第八章
ザ・ビギニング(1)
とまぁセレスティアには少しカッコつけてしまったが、本当にこれといったアテがない。
「あんな怪物相手にどうしろってんだよ……」
気がついたらどんどん自分から十億に近づいていく。これどんな自殺だよ。
襲い来る八匹の大蛇。シャーと舌からダラダラと唾液を漏らし、俺を喰らいつこうとする。
《フィジカルエンハンス・アジリティー》を使用し、前後、左右へ避ける。
また避ける。
何とか前足を踏み出し、進む。掠る。進む。掠る。
十億に近づいて来た。
また避ける。掠る。掠った。
躱す、もう一匹の大蛇に嚙まれる。
「グワッ! クッ…………《ストレングス》‼」
左腕が噛みつかれ、慌てて右拳で大蛇の頭部を殴りつけ、牙が俺の肉を引き裂く前に押しのけた。ぽたぽたと赤い血が滴る。
痛みは思ったより感じられない……はずが無かった。
「イッ、ダッ!」
遅れて襲ってくる強烈な痛み。まるでそこだけ毒にでも侵されているんじゃないかと思ってしまう。右手で左腕を握り締め、血を抑える。
俺は自身を癒す
じっと十億を睨む。そんな俺に十億は容赦なく火の咆哮を放とうとしていた。
「……これで詰みか」
つい乾いた笑いが漏れ出る。
もう無理か。本当に? 違う。でも生き残ったとして俺にあいつが倒せるのか。
イメージしてみる、殺される。何度も。
ここで死ぬと思うと全身が震えだす。
――あれ、俺、なんで震えているんだ。
そんな俺の心境など一切待ってくれるはずもなく、十億は火の咆哮を放った。トルネードのような火炎の渦は、俺を消し炭にするのなんて容易いだろう。
――そうか、俺、生きたい、のか。
初めて心の底から抱いた気持ち、感情。
俺の口は考える暇もなく自動的に動いていた。
「《ファイヤー・アディション》――――ッツ‼」
自分の胸に手を当て、唱えた。
――瞬間、俺の身体に火の咆哮が通過した。
俺は灼熱地獄に包まれるように吹っ飛ばされた、だが消し炭にはならなかった。
…………意識が朦朧とする。
でも、朦朧と出来る程に生きていた。そっと半目を開ける。
十億の巨大な躰、背中から伸びる八匹の大蛇。
いつ、殺されてもおかしくなかった。
俺の身体どうなってんだ、もうあちこちの感覚がない。
すると十億の獰猛な牙が動いた。口を大きく開き、再び火の咆哮を放たとうとしている。
おいおい、もう俺そのうち勝手に死ぬからほっといてくれよ。細胞一つも残らせたくないってか。先の攻撃で生きてるのがそんなに堪に障ったか。
放たれる火の咆哮。
もう……本当の詰みだ。目をぎゅと瞑る。俺の人生が終わる。
本当に弱い、弱い弱い弱い。何一つ守れない。そんな情けない感情しか浮かんでこない。
後は細胞一つ残らず灰のように消えて、逝くだけだった。
バァアアアアンン‼ と激しい衝突音が聞こえてくるまでは。
俺は重い瞼を開く。
火の咆哮は大楯と衝突しているようだった。大楯扱うのは派手な格好した人。
「死なせ……ないから‼」
その声の主は、戦線離脱した筈のトオルだった。
「まだ、諦めちゃダメよツヅル君。絶対に、生きて帰るんだから…………《ライト・アディション》‼」
大楯に光の加護が加わる。
火の渦は容赦なくその大楯をめり込んでいく。メキメキと縦に綻びが出来る。
まずい、あのひび割れは少し前に見たやつと同じだ。
「……なん、で、そこまでして、頑張るんだ」
「……っ、そうね……。何でかしら、アタシね、本当はこの十億討伐戦なんか行きたくなかったの。だって怖いに決まってるじゃない。今すぐにでも現実世界に帰りたいって思ってる……でもね、明日になってツヅル君やあの子が居なくなっちゃったら寂しいから。何よりアタシ、この仮想世界が結構好きみたい……それじゃダメ?」
「…………そんな、こと、で」
「そう、たったのそれだけ」
分からなかった。トオルの言っている意味が。そんなことの為に命をかける意味も。
「だからね、今からアタシのやる事は絶対にマネしたらダメよ。これは欲望に素直になれなかった大人の悪い見本だから……」
そう言ったトオルの全身から、ゆっくりと赤色の煙が漏れ出る。
同時に身体中のあらゆる穴、耳や後頭部の頭皮から血が流血しているのが見えた。緑色の髪が赤黒く染まる。毛先から汗のように赤い雫が地面を打つ。
派手な色の服が真っ赤に染まっていく。
――それはまるで“命の炎”を燃やすかのように――。
「……トオ、ル……」
俺は動かない手を必死に伸ばそうとしたが、一ミリたりとも動いてはくれなかった。
「――――《
オーバーヒート。
師匠が言っていた、身体中の細胞に負担をかけて使う禁断の技。
光の壁は、みるみるうちに血の色に染まっていく。そしてひび割れた盾の綻びは、一気に補修されていった。
数十秒間の激突。
やがて火の咆哮は大楯に弾かれ、霧散するように大気中へと消えていった。
それと同時にトオルはガタンと地面に膝をつき、頭から崩れ落ちる。
その際、俺に振り向いた。目や鼻と口、あらゆる身体中の穴から血が溢れてだして、全身が真っ赤に染まっている。
「……アタシの役目は、ここまでよ。欲望に素直になりなさい、ツヅル君……」
トオルの意識はそこで途絶えた。
俺なんかの為に命をかけて守ってくれた。
でも、どうすればいいんだ。あんな十億みたいな怪物相手に。
こんな凡人の俺が。
もう身体も動かない、力もない、弱い。
そんな俺に何ができるっていうんだよ!
また、失うのか俺は。
怒り、悔しさ、虚しさ、もどかしさ、あらゆる感情が俺を襲う。
そんな時だった。
師匠の声が脳裏で聞こえた。
――お主は英雄になりたいから平凡なのか
――それとも平凡だから英雄になりたいのか
ぎゅっと唇を噛む。血が滲みでるほどに。
微動だに動かなかった指先から手、腕、太股、足先まで全身に再び力が入り出す。
眠っていたあらゆる細胞に火がつくような感覚。
ゆっくりと、拳を重心にして立ち上がる。
無理に身体を動かした反動のせいか、頭痛と吐き気が同時に襲ってくる。
それをグッとこらえて自分の、言葉を――綴る。
「……俺は、神でもないし天使でもないから、誰でもは救わないし救えない」
次に口内が鉄の味で充満し、喉がつっかえそうになるのをこらえて、俺は、決意する。
「でも俺は、自分の……大切な人の英雄になりたいから俺は……英雄になるんだっ‼」
――合格だ。
そう言ってもらえた気がした。
頭痛のせいか、身体の重心と視界が上手く安定しない。
それでも片目だけは十億をじっと捉えている。
「十億……結構しつこいだろ、俺……。よく言われるんだよ、何でそんなめんどくさい生き方してんのって、もっと皆みたいに普通になれよって、もっと賢く生きろよって、もっと…………現実見ろよって……うっせぇよ。そんな器用な生き方できねぇんだ俺」
一度、目を瞑った。
冷静に、心の扉を開けるように。
考えろ。考えろ。考えろ。
回せ、回せ。思考を、回せ。
思考速度を――上げろ。
俺が今までやってきたこと。
師匠から何を学び、何を見てきた。
何故、俺はこの世界にきた。
何の為に、生にしがみつく。
どうして、賭けなくてもいい命をかける。
一体いつになったら俺は―――――――戦うんだっ‼
震える、手が。
燃える、心臓が。
上がる、口角が。
「……思考速度、上昇」
地面に突きつけた右拳に、ボワっと灼熱の炎が宿る。
反対に左拳は、急激に温度を落とすように氷結していく。
俺だけができる、俺にしかできない、絶対唯一の想い。
「――――《
勢いよく走る、足を止めずに。
全身に旋風の風が纏い、吹き荒れる。
大蛇が八匹襲ってくる。その動きはスローモーションに感じた。視覚聴覚が研ぎ澄まされていく。
もう、バックステップは踏まない。ただ前に進む。
その流れで思いっきり足に力を込めた。
その場を跳躍する。十億めがけて一直線に。
走った勢いとスキルの応用でそのスピードは――――加速する。
大蛇なんてどうでもいい。十億本体を叩き潰す。
そのまま十億の顔面へ、右ストレートでぶん殴る。
拳が分厚い鱗にめり込む。普通なら先に俺の手首が折れておかしくなかった。
けど、今なら、火力を底上げ出来る。
溢れて出る灼熱の炎。鱗を溶かす勢いで燃え滾る。
「ヴァアアアッツ‼」
そのまま腕を振り切った。素早く氷結した左手で斬撃を縦に振り下ろす。
心なしか普段俺が使うアディションよりも、威力が何十倍にも膨れ上がっているような気がした。
「グヴァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアッツ‼」
十億の喧しいくらいの悲鳴に、鼓膜が破れそうになる。
だがこれで手は緩めない。その流れで身体を丸めるように一回転し、光と闇を左右の両足に纏わせダブルかかと落としを決める。
ズドーン‼ と十億の立つ地面が沈む。
そして左手を前に伸ばし、十億の巨体に大量の泥水を放出して濡らす。
残された時間は少ない。多分これがラスト一撃。
右腕をグイッと引き、力を込め、紫電を右腕に集中させる。
バチバチと痛々しい音が耳元で聞こえてくる。
俺がひたすら練習した
その中でも師匠が最も得意とした雷の属性。
拳にぎゅっと力を込める。
俺は今まで大きな勘違いをしていた。人間かAIか、そうじゃない。
誰かを大切に想う気持ちがこそが、一番大事なんだってことを。
乖離していた心と身体がここで、ようやく初めて一致する。
「それが俺の良心で、正義だ」
拳に溜めた電撃を十億の頭蓋に振り下ろし、叩き潰す。
「ハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼」
――何よりも俺が守りたいと、もう失いたくないと、弱い自分に逃げたくなかったから。
拳から伝わる電撃は、泥水に濡れた十億の躰、大蛇へと駆け巡る。
辺り一帯に風圧が波動した。
しばらくの間、バチバチと電撃の残滓が残る。
そして、あの、十億の大きな躰がゆっくりと地面に沈み、雪崩れるように崩れていった。
時間切れとばかりに俺の全身を纏っていた風も消える。
身体は下に引っ張られるように落ちていく。
だが俺の身体は地面に落ちることなく、ドサッと抱きかかえられた。
「つーちゃん‼」
受け止めてくれた咲華の瞳に溜まった大粒の涙は、俺の頬にぼたぼたと落ちた。
「咲華……実は結構力持ち?」
「ス、スキルだよ……。本当に生きてて、よかった」
「本当よもう、あんな無茶したら誰でも驚くわよ。でもすっごいカッコよかったわよツヅル君♡」
耳元で囁くのはトオルだった。
「ヒィ⁉ だから耳元で囁やくなってあれだけ、って大丈夫なのかトオル⁉」
「そこの可愛いお嬢さんがね、すぐに癒してくれたからなんとか、ね♡」
血塗れのトオルは咲華にウィンクした。ふと、咲華にお姫様抱っこされていることを思い出して恥ずかしくなり、慌てて足を地面に降ろした。
「ほ、本当にトオルの言う通りだわ。でも、その、ありがとう……助けてくれて」
何故か顔を真っ赤に染めるセレスティアは、トオルと肩を組んで支え合っている。
「あ、あぁ。でも皆も凄かった」
多分最後の一撃で沈められなかったら
それに十億の体力は想像以上だった。俺なんか、ただのいいとこどりしただけだ。
皆と師匠がいなかったら、きっと俺はまた逃げ出してたから。
だから俺はこの言葉をまず言わなくてはいけないと思う。
「あ、ありがとな……」
皆が俺をニヤニヤしながら見ているのは気のせいだろうか。なんか気恥ずかしさで死にたかった。
気を紛らわそうと辺りを見渡す。
いつのまにか混合集団の一部が駆けつけており、永聖軍団だろうと思われる白のロングコート集団が、ぶっ倒れる十億を見つめて何やら不思議そうにざわざわとしていた。
体力、気力、細胞力の全てを使い果たした俺は、意識が朦朧としてくる。
最後に師匠の亡骸を見つめる。呉羽が師匠を抱きかかえていた。
セレスティアが突き破った天の雲から垣間見える光は、二人を優しく照らしていた。
それを見た俺は少し安心したのか、そこで視界が暗闇に包まれた。
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