2.疑念
数日後。村を離れる二日前。いつもと同じ農作業を終え、帰路へついているエドワードを呼び止めたのは、ラドスの息子、エイドスだった。
「エドワード。教えてくれ。あんたら本当は、今日出ていくつもりだったんじゃないのか?」
「やあ、エイドス。一体何を言っているのかわからないが、僕らは二日後に経つ予定だよ。その証拠にほら、僕の受け持っていた畑は、鍬と一緒にメルバへ渡したんだ」
「そうかい、そりゃよかった。それなら今から俺と来てもらっても構わないよな?」
エイドスは、大体いつも眉間に皺を寄せて話す男だった。妄言を吐く父に悩まされる証拠が現れているのだ。
今日の彼はいつもより険しい表情であった。エドワードは、引継ぎのやり方が間違っていたかと自分の記憶を掘り起こしていたが、自分に間違いがあるとは思えなかった。
彼に言われるままについていくと、人だかりがあった。村の大半の人が来ていたのではないだろうか。男達は怒気を纏い、女たちは恐怖に震え、子ども達は父母らによって見ることを禁じられていた。
一体何があったのか、それは聞くまでもなく、答えはエドワードの眼前に広がった。
人だかりの中心には、ラドスの死体があった。四肢とその頭だけがその場に転がっている。胴体は無く、四肢の切り口は牛の分厚いステーキに噛みついた人の歯型のような跡が残っていた。
「なあエドワード。お前の奥さんのことをあまり知らないが、彼女は隠し事があるんじゃないか?例えば、お前の家に転がり込んでから一切増えていない顔の皺は、人を食べていたから絹のような美しさを保っていたとか……」
エイドスは冷静を装いつつ、怒りに支配された表情で、死んだ父を見つめるエドワードを除きこみ、問いかける。
彼に驚き、エドワードは少し退いた。それと同時に、周りを囲っていた人だかりも退いた。皆、エイドスと同じ疑問を抱いているのだ。エドワードは人殺しの食人鬼を娶った死神だと、そう思っているのだ。
「待ってくれ!あなたのお父さんもそうだったが、なぜヘレンを疑う?彼女以外でも、この村の中の人ならみんな怪しいだろう?あなたがヘレンに罪を被せている食人鬼かもしれない、この野次馬の誰かが食人鬼かもしれない!なぜそう考えられない?それに言わせてもらえば、彼女は全く外見が変わっていないわけではないよ。ほんの少し、目じりに皺が増えているさ」
周りの人々へ向けて、且つエイドスへ向けてエドワードは言う。怒りに任せて言っているのではない。単純に彼の中での疑問だった。
それを受けてエイドスは、エドワードの―肩に手を置こうとしたが、それを辞めて―疑問に対する答えを長々と述べ始めた。
「エディ、俺達の最高の農夫エディ。そのお花畑が生え散らかっている頭でよく考えて、そして思い出してくれ。あんたのヘレンが来る前。そうだな、激しい雨季が訪れる前だ。こんな人が無残にも殺される、しかも胴体を綺麗に無くして、手足と頭だけが残される死に方をした奴はいたか?せいぜい最近でも、森に松明も持たずに入って行った馬鹿が狼にかみ殺されていたことぐらいだろう?」
「ちょっと待ってくれ、森で狼にかみ殺された人がいるのか?」
エイドスの言葉を遮り、エドワードは更なる疑問を口にする。彼の中で、ここ最近村の人が死んだ原因は、病死、川釣りに行った人が川に落ちて溺死、老衰くらいしか把握していなかった。小さな村なので、大体の村人とは面識がある。誰もそんな死に方をしたなんて聞いていない。
「お前が知らないだけだ。なにせ、夢魔と見紛うほど美しい妻とベッドを軋ませるのに必死だったんだろうからな」
エイドスの下世話な嫌味に、野次馬達から微かな笑いが漏れる。エドワードは、愛する妻への侮辱に怒りが沸き、思わず殴りかかりそうになったが、ラドスの死体が視界に入り、話がずれていることに気付いた。一度深呼吸をし、エドワードはエイドスを見る。
「とにもかくにも、あなたは自分の父を殺したのはヘレンだと言いたいんだな?」
「言いたいのではなく、そう言っているんだ」
「決めつけは止してくれ。それであなたがヘレンに罰を課したとして……ヘレンの命を絶ったとしてもだ。もしヘレンではなく、別の誰かが食人鬼だった場合、あなたはその責任をどうとるつもりなんだ?あなたが食人鬼の餌になってくれるのか?」
エドワードのその言葉に、野次馬達は火をつけたようにざわめきを取り戻した。残念ながらエドワードの味方としてではなく、貶める側として。
「いい加減認めたらどうだ、この人殺し!」
「さっさと村から出ていけ!もっと早くにいなくなるべきだったんだ!」
「おぞましい怪物め!仕事があっただけありがたいと思え!」
エドワードは驚愕した。今までこういった人たちのために、汗水流して畑を耕したというのか。種を撒き、収穫し、分け合っていたというのか。農夫という仕事を以てしても、人として見てもらえていなかったのかと。
様々な思いが駆け巡り、眩暈がしたその時。野次馬達が突如どよめき、人の海は割れ始めた。割れた道の奥から歩いてきたのは、エドワードの最愛の人、ヘレンだった。
「ヘレン……だめだ、今出てきてはいけない」
「いいえ、もう行くべきよ」
ヘレンはエドワードの手を取り、野次馬達へ向けて言う。
「ご安心を、私達は今すぐに出ていきます。もうこの村が襲われることはないでしょう」
それだけ言うと、エイドスやラドスの死体には目もくれず、二人は足早に去っていった。呆然とする野次馬の中から、幾人かの男がエイドスに駆け寄る。
「エイドス、どうする。追いかけて殺すか?あんなことを言うんだ、あの女で間違いないだろう」
男達の提案がある中、エイドスは一人、二人の背中をじっと見つめていた。そして提案には首を振り、一部分しか残っていない父の片付けの手伝いを頼んだ。その行動を見た野次馬達は散り散りになり、やがていつもの村の様子が戻ってきた。
いつもと違うのは、強い血の匂いが立ち込めているという事だけ。
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