5.発見
ひんやりと心地よい夜の空気を肺に入れながら、やがてエドワードは気付いた。いつの間にか元居た場所の反対側の畔に来たエドワードは、何か塊を見つけた。岩だろうか。それにしては角が無い。動物が丸まって寝ているのだろうか。それにしては呼吸の上下が無い。
ではそれは何か。後ろにそっとついてきていた、ヘレンが息を飲む音がした。二人の視線の先の「何か」は、紛れもなく人間の胴体だった。
「こ、これは……」
「エドワード、駄目よ。離れて!」
ヘレンが制止するが、エドワードはその死体に近づく。首も、腕も無い。下半身もない。食人鬼がここにいる?そんな考えがよぎったが、この死体は胴体がある。
村での食人鬼による殺人は、皆四肢と時々頭が残っていた。
「食人鬼ではない……?」
そっと足でその胴体を転がしてみる。胴体がまとめた藁束のように転がると、今見ていた面は背中だとわかった。この胴体は胸の平さから見て男性のようだ。
衣服は着ておらず、腹は割かれたというより喰いちぎられたような跡で、中途半端に飛び出した乾いた内臓の腐臭が二人の鼻をくすぐる。血の乾き具合が、この死体がここに転がってから時間がかなり経過していることを知らせた。
「エドワード、何か落ちてるわ」
口元を細い指で隠すヘレンが言う。彼女の言ったものをエドワードは指先でつまみ上げ、目先まで持ってきた。血で汚れてはいるが、小さな紙袋のようだ。袋の口は開いており、逆さまにすると、いくつかの小さな葉の束が出てきた。束をまとめた紐には紙がついており、ヘレンがそこに書かれた文字を読み上げる。
「……頭痛薬」
頭痛薬を持った男性に、エドワードは一人だけ心当たりがあった。それはエイドス。彼は父の妄言により頭を悩ませた末、偏頭痛持ちになり、畑仕事も時々休むことがあるほどだった。隣の村へ頭痛薬を買いに行っていると聞いたことがある。
「エイドスなのか?まさかそんな!」
この死体がエイドスなのであれば、先ほど村で自身を責めたてた男は誰なのか。エドワードは、言い知れぬ恐怖に襲われた。寒気がして、思わず身震いする。
しかし、自分が村を出発してから誰かに殺されてここに捨てられた可能性もあるかと自問したが、先ほども見た血の渇き具合がそれは無いと主張した。
エドワードは、この胴体がエイドスでないと思いたかった。そうでなければならないと思った。
彼はエイドスのことで、もう一つ知っていることがある。それは右の鎖骨のすぐ下に、包丁での切り傷があること。暴れる父ラドスを取り押さえた時に出来たのだと、腹立たし気に話していたことがあった。
湖の水を掬い、胴体にかける。幸いとは言えないが、確認したい鎖骨の部分はえぐられておらず、乾いた血を水で洗い流すことができた。血を浮かせた水を手で切り飛ばすと、確認したいものは見つかった。
鎖骨の下に、古い切り傷があったのだ。
「ああ、そんな……嘘だ……」
切り傷をなぞる指先が震えている。夜風に当たりすぎて、体が冷えたからではない。指先と同じく、エドワードの唇も震えていた。村にいた自身と妻に対して酷い言葉を投げかけたあの男は、時に同じ畑に立ったエイドスという、父に悩まされる苦労人の男ではない。
一体誰なのか、エドワードの中での答えは一つだった。
「エドワード?どこに行くの!」
黙ってエドワードの行動を見ていたヘレンだが、突然走り出した彼を見て声を張り上げる。エドワードはその場で立ち止まってヘレンへ振り返り、同じく声を張り上げた。
「村へ戻らなければ!あの時、あの場にいたエイドスは、僕の知っているエイドスではない!あの場にいた彼は、きっと食人鬼だ!村のみんなが危ない!」
エドワードが自らの考えを述べている間に、ヘレンはエドワードへと駆け寄る。
「待ってエドワード。私があの場で言ったこと、覚えてる?」
「君が出て行けば村はもう襲われないって話かい?あれは、あの場を治めるための嘘だったのかと……」
「嘘だなんて一言も言ってないでしょう。どうしてあなたはいつも自分の考えが正しいと考えてその先を動くの。もっと深く考えて」
ヘレンからの厳しい意見に何も言えず、エドワードは少し視線を落とす。そしてすぐに思ったのだ。
「嘘ではないなら、なぜもう襲われないと言える?」
視線を合わせない疑問に、今度はヘレンが視線を落とした。エドワードは続ける。
「そろそろ僕に何かを話すべきでないのかい、ヘレン?君は一体何を隠している?何を恐れて僕に隠し事を続けている?僕には話せないことなのかい?」
ヘレンの細い肩に手を置き、エドワードは問いかけた。ヘレンは視線を落としたまま答えようとし、一度口を一の字に結んでから、静かに言った。
「私……もう、どうしたらいいか……」
そのままヘレンは膝を曲げ、地面へと崩れそうになったが、エドワードの胸板に寄りかかる。曲げた膝をぐっと伸ばし、エドワードの心配そうな目をしっかりと見つめ返してヘレンは言う。
「信じてもらえないかもしれないけど、言うわ。言うけれど……」
「大丈夫。家で最後に言ったことは変わらない。何を言おうと、君を愛してる」
エドワードのその言葉にヘレンは、緊張した表情から力が抜ける瞬間を見せた。
そして口を開いたその時だった。
「たとえお前の命を利用していたとしてもか?」
エドワードではない男の声がした。方角からして、エドワードの後方。荷馬車のあった森の方だ。咄嗟にエドワードは声の方へ向き、ヘレンを自身の後ろへ隠した。
「素晴らしい!恐怖に駆られた人間がなかなかできることじゃないぞ、エドワード!」
声の主は拍手をしている。乾いた手の平同士が打ち合わせる音が大きく聞こえ、月明かりに森から出てきた声の主の姿が浮かび上がった。
その姿はエイドス。エドワードとヘレンを侮辱し、村から出るよう唆したその人だった。
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