Episode.4-20

「罪人の業道を、だと……?」


 その言葉を聞き俺以外の三人の表情が一変する。バンギットさんは即座に立ち上がり大声を上げた。


「イーマ、俺はこの女の言う取引とやらに反対だ。むしろ今すぐにでもこいつらを始末するべきだ。こいつらの目的がドラバーンに向かうことだというのは分かってはいたが、わざわざあの坑道を通る理由が分からない。そんなことよりも、余所者があの坑道を知っているなぞ有り得ない。こいつらは、俺たちを嵌めるためにドラバーンから派遣された兵士だ」


 バンギットさんの拳から透赤色の光が溢れる。レオンの表情もバンギットさん同様、俺たちを警戒しているようだ。しかしイーマさんの表情からは、先程とは打って変わり焦りがなくなっている。イーマさんはエルザを正面から見て口を開いた。


「……あんたの知識は少しばかり古いようだな。あの坑道がそう呼ばれていたのはもう何年も前だ。今はその名称では呼ばれてはいない。二度と使われることはないからな」


 その言葉を聞きバンギットさんが驚きの表情をして振り返る。「え? いつから?」と言わんばかりに口を開けている。イーマさんの話を聞きエルザは、「じゃあ現在は何て呼ばれているの?」と視線で返す。しかし、その視線を受け取ったイーマさんは腕を組み、エルザに返した。


「答える義理はない。だが、答えてやらないこともない。あんたが俺の要求を呑んでくれたらな」


 一転して今度はイーマさんがエルザに取引を持ち掛ける。エルザは「言ってみなさい」と即座に返した。イーマさんは、この無音の空間に響き渡るほどの大きな固唾を呑み、エルザに答えた。


「そっちの騎士が戻るまでの間、あんたにはランバークに残ってもらう」


 イーマさんの言葉に驚きの言葉を零したのは俺だった。イーマさんが話を続ける。


「先程あんたが持ち掛けた取引に応じよう。ランバークにおける身の安全と滞在の許可を保障する。そしてあの坑道を使うのも許可してやる。ただし、もう何年も人の出入りのない坑道だ。中がどうなっているかは想像もつかない。坑道が埋まっている可能性もある。それでもいいなら使え」


 イーマさんがそのように言い放つ。しかし、イーマさんの取引の内容からさすがのエルザも思うところがあったのか、「あの坑道を坊や一人で抜けろというの?」と返した。その言葉にイーマさんはレオンを見て口を開いた。


「あんたがこの村に残るなら、代わりにレオンを同行させよう。騎士が闘技大会に出場し優勝することが条件なら、それを見届ける役も必要だしな。先程も言ったがレオンはこの村には必要不可欠な存在。そのレオンをあんたの代わりとして同行させるんだ。それなら文句はあるまい」


 イーマさんがエルザを見る。内容が内容だけに拒否すると考えていたが、エルザの答えは正反対のものだった。


「いいわ。応じてあげる、その取引に」


「……えっ?」


 恐らく、エルザ以外の全員が口にしたであろう驚きの言葉がこの場に溢れた。エルザはイーマさんを見て口端を上げる。そして鼻で笑い、口を開いた。


「小生意気にも、この私にそんなが通じるわけないでしょう。それはあなた自身が一番よく分かっているようだからこれ以上は追及しないであげるけど。

 で、当然だけど、本来なら坊やの傍を離れるつもりはなかった。でも、グレイが怪我を負ったことが気になるから私も残ろうと思う。私が治せるのは身体の傷だけで心の傷は治せない。怪我を負ったことで随分と弱気になっているようだからね。今はどうなっているかは分からないけど、連れて行って怖がらせてもよくないでしょう、に」


 エルザが再びその名称を口にする。しかも今度はわざわざ強調して。そんなエルザに睨みを利かされ、今度はイーマさんが溜め息を吐き、「降参だ」と口にして首を振った。


「悪かった、試すような真似をして。だが、あんたはこの村の事情にも理解があるのだろう? そうでなければ、あの坑道の存在を知っている者が他国にいるはずがない。

 この村には、もう術を使える者が俺しかいない。あんたは、俺が想像しているよりもずっと強い術士だと思っている。だからこそ俺はあんたに師事を受けたい」


 その言葉と共にイーマさんが深く頭を下げる。倉庫内に再び沈黙が訪れた。


 皆の視線が自然とエルザに集まる。エルザは溜め息を吐き、被り物を被り直すと、イーマさんの言葉に笑って返した。


「取引成立ね」


 そう答えるとエルザはグレイの傍へと歩いていく。そしてグレイの傍で横になり、毛布を被った。




 ドラバーン闘技会場へ向かう日取りについては、後日改めて話し合うことになった。闘技大会の開催はまだ少し先とのことで、数日はランバークに滞在する余裕があるらしい。その間に、闘技会場へ向かうための準備をしようとのことだ。


 俺としては、すぐにでもドラバーン本国へ向かいたいところではあった。しかし、今ドラバーン本国へ向かっても王と入れ違いになる可能性があるらしい。そのため、闘技大会の日程に合わせ闘技会場へ向かった方が良いとのことだ。また、本国へ行き、王に謁見の申請を出してもすぐに受理されるとも限らない。となれば、『闘技大会で活躍し、直接王の目に留まった方がより早く謁見できる』というのが、エルザの目論見だったようだ。



 名目上、話はまとまったとのことで三人が倉庫を離れ帰路に就く。バンギットさんは納得していない様子だったが、俺も困惑したままだった。去り際にイーマさんが、


「日が昇ったら朝食を持ってまた来る。短い付き合いになるかもしれないがよろしくな」


 と、少し安心したような顔を見せたのが印象的だった。




 倉庫に戻り、部屋の中央に置いてある灯火器の灯りを消す。そして、俺も横になり毛布を被った。


 今度こそ小屋の外には何の気配も感じなかった。ランバークを発って凡そ十日。久しぶりの人里での宿泊に、どこか気が緩みつつあった。


 一国の未来を担う立場にいながら、その責務を果たせているとは到底思えない。当事者である俺が、この場では一番蚊帳の外だったことは言うまでもない。にもかかわらず、俺に都合の良いように事が運んだ。


 シグ達王族貴族出身の者であれば、あんな状況にも毅然として立ち向かえたのかもしれない。しかし俺にはできなかった。イーマさんに問い詰められた時、俺は何も言うことができなかった。たとえ、ランバークへ行くよう勧められたとしても、行くかどうかは俺が決めたこと。そして実際にランバークを訪れた以上、その行動の責任は俺にある。あの場で何も答えることができなかったのは、浅はかだったという俺の考えの甘さだ。だが、その甘さを……足りないものを補い合うのが仲間だと、俺は過去に教わった。今俺の旅に同行し、俺の使命を全うするための手伝いをしてくれている仲間に、俺はお礼を言いたい。俺の甘さを引き受け、俺の信念のために、俺の我儘を聞いてくれた仲間に。


「……エルザ、さっきはありがとう。俺の代わりにイーマさんに話を付けてくれて」


 エルザからの返事はない。返事を期待していたわけではないが、たった一言お礼を口にしただけなのに、張り詰めた糸が切れたように意識が遠くに落ちていく。俺は最後に「おやすみ」と零し瞼を閉じた。すると、遠い昔、いつかも聞いたことがある優しい声が、俺の言葉に返事をしてくれた気がした。

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