第五章 

最初で最後の約束(1)

 俺が武術スキルを覚えて二週間の時が経った。

 その夜。

 パチパチと牧が割れ燃える。

 時々パチンと一際高い音が鳴ると共に、火花が夜空へと昇天していく。俺はただその一連の流れをぼーっと眺めていた。

 湖の近くにある森中からは、鈴虫のような演奏が俺の心に安らぎを与える。


「どれ、そろそろ頃合いか」


 隣に座っていた師匠は、串焼きにした魚の焼け具合を確認し、ひょいと俺に手渡してきた。

 程よくこんがりと焼けた魚の香りは俺の腹を刺激する。


「いただきます」


 カブッとかぶりつく。ジュっと脂身の乗ったホカホカの白身と、塩の効いたパリパリッの皮は絶妙な組み合わせだ。


「ど、どうだ、美味いか?」

「あぁ、美味い」


 今まで一緒に生活してきた中で初めて師匠の手料理を食べた気がする。いや、これを手料理と言っても良いのだろうかと思ったが、気持ちだけでも十分に嬉しかった。

 テンマリナ湖に来てからのキャンプ修行は、【ボックス】に貯蔵されている食材をなんとか節約しながら二人分の食事を賄っている。

 正直言ってもう残りも少ない。

 師匠はそれを気遣ってか、今日は湖で捕まえた魚を馳走してくれるというレアな夜会だった。


「フム。我ながら素晴らしい腕よな」


 師匠は満足気に焼きたての魚をモグモグと頬張っている。

 なんか子供みたいで可愛いな。まぁ年齢は……言わない約束だ。

 そんないつもとは少し違う夜の雰囲気のせいか、それとも気まぐれか、俺は今まで気になっていたことを質問してみた。


「あのさ、なんで師匠は“大賢女”なんて呼ばれ方しているんだ?」


 師匠は少し驚くように俺を見た。


「そうか、お主はこの世界の事情など何も知らない、世間知らずだったな」

「いや、当たり前だろ、だって俺は今まで師匠とずっと、」


 師匠はそんな俺の言葉を遮るようにして。


「そんなのは単純に私が“大賢者”の弟子だっただけのことだ」


 大賢者? まぁ確かに一般的にはこっちの方が大賢女よりかはメジャーなイメージだったけど。


「で今はその大賢者はどうしてるんだ?」


 愚問だった。聞くまでもない、最初から分かりきっていた事実のみが返ってくる。


「もうとっくにこの世にはいないさ。遥か三百年近く前のことだからな」

「あ、それもそうか」

「大賢者は私の唯一の恩師にして、この世界で初めて現れた人間だったからな」

「初めての人間が三百年前にいたのか⁉」

「あぁ。そもそも大賢者が現れるまでは、ずっと私達AIとモンスターしかこの世には生命体として存在しなかった」


 あ、これってもしかしてALEの公式サイトにやたらと長文で活字まみれに記載されていることと何か関係しているのだろうか。

 確かに俺はこの世界の創生話など何も知らない。


「大賢者はある日突然現れて、私達にアイ・ジーを配布した。それは今の時代において欠かせないものとなっている。

 でもそんなことより当時は、大賢者の見た目の造りは私達と瓜二つで、しかも同じ言語を喋る生き物。

 一つ違うのは人間と名乗ること。それ自体が異質でな、信じる派と信じない派で話題は持ち切りだった」


 まぁ現実世界で見た目は同じだけど、実は私宇宙人なんです、なんて言ったらそら間違いなくそうなるよな。


「でも、大賢者はすぐに街の皆に溶け込んでいった。何よりアイ・ジーという画期的なテクノロジーは私達の時代ではどう考えても作れない代物だったからな。

 それをしかも大量に配布してしまうのだ。私達AIには到底作れない貴重な代物だからな」

「それじゃあアイ・ジーが配布される前まではどうやってモンスターと戦っていたんだ?」

「魔法と武器。今とそんなには変わらない。

 でも魔法には詠唱がいるので使用出来る者も少なく、武器は今みたく多彩に技を繰り出すこともなかった。アイ・ジーはそれを目に見える形でスキルとして使用出来るようにした。

 まぁ旧時代の名残が現代でも残っていたりもするがな。うーん……そう、オーバーヒートとかがそれだな。

 他にも、曖昧だった自身の身体情報が一目で確認でき、手紙や言伝だった連絡手段が通話やチャットになる。

 街の地図は、ナビ案内もしてくれるマップになり、紙幣硬貨は、仮想通貨になるなど他にも上げだすとキリがない程だ。

 最早、一種の革命だったよ」


 師匠の声音は優し気で、どこか昔を懐かしむようなうっとりとした目で火を眺めている。


「お主もそろそろ察してきた頃かも知れないが、それが大賢者と後世まで呼ばれるきっかけなんだ。案外単純だろ」

「いや、でもそれだけのことをしたんだ。そう呼ばれも別におかしくはないだろ」

 すると師匠の表情はさっきとは真逆に、暗く沈んでいく。

「でもな、それを良しと思わぬ者も多くいてな。大賢者はこの世界を洗脳しようとする悪魔だと迫害の対象にもなった」


 まぁそれは仕方のないことかもしれない。人は突然の変化を求め、そして忌み嫌う、そういう人種だ。

 多分感情を持ったAIにもそれは当て嵌まるのだろう。

 それに俺達が住む現実世界で、今のテクノロジーより凄い物を人間じゃない宇宙人が大量に持って来たってなったら、まずテロリストと勘違いされるだろう。


「それを受け止めようとした大賢者は、アイ・ジーだけを残して自分の国へ帰ると言った。でも我々は人間なんて者が住む国は何処にあるのかすら知らない。

 そこで当時まだ二十代前半くらいだった私は、大賢者を一目みようと街へ赴いた。ウム、私もあの頃は若かった……」


 ほんと、どれだけ歳とったんだか。


「私は何処にでもいる平凡な見習い騎士でな、当時ギルドに入っていたのだがどうしても男の腕力に叶わず引け目を感じていた。そこでアイ・ジーを持ってきた大賢者に直接教えを乞うことが出来たのなら、男にも負けない立派な騎士になれるのではと思ってな」

「師匠が平凡な見習い騎士って……なんか新鮮だな」

「私は皆が思っている程に才がある訳ではない。大賢女なんて名前負けもいい所だと思っている。ただ、長く生きた……その経験だけが力なのかもしれない」

「いや、まぁ実力ももちろん、ていうかあり過ぎるくらいだと思っていないと俺が報われないだろ」


 フフと微笑みながら師匠は話を続ける。


「当時大賢者を見た印象は精神的にも疲弊しきっていて、身体は痩せ細っており、いつも辛そうな表情をした中年の男性って感じだった。

 最初は本当に大賢者か疑ったくらいだ。まぁそれがすぐに大賢者だって分かって、教えを乞うたが、勿論、軽く一蹴されたよ。でも私はしつこくお願いした。教えてくれる代わりに何でもお願いを聞くからと」


 何それ、若かりし師匠が何でもお願いを聞いてくれるだと。大賢者羨まし過ぎるだろ。


「お、お主、また目が……」

「ゴブリンじゃねぇ‼」

「そうだったか」


 逆に何だと思ってるんだよ。瞳孔でも開いてんのか俺。


「それで泣く泣く了承した大賢者は、一週間という期限付きで稽古を受けてくれた。でも街にはいられない。そしてその時使っていた家というか隠れ家こそ今の私の住むあの家だ」

「え、あの家って大賢者の家だったのか⁉」

「まぁ家というか、貴重な資料などを閉まっている物置くらいのつもりで使っていたらしいのだが、私もその辺はあまり詳しく知らない」


 なるほど、でもやっとあの家が図書館みたいになっている理由が少し分かった。


「まぁそれからはずっと稽古さ。前にも言ったことあるかも知れないが、武器を扱うのが苦手なでな。それを教えてくれたのは大賢者なんだ。

 そこでアイ・ジーを使った魔法、いや今はマジック。詠唱を必要としない魔法マジックスキルを勧められた。大賢者の指導が上手だったお陰か、日に日にコツを掴んでいってな。とまぁそんな日々が続き、期限の一週間など、とうに過ぎ去って気づけば三ヶ月程経っていたよ」

「いや、経ちすぎだろ! 何、もしかして師弟の関係を超えちゃった感じですか?」

「ばっ、ば馬鹿者‼ そ、そんな訳ないだろうが‼ ちゃんと真面目に稽古する日々だったぞ……。で、でも一緒に変装して、ま、街に買い物行ったりもしたが……」


 師匠は頬を赤め、口元をギュっと結ぶように俯いた。

 ははあーん。はい分かりました。

 多分このときの俺の顔は酷くゲスイものだっただろう。見ていなくても自分の口元が釣りあがるが分かった。


「師匠さぁ……大賢者に惚れてたんだろ~⁉ ニッ」

「ち、違うぞ。そ、そんないかがわしい関係じゃないからな私とあの人は! 今度そのゴブリンみたいな顔で何か言ったら即お主をぶっ殺す」

「え、俺、そんなにゴブリン顔なのかな……」


 ちょっとメンタルヘルスケア受けに行こうかな。じゃないとゴブリンになって襲ってしまいそうだわ。

 しょぼんとする俺を見て師匠は一つ間を整えるように咳払いをした。


「まぁしかし出会いに別れはつきものでな……」


 次に師匠がしょぼんとした様子になる。俺達こんな湖の夜中で何してんだろ。


「それでも大賢者はどうしても戻らなくては行けないと。私はもっと教えて欲しいことが山ほどあったのだがな、それでも別れはすぐだった」


 もっと一緒に居たかったの勘違いじゃないかと、脳裏をよぎったが次言ったら殺されるのでグッと心に留めた。


「最後に大賢者は、私と最初に交わした約束のお願いを聞いてくれと言ってきた。予定期間よりも大幅に長く教えをくれた私は勿論、何でも受け入れるつもりだった」


 そら、あんなことやこんなこととかね。むしろ師匠にとってもご褒美だわ。言うなよ俺、グッと堪えるんだ。


「で、その最後のお願いって何だったんだ?」


 師匠が淡々と語り出す大賢者の願いは、俺の浮かれた心など一瞬で消え去った。


「大賢者は私にこう言った」


『これから僕と同じ人間という種族がこの世界にやって来る可能性がある。

 それは数年、数十年後かも知れない。もし、その時にレイアが生きていて、僕のお願いを覚えてくれていたらならその人間達を受け入れてやって欲しい。

 それが僕とレイア・オルコットの最初で最後の約束だ』

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