誰かの英雄(2)
「すまんな。これでも
しかし哀れな奴よな。己の弱さを他人にぶつけることしかできない者というのは……」
そう冷静に淡々と話す女は、フードを深めに被っている。
フードに収まりきらない青紫色の髪は地面すれすれまで伸びていた。
髪と同じ色をした青紫色のローブを羽織り、中に着ている漆黒のドレスは絹素材で作られ、所々に精緻な刺繡が見える。
不可抗力で見えてしまう豊満な
高級感漂うドレスがそう思わせるのか、はたまたその女の魅力自体がそうなのか、どこかで覚えた『
それにドレスの丈が短いので、太股を大胆にも露わしている。間近で見える白肌は妙に艶めかしさがあり、これまた強制わいせつ罪が目の前にあった。
革製の黒のロングブーツをかっこよく鳴らしながら十億へと歩いていくその姿はまさにエロ……違う、魔女だ。
でも唯一、手に持っている武器だけが魔女の杖とはかけ離れた、剣だった。
「あ、あんたはいったい」
女は妖艶な笑みでこっちに振りかえり。
「――私か? そんなの知ってどうする」
「え、あ?」
聞いた俺の方が浅はかだったと思わされるくらい、女の声は酷く落ち着いていた。
予想外の返答に一瞬、思考がフリーズした。なんとなくこの女は只者じゃない、無能で何一つ強くない俺でもそんな予感がした。
『グゥヴヴアアアアアアアアアアアア‼』
遠くから十億の叫びが聞こえてくる。そこで、やばい状況が続いていることを一瞬でも忘れていた自分に驚いた。
「そろそろ、限界だな……」
女はゆっくりと地獄へ、歩を進める。俺も急いで立ち上がり、女の背を追いかける、まるで惹きつけられるように。
そこらに散らばる屍など女は一切気にする素振りなどなく、淡々と十億がいる方へ向かって行くのに対し、俺は今すぐにでも胃が逆流を起こしそうだった。
気付けば十億の周りは、セレスティア以外誰も立っている者はいなかった。
そのセレスティアも片膝を地面について、立っているのが精一杯だ。
十億はそんなのお構いなしに、鋭く長い爪でセレスティアを切り裂こうとする。
「おい、あいつもヤバいぞ」
あんなのもろにくらったら身体ごと引き裂かれてもおかしくない。
「ハハ。なんだ、お主も付いてきたのか。力なき者がよくもまぁのこのこと。さてや、お主、自殺願望でも?」
「え?」
次の瞬間、女は左手に握っていた剣を思いっきり後ろに引いて、右足を強く踏み出し、十億めがけて投げつけた。
「フッ‼」
時速百キロ以上はありそうな勢いで、剣はその額少し上に突き刺さった。
「グヴァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアッツ‼」
幸いそのお陰で、セレスティアを引き裂こうとしていた爪はあともう少しの所で止まった。
「いったい何が、どうなっているんだ……」
俺は驚きを隠せないまま、茫然とその場で立ち尽くす。
「来るぞ!」
女の声音が急に強くなった。刹那、十億の口が大きく開かれる。一本一本が長く、鋭利な牙は獰猛さをより一層感じさせる。
ビー玉サイズの何かが、みるみるうちに大きくなっていき、それは誰がどう見ても分かる火球となった。
「え、来るって? あれがか⁉」
あれはやばいとかそういうレベルじゃない。冗談抜きで自殺未遂とかでは済まなさそうだ。
絶対に死ぬ。どういう訳か丸腰で女の後ろに付いてきたのはいいが、テンパって俺の思考は、こういう時の対処方など何も思い浮かぶはずもなかった。
ただそこに、呆然と立ち尽くすしかなかった。
あぁ……俺、ただの邪魔者じゃねーか。
「今更気づいたか、馬鹿者め! 私は暑いのが苦手なので避けるぞ。お主はどうする?」
あれ、やっぱり助けてもくれなさそうだ。それもそうか。
勝手に自分で付いてきて守ってください、なんて虫が良すぎる馬鹿野郎だ。
俺もそういう奴が一番嫌いな筈だったのに、まさか自分がそんなことするなんて。
後先考えず「フィールド最高ぉぉおお~~‼」とか言って実はセレスティアを一目見たかったとか、ただの年頃の学生と変わんねぇじゃねーか。
いつから俺はあいつらと違う生き物だって、区別してたんだろな。
俺も所詮、どこにでもいる凡人のマヌケだ。世界が変わった所でその事実だけは変わらないだろう。
「クソッ」
自分の不甲斐なさに、腹を立てて下を向くことしか出来ない。
「いいよ。避けてくれ……」
本当に、哀れ。
「――あぁ。私は別に正義の味方でも悪の味方でもない。だから勝手について来たお主を助ける義理など何処にもなし」
そうだよ。ほら、来るぞ、ファイヤーボールだ。
「でも、それが今のお主に出来る最善の選択か?」
「え?」
「今のお主は無力。この状況ですることなぞ命乞いくらいしかないと思うが?」
確かにな。でも今ここで命乞いした所で未来は変わらない。どうせ時が経てばまた似たような過ちを繰り返すだけだ。
「命乞い……それもありかもな。フッ。なめんな。己の責任は己で取る。だから、命乞いだけはしない」
馬鹿だな、俺。ホント馬鹿。どこでかっこつけてんだよ。普通するだろ命乞い、しろよ。なんでかっこつけてんだよ。昔からよく教師や色んな大人に口うるさく言われたよ。
なんでそんな面倒くさい生き方してんのって。知らねえよ。俺だって楽に生きれるならそうしてる。でも感情を持つと面倒くさくなるだろ人って。
すると女の頬が少し妖艶に釣りあがった。
「そうか。なら――好きに死ぬといい」
女の声は鋭く氷のような冷たさをもって、冷酷非情に告げてきた。
十億の火球が限界値まで膨張し、いよいよ放たれる数秒前、女の姿は既に無かった。
その時、十億の頭上付近空中で『ヒト』と思われる者が見えた。その者は身体を捻り、赤く発光する左足をさらに引きつける。ていうかあの女じゃねーか。
「だから――好きに生きろよなッッ‼」
赤く光る左足を一気に振り抜いた。ズゴーンッツ‼ という衝撃が十億の脳天から真下に突き抜けた。そのせいか十億の後方の片足が崩れる。
もちろん火球は、その衝撃と共に黒い煙となって消えていた。
「なんなんだよ……あの化け物……。フッ、フハハハハ‼」
力の無い笑いが、身体から漏れ出ると同時に、フラフラと俺は地面に尻をついた。
あんな滅茶苦茶な奴いるか普通。最早あれは『ヒト』なのか。
ドラゴンの頭を脳天から蹴り落とす奴なんて人生で初めて見た。
というか今まで想像もしたことなかったよ。それも……当たり前か、思考しているスケールが違う。
「では聞こう‼」
宙で浮かぶ女は声を張り上げた。その足元には微かに風が舞い踊っている。
女は空にむかって高々に左掌を伸ばす。そこに雷のような奔流が渦巻き始めた。
「お主は何故――この
き、急に言われてもな……あ、そうだ。
「だ、大事な人を探しに来た」
「聞こえん‼」
女の掌に溜まりゆく雷の奔流はより一層激しさを増していく。
「だから、大事な人を探しに来たんだ‼」
「嘘だ‼」
「え」
「お主は嘘をついている、私にも……己にもな」
嘘って割と本当なんだけどな。
「その者を真に探しているのなら何故、私に命を乞わなかった。私が聞いているのはお主の『言葉』だ」
「……っ⁉」
女の言葉は俺の心臓を強く握りしめた。冷たい汗が背中を通り抜ける。
本当は分かっていたのかもしれない。咲華が本当に心配ならもっと早く、取り返しのつかない壁が出来る前になんとかすれば良かっただけのこと。
俺は、この世界に――
「……俺は……っ。現実が嫌になってこの世界に逃げてきた‼ ここなら変われるかもしれないって思って逃げてきた‼ でもこの世界に来ても俺は……」
「弱いままだな‼」
「…………ぁっ。あぁ、そうだ、そうだよ! 俺はいつも世間のせいにして、周りの奴らの、社会のせいにして、逃げて逃げて、最終的には弱い自分からも逃げて自殺しようとして、そんな自分が他の奴らと違うからって言い訳して……」
あぁもう、自分でも分け分かんなくなってきた。大丈夫か俺。
「でも、ただの凡人だった……。特別な才能なんて何もなくて、そんな自分が厭で、でもそんな自分を認めたくなくて、俺はもっと、凄くて、強い人間なんだって思ってこの世界に来た‼」
「そうか」
俺の叫びなんてどうでもいいと思わせる程に女は冷静で、でもその表情はどこか儚げに美しくて。
それとは真逆に空に向ける掌には、おぞましい雷撃ができつつあって。
女は再度、問いを投げかける。
――お主は英雄になりたいから平凡なのか
――それとも平凡だから英雄になりたいのか
と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます