紅い宝石が、その左右に小さなダイヤモンドがあしらわれたシンプルながらもかなり値の張りそうな代物だったそうだ。
双子の指にあった指輪と十中八九同じデザインだろう。
普通の娼婦では絶対に買えない物だと誰もが口を揃えて言った。
だとするならば指輪は客か知人からの贈り物だろう。
娼婦にそんな高価な物を与えられる財力のある者と考えるべきかもしれない。
他の娼館での聞き込みでも指輪の件は尋ねてみるべきだな。
手帳から顔を上げると彼女たちがジッと熱心にわたしを見つめていた。
「……何かわたしの顔に付いていますか?」
「いえ、今日はお仕事でいらしたのよね?」
「遊んでいかれないのでしょう? 残念だわ」
「せっかくこんな素敵な方と御会い出来たのに」
わたしを男だと思っているからこその言葉だ。
心底残念そうな表情にまた苦笑が零れる。
どうにもこの男装姿は中性的で美少年に見えるらしく、妙に女性ウケが良い。
同性にモテてもあまり嬉しくないのだが、仕事の都合上は男であった方が何かと便利なので敢えて訂正はしない。勘違いされることを目的に男装しているのだから当たり前か。
傍にいた女性の手をそっと掴んで細い指の付け根にキスを落とす。
「申し訳ない。わたしも美しい方々と楽しい時を過ごせない事が残念でなりません。……事件が解決した暁には是非立ち寄らせて頂きたいと思っております」
ニッコリ微笑めば嬉しそうに、照れた様子で頬を染める彼女たち。
男を手篭めにするはずの女性のそんな初々しい反応を可愛いなと思いつつ眺めていれば、キセルから紫煙を吐き出した女性が呆れた顔をする。
「おや、まあ、余りウチの子達を誑かさないでおくれよ」
「わたしは思った事を口にしているだけです」
「全く、困った子だねえ」
呆れたまま笑う女性の手にもキスをしてから礼を言って娼館を出た。
ニコニコと笑ったまま脇道に入り、人目がなくなって表情を崩す。
ああ、本当に疲れる。楽しくない訳ではないけれど、営業スマイル全開でい続けると精神的にも表情筋的にもご臨終してしまいそうだ。顔の筋肉が攣(つ)ったら物凄く痛そう。
軽く頬を叩いて気合を入れ直し、別の被害者が働いていた娼館へ歩き出す。
幸い次の娼館の場所は警察から聞いて知っていた。
表通りよりも裏通りの方が商売をする女性が多く、ガラの悪そうな男達も多い。
以前一人で
あの時が恐らく人生で最もスリリングな状況だったと思う。
捕まえられて珍しい容姿だからと見世物小屋か人買い辺りに売られる寸前だったのだ。
しかしわたしの所持していた懐中時計にアルマン伯爵家の家紋が描かれていたので、それを見付けた親分は顔色を悪くして、慌てて私を解放した。見舞金と称して幾ら渡されたが絶対にあれは口止め料だろう。
そのまま持っているのもマズいと思い、伯爵に事の経緯を説明して全額渡しておいた。
後日、口止め料は返金されたらしいがこの界隈の連中は伯爵に睨まれてしまったかもしれないと震え上がったとか上がらなかったとか、そんなようなことをアルフさんが話していた。
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