Episode.4-26

    ◇???◇


 ……ここは?


 朧げな意識の中そう呟く。瞼を開いてみるが何も映ってこない。それどころか視界は常に真っ暗だ。僕は今、どこにいるのだろう。


 動物の鳴き声のようなものが聞こえてくる。その声が近くに来ると同時に、気遣うように柔らかい感触が僕に触れる。どうやら鳴き声の主が僕に寄り添ってくれているようだ。


 優しい感触。でもどうしてだろう。今の僕にはその優しさが伝わってこない。知っているはずなのに、この温かみを知っているはずなのに。まるで、記憶の中に描かれた風景が全て幕で覆われてしまったように何も思い出せない。


 手を伸ばし動物に触れようと試みる。しかし、思うように身体が動かせない。そういえばさっきここがどこなのか呟いたはずなのに、自分の声が聞こえたような感じがしない。


「報告ご苦労様。皆は森に戻っていいわよ」


 遠くから声が近付いてくる。どこかで聞いた声。


 声の主はゆっくりとこちらに近付き、僕の前で腰を下ろすと優しい声で話し掛けた。


「目を覚ましたようね、坊や」


    ◇黄昏時・ランバーク◇


 頭に激痛が走り目を覚ます。小さく悶えるような呻き声が一つ零れるが、すぐに頭の痛みは消えていった。


「……ここは?」


 首を動かし周囲を見回す。木製の壁に大量の荷袋、いくつかの生活用具が整頓され並べられている。


『ランバークの小屋の中』


 その単語が頭に浮かんできたところでようやく意識がはっきりとしだした。


「そうだった、確か今朝……」


 頭を回転させ今朝あった出来事を思い出そうとする。しかし、何故か思い出せない。昨夜イーマの話を聞いてそのことを考えていたらいつの間にか朝になっていた。朝までいったい、俺は何を思い悩んでいた……?


 考えが纏まらず、そこから先のことがどうしても思い出せない。まるで歯車の一つが欠け落ちたように、鍵となる情報が頭の中から抜け落ちている。こんなことはこれまでもよくあった。その度思い出そうとしても結局思い出せなかった。これ以上思い出そうとしても、きっと時間の無駄にしかならない。


 そう考え、上体を起こし、傍に置いていた騎士剣を手に取る。騎士剣を手にすると、先程の頭痛が嘘だったように頭の中が晴れ渡っていった。


 俺が体を起こすのと同時に後ろから鳴き声が聞こえてくる。振り返るとそこにはグレイの姿があった。俺が起き上がるのと同時にグレイが寄り添ってくる。俺が目を覚ましたことを安心しているように、グレイは俺に頭を擦り付けてきた。


 グレイの頭を優しく撫で、心配を掛けて申し訳ないと告げる。グレイは嬉しそうに甘えるような声を上げていたが、その一方で、俺はこの感覚に既視感のようなものを感じていた。


 そうしていると、小屋の入口に急に何かの気配が。人の気配であれば遠くから徐々に迫ってくるはずなので、これが誰の気配かはすぐに分かった。扉を開け、俺が起きていることを確認すると、その人物は珍しく早口で俺に告げた。


「坊や、良かった。目を覚ましていたようね。急いで付いて来て頂戴」


    ◇ランバーク北東・罪人の業道前◇


 エルザに連れられランバークの北東へと辿り着く。夕暮れで燃えるような陽の光が不気味に照らしつけている。目の前にはたくさんの人だかりがあった。それを押し退けて進むと、頭から血を流すバンギットの姿があった。


「バンギット、どうしたんだ」


 急いでバンギットに駆け寄る。頭から血を流してはいるものの重症ではなさそうだ。そのことに安堵していると、バンギットは俺を見て口を開いた。


「おう、来たか。見てくれはよくないかもしれねぇが実際大した怪我じゃないから安心しな。それよりも、昨日言った罪人の業道の下見をしてたんだが、中でよく分かんねぇ奴に不意打ちを喰らった」


 バンギットが自分の頭を指差して伝える。どうやら、頭の傷はその不意打ちで受けた傷のようだ。


「罪人の業道はある場所まで続いている暗闇の一本道。俺らの先祖がいつかドラバーンに復讐するため、決して閉ざしてはいけない道だと言って掘り広げた。昨日イーマはああ言ったが、ここが通れなくなるなんてまずあり得ない」


 バンギットが続けて話す。


「旧闘技会場に繋がる坑道には、所々に空洞がある。だから、一つ目の空洞くらいまで様子見したら戻って来ようと思った。それが、向かう途中でよく分かんねぇ奴に襲われた。刃物っつうか、多分爪だな。それで頭を切り裂かれた。で、そんなところに人がいるなんて思いも寄らなかったから、急いで身構えてそいつに灯りを向けたんだ。すると……」


 バンギットはそこで一拍置く。そして、まるで信じられないものでもみたような顔をして答えた。


「そこにいたのは、ところどころ骨が剥き出しな上に、身体中の肉が腐敗した……人だった。俺はそれを見てすぐに逃げだした。そこにいたのが人だったからとかそんな理由じゃない。なぜなら、あれは……あの顔は……」


 バンギットがぶるりと体を震わせる。掛ける言葉が思い付かない。俺が言葉を選びかねていると、近くにいた少年が口を開いた。


「はっ。余所者を黙って受け入れるだけじゃ気が済まず、手助けまでしようとしたから罰が当たったんだよ。歳老いて幻も見るようになったんじゃ東の管轄は任せらんねえなぁ」


 そう言って少年はバンギットに向かって唾を吐く。俺はそれを見て憤りを感じずにはいられなかった。


 少年に向き直る。しかし俺が口を開く前に、俺たちの間にバンギットが割って入った。


「悪いな、子供がきの躾がなってなくて。普段から手を焼いていてな。俺の子供がきだけあって、まるで他人の話を聞きゃしねぇ」


 そう言ってバンギットが少年の頭を鷲掴みにする。「クソガキが! もう一度言ってみろ!!」と、今度は本気で怒っていた。


 少し場の空気が変な方向に進みかけたがそこで人々の歓声が響き渡る。「戻って来たぞ」という声が聞こえ、正面にある大穴に目を向けると、そこから険しい顔をしたレオンが姿を見せた。レオンは後ろを気にしつつも、俺たちの元に歩み寄り口を開いた。


「バンギットを襲ったという人影についてだが、少なくとも入口近くまでは来ていないな」


 そう言い、坑道の入口へと再び向き直る。


 罪人の業道の入口はその名に違わず、嫌な気配と気持ちの悪い空気を漂わせている。不気味、と一言で済ますことも出来るが、それはこの気持ちの悪い空気の正体に心当たりがない場合だ。この気持ちの悪さは、この先にあると思われる大量の死体が放つ死臭が原因だからではない。そう、空気というのは臭いのことではなく雰囲気。中から感じられるのは、云わばこれまで何度も戦ってきた、凶暴化した動物相手に感じた、あの黒い感覚だ。


 俺は剣を抜き坑道へと足を進める。しかし、俺が坑道へ向かおうとしたところで、後ろからエルザに呼び止められた。


「待って、坊や」


 エルザは珍しく、被り物を下ろし髪を半分掻き上げた状態で俺を見ている。俺は振り返りエルザを見ると、エルザは話を続けた。


「もしかして、坊やには何か見えているの?」


 その問いに頷いて返す。すると、エルザは何が見えたのか詳しく話すよう俺に告げた。


「凶暴化した動物……いや、ここの皆にも分かるように話すなら、化物と言った方がいいか。それと同じ色を持った何かが、この中にいる」


 そう話すと、エルザは眉を顰める。そして納得がいかないという顔をしたまま口を開いた。


「そんな筈はないわ。罪人の業道には動物が出入りすることはまずない。それは、この国の動物の特性から間違いなく言い切ることができる。だから、ここで化物と呼ばれるものがこの罪人の業道にはいるはずがないの」


 エルザがそう言うと、バンギットが口を開く。「いや、俺が見たのは化物ではなく間違いなく人だったぞ」というと、エルザは首を振ってバンギットに答えた。


「有り得ないわ、そんなこと。動物ではなく、人が魔物になるなんて、そんな話聞いたことがない」


 エルザが珍しく動揺している。そんなエルザを他所に、今度はイーマが姿を見せ、俺たちの元に走り寄ってきた。


「全員揃ってんな。念のため急いで外の術の確認はしてきたが、そっちは大丈夫そうだ。で、問題の再確認だが、罪人の業道で人に襲われたって話は本当なんだな、バンギット?」


 バンギットは頷いて返す。しかしバンギットは、目を逸らし、何かとても言い辛そうな顔をして口を開いた。


「イーマ、悪いことは言わねえ。お前は戻れ。この問題は俺たちでなんとかする」


 バンギットがそう言うと、イーマは「はっ?」と言葉を返す。そして続けて、「どういう意味だ?」と返すが、バンギットは視線を下げ、歯をぎりぎりと食い縛った後、改めて口を開いた。


「お前には刺激が強すぎる。俺ですらこれほど動揺しているんだ。お前が見たら、絶望のあまり心が壊れちまう」


 バンギットの言葉に、余計に意味が分からないという顔をしてイーマが答える。イーマは、「今更絶望するものなんざねぇよ」と口にし、罪人の業道へと向き直るが、バンギットは立ち上がり、先回りし、イーマの前に立ち塞がった。


「駄目だっつってんだろうが!!」


 バンギットの巨大な叫び声が響き渡る。普段のバンギットの態度とは余りにもかけ離れているのか、周囲だけでなく、先程苦言を呈していたバンギットの息子までもが訝しげな表情になる。誰もが立ち尽くす中、レオンがゆっくりと歩を進め、バンギットに歩み寄り、肩に手を置き声を掛けた。


「バンギット。お前、見た?」


 その言葉を聞きバンギットが悲鳴を上げる。そして、虚を突かれた焦りの余り、その人物の名を口にした。


「エランじゃねえ!? 俺が見たのはイーマの親父、バルマだ!!」

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