絶滅危惧種とアイ・ジー(2)

 五日後、俺は無事に退院することができた。

 暫くは精神科に通ってカウンセリングを受けないといけないみたいだが、正直行くつもりはない。行けと言われて素直に行く奴ならそもそも精神科に行けなんて言われないだろう。

 身体は部分的な打撲とすり傷だけで済み、医者には奇跡的だと言われた。

 俺からすればとんだ生き恥を欠かされたに過ぎない。

 でも今は、このオレンジ色に染まる夕焼けを見ながら自分の足でとぼとぼと歩いていることに、どこか安堵を感じていた。

 見慣れた舞咲まいさき市の住宅街に帰ってきた俺は、中三くらいから全く通っていなかった道、いや意図的に避けていた道を何となく通って家に帰ろうとしていた。

 何故、自分がこんな行動を取ったのかも分からない。一度死にかけたからか、それとも大森の言葉に少しは影響されたのかはよく分からない。

 俺がこの道を避けるようになった理由は一つだけ。近所の花屋さんに知り合いがいるからだ。

 別にその知り合いが特段嫌いとかそんなことはないんだけど……なんとなく高校に入ってより思考速度が上昇した俺はあまり会いたくない相手というか……。


「つ、つーちゃん……⁉」

「……あ」


 やっぱりこう会いたくないって願う時ほど会ってしまうものなのか、運命というのは何処まで慈悲亡きものなのか。


「お、おう……久しぶり」


 俺を見るや否や手に持っていた白い花を地面に落とした少女こそ、俺の幼馴染である志儀しぎ咲華えみかだ。

 俺の名をつーちゃんなどと呼ぶのは、母親とこの咲華しかいない。


「聞いたよ‼ つーちゃん舞咲スカイハイから飛び降りたって‼ 一応叔母さんが大丈夫だって言ってたけど……本当に大丈夫なの、もう凄い心配したんだから‼」


 咲華は地面に落とした花のことなど一切気にする素振りもなく、俺の身体をポコポコと触ってくる。

 生まれつき鮮やかな小麦色の肌。

 はっきりとしたクリクリの大きな目。瞳は薄い檸檬色をしており、まるで俺を幻でも見るかのように何度も長い睫毛をパチクリとさせる。

 年齢よりも幼く見える童顔も昔から変わっていない。

 髪型も前髪を平行に揃え、ツヤのある黒髪をポニーテールで、っていうのも変わってないな。

 それに今日は、お店の手伝いをしているのだろう。

【シギフラワー】と胸元辺りにデザインされたエプロンにジーンズというどこか着馴れた感のあるスタイル。

 変わってないなー小動物みたいにちっこいのも。一応言っておくが身長がだ。


「あぁ。大丈夫だからそんなに触らなくても……」

「あ、」


 一見、この何の変哲もないやり取りのたった一言で、俺達の空気は一瞬で凍り付く。咲華は、顔を赤面させながらも、何か大事なことを思い出したかのようにさっき落とした白い花をすぐさま拾った。


「ご、ごめんね。でも本当に聞いた時は心配したんだから……」


 咲華の表情はしゃべり続ける度に段々と暗くなっていく。


「つーちゃん、高校で何かあったの?」

「いや、別に」

「他に何か嫌なことや辛いことでもあったの? 私に相談できることがあったら……あーもしかして叔父さんと喧嘩でもした?」

「いや、だから咲華には関係ないっ――」

「えっ⁉」


 しまったと声が漏れ出そうな所で踏みとどまる。


「別にそういつもりで言ったんじゃ、」


 俺は慌てて弁解しようとするも。


「そう……だよね。私じゃもう、つーちゃんの悩み聞いてあげることも出来ないよね。そんな資格なんてないし、厚かましくしてごめんね」


 咲華は分かりやすい程の薄ら笑いを浮かべて店内に戻ろうとする。


「あ、その、え、咲華!」


 俺の呼び声に立ち止まった咲華は俺に振り向き。


「……でもね、もう誰も死んで欲しくないのは本当なの……」


 咲華はそう一言呟いた後、すぐ店内に戻って行った。

 振り返る際に咲華の目尻に溜まっていた涙は、落下先にある赤い薔薇へと流れ落ちていく。赤い薔薇は涙をそっと弾き返した。


「ごめんなさいね。あの子、久しぶりにつづる君に会えたから勝手に一人で舞い上がっちゃって」


 店内から俺に声を掛けてきたのは咲華の母親だった。

 咲華が後二〇年、歳を取ればこんな感じなのかなぁというくらい面影が似ている。


「叔母さん久しぶり。いや今日は……ていうか今日も俺の方が悪かったから」

「? あの子ったら、ここ半年くらい凄い情緒不安定なのよ」

「そう、なの?」

「そういうお年頃なのかしら。最近もね、お店の手伝いしてる時以外はずっとVRゲームばっかりしてるの」


 叔母さんからVRという単語が飛び出て少し驚いたが、それよりもあの咲華がVRゲームにハマっていることに、何よりも驚いた。

 でも少し冷静に考えてみれば、VR戦国時代と呼ばれるくらいなのだから当たり前なのか。それだけ俺が知っている咲華が、昔のままで止まっている、ということを余計に思わされる。


「確か、中学三年生くらいからね、突然VRFPSゲームの大会で優勝したとか言って大喜びしだしてからかしら。銃で撃ち合いなんてどこでそんなこと覚えたのかしらあの子……」


 昔から内気な性格の咲華がしかもFPSって、さらに優勝だと。

 俺はVRゲームなんてしたことないから分からないけど家庭用ゲーム機でFPSの銃ゲーくらいはしたことある。あまり得意なジャンルではなかったからすぐにやめたけど。でも咲華の性格とは絶対的に真逆なゲームだったような。


「そう、だったんだ……。咲華、そんなにVRゲームとか好きだったんだな」


 俺は動揺する仕草を薄ら笑いでなんとか誤魔化してすごす。

 咲華とは母親曰く、三歳くらいの頃からの知り合いらしい。俺はあまり覚えないけど。

 お父さんを生まれてすぐ事故で亡くした咲華は、昔から引っ込み思案でいつも俺の後ろについてくる、そんな内気な子だった。小学生になってからも同じで、それは中学に入ってからも続いた。

 けどそれは俺の捻くれた血が少しずつ濁り始めた時期でもあって、丁度、中学二年の頃だった。

 咲華とは近所なので毎日一緒に登下校していた。そしていつのまにか同級生の間で俺と咲華が付き合っている、という噂が広まった。

 思春期真っ盛りの集団が通う通学路で、男女がそんなことしていたら勘違いされるのも今なら理解出来る。

 でも当時の俺からすれば、咲華と登下校するなんて当たり前のことで特に他意なんてなかった。ただいつも通りの日常であったのだが、もちろんその当たり前が同級生には通じる訳もなかったらしい。

 それくらいからか、俺と咲華が何か一緒に行動したりする度に周りに必要以上に囃し立てられて。流石に俺もそれが恥ずかしいことだと思い始めて嫌になった。

 ある日、咲華に「学校ではもう俺と極力喋らないでくれ、一緒に登下校するのもやめよう」なんて最低で身勝手な発言をしてしまった。

 その時「別に私は気にしないから大丈夫だよ」って言ってくれたけど俺は咲華の気持ちなんて考えずにただ、自分のことしか考えて無かった。


 元々、咲華には女友達は多く無かったけど俺との関わりが無くなってから、咲華の周りには誰かしら女友達がいたと思う。

 俺はその光景を見て、やっぱりこの選択が正しかったと自分を肯定しなおしたけど、ただ自分が可愛くて仕方のない哀れな選択だったんだと、時が経って大きく後悔した。

 そこから中学卒業まで、咲華との関わりは一切無くなった。

 高校はお互い別々の高校に入ったので連絡を取り合うのはせいぜい母親同士くらいで、ほぼ疎遠状態だった。近所に住んでいるとはいえ、俺は咲華の家の前を極力避けながら回り道をして学校や外に出かけていた。

 その件をきっかけに俺と咲華には大きな氷壁がある。その壁は決して物理的には見えない。そして時が経てば自然解消される、なんてこともなかった。

 むしろそれは逆で、氷壁は日に日に高さと厚さを増して二人の間を阻み続けている。

 そんなこんなで俺は中三からの咲華を知らない。どんな意図でVRゲームが好きになったかも。


「そう言えば綴君の腕には、アイ・ジー付いてないんだね」

「あー俺そういうハイテクにあんまり興味ないんだよ。VRゲームもしたことないし」

「えーそうなの? ふふ、若い子なのに珍しいわね。叔母さん達なんかもうついていくのに必死よ」


 笑いながら叔母さんは店仕舞いをはじめる。

 俺は今時、持ってるやつ絶滅危惧種認定されそうなアイテムの『スマホ』をポケットから取り出して時刻を確認する。午後六時。もうこんな時間か。


「じゃあ叔母さん、そろそろ帰るわ。咲華に謝りたかったけど多分来てくれないだろうから」


 軽く挨拶してその場を去ろうとする。


「あ、そうだ、やっぱりどうしても綴君だけには言っておかなくちゃいけないことがあるの。あの子ね、家に一度もお友達連れて来たことないから、綴君以外に仲の良い同級生を他に知らなくてね……」


 叔母さんは閉店作業の手を止めてじっと俺を見据える。

 歳のせいか目尻こそ少し落ちているが、咲華にそっくりなクリクリとした大きな目と薄い檸檬色の瞳。

 きっと咲華の目は叔母さん譲りのものなのだろう。その叔母さんの瞳がスッと寂しそうに下を向いた。


「あの子ね、高校に入ってからずっとなの……」

「えっ……」

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