第三章-04 転校生は暗殺者

「う、うううう……」


 どうやら俺は気を失っていたようだ。

 目を覚ますと、見知らぬ場所で倒れていた。

 暗いどんよりとした空気。地面は湿っぽいコンクリート。壁もコンクリートで囲まれている。地下駐車場というような雰囲気の場所だった。

 どうなっているんだ。

 どこなんだここは。

 俺はさっきまでニコルと一緒にデートをして街を歩き回っていたはずだ。

 そしたら、突然現れた二人組の男に襲われて……。

 そしたら、すぐにミカが俺の目の前に駆けつけて来て……。

 駄目だ。頭がぼんやりするし、身体が言うことをきかない。酷い寝起きの朝って感じだ。窓がないので実際の時刻は分からない。

 それにしても、倒れる前の最後の記憶。

 あの急に意識が落ちる感覚。

 俺はどこかであれを味わったことがあるぞ。

 そうだ。あの日、組織のエージェント、穴熊(バジャー)と学校で出会った日だ。俺が組織に命を狙われるきっかけになったあの夜。あいつからマイクロチップを渡され、学校を出る途中、突然、後ろから口元を押さえられて俺は意識を失った。多分、薬品か何かを嗅がされてああなったのだと思う。

 ツンと来る独特の臭い。

 さっき俺は、あれと同じ臭いを味わった。

 ということは、あの夜と同じ薬品で、俺は誰かに意識を奪われ、気を失っている間にどこか別の場所に連れて行かれたようだ。

 十中八九、組織の刺客の手によって。

 俺は状況をちょっとは飲み込むことが出来た。身体が痺れて動かないが、辛うじて目ん玉は動かせた。少しずつ、首や肩も動かせるようになって来たが、腕と足は動かなかった。

 縛られているからだ。後ろ手でロープか何かでがっちりと固定されている。足首も同様だ。


「――気が付いた、優?」


 頭上で女の子の声が聞こえる。

 この声はニコルだ。

 まだ意識が少し朦朧とするが、目の前にニコルが立っているのが認識出来た。

 周りにミカの姿はない。

 この場にいるのは俺とニコルのみ。

 俺とは違ってニコルは縛られてはいない。悠々とした表情で俺を見下ろしている。

 おい、待てよ。

 それじゃあ、そういうことなのかよ。


「ニ……コル……。お前は……組織の手先……なのか……?」


 何とか発せた声で俺は尋ねる。

 それを聞いたニコルはというと、クスクスと笑い始めた。


「ええ、そうよ。私はあなたを狙う刺客で、あなたに近づくためにあの学校に転校して来たの。あの夜、穴熊(バジャー)と接触したあなたを追ってね。ちなみに私のコードネームは、貂熊(ウルヴァリン)っていうの」


 ニコルはあっさりと自白した。

 ああ、何ということだ。

 ミカの言う通りだったんだ。

 ニコルは俺を殺すために転校して来た。クラスメイトになって俺に怪しまれずに近づくために。そして、こうやって俺を連れ去る機会をずっと伺っていたんだ。

 ニコルは何故か、俺に向けてパチパチと拍手をし出す。


「すごいじゃない、大正解よ。おめでとう、優。……だけど、このことには気づいていなかったみたいね。あの夜、私たちは学校で既に会っているの。穴熊(バジャー)からマイクロチップを渡され、学校から出て行こうとするあなたを拘束したのは私なんだから」


 ようやく分かったぞ。転校初日、俺と初めて会った気がしないと言っていたが、本当に俺たちは以前に会ったことがあったんだ。あの日、穴熊(バジャー)を追っていた武装した集団の中にニコルもいて、さっきと同じ薬品を使って俺を眠らせたのがこいつだったんだ。いきなり後ろから眠らされた俺の方はこいつのことを覚えていなかったってわけか。


「それにしても、やっぱり組織に狙われている自覚はあったのね。あんな体験をしたんだもの。夢のような出来事だけど、夢では片付けられなかった。で、信頼出来るあの妹ちゃんには打ち明けていたと。普通なら組織の話なんかされても信じないだろうけど、あの妹ちゃんは信じてあなたのことを守ろうとしていたってわけね。だから外でも学校でもずっとあなたのことを見守っていた。健気な子」


 経緯は少し違うが、ミカが組織の暗殺者から俺を守っていたのは事実だ。そのせいで周りから変な誤解を受けたりもしたが。


「……けど、妹ちゃん、一体、何者なの。あなたといつも一緒にいて、その間、全く隙を見せなかった。何度か狙撃も試みたけど、外出時は建物の陰にあなたを誘導し、要人警護の際の完璧な位置取りで撃つに撃てなかった。仕方なく生徒として学校に潜り込むことにしたんだけど、学校にいる間も、ずっと私を監視して来ていた。今日のデート中もずっとそう。それに、私のけしかけた連中をあっさりとのしてしまうなんて。……まるで、プロの動きそのものだった」


 そいつもほぼ正解だ。ミカは元ではあるが、暗殺のプロなのだから。

 話を聞く限り、ミカの俺への警護は完璧なものだったらしい。組織の連中はミカがぴったりと俺をマークしていることで手を出せずにいた。ニコルは転校して来る前からずっと俺のことを付けまわっていたが、暗殺のチャンスを見つけることが出来なかった。それで、転校生として近づいたということのようだ。


「気になって妹ちゃんのこと、調査してみたけど、特にそれらしい経歴は見つからなかった。記録上はあくまで普通の高校生だったのに、どういうことなのかしら」


 幸い組織にミカやトレバーさんの秘密はバレていないようだ。あの二人は完璧に自分たちの足跡を消して仕事をして来たからだ。味方にすれば頼もしいことこの上ない。


「まあ、あの子のことは今はどうでもいいわ。ボスが用があるのはあなただけなのだしね。時間はかかったけど、こうしてあなたと二人っきりになれたし、これで目的は達せられるわ」


 だが、その頼もしい味方はこの場にいない……。

 ニコルが俺とミカを引き離すことに成功したからだ。

 トレバーさんもいない。ミカによれば組織への対応のために別行動中。何でも組織の幹部の所在を追って国外に出ているらしい。

 つまり、俺を守れる人間は、今、誰もいない。

 ――すまない、ミカ。

 お前は悪くない。これは全部、俺の甘さが招いたことだ。折角のお前の頑張りを全部俺がぶち壊してしまった。

 俺が甘ちゃんだった。ミカの忠告をちゃんと聞かず、ニコルに気を許してしまった。告白をされて舞い上がって、ノコノコと今日のデートの誘いに乗って来てしまった。

 俺はどうしてもニコルを暗殺者だと思いたくなかった。可愛いという理由もある。告白されたという理由もある。だけど、それ以上に俺はクラスメイトを疑いたくなかったんだ。友達が俺を殺そうとしているなんて思いたくなかったんだ。

 結局、俺は非情になりきれない、普通の高校生なんだよ……。

 ニコルは俺の顎を掴み上げる。

 それからまた笑ってみせた。

 学校で見せて来た可愛らしい笑顔と変わらないはずなのに、全く違う不気味な笑顔に見えた。こいつが恐ろしい暗殺者だと知ったからだ。

 こいつはこいつでかなりの凄腕のようだ。ミカの尾行に気づいていたのだから。さっきの男たちはニコルの手の者だったのだ。あいつらはオトリで、尾行しているミカを引きずり出して、俺から引き離すための作戦だったんだ。

 だが、どうしてだろう。

 一切一隅のチャンスなのに、どうしてニコルはさっさと俺を殺さないんだ。

 今、ここにミカもトレバーさんもいない。俺を守れる人間は誰もいない。

 そもそも、何でわざわざ俺を拉致したんだろう。こんなところに閉じ込める暇があるのなら、サクッと殺ってしまえば任務完了ではないのか。

 俺のその疑問に答えるようにして、ニコルは口を開く。


「……あーあ。こんな回りくどいことをするハメになるなんてね……。あなたを殺すだけならいくらでも方法はあったのに。学校を爆破してもいいし、有毒性のガスを撒けばそれで終わりだった。後でいくらでも事故として処理すれば済む話。でも、そういうわけにはいかなかった。あなたを殺すわけにはいかなかったから」


 は? どういうことだ?

 俺を殺すわけにはいかなかっただって……?

 ちょっと待てよ、こいつは組織の暗殺者なんじゃないのか。いや、それは間違いないはずだ。こいつ自身がさっきそう言っていたのだし。自分は組織の暗殺者の貂熊(ウルヴァリン)だと。


「……荷物も服の中も全部調べたけど、今は持っていないようね。どこか別の場所に隠しているってわけね」


 何の話をしているんだ?

 隠している? 何をだ?


「白状しなさい、加賀美 優。マイクロチップの隠し場所を。『機密文書・黒』の在りかを」


 ニコルの言葉に俺は耳を疑う。


「マイクロチップだって……?」

「ええ、そうよ。あなたが穴熊(バジャー)から受け取ったマイクロチップの隠し場所を教えなさい」


 何を言っているんだこいつは。

 確かに俺は夜の学校で穴熊(バジャー)からマイクロチップを受け取ったが、あれはすぐに組織によって回収されたはずだ。

 というか、あの時、学校から出ようとしている俺を眠らせたのはこいつだって話だし、こいつ自身が回収したのではないのか。

 俺が命を狙われるようになった理由は、マイクロチップ持つ穴熊(バジャー)と接触したからではある。だが、マイクロチップそのものは今、持ってはいない。

 何がどうなっているんだ……?


 ミカは町中を疾走していた。

 すれ違う通行人たちのほとんどが、風の切る音と空気の圧を感じるが、人間が通ったと認識出来ていない。それほどの凄まじいスピードで激走していた。

 速すぎて誰も目視することは出来なかったが、その表情はというと、怒りと、悔しさと、焦りと、様々な感情が混じり合って歪んでいた。

 くそっ! くそっ! くそっ!

 何ということだ。

 さっきのあれは、全部ニコルによるブラフだ。

 すぐに気づくべきだった。プロの基準からすれば、あの男たちの動きは単純すぎた。多少喧嘩慣れしているだけのゴロツキに過ぎない。彼らは暗殺者(プロ)なんかじゃない。

 おそらく、ニコルがその辺で拾った使い捨ての素人(バイト)といったところだろう。あらかじめ、それらしい風貌の人間を雇い、優を襲えと命じていたのだ。金か脅しか色仕掛けか、何らかの手段を用いて彼らを雇ったのだ。

 ニコルが男たちに突き飛ばされた時、ニコルに対する警戒を一瞬でも解いてしまったのが命取りだった。あれすらもあの子の演技。単純な心理トリックだ。露骨な『敵』を用意して、あたかも自分はその『敵』とは無関係を装うためのもの。

 そのせいで少しでも気を許した自分が馬鹿だった。

 いや、安心してしまった、というのが正しい。

 以前のミカならあんな感情を持つことは絶対になかった。

 ――ああ、良かった。ニコルは違ったんだ。

 ――兄さんの言うように、この子とも友達になれるかもしれない。

 あの時、ついそんな思いが頭の中を横切ってしまった。

 だけど、それは甘い考えに過ぎなかった。やはりニコルこそが『敵』だったのだ。ミカの直感と分析は最初から正しかった。

 襲撃の場所にあれだけの人ごみを選んだのは、雑踏に紛れ込んで逃走を容易にするためだ。おそらく周りの野次馬にも、あらかじめ雇った『サクラ』が混じっていたのだろう。今にして思えば、ああもすぐに人が集まって来るのはおかしかった。

 ミカは反省する。心の底から反省する。自分のミスのせいで優を危険に晒してしまったことを。何が何でも今日のデートは中止にさせるべきだった。

 だが、すぐに頭を切り替える。たとえ失敗をしても頭のスイッチを切り替えること。それは暗殺者としての訓練の際に学んだことだ。暗殺において『精神論』は非常に重要なものだと父から強く言われて来た。冷静さを欠くこと。ネガティブになること。それは絶対に避けなければならない。作戦は最後に成功すればいい。途中経過が芳しくなくても、それに飲まれることは最も避けなければならない。

 現状をポジティブに考えるのだ。ミカはそう心で決める。

 まず、相手は人を一人運んで逃走している。ニコルは自分と同じで暗殺者として訓練を受けて来た身だろうが、この状況で簡単に遠くへ逃げおおせるはずがない。

 そして、優のスマホの存在だ。

 スマホのGPS。こいつを頼りに動けば、どこに逃げようが追い付ける。今は見失ってしなったが、すぐに探し出せる。

 地下街を通って逃げたようで、しばらく反応がなかったが、今は地上に出ているようだ。GPSの移動の軌跡がリアルタイムで確認出来るし、すぐに追いつける。

 何より最大の優位は。

 すぐに優が殺害される心配はないことだ。

 ニコルがわざわざ転校して来て、顔を曝して優に接触したのも、それが理由だ。クラスメイトとして信頼を得ることで連れ去るのを容易にするため。目的が殺すだけならそんな回りくどいことはしない。

 まだやつは手を下すことが出来ないのだ。

 理由はマイクロチップの存在だ。

 それはトレバーが仕掛けた『保険』だった。

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