第二章-01 暗殺妹 ミカ・ミラー
そんなこんながあり、冒頭の場面に戻る。
時刻は深夜。場所は俺の自室。
妹のミカは俺を押し倒し、ナイフを見せつけ、衝撃の事実を告げて来た。
自分が実は暗殺者であること。
暗殺者として俺の命を狙っていること。
「――組織から暗殺の依頼が入り、ターゲットの写真を送られた時は本当に驚いたわ。まさかターゲットが兄さんだなんてね」
俺の頼みを聞き入れ、馬乗りになっていたミカはナイフを握ったままではあるが、一旦、俺の上からどいた。
そして、俺が尋ねてみると、俺が『組織』とやらに命を狙われている理由を語り出した。
全ては3日前の夜の出来事が原因だと。
「これはターゲットの写真として送られて来たものよ」
ミカの言葉をきっかけに、この3日のことを思い出す俺に対し、ミカは一枚の写真を取り出して見せ付けて来た。
そこに写っているのは、俺の姿だった。いつ撮られたのだろう。制服姿でどこか見覚えのある建物の床の上で仰向けに寝ているところだった。
自分で言うのも何だが、かなり間抜けな寝顔をしていた。
「3日前の夜。兄さんが学校の中で接触した男は、コードネーム、穴熊(バジャー)。組織に所属していたエージェントの一人。穴熊(バジャー)は、組織の重大な情報『機密文書・黒』が保存されたマイクロチップを奪い、あの夜、学校に潜伏していた」
――夜の学校。
――怪我をした青い目の男。
――渡されたマイクロチップ。
――武装した謎の集団。
俺はミカの話を聞きながら、夢として片付けていたあの夜の記憶の断片を頭の中で並べて行く。
「抗戦も虚しく、穴熊(バジャー)は、マイクロチップを取り戻しに学校へ派遣された組織の手の者たちによって処刑された。しかし、穴熊(バジャー)は、問題のマイクロチップを持っていなかった。何者かと接触して渡していたから。その時、追手の者の一人が学校から出ようとする少年を発見して確保。マイクロチップは少年が所持していて、追手がマイクロチップを奪い返したの。そして、その少年は無関係ということで解放されることになり、一旦は家に帰された。念のために写真だけ撮られてね」
ミカはそう言いながら、間抜けな顔で寝ている俺の写真をチラつかせる。
「……その少年こそが、兄さんだった」
写真の中の俺が倒れている場所は、気絶させられた学校の玄関だったようだ。
俺はおぼろげだった記憶が完全に蘇っていた。
確かに俺は、スマホを取りに行った夜の学校で倒れていた謎の男と出会い、機密のマイクロチップとやらを渡された。けれど、目覚めた時にはそんなものは持っていなかった。そして、どうやって家に帰ったのか覚えていなかったし、あの夜のことを全て俺は夢だと思っていた。
しかし、ミカによれば、全てが現実の話だったのだ。
ミカがこういう冗談を言う性格でないのは知っている。そのうえ、ナイフまで取り出して来たし、冗談の域を超えている。それでも俺は半信半疑だった。ミカが『自分を暗殺者だと思い込んでいる重度の中二病』である可能性を疑って話を聞いていた。
だがやはり、冗談でも中二病でもなかった。
何故ならミカは、俺しか知らないはずの、あの夜の学校での出来事を知っているからだ。
ミカだけでなく、俺は誰にもあの夜のことを話していない。信じてもらえないとかそんなレベルの話ではなかったからだ。警察に駆け込もうものなら、こと現代日本においては、アホな高校生のガキが語る妄想やフィクションとして処理される案件である。現実だと教えられた今となっても、夢としてしまう方が賢い選択だと俺は思っている。
そして、その出来事の詳細を知っているということは、ミカの言っていることは真実だという証明になってしまう。
俺がヤバイ組織に命を狙われていることも。
ミカがその組織に雇われた暗殺者だということも。
たとえフィクションのようでも、全部、現実の話なのだ。
「……け、けどよ。次の日、学校に行ったら普通だったぞ。銃持ったやつらの話とか、ニュースにも何にもなってなかったし……」
「当然よ。組織が全て揉み消したのだから。証拠は全て抹消され、報道規制が敷かれる。警察上層部から、各報道機関、ソーシャルメディア。国会や、地方自治体や、裁判所。その全てに彼らの息が掛かっている。組織はそれほどの力を持っているの」
……何だよそりゃ。ますますフィクションじみて来てるぞ。あの青い目の男や、銃を持った連中、そんなやべえ連中だったっていうのかよ。
「だとしても、もう俺が命を狙われる理由なんてないんじゃないのか……? 証拠は完璧に消していて、その大事なマイクロチップを組織は取り戻したんだろ……?」
ミカの言うことが全て本当だったとしよう。一度は解放して家に帰した俺を、何で今になって組織は暗殺しようとしているのだろうか。俺が警察に事情を話したところで、信じてもらえるわけないし、どうこうしようもないじゃないか。
「確かに組織は問題のマイクロチップを取り戻したけど、兄さんはあのマイクロチップの中を見た穴熊(バジャー)と接触してしまった。穴熊(バジャー)と少しでも関わってしまった以上、どんな情報が洩れているか分からない。だから消されるの。それがボスからの命令」
ミカが言うには、組織は無駄な殺しはしない。一介の高校生一人にあの夜の出来事を口外されたところで、誰も信じないし、何の影響もない。証拠だって消してある。だから追手たちは、俺のことを泳がした。その判断は正しいと思う。何故なら、当事者本人ですら、あの夜の出来事が現実だと信じていなかったのだから。
いつもならそれで済んでいたという話だ。俺はそのまま普通の生活に戻れていたそうだ。
しかし、今回に限っては、それでは済まされなかった。
『機密文書・黒』
あのマイクロチップの中に入っていた情報。これだけは話の次元が違う。組織のボスは、自分の正体が知られることをこの世の中の何よりも恐れている。『機密文書・黒』は、それを示す唯一の手掛かりだという専らの噂。
一時的にでもマイクロチップを所持していた穴熊(バジャー)は、『機密文書・黒』を覗き見た可能性が高い。そして、そんな穴熊(バジャー)と俺は接触してしまった。
あの一瞬で、穴熊(バジャー)が俺に機密文書の内容を教えることは、現実的にはあり得ない。それでも組織のボスは、情報を知った可能性が少しでもある俺を消すことを決めた。
当初、あの場に来ていた連中が受けていたのは、裏切り者の殺害とマイクロチップの回収のみ。俺はターゲットではなかったので解放された。
しかし、今回のボスはそれでは納得しなかった。
だから、新たな指令を出した。
『機密文書・黒』の情報を知る穴熊(バジャー)と関わった一般人の少年も消せ、と。
最悪だ。
あの青い目の男――穴熊(バジャー)が言っていた通りになった。あいつと関わったせいで俺は命を狙われるハメになってしまったのだ。
俺は苛ついて頭を掻き毟る。
「くそっ! 何で俺がこんな目に……!」
あの夜、あいつと学校で出会いさえしなければ、一般人の俺が命を狙われることなんてなかったんだ。
ただの高校生の俺が、暗殺者のミカに命を狙われることなんて……。
ミカが暗殺者……。
俺の妹が暗殺者……。
「……トレバーさんは、お前の父さんは知っているのか? お前がこんなことを……。裏で暗殺者なんてしていることを……?」
ミカの持つナイフを見ながら、俺は恐る恐る尋ねる。
「当然よ。私に暗殺術を教えてくれたのはパパなんだから。トレバー・ミラーは、知る人ぞ知る、世界的に有名な暗殺者だもの」
……何てこった。
俺や母さんにはカメラマンとして世界中を飛び回って来たと言っていたが、それは仮初の仕事に過ぎず、本当はトレバーさんは色んな国で暗殺の仕事をしていたんだ。
母さんは、ミカやトレバーさんの秘密を知らずに結婚してしまった。
暗殺者という裏の顔を知らずに。
だが、衝撃の事実のはずなのに、それほど俺は、最低最悪な気分ではなかったりする。
何故ならそうなると、俺が命を狙われるようになったのは、あの日、穴熊(バジャー)と出会った3日前の夜以降ということになる。
もっとずっと前からミカに命を狙われていたわけではなかった。
もしも、母さんの再婚が、トレバーさんやミカが俺に近づくための偽装のものだったら、俺は立ち直れなかっただろう。
少なくとも、これまでの家族四人での楽しい生活は嘘偽りのものではなかった。
この最悪な状況下で、それがせめてもの救いだったのである。
「……じゃあ、お前は、たまたま俺の最も近くにいたから、組織に指名を受けたってわけか」
ミカに確認するように俺は言った。
「いいえ。私自身は組織に所属しているわけではない。フリーランスの暗殺者。たまたま組織から依頼を請けて、たまたま近くにターゲットである兄さんがいただけのこと」
はあ!? なんだよそりゃ! そんな偶然あり得るのか!?
俺がたまたま犯罪組織に狙われることになって、たまたま義理の妹が裏で暗殺者をやっていて、たまたまその犯罪組織が暗殺者をやっている妹に依頼したっていうのかよ!?
「意図せずして、組織は最高の環境にいる私に依頼をして来たの。24時間、いつでも兄さんの命を狙える私にね。あまりに簡単なミッションだったわ。一般人の兄さんは隙だらけだし、いつでも簡単に殺(や)れる。……そう思っていた」
ミカは言いながら俯く。
「……しかし、兄さんは私が暗殺者だと気づき、見事、私の攻撃をかわしてみせた。これは私にとって大きな誤算だった……」
……ん?
何を言っているんだ、ミカ?
「……完璧に偽装して来たつもりだったのに、まさか一般人の兄さんに気づかれてしまうなんて……。暗殺者として失格ね……」
「ああ、いや、ちょっと待てよ、ミカ。さっきも言ったけど、俺はお前の正体になんて気づいていなかったぞ。お前がこうして自分から打ち明けて来なければ、お前が暗殺者なんて一生分からなかったと思う。ちょっと不思議なところのある女の子くらいにしか思っていなかった」
確かに俺は、お前が暗殺者であることを知った。
けどそれは、お前の方から勝手に俺に打ち明けて来たからなんだ。
それに、俺はミカの攻撃から身を守った覚えなんてない。今まで俺を殺そうなんて、そんな素振りさえ見せたことなんてなかったじゃないか。
今にして思えば、この3日間、急にお前がやたらと俺に視線を送って来たり、俺の側を離れなかったのは、おそらく俺を暗殺する機会を探ってのことだったのだろう。
だけど、結局一度も手を出しては来なかった。
家でも、学校でも、ずっと近くにいて、いつでも俺を殺せたのに、お前は一切、何もしてこなかったじゃないか。
「……気づいていなかった……?」
ミカはワナワナと震え出す。
「嘘よ……。じゃあどうして兄さんは私の攻撃から身を守れたの……? 私が暗殺者だと気づいて警戒していなければ説明が付かない……」
いやいや、だから、攻撃って何のことだよ。いつ俺、お前に攻撃されたんだよ。攻撃らしい攻撃と言えば、さっきナイフを向けられて押し倒されたのが初めてだぞ。それだってかわせてなんかなかったし、お前が一切容赦して来なければ、俺、プロローグの時点で死んでいたぞ。
「ああ……。まさか失敗するなんて……。せっかく勉強してこの日のためにこんな服まで用意したのに……」
ミカの呟きによって、改めて俺はミカの服装に注目する。
「……っ」
だが、慌ててミカから目を逸らしてしまう。
俺は目の前にいる妹を直視していられなかった。
というか、さっきから俺はずっと、目のやり場に困っていたりする。
深夜、ミカが俺の部屋にやって来て、自ら暗殺者だと明かし、俺が殺される原因となった理由を語っている間、今の今までずっとだ。
「な、なあ……。とりあえず、お前さ、何か上に着たらどうなんだ……?」
何故ならミカは、くっそエロいスケスケのキャミソールを着ているからだ。
透けて見えているのは、際どいランジェリーに包まれた裸体。今まで見ることの出来なかった、ミカの身体のラインが視認出来る。服越しでしか分からなかったミカのプロポーションが、はっきりと分かる状態だ。
やっぱりこいつ、めちゃくちゃスタイルいいな……。
「お前さ……。寝る時、いつもそんな格好してるの……?」
兄としてそこは触れてはいけない領域なのかと思い、ずっと我慢していたが、とうとう俺はその質問を口にしてしまった。
その寝巻はどうなんだ、ミカ。これじゃあ丸っきり痴女だぞ。海外じゃそれが普通なのか。
いや、でもついこの間までは、もっと普通のパジャマを着ていたはずだが……。
「違うわ! 兄さんを暗殺するためよ!」
ミカは叫んだ。
顔を赤くし、少し涙目で。
こんな感情的なミカを俺は初めて見る。俺に服装のエロさを指摘されて、よっぽど恥ずかしかったのだろうか。だとすれば、すまないことをした。
「……ん? 俺を暗殺するため……?」
ちょっと待て。どういうことだ。
俺の暗殺とそのエロい格好に何の関係性がある。
「これが私にとって初めての仕事だった……。失敗するわけにはいかなかった……。周到に計画を立てて兄さんへの暗殺計画を実行したのに……。パパの……。パパのためにも……!」
そう言って、ミカは苦悶の表情を浮かべている。
何故、俺の妹ミカは、こんなどエロい格好で俺を殺そうとしたのだろうか――。
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