第10話「異世界での最初の敵は大体かませに変わりない」

ガレイスは、先刻に顎を揺さぶって脳震盪を起こさせ失神させた筈のトリステレムが、もう早くに立ち上がってきたのを見た。


「……女神の所へ行ったのか」


そう思ったのは、先程のトリステレムの発言から。


それと--


「そうだねぇ……」


--明らかに変貌した、雰囲気から。


「忠告と解答、どっちから聞くかい?」


トリステレムは片手のナイフをガレイスに向けつつ、悠長に語り出した。

それは紛れも無く、「君はもう勝てないし逃げられないよ」という、トリステレムからの言外のメッセージであった。


「……解答だ。お前の能力の事だろ」


「そうだね……ボクの能力は『耽溺』。ボクが触れた、或いは武器越しに刺した所から対象を面で切り取るように、その部分の動きを分子レベルで止める」


「……ここまで説明しておいてアレだけど、君、物理学を少しは齧った事はあるかな?まぁ、要点だけ言えば、動いて繋がっている物同士の動きを止めれば、どうなるか。こう言えば、例え不得手でも理解は出来るよね?」


「…………」


ガレイスはその能力を聞いて、内心戦慄していた。


彼にも物理学の基礎ほどは心得があった。

故に初めて、頭の奥から理解した。

チート能力の、チート能力と呼ばれたる所以を。


冷や汗がガレイスの頬を伝う。


「顔色が悪くなったね……でも、この能力はもう使わないよ。安心して」


「……誰がそんな言葉信用できるか……!」


ガレイスはまず、その言葉の意味が理解出来なかった。

そして、直感した。


「まさか……チート能力は一つじゃねぇ、ってかよ」


「ご名答……っても、さっき女神様から貰ったばかりだから、加減を間違えたらごめんね?」


そう言い、トリステレムは何も持たぬ手を前に差し出す。


開いた掌は、ガレイスの方へ向けて。

その手の前に、黒い塊が現れる。


もう片手に握るナイフよりも、底なしに漆黒の、薄く四角い板のようなもの。

輪郭も朧気で、内側から漏れ出す闇の循環が曖昧模糊な形を作っていた。


「(これがもう一つのチート能力……『免罪符』。ま、さっきはああ言ったけど、なんて事は無い。発動中は全部の攻撃で受けるダメージを消せるだけだ。しかしこれを警戒してくれればまだ考えようもある)」


「(まぁ、全ダメージ消せるってだけで相当なもんだよね。デメリット無いし。これで負ける事は無くなったね)」


トリステレムはかなりの余裕を持っていた。

慢心と言えば慢心にも見えるが、慢心と違う点は、相手の力量を正確に見極めたと確信したという所である。


鞘とはいえ、本来ならば属性による強化が付与された鈍器で顎先を打たれ、脳を揺さぶられれば、いくらチーターとはいえ厳しいものがある。

しかしトリステレムは、クリティカルとも言える攻撃を受けて、瞬く間に意識を取り戻したのだ。


手加減ではなかった。

確実に意識を刈り取る軌跡であった。


ならば理由は、実力差としか言えないであろう。


トリステレムはこの戦いにおいてもう一つ確信している事があった。

ガレイスがチート能力を持っていない、という事である。


これは単に、カマをかけたらガレイスが引っかかってくれたから分かった事である。


「(あんな単純に怒ってくれるとはね……いやまあ、怒り心頭と思わせておいたのか、それとも、ただ単に、怒っても頭に血が登らない性格なのか……まあ、しかし、何らかのチート能力を持っていたら、あの場で使う事は必定。何かボクを殺したくない理由でもあるらしい)」


ガレイスは、トリステレムの『免罪符』を警戒して動けずにいる。


「(このままこちらから仕掛けに行って、警戒されて回避ばっかりになられても、面倒だよねぇ……いつか倒せるんだろうけど、あっちから来てくれると早いんだけどなぁ)」


しかし、一向に動かない様子のガレイスに、トリステレムは痺れを切らした。


「……やっぱり、そっちが来ないなら、自分から行くしかない……なッ!」


踏み込む、走る。


それだけの動作をした。

そして、それだけで、トリステレムは終わった。


「だったら、アンタが死ねば早いよ」


後ろから投げかけられたそんな言葉と共に、トリステレムの視界は裂ける。

ゆっくりと、ズレる。


僅かに見えたのは、走るように前のめりに倒れていく自分の背中。

頭は、斜めに割れていた。


頭蓋骨の断面と、その中身が見え--


こぼれ----


く------























突如として現れた光景に、ガレイスは戦慄する。


銀髪の剣士が、敵を斬った。


頭を一閃に、斜めに。


見えていなかったとしても、結果だけで、そう直感出来る。


トリステレムの身体は糸が切れたように前に倒れ、脳漿を地面にぶちまける。


銀髪の剣士は剣を鞘に収め、ガレイスに近付く。

近付くと、その長身がよく分かる。

凛々しく整った顔には、切れ長で冷たさを感じる眼がついている。


「ガレイス、怪我は無かったか」


そして、差し伸べられた手を、ガレイスは無意識に弾いていた。

体が震えて、言うことを聞かない。


「……だっ、誰だお前はァ……ッ!」


言葉さえも震え、歯はガチガチと止めどなく鳴り続ける。


ガヴェインさえ苦戦し、ともすれば勝てなかったような相手を、トリステレムを、いとも容易く一刀のうちに斬り殺した相手。


それは言うまでもなく、強大な力に対する恐怖である。


銀髪の騎士は弾かれた手のひらを見つめ、呟く。


「……そうか、君はまだ知らなかったか」


「--へ?」


その呟きを聞いたガレイスが素っ頓狂な声を上げると共に、銀髪の騎士の身体が光り輝き始めた。


あまりの眩さに、ガレイスは目が眩んだ。

薄目に、微かに見えたのは、光の中に見える輪郭が、変化していた事だった。


輝きが収まると、さっきまで居た、ガレイスよりも背の高い、冷酷な眼をした銀髪の騎士は消えていた。


「こっち〜だよぉ」


代わりに、少し下を向けば、見知った顔がそこにあった。


ふわふわとした銀髪に、中性的どころかもはや可愛い女の子の顔をした野郎。

「男らしくない」と馬鹿に出来るレベルじゃないくらい、「女の子らしい」野郎。


「おまっ……モルデレッ……!?」


そこまで見て気付く。

そう、モルデレッドは「野郎」なのだ。

どこまで追及しても、「男」なのだ。

---だったのだが。


「うん〜ちょっとね〜手間取っちゃってぇ、遅れちゃった〜」


中性的美男美女の多いこの世界でも性別という概念を超越した顔も、低めのガレイスよりもさらに一回り低い身長も全く変わらない。


ただ、その身長にそぐわない、違和感さえ感じるほどの、胸の膨らみを除けば。


「……完璧な見た目も2つ、性別まで自在、理不尽なまでの力も持ってる」


「……?」


「何処のソシャゲの主人公ですかァァァァァァァァァァッッッ??!!!」


ガレイスはその場に蹲り、地面を殴って咆哮した。


その咆哮は森を揺らせど、当の本人であるモルデレッドの心は、微塵も揺れて居なかった。










「……まさか、こんなに早く戻って来るハメになるとはね」


トリステレムは今、ベッドに座っている。

丸裸で。


ベッドの周りにピンクの照明でもあれば雰囲気も出たのであろうが、やけにピンク色なのはベッドだけで、周囲は煙がかったような暗闇だ。


その時、見えない扉を開けて、下着姿の女性…長く黒い髪を今度はツインテールにしたヴァルニエルが姿を現す。


「本っ当に、ゴミクズよりも駄目ねアナタは」


腕を組み、トリステレムの前に仁王立ちしたヴァルニエルがトリステレムを見下しながら吐き捨てる。


「へいへい。もう死んだし何言っても僕には響きませんよ」


「嘘おっしゃい。元々響いて居なかったくせに」


「あちゃ。バレてら」


ヴァルニエルは溜息をつき、トリステレムの横に座る。


「……最初は、アナタを本当に心の底から憎んでいたわ」


ポツリと、ヴァルニエルが語り出す。


「……だから、貧しい山賊の子供に転生させて、出来る限りの苦しみを与えて、二度と生きるなんて思いたくないくらいの屈辱をアナタにぶつけたわ」


「アナタは心が折れてた……でも、必ず生きた。死んでも生きてやる、ってあの時私にほざいた」


「それがどんなに嬉しかったか。どんなに格好良かったか」


「…………どんなに、私にショックを与えたか。アナタは知らないでしょうね」


「虐める度に必死にもがいて私を睨み続けるアナタが好きだった。気まぐれで救済を与えると舌打ちしてくるアナタがたまらなく格好良かった」


「……こんなあたしのくだらない悪戯に、命を賭して付き合ってくれた、アナタが大好きだった」


「だから……もう死んだアナタには興味は無いの」


「モルデレッドと遭わせてしまったのが私の誤算だったわ。まさかあんなに呆気なく殺られるなんて思わなかった」


「正直、つまらなかったわ」


「だけど一つ、ゴミ虫と呼べばゴミ虫に失礼な程、生物として終わっているアナタを、評価している点があるの」


「……私の制約、『人を殺さない』。あの環境で生きていて、これを一生かけて守った事は、本当に評価するわ」


「だからアナタは特別に、私の血肉として生きる事を許可するの」


「光栄に思いなさい」


ヴァルニエルは、隣の人影に身体を寄せる。


「そして、御馳走様でした」


トリステレムが座っていた所には、ちょうど同じくらいの背丈の骸骨が座っていた。


ヴァルニエルのツインテールは、骸骨の肋骨に沿って、ベッドへと流れていた。

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