第一章-03 俺の妹が暗殺者のわけがない

 その後、騒ぎを起こした俺たちは駅員に連れて行かれ事情を訊かれたが、周りで見ていた人たちの証言もあり、すぐに解放されることになった。

 ミカに投げ飛ばされた痴漢野郎は、大した怪我はなかった。投げられたことで頭が冷めたのか、駅員の前で痴漢を認め、泣きながら加純に謝罪して来た。通勤と仕事のストレスからつい魔が差してやってしまったという話だ。優しい加純は「謝ってもらったし、もう二度とあんなことをしないと約束してくれるならそれでいい」と伝え、痴漢野郎はお咎めなし。俺は納得出来なかったが、加純本人がいいと言うのだから従うしかなかった。


「本当にすごかったよ、ミカちゃん! 私のために頑張ってくれてありがとうね!」


 駅を出て学校へと向かう道中、さっきから加純は、ミカにばかりずっとお礼を言っている。

 加純の中では、最初に痴漢を捕まえた俺の活躍はなかったことになったのだろうか。だがしょうがないだろう。それくらいのインパクトだったからだ。

 そして俺自身、妹の大活躍を見て、非常にテンションが高かった。


「加純の言う通りだ! ミカ、加純のためによく頑張ったな! 偉いぞ!」


 この妹はいつも物静かで周囲に無関心な態度を取っているのだが、加純を襲った痴漢に対して本気で怒っていた。内にはああいう友達を思いやる優しい面を持っているのだ。今すぐ頭を撫でてやりたい気分だが、気持ち悪がられて一気に好感度が下がるかもしれないので、俺はグッと堪える。


「ていうか、びっくりしたよ! ミカって実はめちゃくちゃ強いんだな! あっという間にあのおっさんをやっつけちゃったしさ、どこぞのアクションヒロインかと思ったぞ!」


 ミカは肩をピクリと動かす。


「……そう? あれくらい普通じゃないかな」

「いやいや、普通じゃないって! 追いかけた時、めっちゃ足速かったしさ! そのくせ、結構周りに人いたのに、誰ともぶつからなかったし! 普通の女子高生じゃあんな動き出来っこねえもん!」

「……普通の女子高生じゃ……出来ない……?」

「おっさんを投げ飛ばした時なんか、俺、スローモーションに見えたよ! あのおっさん、一瞬、空、飛んでたからね! いや、CGかと思ったぞ! 特撮でしか見られないぞ、あんなすごいのは! ――ん? どうしたんだ、ミカ?」


 あれ? どうしたのだろう。

 あれだけの活躍をしたのにもかかわらず、さっきからミカは、落ち込んだような暗い表情をしている。俺のテンションとはまるで真逆じゃないか。


「……あ、ああ、悪い、ミカ。はしゃぎすぎでウザかったか? でもさあ、あんなことよく出来たな。お前、あのおっさんのこと、軽々と投げ飛ばしてたよな。護身術っていうのか? あんなのどこで習ったんだ?」


 ミカは俺より背も低いし身体も華奢。なのに、俺より図体のデカいおっさんを簡単に投げ飛ばしてしまった。細腕の力の弱い女の子なのだし、何か特殊な技術わざを使ったと見るのが自然だろう。

 加純も俺と同じで興味深そうな表情でミカの回答を待っている。


「え? あ、あれは、その……。パ、パパの仕事の都合で、ロシアに滞在していた時に習ったの……。ロシアの女の子ならあれくらいみんな出来るよ……。多分……」


 ミカは声を上ずらせながら言った。

 習った……?

 ロシアで……?


「…………おい、ミカ、ちょっと待てよ……」


 俺は真剣な眼差しをミカに向ける。


「な、なに、兄さん…………?」

「お、お前、まさか――」

「っ!?」

「ロシアにも行ったことあるのかよ! おいおい、マジか!? 何で言ってくれなかったんだよ!? すげえじゃねえか!」


 カメラマンである父親のトレバーさんに同行して色んな国を回っていたことは知っているが、ロシアの話はまだ聞いたことがなかったので、俺はテンションがだだ上がりだった。

 すげえんだなロシアって。ロシア人ならあれくらい出来て当然なわけか。なるほどなあ。きっとロシアなら、俺より細身で背の低い女子高生でも、成人男性を2メートルくらい空中に投げ飛ばすなんて普通なんだな。すげえやロシア。


「なあ、ミカ! ロシアにいた時の話、詳しく聞かせてくれよ!」

「う、うん……。そのうち、ね…………」


 と、そのままミカは黙り込んでしまう。


「ミカ……?」


 おかしい。さっきからどうもミカの様子がおかしい。

 いつもクールであまり表情を変えないミカ。それなのに、今は目を泳がせ、分かりやすく困った顔をしているのだ。こんな焦った様子のミカを見るのは初めてだ。

 一体どうしたのだろう。何かよっぽどマズイことでもあったのだろうか。


「あっ……」


 やがて俺は察した。

 ……そうか、そう言うことか。

 学校の体育の時間のミカ。痴漢をやっつけた時のミカ。比較してもその動きの差は歴然だ。あんなに速く走ったり、機敏な動きをしたりなんてことは今までなかった。そうなると、ミカは普段の生活では、あえて自分の力を抑えているということになる。

 何故、わざわざそんなことをしているのか。

 自分が周りの女の子より強いことを知られるのが恥ずかしいからだ。

 中学まではゴリゴリの運動系の子が高校デビューをしようと、運動が出来るのを隠してお淑やかな子を演じるなんて話も聞いたことがある。ミカもきっとその口なのだろう。

 だが、そんな気持ちとは裏腹に、俺や加純を含め、多くのギャラリーにバッチリと目撃されてしまった。

 だから、こんなにも動揺し、恥ずかしがっているんだ。

 そう悟った俺は、妹の気持ちも考えず盛り上がってしまった自分を恥じた。


(……わりぃ、加純。さっきのこと、誰にも言わないでくれないか?)


 強い反省と後悔を抱きながら、俺はそっと加純に耳打ちする。


(え? どうして?)

(ミカ、多分、自分が強いことみんなには隠したいんだよ。ほら、さっきから恥ずかしそうにしてるだろ。だから、黙っててやってくれないかな)


 俺としては妹の活躍をクラスのみんなに語りたい気分だったので少し残念ではあったが、ミカが嫌がっている以上、その気持ちを優先することにしたのだ。

 それに、ミカの活躍を語るということは、加純が痴漢に遭ったことをみんなに教えることになる。それはきっと加純自身も望まないことだろう。


(……う、うん。分かったよ、加賀美くん)


 事情を理解した加純は、クラスのみんなには言わないことを快く了承してくれた。


(サンキューな加純)

(……ううん。加賀美くんも、さっきは助けてくれてありがとうね)


 俺の耳元でそう言ってから、加純はミカの方に向き直った。

 どうやら最初に痴漢を捕まえた俺の活躍はなかったことにはなっていなかったようだ。大事なクラスメイトの役に立てて、俺は気分が良かった。

 それにしてもミカのやつ、自分の力を隠しているはずなのに、加純のことを優先して大勢の人がいる前であんな目立つことをするなんて、何て友達思いなんだろう。

 俺は兄として鼻が高かったし、さっきの出来事でより一層ミカのことが好きになった。


「なあ、ミカ」

「……なに、兄さん」

「フッ。安心しろよ。俺はお前の秘密は絶対誰にも言わないからさ」

 そう言って俺は、ミカにビシッとサムズアップを見せつけた。

「えっ!? ……う、うん…………」


 ミカはまた目を泳がせている。どうやら俺の気遣いに対して照れてしまっているようだ。

 全く! いつもクールぶっているのに可愛いげのある妹じゃないか!

 でも、勿体ないな。何も恥ずかしいことじゃないのに。可愛くて強い女の子もイイものじゃないか。魅力増し増しだぞ。バレてたところでマイナスなんかない。運動部からも一杯勧誘が来るだろうに。ああ、いや、そういうのが面倒だから隠してるのかもな。

 何にせよ、可愛い妹が秘密にしたいというのなら、兄の俺はその気持ちを尊重するべきだろう。仮に、他にも何かとんでもない隠しごとをしていたとしても、俺は絶対引いたり、お前のことを嫌いになったりなんかしない。

 そこは安心しておけよ、ミカ。

 何があろうとも、俺はお前の兄貴だからな。

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