Episode.4-23

 老人に連れられ、小屋の横道を抜け裏手へと進む。小屋の裏手には、意外にも整地された空間が広がっていた。精神を統一して修練に励めそうな空間だ。遠くを見渡せば地平線の彼方まで見通せることもあり、景色はとてもいい。レオンの家の裏手であり、彼もここで一人、鍛錬を行っていたであろうことは想像に難くなかった。


「さて、最初に確認したいことだが」


 老人が振り返る。口許は笑っているものの、視線には老齢であることを感じさせない強烈な圧をひしひしと感じさせた。


「クルーエルアの騎士という話は本当か?」


 ぎらぎらと探るような視線が全身に突き刺さる。その圧で一瞬身震いし、瞳孔が大きく開いた。昨日レオンがこの老人のことを「かなりの腕利き」と言っていたが。冗談じゃない。実際に交えたわけではないからはっきりとは言えないが、この老人は、ジークムント騎士長やグランニーチェ学長と変わらない実力を持ちあわせている。


 俺は警戒し、無意識に剣の柄へと手を伸ばす。その様子を見た老人は、「ふんっ」と鼻を鳴らし、先程よりは柔らかい視線をして口を開いた。


「そうかっかするな。血気盛んなのは若くて良いことだが、何も取って食おうというわけではない。単に事実を知りたいだけだよ。場合によっては、儂の力が助けになることもあると思ってな」


 そう口にし、再び俺に同じ質問をぶつける。俺は、知られているのであれば黙っている理由もないと思い、老人の質問に答えた。


「ふむ、そうか。それでそなたはドラバーンを訪れたというわけか」


 老人が腕を組み俺の話に相槌を打つ。どこまで話せばいいのかの判断は難しかったが、俺がクルーエルアの勅命を受けドラバーンに訪れているということを話すと、老人は納得してくれたようだった。老人は顔を上げ、俺の目を見て再び俺に質問をした。


「では、名を伏せねばならぬ理由は、そなたがである身分が故か?」


 老人の視線が真っ直ぐに刺さる。俺は目を閉じ、心の中で老人の言葉を反芻させた。


 イーマは、村の者に俺たちの情報を共有させる際、俺のことを『名を明かすことができない身の上である』、と周知させたと言っていた。その仮の名が"騎士"。騎士という単語を知っている者なら、そこからクルーエルアと結び付けることは容易いことだ。クルーエルアの騎士であるが故に、名を伏せているのだろう、と。だが、騎士であることがクルーエルアと結びついても、王国騎士である身分まで割り出せる者は少ない。他国を訪れるような騎士がただの騎士ではなく、王国騎士であることを知っているのは、それなりの教養を持ち合わせている者だけだ。


「いいえ」


 俺は老人の質問に否定の言葉で返す。そして目を開き、真っ直ぐに老人を見て答えた。


「"騎士"というのは、このランバークで誤解を受けないよう、イーマが配慮してくれた俺の通名。本当の俺には、名前は……ない。だけど、俺は今代、十二番目の騎士剣を賜った、クルーエルアの王国騎士だ」


 俺は、俺の身の上を話した。


     ◇


「なるほど。そんな事情があったのか。にもかかわらず、そなたはクルーエルアの王国騎士になったと。ふん、そなたの心意気、この国の馬鹿共にも少しは見習わせたいものだな」


 俺の話を聞き老人がそう呟く。そして、俺から視線を外し、どこか遠くを見るように視線を空に向け話を続けた。


「そういう身の上であればこの村で過ごすのは不便極まりないだろう。かく言う儂も、ランバークで生まれたわけではなくてな。そなたと境遇は異なるが、この村では決まった名を持たない主義だ」


「えっ?」


 老人の言葉に驚きの声が漏れる。老人は続けて語る。


「『名前のない英雄』の伝説上の逸話は知っているな?」


 俺は頷いて返す。


「具体的なことは伝えられていないが、500年程前、世界が滅びそうになる程の大きな災害が起こった。それを安寧に導いたのが一人の男であると言われている。その男のことは誰も知らず、文献などにも詳細な記述が残っていない。にもかかわらず、伝説として語り継がれているのだから、それだけ大きな功績を残したということだ」


 老人の話に、俺もクルーエルアで教わった通りであると伝える。


「そうだ。それが今も各国に伝えられている『名前のない英雄』の伝説。500年前の災害というのが、自然災害なのか人災なのか、何も分からない。それがこの伝説の不思議なところだ。しかしドラバーンにおいては、いつしかその内容が誤った方向で伝えられてしまった」


 老人は首都ドラバーンの方角を見上げ、一拍置いて再び話を続ける。


「災害からの復興時、多くの者が各国の再建に尽力した。ドラバーンにおいてもそうだ。だが、そんな時こそ良くないことを考える者たちは現れる。他人を蹴落としてでも、自分だけが裕福になりたい、と。ドラバーンではそういった者を取り締まり、ある場所にその者たちを幽閉した。それが旧闘技場だ」


 老人は僅かに視線を上げる。そこが、旧闘技場の場所であることは口にせずとも理解できた。


「災害からの復興は熾烈を極めるものだったと聞く。それらで溜まった鬱憤を晴らすため、闘技場では日々戦いが繰り広げられた。云わば娯楽の一種だ。元々戦うのが好きな我らだ。それ自体は何の問題もなかった。

 だが、復興が進むにつれ、格差は徐々に広がり、悪いことをする者も増えていった。このままでは立ち行かなくなることもあり、当時の王はある提案をした。それが、世界を救った英雄による裁きと呼ばれるものだ。罪人は英雄の名の元に裁かれるというものだ」


 老人が声色を落とす。


「罪人はドラバーンが抱える闘士と戦い、それに勝つことができればその場で釈放となる。負けた場合は大穴へと棄てられる。当時の記録によれば、誰一人勝って釈放されたものはいなかったようだ」


 老人が重い溜め息を吐く。


「大穴に棄てられた者は闘士たちと戦った後だ。棄てられる時には死んでいる者もいた。辛うじて生き残った者も、戦いで大怪我を負い、残された力など僅かなものであっただろう。しかし、彼らはドラバーンと英雄への憎しみを糧に、死人の血肉を啜ってでも生き延びた。大穴を抜け、ドラバーンの西端まで出口を掘り進めた。そしてそこに、彼らは生活圏を作り出した。それがランバークの由来だ」


 そこまでを話し、老人は俺に再び視線を戻す。俺は、「どうして今その話を?」と返したが、老人は自嘲するように笑い、俺の質問に返した。


「何故だろうな。そなたには話しておかねばならぬ気がした。これからドラバーンに向かうこともあるしな。なに、年老いた爺のたわ言だと思って、頭の片隅にでも覚えていてくれたらいい」


 俺は、老人が何故俺に話してくれたのかその意味についても考えていた。だが、老人は俺のその考えすらも読んでいるように首を振り、続けて口を開いた。


「そなたに記憶がないことに同情したわけではない。ましてや、儂とは意味合いが異なるとはいえ、名前がないことでも。

 そなたの思い出せぬ過去に一体何があったのかは誰にも分からぬ。だが儂は、記憶がなくとも誰かのために戦おうと決めたその覚悟に、賛美と敬意を払いたいと、そう思っただけだ」


 ふっと笑い、老人が両の手に力を込める。その手から大きな透赤色の光が溢れ、周囲の大気を軋ませていく。


「一度で構わない。見せてもらえぬか。最強と名高い、クルーエルアの王国騎士の剣とやらを」


 そう言い、老人が構える。余りの突然の申し出に驚きを隠せないが、思っている程、俺の心は動揺してはいなかった。


 いつの間にか、後ろ腰に帯び、布で隠していた筈の騎士剣を握っている自分に気付かされた。無意識なのは間違いない。しかし、これが何故だかは分かっていた。恐らく俺自身が、こうなることを願っていたからだ。


 そうだ、この気迫。この重圧。これは、騎士校で学長に決闘の儀を挑まれた時と同じものだ。武者震いするようなこの感覚は……、俺が、正面からこの人とぶつかり合ってみたいと心の底から思っている証拠に他ならない。


 騎士剣を抜き構える。互いに構える得物から、眩いばかりの透緑色の輝きと透赤色の輝きが溢れ出す。


「……まさか、生きている間にクルーエルアの王国騎士と交える機会を得られるとはな」


 そして、俺は生れて初めて、ドラバーンの闘士と真っ向からぶつかりあった。



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