第九章 

夕陽は氷壁を溶かしていく(1)

『かんぱーい‼』


 街の酒場で大勢の声が重なる。

 正直、俺はこういう集まりが苦手だ。少数ならまだいいのだが。

 だから言ったんだよ、俺はやるならトオルの店で打ち上げしようって。この十億討伐戦の打ち上げは、多くの組合連中で行われることになったらしい。

 そこで十億に最後のとどめをさした俺が欠席する権限は、セレスティアに剝奪されていた。って酷くないですか。


「ほら、ツヅル、じゃんじゃん飲みなさい‼」


 そう言って誰よりも先にがぶがぶ酒を飲むセレスティア。もう皆に素の姿を隠すのは辞めたらしい。

 周囲も最初はセレスティアに気を使っていたが、酒が回ればこいつらすぐに溶け込みやがった。

 俺は逃げるように隅っこのカウンターで、ちびちびとジンジャーエールを飲む。

 あれから俺は、細胞力セルフォースの使い過ぎで三日間寝たきり状態が続いた。ALEは十億がいなくなったお陰で、何とか平和を取り戻した。

 まぁフィールドに出なければ安心だろう。

 そして現実では、仮想世界移住計画というのが本当なのかで持ち切りになっていた。

 しかし“ガルデシアの大森”もとい“元ニシア細胞研究者の呉羽”の発言を、政府は即座に完全否定した。


「AIを殺すなどありえない。そもそも我々はアイ・ジーに関与していても、ガルデシアには何の繋がりもない」と。


 元々世間の評価が最悪な奴の意見など、信じるか信じないかくらいの都市伝説として世間の闇へと葬られた。というよりもまた呉羽が、『我々』を欺き混乱させようとしたとかで再び世間の悪になった。

 これが世間体で言う所の信頼度とかいうやつなのか。ちっ、しょうもない、と俺はグラスをちびちびと傾ける。

 あれから呉羽の姿は一度も見ていない。どうなったのかも分からないし、連絡先も知らない。ALE内で逃亡してるとか、してないとか。

 そんな事もあってガルテシアは、呉羽の後釜にすぐさま新しい奴を就任させた。

 正直、それもどうでもいい。俺は平和に暮らしたいんだ。もう十億戦みたいな事は懲り懲りだ。

 でも俺は呉羽と師匠の繋がりは、確かなモノだったと今でも心の奥底で信じている。

 仮想世界移住計画の影響のせいか、ALEの世界に興味半分で遊びに来る人間の数が以前より少し増え始めている。噂では企業がALEに興味を持ちそこに会社を作っているとか、一部の学校がALEに校舎を建て始めてるとか、そんな都市伝説染みたことまで。

 よってガルデシアは今後、アップデートで新しい街や国を作るとか作らないとか。

 それもこれも新しく就任した開発ディレクターさんが頑張っているらしい。


「こんばんは。街を救った英雄さん♡」


 耳元で生温い囁きが聞こえた。


「ヒィイイイ‼ 囁くな、近づくな‼」

「フフフ、英雄になってもウブな所は変わらないわね」


 普段通りのトオル。でもいつもと違うのは、右眼の眼帯。それを見るといたたまれない気持ちになる。

 しかし当の本人は、気にする素振りなど見せずに俺の隣の席に座った。

 手慣れた感じでカクテルグラスを揺らすその姿は、イヤに格好いい。


「ツヅル君はこれから、どうするの?」

「これからか。まだ何も決めてないな。トオルのほうこそどうするんだ?」

「――アタシはあの女のギルドに入るわ」

「え、マジで? じゃあ今のソキウスはどうするんだ?」

「ブーケンビリアは、アタシがいなくても何とでもやっていけるわよ」


 確かにあのバーにいたオネェは、トオルより冷静でしっかりしてそうだったな。


「でも、あの子はまだまだ不安定だから。少しだけ面倒見てやろうかなって」

「仲……良いんだな」

「そんな訳ないでしょう……」


 トオルは冷静に大人な微笑みを浮かべる。そして真剣な眼差しでじっと前だけを向きながら口を開く。


「実はアタシ、身体が動かない時に遠くから見てたの。十億戦で見せたあの子の戦い。それに心を揺らされたのは本当。不思議よね、AIと人間に見境なんてあるのかしら……うんん、その答えはまだ分からない。

 それでも、あの子の正義をもう少しだけ見てみたくなったのよ」


 セレスティアが最後に使った想いの力ユニリティースキルが脳裏によぎる。


「もちろん、ツヅル君の戦いにもよ。あの時間トキ、あの気持ちハートに嘘はないって確信したのよアタシ♡」


 トオルの言葉に嘘や世辞はないだろうと思えた。

 だから俺も少しだけ想いをこぼしてみるのもありかなと思った。


「俺も同じだ。師匠の、皆の戦いに心を動かされた」


 そう言った直後、俺の背中に誰かが抱きついてきた。


「なぁに~ツヅル~私のことそんなに好きなの~グフフ」


 突如として後ろから女の子に抱きつかれたことなど、この十七年間(童貞しんし歴)で俺の覚えている限り一度もないので、その女のムニュッ×2の感触にドギ☆マギしてしまう。


「――っは、離せ、セレスティア。ていうかそんなこと一言も言ってねーよ」

「もう~素直じゃないんだから~早く私のギルドに入りなさいよ~」

「だ、誰が入るか、ギルドなんか! ト、トオル! この淫乱酔っ払い女をどうにかしてくれ‼」


 そこから他のギルド連中に祭り立てられ、呑まされ、呑まされ、ジュースを、大変な目にあった。


 ***


 二〇五四年 十月


 秋。

 夏のうんざりした暑さは跡形も残っていない。

 吹き抜ける風には程よい心地よさと、冬の準備を始めようと木枯らしが舞い踊り哀愁漂わせる、そんな季節。

 俺は久しぶりに現実に帰ってきていた。

 そして現在、舞咲市にある舞咲山遺跡に赴いている。遺跡と言っても今は史跡公園として整備されていて、周囲よりも高台になっている。

 一面には芝生が広がっており、そこから見渡す舞咲市の街並みは俺的にかなりの絶景だ。夜になれば舞咲スカイハイや舞咲大橋がライトアップされ、街のぽつぽつと光る明かりは、個人的にぼーっと落ち着けるお気に入りの場所だったりする。

 だが地元民は見飽きたのか、犬の散歩や子供達が遊びに来る場所的な感じで落ち着ている。

 で、なんで俺が今更ALEからわざわざこんな所にいるのか。それは小さい丘の上で、黄昏れる夕陽を恍惚と眺めている少女から呼び出されたのが理由だ。

 ALEのときの黒のロングコートとは違い、黄色の花柄のパーカーに、もこもこ素材の短パン。

 ツヤのある黒髪は、夕陽に照らされて美しく反射する。

 俺の芝生を踏む音を聞いた瞬間、一つに纏められているポニーテールが揺れた。


「悪い、待たせたな」


 振り向いた顔は、年齢より幼く見える童顔。クリクリの大きな目を何度か瞬かせ、薄い檸檬色の瞳が俺を捉える。

 そこでにっこりと笑うのは、幼馴染のえみだ。


「ううん。急に呼び出したりしてごめんね。隣座る?」


 俺は咲華と適当な距離を開けてその場に腰を下ろす。

 お互い口を開かずにぼーっと海に落ちていく夕陽を眺めるだけで、時は過ぎていく。

 しばらくして先に咲華が口を開いた。


「なんか、久しぶりだね。ここでつーちゃんといるなんて。中学生ぶり? それとも小学生ぶり、かな?」

「……もういつ二人で最後に来たかなんて覚えてないな。多分小学生くらいだろ」


 何が可笑しかったのか、フフっと笑う形の良い唇の透明感につい、見惚れてしまいそうになる。それを必死に誤魔化すよう目線を街に向ける。


「聞かないんだね――――私のこと」


 それは不登校のことなのだろうか、それとも呪われたギルドとかのことだろうか。

 けど俺はもう心の中で決めていた。


「……あぁ、もういいんだ。咲華はどんな時も咲華だろ。だから俺はそれでいいと思ってる。もし、それでも咲華が俺に頼ってくれる時があるなら、その時はちゃんと助けようって」


 咲華は驚きの顔で俺を見つめる。


「つーちゃん……あのね、私、ちゃんと謝りたくて」

「えっ?」


「お店の前で久しぶりに再会してからALEでもずっと嫌なことばっかり言って、しかも大賢女様まで私のせいで……」


 咲華の表情と声のトーンが同時に落ちていく。


「師匠は別に咲華のせいじゃない。前にも言っただろ。それにずっと謝りたかったのは、俺のほうだ」


 今度こそ、ちゃんと言おう。


「……俺、中学のときからずっと後悔してた。当時は咲華の気持ちなんて考えずに、自分勝手な気持ちであんなこと言って、悪かった」

「……つーちゃん」

「もし、咲華がまだ許してくれるなら、また、前みたいに仲良くしてくれないか」


 咲華の瞳には涙が溜まっていて、今にも零れだしそうだった。


「……そんなの、私だって、ずっと、後悔してた。ううん、ずっとつーちゃんよりもずっとずっと、ずーっと後悔してたっ。つーちゃんの気持ちなんて分かってるフリして何も、理解してなかった。だからずっとこの言葉が言いたくて、時間かかちゃった」

「…………」

「ごめんね……。これからも仲良くしてくれると私も、うれしい……」

「あぁ」


 そのタイミングで咲華は、俺に体重を預けるようにそのまま頭を肩に寄せてきた。ふんわりとした花のいい匂いがする。

 俺は咲華のその仕草に無言で夕陽を眺めることしか出来なかった。

 こんなとき童貞しんしじゃない人はどうするのだろうか。頭でも撫でるのだろうか。

 たった今、長年二人の間を遮っていた高く厚い氷壁は、ゆっくりと夕陽と共に溶けていくようだった。

 あぁ、長かった、本当に、長かった。ここまで来るのに、随分と遠回りをした気がする。これが今の俺と咲華の付き合い方なのかもしれない。

 しばらくしてから、腕にあるアイ・ジーが振動した。応答するようにモニターを映す。


『ちょっと、ツヅル‼ あんた今どこにいるの? 待ち合わせ時間とっくに過ぎてるんですけど⁉』


 怒りを顔と声で表現するその女の顔は、美形でどの角度から見ても整っている。

 流れるように美しく揺れる金色の髪は、モニター越しにでも伝わってくる。


「えっ⁉ あれ、もうそんな時間か。悪いセレスティア。すぐ行くから」


 セレスティアの声に慌てて咲華も俺から離れる。俺も慌てて通信を切ろうとしたとき。


『ちょっと待ちなさい! 今あんたの隣に女の人いなかった?』

「あ、あぁ……あれは前にも言った幼馴染の咲華だ。ほら、お前も知ってるだろ、紅蓮の一団の……」

『私が言いたいのはそういうことじゃなくて、あんたとべったり引っ付いてたんじゃないかって言ってるの‼』

『ハァアアアアアアアア。変わりなさいアナタ。ねぇ、ツヅル君、それ本当なの⁉』


 モニター画面が慌ただしく、今日も一段と派手なメイクをしたトオルに切り替わる。


「はぁ……お前達、何か勘違いしてねぇか、それより今から行くからもう切るぞ」


 俺は先に小さな丘を下り、まだ通信を切らせまいとする二人の喧嘩にうんざりしている頃。ふと、咲華のことを思い出し、振り向く。

 こっちを向いているのだが、何故か小さな丘の上で立ち止まっている。

 早くこっちにこい、と手招きする。

 それでも咲華はそこを動かない。両手を前にギュっと握っていて、その表情はどこかすっきりと晴れて見えた。

 沈みかけた夕陽が目には少し眩しい。

 ふと、口元が動いた気がした。


「―――――――――――――――――――――――」


 咲華の呟きは、上手く聞き取れない。

 にっこりと微笑んでいるはずなのに、なぜか瞳からスーッと一筋の涙が流れ落ちる。

 嬉しいのか、悲しいのか、俺には分からない。

 でも俺が小さい頃から見てきた中でも、今日の咲華は一番、綺麗で、美しかった。



『――大好きだよつーちゃん。これからも、ずっと――』

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