最初で最後の約束(2)
パチン!と牧が割れる。
その甲高い音は、静かな自然によく響いた。
暫しの沈黙。
俺は湖面に映る鏡の満月に目を移し、思考速度を上げる。
つまり、このALEでは『大賢者』はキーキャラクターの役割を担っている。それにたまたま遭遇というか、深い関わりを持ってしまったAIの師匠。
そして師匠はその約束を多分果たしたから今、この世界の関係性が保たれているのだろう。
ていうか『レイア・オルコット』って言うのが師匠の本当の名前なんだ。
ふと、脳裏によぎる人間だった大賢者の存在。
「師匠は大賢者の名前って知っているのか?」
「あぁ」
「教えて欲しいんだけど」
「別に構わないが。大賢者のことすら知らなかったお主が気になることか?」
「いや、まぁ一応人間側ってことだから俺達の世界では有名偉人かも知れないしな」
少し戸惑った師匠だったが、すんなりと教えてくれた。
「名を『クレハ』と言っていたよ」
「クレハ……知らないな」
すると師匠はゆっくりと立ち上がってくうーっと伸びをする。もうちょっと年頃の男子が近くにいることを気遣って欲しい。
あまり直視しすぎるとまたメンタルやられてしまうので、すぐさま焚き火に目を移す。少し冷静になって、今の師匠だから聞ける、聞いて欲しいことがあった。
「……なぁ師匠。師匠はその、三百年以上も生きて、しんどい事とか辛い事とかないのか?」
「フッ。急にどうした。まぁそうだな、そんなこと幾度も数え切れない程あったさ。お主はまだ生きて短いだろうからそこまで深く考える事はないだろうが」
「師匠に比べれば俺の生きた年数なんて可愛いものだろうけど、前に言っただろ。
俺、自殺したことあるって。まぁ生きてるけど」
「……そう、だったな。すまない」
「師匠は何にも悪くないよ…………何度も生きることが辛いと思った。この世界で生きる事になんの意味があるのかとか、なんでこんな退屈で平凡な毎日を、ただ流れるように淡々と生きてるんだろうとか。本当に。色々……」
「……お主の住む世界はそんなにも平凡なのか?」
「あぁ。生きる意味なんてあるのかってくらい平凡で平和」
「それは良いことではないのか?」
「そうかもな。でも少なくとも俺にはそれがなにか、酷く、辛い時間だった……」
「だからお主は……」
師匠はその先の言葉を綴らなかった。
「なぁ師匠。生きるってことはそんなに大事なことなのか」
ふと、俺の手に柔らかくて暖かい手が覆うように包み込む。
「えっ……」
「……どうだろうな。確かに生きるってことは失敗して、間違い続けるものなのかもしれない。何度も何度も間違えて、自分の正解を探し続ける。
それは無限迷路みたいなもので、三百年以上生きた私ですら今も間違えてばかりだ。でもそんな間違った中にも振り返れば正解だったこともあるんだ。それはもう過ぎ去った時間や取り返しのつかない関係かもしれない。
そういう間違った全ての経験を糧にして、また間違える。そんなどうしようもない行為なのかもしれない」
師匠はじっとそのまま俺を見つめ続ける。
「だから、その間違いを笑ってやる為にまた明日も間違える。それを大事なのかと疑問に思うことは、お主が今まさに正しく間違っている証なのだから安心して生きろ」
ぷっと笑いが漏れ出る。
なにそれ、正しく間違っているなんて聞いたことないわ。でも師匠の皮肉にも矛盾にも思えるその言葉は、俺の心にすっと馴染んでいく気がした。
「ふぅ……。少し話し込み過ぎたな。そろそろ寝るか」
師匠は俺から手を放し、テントに戻ろうとする。
「なぁ師匠は、大賢者のことを今でもどう思っているんだ?」
「お、お主、また私をからかって、」
「今は本気で聞いてるんだ」
俺の強い言葉と真剣な眼差しを見て、師匠も真面目に俺を見つめ返した。
「し、強いていうなら、もっと一緒に居たかった、かな……」
師匠の語尾はらしくない程に弱弱しかった。照れ隠しのつもりか「お主も早く寝ろよ」とだけ告げて足早にテントに戻って行った。
ふぅーっと大きく息を吐き、夜空を見上げる。
広がる漆黒の中に自分を見ろと主張する無限の星屑。
外灯や街の電気が無いこのテンマリナ湖の自然は、ありのままの主張を眺めることが出来る。ふと、一番輝いていそうな星をぼーっと眺め続ける。
俺はこのALE来て少しは成長したのだろうか。いやそんなにしていない気もする。まだ何も出来ていない自分にもどかしさみたいな気持ちがこみ上げてくる。
あぁ、ちょっと前の俺ならそこで人や社会のせいにして、そんな自分に絶望していただろう。
今は不思議と、そうは思わなかった。
届きそうで決して届かない星に手を伸ばし、そしてすぐに戻した……。
***
意識がゆっくりと覚醒していくのを感じる。
どれくらい眠ったのだろうか。
深い眠りを感じた理由は一つ。いつも起こしに来る師匠が来なかったからか。
熟睡したのなんていつ振りだろうか。ずっと毎朝稽古があったからな。
テントから外に出て、グッと伸びをした。
もう太陽はすっかり昇っており、自然界の目覚めはとうに始まっている。そんないつも通りのテンマリナ湖。
でも、いつもなら文句を言いながら朝飯を要求してきたり、朝一番に一目も気にせず素っ裸で水浴びしている師匠の姿だけが何処にも見当たらなかった。
「……師匠」
何となく予期していたのかも知れない。
師匠は元々、人と時を過ごすのを嫌がるタイプだ。それでも人間の、俺なんかの無理を受け入れ約三ヶ月も稽古を付けてくれた。
それに、昨夜の師匠はどう見ても『大賢女』では無く、俺の知らない『レイア・オルコット』だった。
師匠は大賢者と約束をした。人間を受け入れると。でも師匠は人間を良くは思っていないだろう。
それに三百年以上もの時を生きていると聞こえはいいが、どれだけの幾星霜を超えればあんな精神でいられるのか、十七で命を投げ出そうとした俺には、考えただけでも吐き気がするし、その心情は計り知れない。
もちろん、この世の素晴らしい部分も人より沢山見てきただろう。でもその殆どは見たくもない醜いものだったに違いない。
そしてそれを話したり、共感したりする関係などとうに絶っていた。関係を築くも自分だけが生き残って、そしてまた新しい関係も、失って。
その悲しみを一人、孤独に背負うには過酷以外の何物でもない。
それに周りは師匠を違う生き物として見ていたに違いない。口では“大賢女”なんて煽て褒めるが実際はそうやって、巨大な力をフィールドに追いやっていただけだろう。
まるで人間が社会でよくやる日常手段だ。
そうして師匠はまた同じ過ちを、間違いを、繰り返さないようにと俺のこれからを想ってある程度の力を身につけるタイミングを見計らい、自分から……。
俺と師匠の、人間とAIの、繋がりなんて何も無かったと言わんばかりに。
「……でも、悲しすぎるだろ、そんな生き方……」
十億戦で師匠と出会ったあの日から、三か月間の記憶のページが一枚、また一枚と甦る。
辛く、しんどい稽古。それでも、毎日が楽しかった。
こんな毎日なら生きてみるのもいいと、思った。
瞳に溜まった涙が溢れ出る。
手で何度も拭って、それでも涙は止まらない。
「……っ。あんたが、幸せにならないで、間違いを笑ってやれなくて、どうするんだよ、バカ」
ギュっと拳を握り締める。それに反応するように拳が赤く発光する。
何もしないまま数秒間が経ち、赤い光はそっと力を失うように静かに消えていった……。
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