第二章 

絶滅危惧種とアイ・ジー(1)

 ピ、ピ、ピっと電子音が聞こえてくる。

 どこか落ち着くような、落ち着かせないような一定のリズムで音を刻んでいく。

 視界が滲む。

 俺は少しでも早く視界を安定させようと、目を擦る為に腕を動かそうとした時。


「やぁ。起きたか少年」


 どこかで聞き覚えのある声が隣から聞こえてきた。


「本当に無事で何よりだ、少年、いや神司君」


 その声の主は、俺の苗字を知っている。

 誰だろう。あれ、そういえば俺、自殺したはず……。咄嗟に寝たきりの身体を起こそうとする。


「おっと、まだ安静にしてなきゃ駄目だよ。君はとんでもない所から落下したのだから」


 やっぱりこれは現実なんだ。そう、俺は舞咲スカイハイから……。


「イテッ!」

「だから安静にしてなさいって先から言っているのに。本当に君は人の話を聞かないな」


 俺は身体を起こすのを諦めて、腕をゆっくりと動かし目を擦る。擦った手の箇所に少し湿った感触が残る。

 目をパチパチと幾度も瞬かせ、ようやく視界が安定した時、まずここが病院の一室である事を理解した。

 そして隣にいるのは知らないおっ、さん……? 見た目は四十代前半くらいの男性だった。


「だれ……?」

「え? もしかして覚えてない?」

「俺、どこかで会いました?」


 その男の目には黒縁メガネをかけており、その上からでもハッキリと分かる程にクマが出来ている。口元には無精髭を生やしており、その表情はどこか疲労感を感じさせる。

 ダークブラウン色の傷んだ髪を後ろで一本に束ねていて、白衣を羽織っている。

 どう考えても医者では無さそうなこの男は、困惑したように俺を見つめていた。


「僕、一応神司君が自殺しようとしていた時、後ろから刺激させないように優しく声掛けてたんだけどなぁ……アハハ」


 え? あ。


「思い出してくれた?」

「あの時の……おっさん⁉」

「お、おっさん⁉」

「俺、あのとき後ろ一回も振り向かなかったから……その、顔見てなくて」

「確かにそう言われればそうだったかもしれない。確かに僕がどれだけ声を掛けても一切応答してくれなかったしね。アハハ」


 男はどこか気恥ずかしそうにボリボリと頭を掻きむしった。


「それより俺、生きてる……」


 右手を開いたり閉じたりしながら、自分が生きている実感を確かめようとする。

 男は簡易イスから重い腰を上げるように、ゆっくりと立ち上がった。


「神司君が何故こんな行動をとったのか、言いたくないのなら別に無理して言わなくてもいい――

 でも、先まで見舞いに来ていたご家族には、しっかりと理由が話せるなら話してあげなさい。非常に心配していた。お母さんは僕に何度も頭を下げて泣いていたよ」


 俺には父親と母親、二つ年下の弟と六つ下の妹がいる。というか非情に顔が合わせにくい。


「それじゃあ僕はこれでお暇させてもらうよ。まだ朝の四時だから一度眠りなさい。数日間安静にしていたら退院出来るみたいだから、くれぐれも先生方の言うこと“ちゃんと”聞くんだよ?」


 男は眠たそうな欠伸を嚙み殺すように病室を出ようとした。


「あ、あの」

「――なんだい?」


 振り返った男の顔はどんよりとしていて、再び欠伸が始まりそうだ。


「名前は?」

「僕? あ、そう言えば名乗ってなかったね。そんなに名乗る程の者でもないんだけどね」


 俺はじっと男を見つめる。


「分かった、分かったから。僕の名前は大森、大森おおもり義則よしのり。こう見えてもたまにゲームとか作ったりしているどこにでもいる平凡なサラリーマンさ」


 ゲームを作ってるって、ゲームクリエイターとかか。確かにゲームクリエイターは、今やAIに仕事を奪われない数少ない人気職だ。


「あの大森さん」

「……うーん、なんか神司君にさっきおっさんとか言われたから急に改まって“さん”付けされるのもなんか変な感じするから先生でいいよ、先生で」


 ちょっと何言ってるのこのおっさんと思ったので「じゃあ大森」と呼び捨てで読んでみる。

 途端に先まで緩んでいた大森の目元が鋭くなった。やばっ、怒らせたか。

 しかしすぐさま大森の目元は緩み、シワが出るほど柔らかいものになった。


「堅苦しい関係は嫌いだからそれでいいよ、アハハ」


 これは大森の人柄なのか、はたまたゲーム業界はこういう人が多いのかは分からない。でも少なくとも堅苦しいおっさんよりかは、俺もこういう人の方が好意が持てる。


「……そういうものなのか。まぁいいや。――一つ聞いていいか?」

「いいよ。なんだい?」

「確かあの時、俺に未来はまだ君の手できっと変えられるって言ったよな。あれってどういう意味なんだ?」


 俺の質問に少しだけ眉を釣り上げた大森は、両手を白衣のポケットにしまう。


「うーん、そうだね。特に大した意味はないんだ。僕もね、若い時に立ち直れないくらいの絶望にあって、一度だけ自殺しかけたことがあるんだよ」

「え、そう、だったのか……」

「でもね、その時僕もそうやって声を掛けてもらった。運が良かったのか悪かったのか僕だけ生きてる。ただ、それだけのことさ」


 言葉を残した大森は、背を向けて白衣の裾を揺らしながら病室を出た。そうしてすぐさま俺の意識も朦朧として、再び闇の底へと落ちていった。

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