6.正体

 彼の姿が視認できた瞬間、ヘレンはエドワードの前へ出て、彼を背に隠すように立った。エイドスは口元を嬉しそうに歪め、まるで貴族のようにヘレンへ対して頭を下げる。

 一度も彼のそんな姿を見たことが無いエドワードは、口を大きく開けて驚いた。一度も貴族の礼を見たことが無いが、きっとあのように軽やかで、紳士的なものなのだろう。残念なのは、穴だらけで土汚れだらけの服ということと、眉間の皺が目立ってしまうことだ。


 「絶対に渡さない」


 そんなエイドスへ対してヘレンが冷たく、噛みつくような勢いで言った。よく見れば体が小刻みに震えている。


「なぜだ?君は自分のために彼に近づき、取り入ったのだろう?違うか?」

「始めは確かにそうだったわ。でも今は違う」

「違うならどうする?ここから逃げられると思うか?」

「できるはずよ。あなたは私を殺せないもの」


 ヘレンとエイドスはエドワードを置いてどんどん会話を進めていく。全く話の全容が見えてこなかったエドワードは、ついに声を上げた。


「待ってくれヘレン。一体何の話をしているんだ?君とエイドスは、どういう関係なんだ?」

「答える前に一つ訂正させて。あれはエイドスじゃない」


 ヘレンがそういうとエイドスは頷き、その答えを繋ぐ。


「俺が君達の恐れた食人鬼だ。今のこの姿は、村の中で過ごしやすくするためのものだがね。なあ、ヘレン」

「ああそう。ここに本物のエイドスを誘い込んで殺したのね。最低のクズ野郎!」

「誘い込んだ?それは違うな。エドワード、君が村で俺に尋ねた疑問は正解だよ。覚えているか?そのお花畑が咲き乱れる頭で」


 随分と嫌味なことを言うエイドス―いや、食人鬼―に怒りを覚えながらも、エドワードはあの時の疑問を、今度は答えとして言う。


「狼に殺されていたのが、エイドスだったんだな」


 目の前にいる死んだ彼の顔をした食人鬼はその通り、と大げさに正解を褒め称えた。


「ヘレンがこの村に来た時、俺も一緒に来ていてなあ。森の方から強い血の匂いがすると思ったら、こいつが狼に襲われていた。馬鹿だよなあ、日が暮れるからって森を抜けて近道をしようとしたそうだ。なんで知っているかって?俺がこいつの最後を見届けたからだよ」


 食人鬼はよく回る口で楽しそうに話していた。酒の席で面白い話を披露している酔っぱらいのように上機嫌だ。エドワードは、大してエイドスと仲が良かったわけではないが、共に土を耕した仲間だったので、彼への侮辱を許せなかった。

 今にも殴りかかりたかったが、ヘレンが腕を拡げ、それを阻止する。食人鬼はいつの間にか二人との距離を少し詰めてきていた。よく見れば、エイドスの顔の皮はボロボロとはがれ、醜い食人鬼の正体が見えてきた。


 その姿は、言い伝えで聞いていたものと全く同じだった。両の目は眼孔からはみ出し、充血している。頭は禿げ上がり、数本の髪の毛が力無く垂れ下がっていた。口から覗く歯は黄ばみ、だが一つ一つの歯は大きく、どれも尖っている。健康的な男の顔は、皮が完全に剥がれ落ちると痩せこけた頬になり、水不足で乾いた土のように皮膚が割れていた。真っすぐに立っていた背も、若干前屈みになり、筋張った手からは長く鋭い爪が生え始める。

 ようやく元の姿に戻った食人鬼は、口から涎を零しながら濁った声で話を続けた。


「倒れた時に目を噛まれたみたいで、俺の姿は見えていなかった。こんな化け物に助けを求めていたなんて、夢にも思わなかっただろうな。馬鹿なことをしたと泣いていたよ。あんまりに可哀想だったんで、頭を貰ったんだ。恐怖で味付けされた脳味噌はやっぱり美味かったよ、格別だった。ついでに手に入った記憶を辿って、俺はエイドスという農夫になってあの村に住んでいた。誰も気付かないのはさすがに笑ってもいいよな?」


 ただでさえ醜い顔に、その薄汚い微笑みが更に拍車をかけた。


「……村の人も、ラドスを殺したのも、全部あんたがやったのか」


 エドワードが恐る恐る聞いた。自分は今、とんでもない事実を聞いている。そして、とんでもない化け物が目の前にいる。

 しかし彼は、理性の無い攻撃的な野生動物のようにすぐに襲い掛かってくるわけでもなく、会話を楽しんでいるように見えた。

 一体自分は、何と話しているんだ?エドワードは混乱していた。だが会話は進んでいく。


「俺以外に誰がやったと?やっぱりヘレンか?お前は誰がやったと思う、エドワード?」

「そんなの、あんた以外にいるわけ……」


 ここまで話して、エドワードは急に怖くなった。

 今目の前で、食人鬼と自分を隔てる壁となっている愛してやまないこの女性は、本当に人間なのか?そもそも、彼と彼女は昔から知っているような口ぶりだった。

 自分を渡さないと強く言っていたのは、御馳走を独り占めしたいからではないのか?玩具を取り合う子どものように、この二人は喧嘩をしているだけではないのか?

 自分が知らない、見ていない、信じたくないだけで、実は彼女も喜んで村の人間を喰い漁っていたのではないのか?

 そう考えてしまい、エドワードの呼吸が随分と荒くなる。それに気付いたヘレンは、エドワードに触れようと手を伸ばした。


「大丈夫、エドワード。大丈夫だから……」


 頬にヘレンの手が近寄る。全く食人鬼の手ではないのに、美しいその手が近づいてくるのが怖い。思わず後ずさりするエドワードに、ヘレンの瞳が悲しみに染まった。それと同時に、食人鬼が溜息を漏らすのが聞こえた。


「ちょっと遊び過ぎたか。すまないなヘレン、そこの茂みに入って腰でも振ってきたらどうだ。きっとすぐに愛は取り戻せるぞ」


 そういう食人鬼をキッとにらみつけ、ヘレンは強引にエドワードの手を取り、食人鬼の目の前を通り過ぎる。

 向かうは荷馬車。食人鬼は特に追ってこなかった。

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