第9話「異世界でも能力名だけで能力が知れるとは限らない」

騎士見習いに支給される、麻で出来た洋服。


騎士の質素倹約と未来の象徴であるその服が今、まるで獣の毛皮のように見えるほどにガレイスは殺気を放っていた。


ケダモノが服を着て歩いてる、などという次元ではない。

高潔の証である服さえケダモノの一部に見えてしまう程に、ガレイスのそれは常軌を逸していた。


魔猪の血は、既に蒸発して赤い煙となっていた。


「おお、怖い怖い。普通に生きてりゃあする目じゃないぜそりゃ。まるでヤクザかマフィアの頭だ。まさか、転生前かい?」


肌に突き刺さるような殺気を、真っ正面から向けられているはずのトリステレムだが、飄々としてそんな軽口さえ言う様であった。


いや、違う。


「どうした、そんな冗談を言うなんて。まるで何かに怯えているみたいだな」


「……ふっ、嫌になるねぇ……」


「無駄話をしている暇はない。『五属性剣(エレメンタルソード)』」


刺突の構えに入ったガレイスの剣に、五色の揺らめきが重なる。


「五大属性を全て扱えるのか……誰にだって出来ない事は無いにせよ、それは才能だぜ。誇れよ」


「ふざけんな。黙れ。俺の努力を才能なんかで片付けんな」


「じゃあ、それが君のチート能力だ」


ガレイスはその形相を厳しくする。


「……っ!ンなもんあったら……血反吐なんて出すこた無かったよッッ!!!」


トリステレムの挑発を受けて、ガレイスはそのまま一直線に突き進む。


「(さっきの殺気は背筋が凍ったが……挑発に乗るようじゃまだまだだ、ねっと!)」


トリステレムはガレイスの剣先が自らの身に触れる直前に、跳んだ。

超人的な跳躍などではない。

高さは普通の人間でも届く者は居るくらい…地面から足までせいぜい1.6メートルだ。


しかし、その跳躍の何を特筆するのかと言えば、姿勢である。

本来の跳躍では勿論、足が一番下になる。

無論、着地するためだ。


しかし、トリステレムはなんと、足だけではない。

胸も、腹も、顎も、厳密に測れば差は必ずあるだろうが、その全てが一番下に。


まるで落下中のように、跳んだ。

それも、一瞬にして。


不意を突くような回避に、ガレイスはその下に潜り込む形となった。


そして、トリステレムは、ガレイスを上から奇襲出来る位置になった。


そして、ここまで図って、その機を逃す程に、トリステレムは呑気な頭をしていない。


その凶刃を、ガレイスに突き立てんと振り下ろす。


「そんなこったろーと思ったぜ」


刹那、激しい踏み込みの音の後に、地面が割れる音がし、肌に、焼け付くような痛みを、トリステレムは感じた。


「は?」


気が付けば、剣が自らの顔目掛けて、軌跡を描いているのが見えた。


ゆっくりと、ひたすらにゆっくりと。


「(あっ、こりゃどーしようもないな)」


直後、顎先に向かって鈍い痛みが走り、トリステレムは意識を失った。






「………ぅ……う……ん……?」


トリステレムが目を覚ますと、辺り一帯は黒い靄で覆われていた。


「んぁ……何処だここ……見覚えが…」


「私の前で欠伸とは随分余裕ね。ゴミ」


およそ人のものとは思えない程の冷酷さを持った声の方を向けば、豪華絢爛を体現したような赤く派手な椅子に、黒く輝く長髪をポニーテールに纏めた、顔も体型も極上といった具合の女神のような女性が肘をつき、足を組んで座っていた。


巫女装束のようなドレスのスカート丈は長く、脚はほぼ見えない。


「お前、ここに来る度に同じ所を見てるよな。吐き気がする。性欲魔人め」


金色の眼光を不快に細め、吐き捨てる。


その声、仕草、何より自分を「ゴミ」と呼ぶその影を、トリステレムは思い出した。


「……ああ、女神様か。てことは負けたのかな?」


「五月蝿い黙れ痴れ者私は名前で呼べと言ってるであろうがゴミ野郎所詮女は全て穴か性欲の権化め」


女神は自分の爪を噛みながらぶつぶつと呪詛のような言葉を吐き散らしている。


「……あーはいはい、分かりましたよ。ヴァルニエル様」


「名前を呼ぶ時には敬称を付けるなと言ってるであろうが主人の命令も守れないのか駄犬め」


「(注文の多い女神様だこと)」


トリステレムは内心でそんな事を思いつつも、逆らうだけ無駄と知っているので従う。


女神は再び呪詛を吐き出す作業に浸っていた。


「……ヴァルニエル」


「呼びましたかっ!?」


が、トリステレムが名前を呼ぶと、雰囲気が全く変わった。


「貴方様が呼べと言ったんだ」


「……トリステレム?」


「…ヴァルニエルが」


「はーいっ!」


語尾にハートマークでも付きそうな返事であった。


「……チート能力に女神の性格は左右されるとはいえこれは辛いな…」


トリステレムの言う通り、この性格は女神の持つ能力に由来する。

厳密に言えば、女神の性格によって能力が左右されるのだが。


「『耽溺』……武器が入り込んだ部分から直線状にその物体の一部を原子レベルで"耽溺"させて動きを止め、内部から崩壊させる、か」


「実際にはちゃんとした直線状じゃなくて、ひび割れのような形になるがな」


「原理から言って、刃が通らない物は無理な訳だが……」


トリステレムはヴァルニエルの方をチラリと伺う。


「私は硬派な人は合わないわ」


そう言ったヴァルニエルは、何処からか取り出した扇で、自らの口元を隠した。


「そうだな。耽溺って良い意味じゃねぇもんな」


トリステレムが頭を搔く。


「悪い事、物に耽るって意味だもの」


「急にお嬢さんぶるんじゃねぇよ」


「そうよね。トリステレムはどうしようもないし塵芥の方が喋らない分まだマシに思える程に鬱陶しくて厄介な蝿……蝿が可哀想ね、そう、もはやトリステレムという分類の汚物だわ。そんな下水道の底にへばりついて固まったガムを踏んで動けなくなった鼠のした糞尿よりも酷い存在の貴方は私に冷たくされるのが好きだものね。本当に嫌だけど、吐き気や頭痛に腹痛まで起こってしまいそうなほど嫌だけど、そうしてあげるわ。やだ、まさか今吐き気や頭痛や腹痛でつわりとか連想してないでしょうね。貴方とまぐわうなんて冗談じゃないわよ。人間と女神ならまだしも、この世に存在してるだけで人を不愉快にさせるパリピよりも酷い人間以下のゴミクズと女神達の中でも頭も身体も最高品級で全ての身の程知らずの男神から言い寄られては振ってきた私が交わって生まれる子供が可哀想過ぎて泣けてきちゃうわ。貴方が『てめぇの事なんか知ったこっちゃねぇよ』と言うのであれば、脅迫してくるのであれば、脅し迫って来るのであれば、非力な私は無惨にもその底無しの獣の情欲に頭から突っ込まれて溺れ伏してしまってもしょうがないとは思いますけど……でもやっぱり駄目だわ。そういう事なら結婚を前提に従属してくれるってのが筋ってもので……別に貴方と結婚したいだなんて事では無いですわ。どうせ貴方も私の穴を使いたいだけであって数多居る性欲解消の為の存在の一人としか認識してないのでしょう?嫌だわ私ったらこんな痴話をしていたら寒気がしてきましたわ。私は今からベッドに行って寝ますけど、絶対に何しても起きないでしょうけど、絶対に来ないで下さいね何もしないで下さいね。それでは」


このいつも通りの遣り取りに、トリステレムはすっかり慣れていた。

椅子を立ち、何処からともなく出現した扉に手を掛けながらチラチラと自分の様子を伺う女神の姿も。


「っはぁ……分かりました。次来た時に命令して下さい」


「……ちっ、本当だな?」


「はいはい。その様子だと、まだ僕は死んでないんでしょう?」


「……そうね。あの小僧は小憎たらしくも鞘のまま剣を振るっていたみたいね」


「でしょうね。属性の揺らめきは威力を乗せる為じゃなくて、その見た目を隠すためだった」


「そうね。それで、何が言いたいの?」


トリステレムは笑顔を作った。

子供が見れば、或いは、並の人間でも見てしまえば、目に涙を浮かべてしまうような、おぞましい笑顔を。


「能力の追加……出来ますよね?」


女神はその質問に、身体中に電気が走ったような衝撃を覚えた。

耽り、溺れる、恋の衝撃を。






「……っふぅ、今度こそ、終わりか」


ガレイスはトリステレムを地に伏せたままにして、鞘ごと取った剣を腰に収め、ガヴェインの方へと振り返り、歩く。


そして、足が止まる。


「……え?」


一瞬の事に理解出来なかった脳は次に、背中に寒さを伝えた。


「ッ!!?」


ガレイスは再び振り返り、見てしまった。

背後の、薄ら寒い笑みを湛えた、黒い外套の亡霊を。


「……僕は女神様に会う度に罵声を……黄色い罵声を浴びせられているけど」


「役立たずと言われた事は、一度も無いんだよね」


トリステレム=インダルジェンスを。

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