第三章 

誰かの英雄(1)

 踏み出して一歩、二歩。三歩。

 そこは俺が十七年間生きてきた中で、味わったことのない緑の絶景だった。

 近くに建物などの遮蔽物が一切無いお陰で、一面に生えた草の絨毯と青空のコントラストが抜群に爽快感を感じさせる。


「うおぉぉぉ……」


 思わず無意識に声が漏れる。マジの時のやつだ。

 少し立ち止まって見ておきたい気持ちもあったが、俺は目的のスキナカス大森林のある北東を目指さなくてはいけないのでマップを開き、確認する。


「スキナカス大森林……あった。ここか」


 ナビをセットし、行き先がアイ・ジーの音声案内と視覚案内によって始まる。俺はそれに従いながら軽快に草原を走り抜けた。

 途中、モンスターにはなるべく近づかないように、周囲には気を使っていたものの、何せ見晴らしがいいのでモンスターがどの辺にいるかすぐに気付く。

 それにここが街付近のせいか気性の荒そうなモンスターもいない。

 数もこのフィールドの広さとは反比例して少なく感じる。

 走る度にどんどん鼓動が激しくなる。あれ、実は俺、けっこうテンション上がってるかも。


「草原フィールド最高ぉぉおお~~‼」


 実に清々しい気持ちだ。

 ニートのようにベットで寝転がっていては絶対に体験出来ないことだ。

 武器なんて何も身につけてなくても、自分から攻撃や威嚇しない限り、モンスターがガンガン襲ってくる気配もない。

 案外奥に進まなければ大丈夫なのかも知れないな。

 さっき門番が言ってた【十億】が住処とするカロリス火山が最奥にあって、それらの近くには洞窟や大きな湖も確認出来る。現在、向かっているスキナカス大森林もまだ全然見えてこない。

 何よりマップ上に映る自分のアイコンが、本当にゆっくりとしか進まない。


「どんな風に戦うんだろうな。街を護る最大規模のギルド集団は……」


 べ、別にあのセレスティアっていう金髪美女が気になっている訳じゃないからね。

 そうして俺は気持ちいい草原を駆け抜け、小さな丘を幾つか超えて行った。

 ニ十分以上走り続けた俺は流石に疲れたので、ゆっくりと丘を登っている。

 まだ遠いが、横一面に広がる林の上部分が見えてきた。


「おぉ。あれがスキナカス大森林か……」


 マップをちょこちょこ確認してみる。距離感も大体あってそうだ。

 丘を登りきった先にはそろそろ永聖軍団の列が見えてくるだろう。

 少し騒がしい声が聞こえてくる。

 何よりこれで、万が一モンスターに襲われても、守ってくれそうだと勝手に安心した。


「よし、やっと追いつきそうだ。ラストスパート!」


 そう自分に言い聞かせて、足に力を込めて丘を駆け抜けた。

 やがて、見えてきたのは永聖軍団の隊列……ではなくて。


「あっ、れ…………」


 まず鼻を突くのは――『異臭』

 そして目に入る色は――『赤』


 そこら中には、数えるのも面倒なくらいのが転がっていた。

 恐らくその原因と思われる巨大なドラゴンが中心で暴れている。


「グゥヴヴヴァァァァァアアアアアアアアアアアア‼」


 言い表すならそこはまさに人の廃棄場とでもいうのか……。


「なんなんだよ、これは……」


 先まで草花の甘い匂いが鼻を吹き抜けていたはずなのに、今や鉄と異臭が入り混じったような血生臭い悪臭が俺の鼻を突き続ける。

 永聖軍団と思われる集団の全員がボロボロだ。もはや『白』ではなく『赤』のロングコート集団だ。

 残っている数百人も大半が戦意消失しているのか、ただ呆然と自分達より遥かに大きいドラゴンを見上げていた。


『……スティア様……セレスティア様ッ‼ ここは一度退散するべきです‼』

『……それは出来ない! 今引き下がったら十億が街まで襲ってくるかも知れないでしょ! それにここで引き下がったら、確実に全滅する!』


 いた、セレスティアだ。

 街で見かけた時の綺麗な顔とは程遠い、血と泥が顔から全身にかけてあちこちに見える。苦痛の表情を浮かべ、剣を地面に突き刺しながら何とかその場にとどまっているように見えた。


 え、ていうかあれが十億なの……? 

 いきなり遭遇しちゃったよ。しかもここって十億の住処と言われるカロリス火山とは全然場所違うんですけど。


『ですが、支援部隊のほとんどがやられました。回復補助無しで十億と対抗するのは無謀過ぎます‼』


 多分、今セレスティアに喋りかけている男は、トオルの言っていたインテリ系イケメン(メガネ)のアルン様だったか。もうインテリどこらかボロボロだけど。


『そんなの、わかってる……でも、本部から増援が来るまでここは、決して動かない!』

『セレスティア中佐、気は確かですか‼』

『まだ動ける者は私に続いて‼ ここが正念場よ、残っているセルフォースを全部使いなさい‼』


 セレスティアは剣を地面から引き抜いて、十億に向かって走り出す。


『私に光を頂戴‼』


 後ろにいる五人の兵が右手をセレスティアに向けて呪文を唱えた。


「「「「「《ライト・アディション》‼」」」」」


 光の奔流は、セレスティアの剣に引き寄せられるように刀身を包み込む。


『まだ戦える……‼ 《フィジカルエンハンス・ジャンピング》‼』


 セレスティアの足元が薄緑に光に包まれ、次の瞬間、地面を蹴り上げた。

 もはや人間離れした跳躍力で一気に十億との距離を縮める。


『ハァアアアアアア《スパイラルクロス》‼』


 刀身が一瞬赤く輝いて再び光に包まれた。十億のお腹辺りに刻み込まれる、十字に描かれた斬撃技。


「グゥヴヴヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼‼」


 それは悲鳴なのか、咆哮なのかは分からないけど、とにかく耳がキーンとする程喧しい。

 刻まれた十字の傷痕はしばらくの間、光を帯びていた。その巨大な躰が項垂れ、力が抜けたようにガクッと下を向いて大人しくなる。


「やった、のか……」


 丘を超えたその場所から立ち尽くすしか出来ない俺は、ホッとした瞬間、地面に両膝をついた。しかしその安心は一瞬で絶望に塗り替えられる。


「ヴヴォオオオオオオオオオオオオオ‼」


 十億の咆哮はその場にいた全ての人間を硬直させ、俺のいた場所までその重圧と風圧は届いた。

 次の瞬間、十億は大きく躰を捻り、巨大な尻尾で何十人を薙ぎ払った。

 重く、強い、その攻撃をまともに受けた人の身体は粉々にされて、中の臓器なんてぐちゃぐちゃに潰されてしまいそうな威力だ。


『グハァ‼』


 その攻撃を受けた兵の一人が俺の目の前に吹っ飛んできた。


「お、おい、お前、大丈夫か!?」

「……あれ、みえない……どこに……いった、おれの……痛いよ。痛いイタイイタイ、イタイイタイイタイ‼」

「うっ⁉」


 飛んできた兵の片目が何処にも無かった――。

 片手で何度も何度も足掻くように必死に自分の目元を触る。触った手には赤く染まり続けるだけ。そいつの全身はボロボロだった。

 腕や足はよく見たら明後日の方を向いており、白のロングコートなんて本当に着ていたのかと思わせる程、全身が真っ赤に染まっていた。

 俺はそいつが目元を触り続ける手を、そっと止めることしかしてやれない。


「……ないのか」


 そいつの手がぼたっと地面に落ちる。残っている片方の目を見開いたそいつは俺に力なく喋り出した。


「あぁ」

「そうか……教えてくれてありがとう……おまえ……もしかして人間か……?」

「そうだけど」

「ならさ……」


 三泊おいた沈黙の後。



「は?」

「なんでAI俺たちばっか戦わされて人間お前たちはこの世界で住むのに戦わないのが許されるんだよ!

 お前達は嫌になったらすぐ違う世界に戻れる。でも俺達は逃げるコトなんて出来ない。

 この臆病チキン野郎がッア‼」


 息がつまりそうになった。

 そいつの青紫色に変色した口元は酷く歪んでおり、見ていて気味が悪くなった。これがこいつの本性なのか。


「こっちは家族と街の為に命かけて戦ってんだよ、ふざけんなっ!」


 何なんだよ、こいつはさっきから何の話をしてるんだ。


「さっさと死ねよ、俺達の代わりにさっさと死んで来いよニンゲン! 

 死ね死ね! しねしネシねシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ」


 俺はなんも知らねぇよ。

 瞬間――


「グハァ!」


 そいつの腹には、皮膚を貫くよう剣が突き刺さっていて、生々しい音を立てながら剣が引き抜かれた。

 男の片目は大きく見開き、口元から大量の吐血を漏らす。

 次第に目はゆっくりと閉じていった。


「え、」


 見上げた先に一人の女が立っていた。

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