誰かの英雄(4)

 あれから永聖軍団の援軍は、セレスティアを急いで回収し、死んだ仲間の事後処理やら俺達から事件の真相を事情聴取ばりに逐一聞いてきた。

 一つ分かったことがある。みんな口を揃えて女のことを【大賢女様】と呼ぶ。

 大賢者ではなく大賢女というのは、もうなんか色々一周回ってエロい。


『大賢女様、今回の十億出現、それに伴う遺体処理の件なんですが……』


 だが俺の少し浮かれていた心はすぐに現実に引き戻された。

 そこら中で大量に転がる屍の群れ。

 千人規模あった永聖軍団はセレスティアを含め、残り重症者以外の約九割が死亡した。

 まるで姫だけは何が何でも守るかのように、彼らは命をかけて。

 この光景はあまりにも残酷で、俺の記憶リソースの一部に強く焼きついた。

 当事者であるセレスティアにはかける言葉も無い。いや、関わらないのが正解だろう。俺は俺のやれることをした。セレスティア以外は誰も護れなかったが。

 俺に「シネ」と連呼してきたあの兵も。

 上唇を強く噛み過ぎたせいか、舌が血の味を知覚した。


「今もなお、娘の息があるのはお主のお陰だ。誇りを持て」


 パッと見上げた先にいるのは大賢女。西日に被さるその姿は神々しくさえ感じる。


「フッ。救えると思ったか全て。お主のその無力で。それは傲慢以上に何モノでもない」


 大賢女の言葉はどこも間違っていない。

 全てを救うなど奇跡でも起きない限りあんな状況は覆るはずもない。


「でも、あんたの力なら救えたはずじゃないのか?」

「それはない」

「え、」

「私が駆け付けた時には、もう既に多くの兵が死んでいた。例えそれが事前に駆けつけていても私は全てを救わない。それに、心が壊れた兵を私は容赦なく殺した。

 あれはお主を助けるつもりなどでは無く、これ以上の感染を防ぐ為に殺した。

 ――ただ、それだけだ」


 大賢女は冷酷にその真実を述べる。当たり前だと言わんばかりに。


「でも、救える命もあったんじゃないのか?」

「そうさな。でもいっただろ。私は正義の味方でも悪の味方でもない、と。全てを救うなど偽善者の戯言に過ぎない。それはいつか人を傷つけ、己を傷つけることになる」


『大賢女様、お話中にすいません、もう少しお話よろしいでしょうか?』


 そのまま二つ返事をした大賢女は、現場へと向かって行った。

 あまりにも非日常すぎる体験は、俺の脳がパンクを起こす寸前だった。

 しばらく思考を休めるようにただ茫然と、沈んでいく西日を眺めていた……。


 気づけば西日は沈んでいて、俺は残照だけを頼りに感傷に浸っていた頃。


「では、私はこれで」


 大賢女が軍の者と話しを終え、この場を立ち去ろうとする。


「待ってくれ!」


 大賢女は誰ですかってくらい人間味のない表情で俺に振り返った。


「――なんだ?」

「あんたはいったい、何者なんだ」

「フッ。そんなの知ってどうする?」


 鋭く、屈しない、宝石のような菫色の瞳が、俺の心を覗き込もうとしてくる。


「…………」

「数刻前とは違う眼。やはり若者はいいな、純粋故、何色にも染まる」

 お互い数秒の時を無言で見つめ合う。

「お主、名は?」

神司かみつかつづる

「……ツヅル。そうか」


 そう言って大賢女はそのまま俺に踵を返し、いつのまに出したのか、魔女がいかにも持ってそうな杖を持って、コン、コンと地面を突いてゆっくりと歩き出す。

 剣を持っていた時とは違い、しっくりと似合うその姿はまさしく “大賢女”そのものだった。


「この世界で少々長く生にしがみついた惨めな女、皆はそれを大賢女と呼ぶ。それが今の私だ」


 去り際に呟く大賢女。もしこれが現実の学校とか職場の自己紹介なら確実に「自分、不器用ですから……」イジリされてもおかしくないのだろう、けど。


「大賢女……様! 俺に強さを――。俺を一人前の、男にしてくれ‼」


 俺は出来る限り深々と頭を下げ、渾身の告白した。何故かは分からない。

 けどこの女は俺が今まで出会った人の中でも見たことのない人種だった。決して正義の味方ではない、人を殺す時は容赦しない。でも俺はそんな大賢女の浮世離れした感覚に、いつの間にか惹かれていたのかもしれない。

 コン、コンと一定間隔で聞こえていた杖の突く音がそこで止まった。


「――勘違いするな。私はお主を強くすることも、一人前にしてやることも出来ない」


 思わず頭を上げかけた時。


「それくらい己でなってみせろ」


 上げかけた頭上には、大賢女の手がそっと置かれていた。


「でも、ここでの生き方なら教えてやれんこともない」

「それでいい!」


 俺はすぐさま頭をあげて至近距離にいる大賢女の顔を見る。

 さっき長く生きているみたいなこと言ってたけど、本当にそんな風に感じないくらい肌はきめ細かで透き通った白だった。大賢女の手を取って握りしめる。

 強さなど微塵も感じさせないくらい、すらっとした長い指。女性の柔い肌感に俺は、思わずドキッとしてしまう。


「俺をあんたの弟子にしてくれ、師匠‼」


 今の俺は多分だが赤面しているだろう。心が高揚しているのが自覚できる。


「し、師匠だと⁉ それにお主は自分の世界での生活もあるのではないのか? というか手を離さんか!」


 白色の頬がほんのりと朱に染まる。


「それはいいんだ」


 俺はフリーターだからな。家は買えないけど。


「しばらくこっちで住む」

「住むっていったい何処でだ?」


 あれ、そうか。どこか宿屋とか……あ、俺お金持ってなかったわ。


「師匠の家とかって……」

「無理だ」


 速攻で拒否された。それもそうだよな、知らない男を簡単に家にあげる女なんて。

 師匠はその場から立ち去り、街ではなく森の方へと歩いていく。


「…………ゕ、勝手についてこい……」

「え、いま」


 聞き取れたこと自体が奇跡的なレベルでボソッと呟いた。この瞬間、俺の中で師匠は「自分、不器用ですから……」認定が確定した。

 その時の師匠の表情は……うん、言わない方がこれからの身の為だろう。

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