第一章-07 俺の妹が暗殺者のわけがない

「帰りてぇ……」

 俺はうわ言のように呟く。

 そう言いたくなるほどに、夜の学校はあまりに不気味だった。

 昼間とは打って変わって、ここが同じ建物とは思えなかった。一人で入っていいような場所ではない。心情的にも校則的にもだ。とっくに生徒の下校時間は過ぎている。

 それなのに、何故、俺は一人でこんなところにやって来ているのか。

 放課後、みんなと遊び、ミカと一緒に家に帰り着き、夕食を食べ終わった後。

 俺は自分のスマホがカバンにないことに気づいた。

 ほぼゲーム専用機と化しているそれがないことに、学校を出て、みんなと遊んでいる間も全く気付かなかった。夜、部屋でゆっくりしようと思いながらカバンを探っている時にようやく気づいたのだ。

 教室の机の中に置き忘れたことはすぐに思い出したが、明日の登校まで待つことは俺には出来なかった。何故なら、今日の夜から、スマホゲームの大事なイベントが始まるからだ。クラスでも流行っているスマホゲーム。そのスマホゲームのガチ勢である俺は、それを見過ごすわけにはいかなかった。

 そんなわけで一人、こうして夜の学校へと忍び込んだのである。

「あった」

 やはり教室の机の中に置きっぱなしにしていた。俺は思わずガッツポーズを作りながら、机の中から取り出したスマホを見つめる。

 だが、悠長にしている暇はない。見つからないうちにさっさと帰らなければならない。校門が開き放しだったので簡単に校舎に入れたし、運良くここに来るまで誰とも遭遇しなかったが、帰りも同じように行くとは限らないのだ。

 とはいえ、恐ろしいほど人の気配がなかった。生徒はまだしも、先生や用務員の人はまだ残っているはずなのに、どういうことだろうか。こちらとしては嬉しい事態ではあるが、どうにも嫌な気分である。早くこんな不気味な場所からおさらばして、妹たちのいる我が家でゆっくりしたいものだ。

 と、その時。

 妙な物音が廊下からした。

 やばいな。見回りの先生かな。

 そう思った俺は、暫く息を潜めてから、足音を立てないように、慎重に教室から廊下に顔を出してみた。

 右、左と順番に廊下の向こうを確認する。人の姿はない。誰かが歩いて来る音も聞こえない。

 気のせいかとホッとした束の間だった。

「え?」

 教室を出たすぐ、俺は廊下の地面にあった『何か』に蹴躓いてしまった。

「ひえっ!?」

 その正体を確認した瞬間、俺は思わず悲鳴を上げる。

 男だ。

 見知らぬ男が廊下にぶっ倒れていたのだ。

 あまりのことに、俺は足が竦んでその場から動けなくなった。誰にも見つからないように注意しようと思っていた矢先に人に出くわしてしまったこと。そして何故かその出くわした相手が廊下で倒れていること。不測過ぎる事態に思考も麻痺している。

「…………君は? まさか、ここの生徒か……?」

 倒れている男は苦しそうな声で俺に向かってそう言った。

「……え? あ、えっと。あ、は、はい……。そうです……。ここの生徒です……」

 ……って、何を律儀に答えているんだ、俺は。

 これはどう見ても不審者だろう。こんな顔の先生はうちにはいない。いたとしたら特徴的なので絶対に忘れない。

 月明かりで確認出来た。

 倒れているこの男、金髪で青い目の外国人だった。

「って、ちょっ! あんた、怪我してんのか!?」

 男が腹の辺りを押さえていることに気づいた俺は、その部分にスマホのライトを照らして注目してみると、服が赤く汚れていた。

 どうやら血のようである。

 怪我をした部外者が学校に入って来たのか。それとも学校の中で怪我をしたのか。どちらにせよ倒れているのはこれが原因のようだ。

「ふふっ………。ははっ……!」

 いきなり男が笑い出したので、俺はビクついた。怪我のせいで錯乱しているのだろうか、

「……ふう。私も焼きが回ったか……。だが、もはやそれしか方法はなかろう……」

 さらには、俺のことを観察するように見ながら、妙なことを口走っている。

「あ、あの……。救急車、呼びましょうか……?」

 俺は勇気を出して提案してみたが、青い目の男は首を横に振った。

「いや、それには及ばない。怪我自体は大したものじゃないんだ。少し休息を取っていただけなんだ。さっきまでの交戦で軽くダメージを受けただけのこと。粗方片付けたが、増員が来るまでに少しでも回復をと思ってね」

 使っているのは日本語ではあるが、意味の分からないことを言いながら、青い目の男はフラフラと立ち上がった。壁に手を突きながらではあるが、自分の足で立っている。

 トレバーさんほどではないが、背が高くガッチリとした体型の男だった。鍛え上げられていて何かのスポーツ選手にも見える。

「……それに、助けを呼んだところで、誰も来やしないよ。『組織』はそれほどの力を持っている。この学校から人払いをしたのも彼らの力だからね」

 さっきから何言ってんだこいつ。

 組織……?

「しかし、どういう訳か、君は一人ここに迷い込んでしまったようだ。この周囲は組織の手の者によって厳戒な監視体制が敷かれているはずなのだがね」

 やばいな。

 絶対変な人だし早く逃げた方がいいな。

「これも何かの導きだ。私自身、無宗教者なのだが、そう思うほかないだろう。どうせ私はここで終わりだ。一か八か君に賭けてみようと思う」

 男は何かブツブツ言いながら、俺の肩に手を置いた。

 やばい、捕まった。逃げ時を逃したぞ。

「……いいかね。君は『組織の機密を知る私と接触』してしまった。たとえ、君は組織とは何の関係のない一般人であろうとも、組織からすれば重要なのはそこなのだ。おそらく君も命を狙われることになるだろう。……本当にすまないと思っている」

 どっかの古い吹き替えドラマで聞いたことのある台詞を言うと、男は俺に何かを差し出した。

 それはPCの中身に入っていそうな小さな電子部品のようなものだった。

「すまないついでに、これを君に託す。せめてものやつらへの抵抗だ。こいつは組織を倒す可能性を持った重大なマイクロチップなのだよ」

「組織……? マイクロチップ……?」

 俺は超展開の連続に付いて行けていないが、男はお構いなしに話を続けて来る。

「彼らが行っている活動は、武器や薬の開発、それらの闇市場での販売。戦争、テロへの介入等。世界中に息のかかった巨大な犯罪組織だが、正式な名前すら持たずして裏の社会で暗躍している。末端のエージェントの私も、詳しい構成や資金源、スポンサー、そのほとんどを把握していない。特に組織のボスの正体は謎に包まれている。だからこそ、倒すことは不可能なのだ。正体の分からない人間を暗殺することは、どんな偉大な暗殺者でも不可能。逆に言えば、ボスの正体さえ分かれば組織自体を潰すことが出来る。絶対無敵のボスの手掛かりを示す唯一無二の機密文書。それがこの『機密文書・黒(ノワール)』だ」

 俺はそのマイクロチップとやらを押し付けられ、無理やり握らされた。

「私はこいつを奪い、組織を裏切った。この学校で行われるはずだった取引を利用してね。だが、それ自体が、私を吊るし上げるための罠だったのだ。これから私は処刑されるだろう。CIAでもFBIでも何でもいい。何なら日本警察でもいい。どこかの機関にこいつを委ねれば、万分の一でもやつらを倒せる可能性がある。このまま私が持っていても、すぐにでも取り返されるだけだろう。一般人の君が持っていれば、少しは希望が持てる」

「あのう。これ、何かのイベントなんですよね? 映画の撮影とか」

 俺は苦笑いを浮かべながら言うが、男は真剣な表情で首を横に振る。

「残念だが、これは現実だ。現実を受け入れてくれ、少年。――むむ!?」

 突然、男はアクション俳優のような華麗な身のこなしで窓際に張り付き、外の様子を窺う。怪我をしている割には素早い動きだ。

 いつの間にかその手には黒光りする拳銃が握られていた。モデルガンだろうが、よく出来ているし、なかなかカッコイイフォルムだと思った。今日みんなで観に行った映画でも似たようなのを見た気がする。

 確信出来た。これは映画の撮影に違いない。だから今夜は見回りの先生が出払っているんだ。きっと男のお腹にベッタリ付いている血も偽物なのだろう。

「どうやら、追手の増員が来たようだ……。さあ、行くのだ、少年。運が良ければ見つからずにここから脱出出来るかもしれない。私が何とか時間を稼ぐ。その間に……!」

「はあ。分かりました」

 俺はこれ以上関わり合いになりたくなかったので、男からさっさと離れる。

 すると、俺が歩く方向とは反対側の廊下の向こうから、異様な音がした。

 複数人の人間がこちらに向かって走って来る音だ。

「行け! 走れ、少年ッ!」

「はあ……」

 俺は男に迫真の表情で言われ、とりあえずかたちだけの小走りを始める。

 走りながら廊下の窓からふと外を見てみると、複数の人影が見えた。

 彼らはライフルらしきものを持っていた。全員、スワットだとかの特殊部隊が着てそうなスーツやヘルメットを身に付けている。

 へえ……。コスチュームにもえらい気合入ってんだなあ……。

 俺は呑気にそんなことを考えながら階段を下り、昼間と同じように下駄箱で靴に履き替え、鼻歌を歌いながら玄関を出ようとする。

 その時、男がいた3階の方だろうか、銃声らしきやかましい音が聞こえて来た。

 ったく、夜中にこんな騒音の出る撮影やって、絶対苦情が来るぞ……。

「ンゴォ!?」

 突然だった。

 俺は後ろから何者かに口と鼻を押さえられてしまった。

 そう思った時には、何かツンと来る臭いが一気に鼻の中に流れ込んで来ていた。

 あれ……?

 これ、もしかして、マジのやつだったのかな……?

 やばい。

 やばい。やばい。

 やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。

 意識が……遠の…………く…………………。


「――はっ!?」

 気が付くと、俺は自分の部屋のベッドで寝ていた。

 格好は制服のままだった。

 右手には学校に取りに行ったスマホが握られている。

 慌てて体を探るが、特に異常はない。怪我もない。

 続けてズボンのポケットをまさぐる。

 青い目の男から渡されたマイクロチップはなかった。

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