Episode.4-8

 透赤色の光を放つ紋様に騎士剣が深々と突き刺さる。砂地でできた天然の一本道のはずなのに、突き刺さるその瞬間は、まるで生物の肉を穿つかのような気持ちの悪い感触があった。


 突き刺した騎士剣の剣身から透緑色の光が溢れる。大きく輝かせるその光は、今の俺の心の強さを現わしているようだ。先程と異なり、今の俺には術を破壊できる確信がある。しかし、その確信を覆らすほどに、目の前の術から発せられた力は絶大なものだった。騎士剣を通じて内部へと送り込まれている力を押し返すように、透赤色の光が膨れ上がる。地面の一部にしか浮き上がっていなかった感知の術が、その全貌を曝け出した。


 歯をきつく食い縛り、騎士剣を押し返そうとする透赤色の光に抗う。僅かにでも力を緩めれば、エルザの言っていた通り吹き飛ばされてしまうだろう。辛うじて持ちこたえられていると言っても過言ではない。


 剣身から術の内部に注ぎ込まれる力が徐々に押し返される。押し返された力の一片が周囲に散り、俺の頬にその爪痕を残した。押し返される力は更に増していき、目に見える刃となりて俺の身体を切り刻んでいく。だが、どれも致命傷となる傷には至らない。これまでと同じように騎士剣を握り続けることはでき、騎士剣に抗う術に対し抵抗することができている。


 そこで俺は違和感に気付いた。騎士剣は、術を破壊するために力を放出しているだけではないことに。それに気付いた瞬間、エルザの言葉が脳裏を過ぎった。


    ◆


「クルーエルアの騎士剣は王国騎士に与えられる由緒正しいつるぎ騎士鎧きしがい同様、耐術加護を備え、使用者の心に同調する力を持った特別なつるぎなの。今の坊やには心がない。心のない状態で騎士剣を振るったところで、術を破壊することはできない。術を破壊する意味も、意義も見出せないようでは、騎士剣はそれに応えてくれない。そして、この規模の継続型の術は、騎士剣の持つ力を最大限まで発揮しなければ破壊することはできないわ」


    ◆


「そういうことか……」


 騎士剣に『耐術加護が備わっている』。この言葉の意味を、俺はと勘違いをしていた。そしてもう一つ、『騎士剣の持つ力を最大限まで発揮する』。この言葉の意味も、どこかで気がした。


 心を落ち着かせ目を閉じる。騎士剣に問い掛ける。その瞬間、クルーエルアの客間で起きた映像が瞼の裏に映し出された。


 そう、それは、今も疑問に思わなければ気付くこともなかったのかもしれない。あの時リリィは、鞘のままの騎士剣を振り下ろし、力を込めたかと思うと、暴風のような凄まじい風が発せられた。もし、あれが鞘を抜いた状態の、抜身の騎士剣であったならば、俺や兵士の方が吹き飛ぶだけでは済まなかったかもしれない。あれは騎士剣の力というよりも、護衛術士の、リリィの力だとばかり思っていた。もしあれがリリィの力でなく、騎士剣の力と仮定すれば……騎士剣が持つ力というのも、凡そ想像がつく。


 目を開き手に力を込める。すると、騎士剣から大きな風が発せられ、同時に俺の腹部を風が裂いた。


 騎士剣が加護を行っているのは剣そのものに対してではない。騎士剣が加護を行っているのは、騎士剣の所持者に対してだ。あらゆる術士に対し、王国騎士は優位だといわれている。それは、耐術加護のある騎士鎧を所持した上で、護衛術士の放つ術に相当する、を振るえるからだ。


 剣とは相手を傷付ける存在。そこにどんな大義名分があってもその事実から逃れることはできない。騎士剣も同じ。だが、騎士剣は相手を傷付けるだけの存在ではない。所持者を守り、所持者の守るべきものを守る力を持っている。そう、騎士剣とは、クルーエルアの信念そのものを具現化した剣なのだ。


 騎士剣に己の心を重ね更に力を込める。俺の心に同調するように、騎士剣は先程よりも凶暴な風を発した。透赤色の光を押し返していく。だが、それと同時に、やはり俺の身体を裂く風はより激しさを増していった。


 余りにも長い旅路となるため騎士鎧は所持していない。軽装というわけでもないが、騎士鎧と比べれば今の軽鎧は余りにも非力だ。その騎士鎧を所持していない今、このまま騎士剣の力を解放し続けた場合、俺は死ぬことになる。


 騎士剣から放たれる風が全身を裂き、体中から紅い液体が飛び交う。「命の保証はできかねる」と言ったエルザの言葉の意味を痛感した。しかし、仮に最初からそれを知っていたとしても、俺は絶対にこれを行ったであろう。たとえ、何度繰り返すことになろうとも俺は叫ぶ。どんな理由であれ、俺の目の前で女の子が傷つく姿を、俺は二度と見たくないからだ!!


 騎士剣から発せられる暴風が渦を巻き、感知の術を縛るように覆っていく。術を現わす紋様に亀裂が入り、その亀裂から雄叫びのように耳を劈く声が響いてくる。その声が何の声なのか、俺はすぐに気付いた。


 この声は、この術士によって殺された者たちの無念の声。それらが今も何かの糧にされ、死ぬこともできず、声となり彷徨い続けている。最初に騎士剣を突き刺した時に感じた肉を裂いた感触は、多分気のせいなんかじゃなかった。俺が裂いたのは、この術士たちに殺されていった人たちの……。


 騎士剣が大きな光を発し、暴風が術を破壊していく。だが、騎士剣を握る俺の腕を、無残にも風が裂いた。風に飛ばされるように騎士剣から左手を剥がされ、右手で辛うじて繋ぎとめる。両の足で踏み止まるも、風に流され続ける勢いのせいで、騎士剣を握る右手にかかる負担が大きく、吹き飛ばされそうになる。


「くそ、このままじゃ……」


 心に焦りが走る。その僅かな隙を突くように、術から溢れる透赤色の光が再び輝きを発した。エルザの言っていた、術を破壊するために必要な20000の力、それは解放した騎士剣の力を維持し続けることで到達する値だ。心に焦りを、失敗するかもしれないと感じた僅かな隙が、騎士剣の力を鈍らせている。


「く、そ……」


 焦りが先んじるせいで心を平穏に保てない。風の勢いが僅かに衰え、透赤色の光がさらに大きくなっていく。騎士剣から掌が剝がれ、握り締めていた指先もまた剥がされる、その瞬間だった。風で飛ばされそうになっていた俺の身体を、とても大きな何かが支えてくれた。その何かに支えられ咄嗟に両手で騎士剣を握り直す。後ろを振り返ると、そこにはグレイの姿があった。


「グレイ……!」


 グレイは四足で踏ん張り、頭で俺の背中を支えてくれている。その姿を見て、俺は自身の不甲斐なさを痛感した。そして、「戦っているのは俺だけじゃない。俺は一人じゃない」と、改めて認識した。


 グレイに感謝の言葉を述べる。正面を見据え、再び握る騎士剣に力を込めた。


 騎士剣が再び輝きを発し、先程よりも強大な風を発する。その風に呑まれるように、透赤色の光が輝きを失っていく。地面に描かれた紋様が形を崩し、騎士剣に抵抗する術の力が弱まったことを感じた。その瞬間、俺は自身の中にあった紅の景色に足を踏み入れた。


 俺がこの景色を心的外傷トラウマと感じているのは、救えたかもしれない人たちを救えなかったという、自身の無力さから来ているものだ。今はまだ、あなたたちを救うことはできないのかもしれない。だけど、いつか必ず、あなたたちの魂を解放してみせる。だからもう少し、待っていてくれ。


 その願いと共に俺は騎士剣をさらに押し込み、紅の景色を映し出す透赤色の術を消し去った。

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