惚れた弱み

城崎

 失恋というものは、そんなにも悲しいものではないのだなと思った。

 もちろん、自分自身にとってだ。

 友人の中には悲しみのあまり泣き出してしまう子もいたし、体調を崩して学校を休む子もいた。しかし私は、好きだった先輩が彼女と仲良く下校している様子を見ても、涙が目に浮かんでくることはなかった。むしろ、とても魅力的である先輩に彼女がいるのだと分かり、どこか安心したくらいである。

「なんでいきなり穏やかな笑顔になってんの?」

「ん? そんな風に見えた?」

「見えたよ。なんだか、赤ちゃんでも見てるみたい」

「赤ちゃんって」

 そんな会話を友人と交わしてしまうくらい、悲しみというものは湧いて来なかった。これならばまだ、大の仲良しだった千代子ちゃんが引っ越したときのほうがまだ悲しかったくらいである。


 帰宅後、ベッドに寝転がり天井を見上げながら思う。

 先輩はきっと、誰にでも優しい。同じ委員会という共通点しかない私にも優しく接してくれたぐらいだ。彼女という特別な存在には、より優しいのだろう。その存在に自分がなれなかったとしても、恨むべきは元々の魅力がない私だ。そして、だからといって自分を変えようともしなかった怠慢だ。自分が変わらなければ、他人を変えることは出来ない。

 次がもしも、もしもあったならば。

 そのときは自分を少しでも変えようと努力してみようかな。そうぼんやりと思うのだった。


 ○


「おはよう」

「おはよ~」

 朝。友人らと軽い挨拶を交わしながら、靴を履き替える。いや、履き替えようとした。履き替えようと自らの靴箱を開いた矢先、目に入るのは1通の手紙。動揺して1度靴箱を閉じ、他の人に見られないようにと恐る恐る開き直す。

「どうしたの?」

 そこにあったのは間違いなくハートのシールで封をされた便せんで、思わずまた勢いよく扉を閉じてしまうのであった。

「あ、うん。なんか……む、虫がいるみたいで」

「虫!? 早く出しちゃいなよ!」

「そうする。ごめん、先行ってて」

「刺されたりしないようにねー」

「う、うん。気をつけるー」

 友人がいなくなり、辺りに誰もいないことを確認した私は、急いで手紙をスカートのポケットへと隠した。なにかをいれていると悟られないように収まったことを確認した私は、急いで教室へと入る。

「おはよう。朝からどうした? なんか急いでない?」

「おはよっ! ちょっ、ちょっと我慢してたからトイレ行きたくって!」

「あー、それは急いだほうが良いやつ。いってら」

「光紀、虫は? 取れた? 大丈夫だった?」

「虫は大丈夫だったけど、今は大丈夫じゃない!」

 そのまま荷物を机に残し、女子トイレへと急いだ。

 個室に入り、誰からも見られないだろうことを信じて手紙を開く。

『放課後の16:50、体育館裏側まで来てください』

 中にはそう記された紙が、1枚入っていた。紙や封筒を裏返しても、これ以上の情報はない。誰がなんのために私を呼び出そうとしているかは分からない。いや、なんのため、というのは封をしていたハートのシールからなんとなく読み取れる。

 告白だ。

 それ自体は、嬉しい。誰かから好意を向けられているのだという事実に、心がドキドキする。しかし同時に、気になることも思い浮かんだ。どうして今なんだろうという疑問だ。行事で親好を深めた後でもなければ、長期休みの前というわけでもない。近頃の学校といえば、毎日勉強か部活に追われるというありきたりで代わり映えのない日々を送っている。

 しいて言うならば、

 私は昨日失恋した。

 だが、私の恋については誰にも言っていない。ゆえに私の心の中だけの問題であり、告白しようと手紙を置いた人間はそんな状況であるとは思いもしないだろう。タイミングが良かったのか、悪かったのか。どうなんだろうという思いを抱えながら、手紙を閉じてポケットに戻した。タイミング良く朝礼の時間であることを知らせる鐘の音が鳴り始めたので、急いで教室に戻る。

 

 椅子に座り、辺りの人間を見回す。もしかしたら、この中の誰かが書いた手紙かもしれない。そう思うと、不思議と面白く思えてきた。なにせ、書いた本人は平然とした顔でそこにいるのだから。いかにも『自分は朝、好きな人の靴箱へ放課後に呼び出すための手紙を入れた』と主張するような顔は見られない。サッカー部の夏目くんとは最近趣味の話で盛り上がることもあるし、そうだったらいいなといったことを少しの間だけ考えていたけれど、すぐに虚しさに襲われたので授業に集中し始めた。


 ○


 放課後。

「光紀ー、今日一緒帰れる?」

「ごめん。私ちょっと用事があるから、もう少し残るね」

「そっかー。じゃあ家にかえってすることもあるし、私は先に帰るね。また明日」

「うん、また明日」

 友人と一緒に帰れないことを少し残念に思いつつ、指定された時間に間に合うように体育館裏へと向かった。そこには既に先客がおり、しかもそれが見覚えのない人物だったために、一瞬戸惑ってしまった。彼はたまたまここにいるだけなんだろうか。それとも、手紙の張本人なんだろうか。もしかして、手紙を入れる靴箱を間違えられたせいで全然関係ないのに私が来てしまったんじゃないか。そんな思考が頭を占めていた時、向こうの男性がこちらへと駆け寄ってきた。

「田中光紀さんだよね?」

 どうやら、私がここへ来ることは間違いではなかったらしい。少しの安堵と、目の前にいる見覚えのない、きれいな男性への不安でどぎまぎしてしまう。

「俺は山本一成です。単刀直入に言います。光紀さんのことが好きです。俺と付き合ってください」

「えっと、確認いいですか?」

「え、確認?」

「そう、確認」

「……どうぞ?」

「私たち2人って、接点とかありました?」

「ないです! 完全に俺の一目惚れです!」

 一目惚れという単語の破壊力にくらくらしてしまうが、よく分からない男性とお付き合いをするのは抵抗がある。

「……もうちょっと仲良くなってからにしようとは、思わなかったんですか?」

「思ってはいたんですけど、なかなか交流する機会がなくて」

「まぁ、クラスも違うみたいですからね。それならなんで、告白しようと思ったんですか?」

「あなたが失恋したからです」

 その言葉を、私は理解するのに数秒を要した。恋の相談なんて誰にもしたことはなかったのに。そういう話題を極力避け、変な波に乗らされての告白とかしないように心がけていたのに。

「どうして」

「分かりますよ。俺は光紀さんが好きだから、光紀さんの方を向く。光紀さんも同じで、好きな人の方を向いているんです。3年の市岡先輩でしょう? 誰にでも優しいし明るいし、好きにもなっちゃいますよね」  

 肯定も否定も出来ないまま、彼の言葉が続く。

「でも先輩は彼女出来ましたから、失恋でしょ? なら、今が勝負時だと思って」

「人の弱みにつけ込むの?」

「光紀さん、失恋をあんまり悲しいものと考えてないんじゃない?」

 図星を突かれ、口から小さな悲鳴が溢れる。

「……それは、そうだけど」

「じゃあ、この機会に俺と付き合ってよ。俺は光紀さんにだけ優しくするよ?」

「付き合ってもいいけど……どうせなら、みんなに優しくしてよ」

「なんで?」

「私は先輩の、誰に対しても優しく接するところを好きになったから」

 口にしてみると恥ずかしい。即座に「わ、私も誰に対しても優しくするから」と言い訳のような言葉を付け加える。

「……分かった。君が言うのなら、そうするよ」

 彼はこちらへと右手を差し出した。

「これからよろしく」

 よく考えたら告白を承諾していることに気が付いたが、これもまた出会いの仕方としてはありなんだろうと割り切り、私も同じように手を差し出して彼の手を握る。

「こちらこそ、よろしく」

「早速なんだけど、好きだよって気持ちを示すために抱きついてもいい?」

「いきなりにもほどがあるよ!? やだし!」

「なるほど、前途多難」

「こっちがそう表したいんだけど……?」

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惚れた弱み 城崎 @kaito8

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