第4話 炎を出せない火の精霊

夏が終わってしばらくたち、次第に冷ややかな風が公園を吹き抜けていく。

休日のお昼だというのに小さな子供はおらず、楓だけが滑り台の上に立ち、じっと動かずに目を閉じている。


「さすがに不審」

コンビニからの帰り道にその風景を見た航太はそう口からこぼした。

「楓さん、何してるの? さすがにその不審さは、子供たちが公園に来づらいと思うよ」


航太の声にわっと小さな驚きを見せて、困ったような照れたような表情を浮かべながら、楓は滑り台から降りてきた。


「さすがにちょっと怪しかったですか?」

「さすがにだいぶ怪しかったね」

続けて、何していたのかと尋ねる航太に楓はようやく状況の説明をはじめた。

「兄から頼まれてサラマンダーを探してたんです」

久しぶりのファンタジーな単語に航太の頭にハテナが浮かび、次にはピコンッと一人合点がいった表情を浮かべた。

「あぁ、サンショウウオね。この辺りにもいるもんなんだ。一回も見たことないけど」

その言葉に今度は楓がハテナを浮かべ、あーと声を漏らした。

「確かにサンショウウオも英語でサラマンダーですね。でも、そっちではなくアレです。ファンタジーっぽい方のサラマンダーです」

せっかくの現実的な合点が無為に帰したことにがっかりする航太の傍らで、楓はクスクスと笑いながら話を続けた。


「兄も魔女をしているんですけれど、兄の知人がサラマンダーの研究をしていて、冬眠の時期になる前にできればもう何匹か研究用に確保しておきたいとのことで、そのお手伝いをしてたんです」


サラマンダーを探すというのも不思議だけれど、それ以前に一つ気になることがあった。


「兄が魔女ってなんか不思議な感じがするけど、男の人でも魔女って言うの?」

良くある質問なのだろう。楓は定型文のような説明をスラスラとはじめた。

「男の人も魔女と呼びます。魔女って元々は宗教的に蔑称として使われてきたんです。でも、その頃の魔女は現実的な方が多かったらしくて、『蔑称も人に好かれるようになったら敬称に変わるんだし、魔女を自称して良い仕事すればいいだけ』ということで、そのまま魔女を自称するようになったらしいですわ。で、当時から男性もいたのですけれど、『わざわざ名称を分けて区別するメリットないんだし、魔女でいいんじゃない?』みたいな感じで、魔女になったらしいですよ」

今くらい魔女という存在が普及すると思っていなかったというのもあるのかもしれない、楓の言葉が付け足される。


「名前って技術や知識のコミュニケーションを重要にしている魔女としては大事な要素な気もするし、結構『そんな普及しないだろうし適当でいいでしょ』みたいなのが本当っぽいかも」

そう言いながら、当時の魔女たちを想像し、航太はクスクスと笑った。


「で、お兄さんも魔女をしていて、サラマンダーを探して欲しいってことなんだ」

楓はうんうんと頷く。

「この辺にいるものなの? そのファンタジーなサラマンダーって」

「んー、どうでしょ。実はサラマンダーの生態は全然分かっていなくて、分布も実は全然分かっていないので、兄からも、もし見つけたらくらいで頼まれてるだけなんですよね」

分布も分かっていないって、見つけるの難しそうとつぶやく航太に、楓はコツを教えてくれた。


「えっとですね、耳を澄ますと魔女には聞こえる独特の高い音がするんです。私も昔兄の友人に聞かせてもらって……」

と、言いながら目を閉じ耳をそばだてた楓は肘まである長いゴム手袋をはめながら走り始めた。

「いました!」

そういった瞬間にはすでに、彼女の両手には大きなトカゲが掴まれていた。


「トカゲではなくて両生類らしいですけれどね」

そう言いながら彼女は滑り台の下に置かれていたプラスチックケースにサラマンダーを入れながら、ラッキーでしたと満面の笑みを浮かべて浮かれている。


「えーっと、大丈夫なの? サラマンダーって火を噴くんでしょ? 」

と心配する航太に、大丈夫ですと力強く楓は返事をした。

「いくらファンタジーなサラマンダーでも火を噴いたりしません。その名前の由来は火に放り込んでも生きているからというのが由来なんです。火で焼けないから火に愛された存在ということらしいですよ」

あともう一つ、名称に関する仮説があってと続ける楓。

「皮膚表面の粘液がかなり多いんですけれど、この粘液に毒の成分が含まれていて、触るとかなり強い刺激があって熱いと感じるんです。それもたぶん火トカゲの由来になっているんじゃないかなって言われてます。つまり、火トカゲは火を噴かない毒トカゲ……いえ、トカゲでもないので毒両生類というわけです」


今までのサラマンダーとのイメージと大きく違いすぎて、新しい新種の生物を発見した気分の航太だが、ここまでくると好奇心がどんどんとかき立てられる。


「それで、このサラマンダーで研究するってどんなことを研究するの? 毒から新しい薬ができないかとか、そういうこと? 」

「そういう研究をしている人もいるかもですけれど、今回はなぜ火の中でも燃えないのかということです。絶対に焼け死なないわけではないらしいんですが、他の類似した動物と比べるとかなり耐性があるのも事実みたいなんです。伝承にもあるくらい有名な特性なんですけれど、サラマンダーは人工繁殖の方法もまだ確立していませんし、高温の中で生きたサラマンダーの生理現象を観察する方法もまだまだ未熟だったりすることもあって、結構解明するのが難しいらしく、まだまだ分からないことだらけらしいですよ」


「なんかそれっぽい仮説とかはあったりするの? 」

楓はサラマンダーのケースを不思議そうにのぞき込む。

「一つは分泌液です。分泌液が多ければ多い程、炎から伝わる熱エネルギーが蒸発に使われることになるので、分泌液を多量に分泌することで熱に耐えているという仮説はそれっぽいかなと思います。その派生として、普段は粘性の高い分泌液をだしているけれど、高い温度では水に近い分泌液を出すことで、蒸発しやすくしているのではなんて仮説もあったと思います」


航太は以前習った知識を思い出した。

「あぁ、沸点上昇ってやつか。水に混ざりものが多いと沸点が高くなるってやつ。できるだけ混ざり物がない分泌液の方が沸点が低くなるから、熱が伝わりにくくなるのではって感じか。本当にそうなら、なかなか賢い進化だ」

感心する航太だが、実はまだあるんですと楓が応える。


「先ほど、魔女の耳には独特な音が聞こえると言いましたけど、その正体はいわゆる超音波です。で、その超音波によって蒸気が発生しやすくなるのではと考えている魔女もいるんですよ。こちらはまだちょっと眉唾な仮説ですけれど、そうだったら天然の加湿器みたいで面白いですよね」

楓の隣に並び、航太もサラマンダーのケースを覗き込んだ。こんな現代の魔女の知識と技術をもってしてもまだまだ分からないことだらけの不思議生物に、思わず感動してしまった。感動の衝動のままにケースを指でピンっと弾くと、怒ったようにサラマンダーの体は少し膨らんだようだった。


「怒るとちょっと膨らむんだな。威嚇行動としてはありがちだけど、ちょっと風船見たい。これも耐熱と関係してたりしないかな」

目の前の不思議に、特になんの考えもないままつぶやいた言葉だったけれど、楓にどういうことですかと返されてしまった。内心焦りながらもどうにか、言葉を繋げていく。

「えっと、今までは水分を蒸発させることで気化熱として熱を防いでいたと思うんだけど、家の構造とかで間に空気の層をがあると熱は伝わりにくいって言うからさ、こうやって威嚇の時とかに膨らむのって、実は皮膚の下ににそういう空気を送り込めるスペースがあったりして、火の中ではそこに空気送ることで大事な内臓を守ってたりしないかなとか思ったり、したんだけれど、素人考えとしては面白いかなって」

バツが悪そうに楓を見ると、キラキラとした笑顔を航太に向けていた。


「捕まえた連絡ついでにお兄ちゃんにどうか聞いてみます! 待ってて!」

そういうと、楓は急いで電話を取り出した。


楓ははしゃぎながら先程航太がひねり出した仮説を興奮しながら兄に伝えていたが、次第にその勢いは落ち着いていき、「じゃあね」と言って電話を切った。


しょぼくれた残念そうな顔で帰ってきた。

「威嚇の時に身体が膨らむ現象についてはすでに研究されていて、皮下に空洞があるわけではなく、薄い海綿層に血流を送ることで膨らむらしいです。あー、絶対それだと思ったのに」

残念でしかたありませんと、自分以上に残念がる楓に航太は思わず笑ってしまった。


普段はサラマンダーのようになかなか燃え上がらない彼女が、好奇心の前ではこれほどまでに燃えてしまうのだから、確かに彼女には魔女の素質があるのかもしれない。


「ところで捕まえたのはいいけれど、たぶんそれを家に入れるの、うちのお母様とお妹様が許さないと思うけど、どうするの? 」


航太の問いにしばらく黙ったまま考え、もうだいぶ涼しくなった公園で、楓は次第にダラダラと汗を流す。


急いで電話を取り出した楓の、お兄ちゃん今日中になんとか来てと言う大きな声で、またサラマンダーが少し膨らんだ気がする。

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ワーキングウィッチトレイニー 薬学乙女たんbot @pharm_lath_tan

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