第14話「異世界でも孤独なら心を病むのに変わりはない」
女神によって引っ張られていた意識が、今度は、現実によって引っ張られる。
それはまるで、誰にも干渉出来ない筈の自分の意識が、自分の意思でさえもしばしば動かせぬ、自由である筈の意識が、本当は自分以外の誰にでも動かせられると言われているようだ。
ゆっくりと浮上する意識でそんなことを考えながら、屈辱的な多幸感を味わっていたが、遂には目の前もはっきりとする。
「ん……ぅ…………ここ、は……今さっきまでの、森、か……」
ガレイスは自らも自覚する通り、寝覚めが良い方ではないが、すぐさま時刻と周囲を確認する。
そして、自らの傍に居たはずのガヴェインが、消えていた事に気付く。
「!!ガヴ--!!?」
何度辺りを見回せど、周囲を走り回って血眼になって探しても、ガヴェインの影も形も発見出来ずじまいだった。
急速な精神の摩耗と今までの疲労に、ガヴが居たはずの所で項垂れ、立ち尽くす。
「ガヴ…………」
絶望に継ぎ、ふつふつと怒りが込み上げて来る。
「--クソッ!……何でだよ……!何であのタイミングで呼び出されんだ…………!!」
傍の木を殴りつけ、奥歯を噛み締める。
大事な半身を永遠に喪失したようで、言い様もない程、心に黒い靄がかかった気がした。
「…ぃ……」
やがて、遠くから声がした。
声が聞こえた、気がした。
「…ぉぃ……」
それはすぐに、気の所為でないと気付く。
そして、再び思い浮かぶ気の所為は、声の主。
ガレイスの聞いた、声の主は--。
「おぉ〜い!」
橙の短髪を揺らし、変わらない、爽やかな笑顔で歩いてくる。
その肩には何かをを担いでいる。
「おまえ……っ!!何処に…………っ!!?」
ガレイスは軽く瞳を潤ませながら、ガヴェインに走り寄り、肩を掴む。
ガヴェインはにっかりと笑い、担いでいた魔物を地面に置く。
それは、その体躯の半分程はあるような、立派で歪な角を前に突き出した、まさに鹿のような魔物であった。
ガレイスはその見た目から、前世で幼い頃に見た、シフゾウという動物を思い出していた。
「ガヴ……お前これを一人で……怪我は大丈夫なのかっ!?」
ガヴェインは、全くの快調と示すかのように、自らの力こぶを叩いた。
ははは、と朗らかに笑うガヴェイン。
「そうか……無事なら、良かった」
安堵に胸を下ろすガレイス。
そして、ガヴェインの腰を見て、気付いた。
「ん?ガヴェイン、剣はどうしたんだ?」
傍から見れば、他愛無い質問。
ガレイスからすれば、少し気にかかったから尋ねただけ。
しかし、尋ねた直後に、ガレイスは後ろへと跳んでいた。
額には脂汗が滲み、顔は困惑と警戒の色に染まっている。
彼がそうなった原因は間違いようもなく、ガヴェインの様子の変化だろう。
ガヴェインは笑顔を崩さないまま、言葉を発する。
「……おっ。流石に鋭いな」
そして、両手を胸に突き立て、そこから体内を見せるかのように、左右へとこじ開ける。
指は胸筋にめり込み、見るも痛々しく、血が飛び散るさまさえ見えてくるようである。
しかし、見えてくるのは肉でも骨でも心臓でもなく、他の男の胸。
男が開いた所を中心に、着ぐるみのようにガヴェインの体が割ける。
「っふぃ〜〜。やっぱり暑いね」
ガヴェインの姿をした皮を脱ぎ切って、男は出てきた。
中肉中背、髪色はくすんだ白髪で、長い髪を後ろで一つに纏めている。
綺麗になめされた獣の皮で作られた白い服は、長靴や長ズボンと相まって、まるで猟師のようであり、見れば、肩に猟銃のようなものを下げている。
男がその身を出しきると、皮のように薄っぺらかったガヴェインの身体は元に戻り、横たわるガヴェインがそこに現れた。
「ガヴに、何をしたァァァァ!!!」
ガレイスは自らの剣に手を掛け、謎の男へと突撃する。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれよっ!!?」
しかし男は、先程の殺気はどこへやら、反撃の構えをとることもなく、両手を前に出してガレイスの突進を制止しにかかった。
ガレイスは止まらず、男の懐に素早く入り込み、剣を引き抜く。
その鋒が、男の首へと残光と共に吸い込まれる--
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃい!!!!」
--そして、剣は男の首に、紙一重の所で止まる。
男は腰を抜かし、その場にへたり込む。
「もぅ……本当に、死ぬかと、思った……………」
ガレイスはその引け腰に、拍子抜けしながらも、剣を男に向け続ける。
その眼に一切の油断は無かった。
「分かってるよ…………僕が本当に無害かどうか確かめたかったんでしょ。だからってこれは…………もぅ…………」
男は一人で喋り続ける。
「君の兄弟、にしては面影がないね…………騎士の格好だ、同期の友人かな?に害は無いよ……僕の能力(チート)はただ、意識の無い人物を"化けの皮"に加工するだけなんだ……」
ガレイスは男に視線を向けながらも、ガヴェインの元へ歩いていく。
そして、その首に指を当て、脈拍を確認する。
「……正常……どうやら本当のようだな」
ガレイスは剣を収める。
「ふぅ……それにしても、随分友達想いなんだな、君は」
男はゆっくりと立ち上がる。
「……疑って、すいません。名乗り忘れてました。自分はガレイス=ロッソ、こちらの眠ってるのはガヴェイン=ロッソ……同じ孤児院で育った、兄弟です」
ガレイスはガヴェインに肩を貸すようにして背負い上げる。
「うん、丁寧な子だね……僕はケイ。ケイ=スワッガー。気軽にケイと呼んでくれて良いよ」
そう言いながら、ケイ=スワッガーと名乗った男は、ガレイスと逆手に回り、ガヴェインをその肩に担いだ。
「手伝うよ」
「!……有難う御座います」
ガレイスは面食らいつつ感謝は言いながらも、「既に手伝ってから言う言葉ではないのでは?」と思った。
しかし、折角の好意を無碍にするわけにもいかず、そのままガヴェインの移動を手伝って貰うことにした。
「本当に、すいません。さっきまであんなことしてたのに……」
ガレイスは心の底からの謝意を口に出した。
しかし、ケイは軽快に笑った後に応える。
「はっはっは。これはまた、本当に、礼儀正しい子だ……いや、中身はとっくに成人しててもおかしくないのか。なに、先に君の兄弟を利用させて貰ってたのは、見知らぬ僕の方さ……あれだけのこと、しない方が無理だよ。気にしないでくれ」
「…………だとしても、です」
ケイは、その口調の一つ一つに、人の良さが滲み出している。
まるで口から治癒魔法でも出ているかのように、言葉は耳を通り、ガレイスの脳に染み込む。
しかしながらも、ガレイスは鋭く考えていた。
先程までは、ケイと闘って勝てるかどうか、戦略はどうするかばかりを考えていた。
だが、このゲームに参加し、自らが転生者(チーター)である事を明かし、あまつさえ能力(チート)の内容まで晒し、然して、敵対の意志が一切見られないこの男と--
--果たして、自分は戦えるのだろうか、と。
「……そうだ。それならガレイス君、君と兄弟の能力(チート)も教えて貰って、それでおあいこ。で、どうかな?」
その言葉で、ガレイスは決意した。
暗い、決意を。
「…………一つだけ、勘違いを正させて貰えますか?」
予想と違った返答だったのか、ケイは目を瞬かせる。
ガレイスは答えを待たず、続ける。
「まず、ガヴェインは転生者(チーター)ではありません。確証はありませんが、根拠としては、能力(チート)のようなものも持ってないですし、前世の知識もありません。ただ、身体能力が高いだけです」
ケイは目を丸くする。
「そして、自分は転生者(チーター)ではありますが……能力(チート)は持っていません。話せるほどの理由はありませんが、これだけは確実なことです」
ガレイスの語り草に思う所があったのか、ケイは驚愕の色もそこそこに、静かに言葉を吟味している。
最後に、ガレイスは続ける。
「なので……もし自分等と手を組みたいという申し出であれば、非常に残念ですが、辞退させて頂きます」
ケイの行動の意図を汲んでのこと、と思ったが、同時に、その考えが外れていて欲しいとも、ガレイスは思っていた。
ケイの服や髪は、見れば見るほど、実に手の行き届いていることが分かる。古びてはいるが、それを差し引けば、かなり綺麗に整えられているように思える。
何より、それがケイの人柄を表しているようで、ガレイスは、自らの発言を思うほど、苦しくなる。
ケイは不意に下を向き、何も言わず、ガヴェインに肩を貸していた。
ケイのガヴェインの腕を掴む手に、無意識に力が入っていた事を知る者は居ない。
暗い暗い靄の中。
女神たちに許された、唯一の住処。
住るべき処。
頭部を覆う不気味な仮面の下で、女神は嗤う。
仲間の死を。
同胞の死を。
姉妹の死を。
【森羅】の女神の死を。
--ヴァルニエルの死を。
「らっ、ららっ、らららっ、らららららららららららららららららら……っ!」
仮面の下でくぐもった笑い声は、まるで歌でも歌っているようで。
綺麗な、透き通った、実に美しく、そして、そんな月並みな表現では足りぬ程の、悲哀と暴虐を兼ね持つ美声。
ららら、ららら--
見えぬ涙を流しながら、嗤う声はまさしく、姉妹への鎮魂歌に相違なかった。
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