Episode.4-7

「するの? しないの?」


 エルザがいっそう強く掌を俺の背中に押し付ける。俺は騎士剣を握り直し、改めて感知の術の前まで行った。

 騎士剣を逆手に持ち替え、大きく振り被る。騎士剣を両手で握り締め、振り上げた腕を術へと目掛け、全力で振り下ろした。


 何か大きな力のようなものに止められる感覚があった。俺の振り下ろした騎士剣は、寸でのところで止まり、感知の術に突き刺さることはなかった。


 掠れるような声で疑問の言葉が口から零れる。一瞬何が起こったのか分からなかった。しかしよく見ると、俺の腕はいつ掴まれていたのかも分からない黒い腕のようなものに掴まれている。しかも、その腕は俺の身体から生えている。どこかで同じような光景を見た覚えがあったが、思い出すことはできなかった。


 力を込めて押し切ろうとするが、黒い腕の力は凄まじく、これ以上騎士剣を振り下ろすことができない。そんな力の押し合いが続く中、背後から声が掛けられた。


「少しは身の程を弁えた方が良いんじゃないかしら」


 その声を聞き咄嗟に振り返ると、エルザが俺に掌を向けている。その掌から黒い光が伸び、俺の背中と繋がっていた。今、俺の手を掴んでいる黒い腕は、エルザが作り出した術だということが分かった。


「エルザ、何故止めるんだ。術の破壊は俺に任せてくれるという話じゃなかったのか」


 止めた理由が分からず尋ねる。エルザは冷めた目をして口を開いた。


「身の程を弁えろ、と言ったのよ。絶対に失敗すると分かっている行為を黙って見過ごす程、私は愚かじゃない。そのまま無理にでも騎士剣を突き刺そうとするなら、本当に坊やの意識を断ち切るわよ」


「絶対に失敗するだって……?」


 振り返り、そう返すと、エルザが黒い光を引っ込める。そしてこちらに指を向けた。その指が示す先は、俺が手にしている騎士剣だった。騎士剣に目を向ける。騎士剣は、いつもなら眩いばかりの透緑色の光が溢れているのに、今は輝きを失った宝石のように光を発していなかった。


 疑問の言葉と共に騎士剣を前面に構える。何も分かっていない俺に、エルザは再び口を開いた。


「先程も言ったけど、坊やは騎士剣についてもう少し知っておいた方が良いわよ。私の口から多くを語るつもりはないけど。その剣はね、使う者の心に同調する、生きたつるぎなのよ」


「生きたつるぎ……?」


「クルーエルアの騎士剣は王国騎士に与えられる由緒正しいつるぎ騎士鎧きしがい同様、耐術加護を備え、使用者の心に同調する力を持った特別なつるぎなの。今の坊やには心がない。心のない状態で騎士剣を振るったところで、術を破壊することはできない。術を破壊する意味も、意義も見出せないようでは、騎士剣はそれに応えてくれない。そして、この規模の継続型の術は、騎士剣の持つ力を最大限まで発揮しなければ破壊することはできないわ」


 そこまで言われ改めて己の愚かさに気付く。俺は、自分が手にしている剣について、まるで何も知らなかった。デネル洞穴で出会ったアスクリードの要人、リルでさえも、騎士剣については知っているようだった。


 自分の体の一部のように馴染むこの剣に、何の疑問も抱くことはなかった。初めて騎士剣を手にした時、騎士剣は黄金の光を発した。次に使用したのは、グリフィストーラ様との決闘の時。その次は、凶暴化したグレイからエルザを守る時。ラミスで皆を守る時。そして、デネルでリルを守った時……。

 その度に、騎士剣は俺の心に応えるように力を貸してくれた。俺の心の輝きに呼応するように透緑色の光を発した。その輝きが今はない。今の俺には、戦うための明確な理由が薄れているのか……?


 自分自身に問い掛ける。しかし答えは出てこない。そんな俺に、エルザは視線を強くして口を開いた。


「坊やの心は今、疑念によって支配されている。その疑念が、坊やの戦う信念を鈍らせている。それを払拭できない限り騎士剣の力を引き出すことはできない。術の破壊は私がやるわ」


 疑念……?


 その言葉に心当たりがあった。俺はいつからか、自分に対してではなく、他人に対して疑いを持つようになっていた。


 感知の術を行使した者は、元は火の国の術士だ。何故、自身の国が他国に疑われるような真似を平気で出来る。ロエフ家もそうだ。彼らも元は名のある貴族だった。それが、近年になって反クルーエルア思想を持ち、ティアナ姫を攫ってまで国を混乱に陥らせようとした。彼らはどういう思惑で自身の生まれた祖国に対し、そんな真似をしているんだ。


 困惑する俺を他所にエルザがこちらに近付いてくる。俺は片手を広げ、弱々しくエルザを見て口を開いた。


「エルザの言うことは尤もだ。俺は何も分かっちゃいなかった。騎士剣のことも、誰かを疑うという意味も。だけど、一つだけ分かっていることがある。それは、この術の破壊をエルザにさせるわけにはいかないということだ。これだけは、俺の中に確かな意味として存在している」


 そう答え目を閉じる。俺が術を破壊するのは、女の子が……エルザが傷を負う姿を見たくないからだ。しかし、今は面と向かってその言葉を口にする自信がない。心に疑念を持った状態で形にする言葉は、こんなにも脆く弱いものなのか。


 エルザの足音は止まらない。こちらに近付いてくる感覚は徐々に強くなっていく。しかし、足音は俺のすぐ前で止まった。目を開くと、エルザは俺の目の前で立ち、真っ直ぐな目をして俺の目を覗き込んでいた。


「どうせそう言うと思ったわ。繰り返すようだけど、術の破壊は私がやっても構わない。でもそれだと、坊やの信念を守ることができない。坊やもそれは嫌でしょ? だから、今の坊やにぴったりの、坊やが言いそうな言葉を借りて助言してあげる。

 自分を見失いそうになった時は、誰かを疑う声に耳を傾けるのではなく、誰かを信じる声に耳を傾けてみなさい。私ができるお節介はここまでよ」


 誰かを疑う声に耳を傾けるのではなく、誰かを信じる声に耳を傾ける……?


 その言葉を聞き、俺は振り返り、改めて感知の術へと目を向けた。術からは、いつぞやの光景を想起させる透赤色の光が浮かび上がっていた。その光景を前にして俺は目を閉じる。心を静め、何のために戦い、今この場に立っているのかを、改めて自分に問い掛けた。


 俺が術を破壊するのは、女の子が傷つく姿を見たくないからだ。この透赤色の光は、術士校で起きた事件、ローズお姉ちゃんを守ることができなかった俺自身の心に、心的外傷トラウマとして残り続けている。言い換えれば、この透赤色の光は、どこかにいるローズお姉ちゃんを探し出す手掛かりでもある。エルザが先程言っていた。この術を行使した術士は、『人の世を混乱に陥れている者たち』だと。それはつまり、クルーエルアを襲撃した者たちの可能性が高い。そしてその術士は、ローズお姉ちゃんを攫った者の一人である可能性がある。この術を破壊することによってその術士が姿を見せるなら、ローズお姉ちゃんを見つけ出す手掛かりに、きっとなる。


 心臓が大きく高鳴る。戦うための明確な意志の前に、疑念が霧のように溶けて消えていく。騎士剣が小さく輝きを発している。俺の心に光が戻った証拠だ。だが、この程度の心では術を破壊することはできない。


 俺が戦う理由は、クルーエルアを守るため。この世界に生きる全ての命を守るため。そして、皆と交わした約束を守るためだ。


 誰かとの闘いと違い、何かとの闘いは、己との闘い。自らを奮い立たせ、強い意志がなければやり遂げることはできない。


 ディクストーラに教わった、『勝つこと』を。

 アーキユングに教わった、勝つことの『意味』を。

 ギルトライルに教わった、『大切なこと』を。

 そして、――――に教わった、大切なことの『意味』を。


 これは、誰かとの闘いじゃない。これを越えることが出来なければ、俺は、己の信念を、貫けない!!


 騎士剣を空へと掲げる。騎士剣は、俺たちの意志に呼応するように眩いばかりの透緑色の光を発した。騎士剣を逆手に持ち替え、振り被る。


 俺は、誰かを信じる声に耳を傾け、透赤色の心的外傷トラウマに対し、騎士剣を強く振り下ろした。

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