Episode.4-3
エルザの忠告を受け夜を待つことにした。俺を手伝うと言ってはいたが、自ら進んで手を貸してくれるのは意外だった。日が沈むまでの間に食料の調達を済ませ、腹を満たしておいた。途中、目立たないように周囲に気を配ってはいたが、ヒトが通るような気配は一度も感じなかった。
◇日没後◇
日が沈み、俺たちは海の下に沈んだ一本道の前に来ていた。遥か向こう海の先には、ビステークと思しき村から赤い光が揺らめいている。恐らく、火の術によって灯りを灯しているのであろう。昼間に遠目から見ただけだが、クルーエルア本土やラミスのように、凶暴化した動物への対策に壁などを設置しているわけでもない。以前エルザから聞いたが、火の国では凶暴化した動物のことを化物と呼んでいるらしい。その化物相手に、防壁などの対策をせずとも無事でいられるのは何故なのか。その理由については、是非とも知りたいところだ。
押し寄せては引いていく海水の中にエルザが足を進める。そして、両の足が海へと浸かったところで、深々と被っていた被り物を取り、右手を正面に構え掌を下へと向けた。掌から黒い光が海へと落ちる。デネル洞穴に入る前に見た光景と全く同じものだ。しかし、今度は膜のようなものは浮かび上がらず何も起こらない。エルザは暫くじっとしていたが、やがてこちらへと振り返り真剣な目をして口を開いた。
「今、この辺り一帯を探ってみたんだけど、何か得体の知れないものがどこかにいるわ。恐らく魔物だと思う。グレイが反応しないようだから相当遠くだと思うけど、もしかしたらそいつは海底にいるのかもしれない。
あと、当初予定していたこの一本道を進むのは考え直した方がいいかもしれないわ。ここを通ると感知される術が埋め込まれている。どこの誰かは知らないけど、継続型の術を行使できるなんて相当の手練れじゃないかしら。通っても死ぬことはないだろうけど、術士には確実に見付かるでしょうね」
「ちょっと待ってくれ。それはつまり、術士に見付からないように入国するためには、
「そういうことになるわね」
エルザが答える。
思いも寄らないところで足止めを喰らった。エルザの言う通りなら、術士に感知されても良いのであれば、一本道沿いに真っ直ぐに進めば入国は可能だと言っている。ただし入国できたとしても、海を抜けた先でその場で捕まるという場面は想像に難くない。これを回避するためには、一本道から外れて海底を進む必要がある。しかし海底には魔物が潜んでいる可能性があるとエルザが言っている。エルザから聞いたが、俺たちを覆っていた気泡の術はそれなりに防護能力があるらしい。海底を歩いて進むだけなら問題はないのかもしれないが、海底に潜む魔物……凶暴化した動物が襲い掛かってくるようなことがあった場合、無事に対岸に着くことは可能なのだろうか。
「坊やが考えている通りよ。海底に潜んでいる魔物がラミスやデネルで出会った魔物並みの強さを有していたら、その時は海の底で死ぬことになるでしょうね」
エルザの言葉を聞き、口許に手を当て思案する。焦る気持ちが先立ちそうになるが、それぞれの可能性についてできるだけ冷静に考えてみることにした。
現状火の国に入国するには、目の前の一本道か、海底か、そのどちらかから選ぶしかない。二つと決めつけてしまうところに落とし穴はありそうではある。だが、俺の知る範囲では、目の前の一本道を進むしかなく、海底を進むというのもエルザだから思い付く方法でしかない。エルザの性格を考えれば、最も効率の良い最善の策を提案するはずだ。つまり、今この場においては、火の国に入国する手段はこの二つしかない。どちらを選ぶにしても、
結論を出しやすいのは海底を進む場合だ。どちらか一方から選ぶならこちらしかない。理由はやはりグレイの存在だ。抜けた先に村があることから、グレイを連れて一本道を通ることは難しい。海底を進む
エルザが、「得体の知れないものがどこかにいる」と言っていた。先日のせっちゃんことひれを持つ動物は、寒冷の地域に生息しこの辺りにはいないはず。かといって、温暖の地域に生息する大型の海中動物が凶暴化していないとも限らない。俺が知らないだけで海の中には多くの種が存在する。得体の知れないものの正体が特定には至っていないことからも、逃げ場のない海底で襲撃されることを考えると、可能な限り避けたい気持ちは強い。とはいえ、一本道を進み入国することは絶対にできない。グレイの件があるからというのが一番の理由ではある。しかし、見落としがちだが、思い込みで断定してはいけないことが一つある。それは、感知の術を埋め込んだ者の存在だ。
仮に一本道を通ることを想定して、ビステークの村の中に術を埋め込んだ術士がいた場合は、海を抜けたその場で捕まるという場面は想像に難くない。しかし、火の国の者に見付からなかった場合、これまでの考えが根本から否定される。結論を出したいところだが、これの答えを出すには俺よりも適任の人物がいる。
「エルザ。感知の術を行使した術士というのは、この先の、ビステークの村の中にいるのか?」
俺の問いにエルザは何も答えない。エルザは一本道の先を見続けていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「坊やの読みは正しいと思うわ。術に気付いた時から疑っていたけど、坊やの言葉で確信が持てた。一言で説明すると、感知の術なんて高位の術、行使できる者はそうそういないのよ。それと、継続型の術は、展開し続ける限り力を使い続けるの。だから、城の一角……そうね。例えば、階段を上った先であったり、小さな区画に一つ展開しておく程度なら、身体に影響を及ぼすほどでもないと思う。でも、一部とはいえ、特定の地域を覆うとなれば、仮に術を行使できたとしても術士の身が持たない。要は、それなりに高位の術士が行使しているのだろうけど、そんな術士ともなれば名が知れ渡っているはずだし、私が知らないはずがない。となれば、ここ近年で力をつけた術士か、もしくは……」
エルザはそこまで口にして俺に視線を向ける。気になる単語が飛んでいたため尋ねたかったが、今水を差すのは良くない。エルザが続けて口を開く。
「坊や、先に感謝を述べておくわ。あぁ、この場で死んでもらうとかそういう意味じゃないから安心して。感謝というのは、私に確信を与えてくれたことよ。結論から言うわ。このまま進みましょう、
エルザの提案に俺は思わず驚きの言葉を漏らす。そして俺が聞き返す前に、エルザは俺の疑問に答えた。
「感知の術を行使した術士は、間違いなく
そう言ってエルザが俺の前に歩み寄ってくる。そして、俺の胸に手を当て、
「坊や、悪いけどまた力を貸してもらうわよ。ただし、術を破壊するためには『眼』の力を多く必要になるから、今回は意識を失う恐れがある。お詫びとして、坊やが目を覚ました時には、火の国に入国した上で安全な場所にいることを約束するわ。それなら構わないでしょ」
そう言って、俺の返事を待たずにエルザが手に力を込める。その真剣な眼差しと、いつになく勝手に話を進める姿勢に、エルザから焦りのようなものを感じた。エルザが手に力を込めると、身体の内から黒い感覚が込み上げ、徐々に俺の意識を奪っていく。しかし、俺は気を強く持ち、『眼』の力を取り出しているエルザの行為に抗った。俺が拒否したことが意外だったのか、エルザは手を下げ眉を顰める。身体の内から込み上げていた黒い感覚が治まったため、俺は顔を上げ、エルザを真っ直ぐに見て口を開いた。
「何をそんなに焦っているんだ。俺は、感知の術を行使した術士が
俺の言葉にエルザは黙って俺を見ている。その目には、揺ぎ無い決意と共に、どこか怒りのようなものを俺に向けているようにも感じた。
「……ラミスで坊やにした話を憶えているかしら」
エルザがそう口にする。ラミスでエルザと話した内容はどれも重要なものばかりだったが、俺の頭は迷いなく一つの単語を思い浮かべた。
「エルザの……役目のことか?」
俺の言葉を聞きエルザが目を閉じる。そして、声を少しだけ落とし俺の問いに答えた。
「そう、私の役目は世界の監視者。以前も言ったけど、この意味や内容について答えることはできない。要は、その役目を果たすために感知の術を破壊しなければならないの。ここまで言えば分かってもらえるかしら?」
エルザの言いたいことは概ね理解できた。役目を果たすために術士を暴く必要があると、そう言っているわけだ。しかし、それだと一つ疑問が浮かぶ。それはつまり、
「感知の術を行使した術士に、何か心当たりがあるのか?」
俺の疑問にエルザは即座に目を開く。そして、拳を強く握り締め、俺を睨みつけて答えた。
「それだけの勘の良さを携えていて、己の使命を憶えていないとか、本当に心の底から殺してやりたいと思うわ。
ええ、そうよ。心当たりがある。術士本人に、ではないけどね。術を行使した術士は、恐らく自身の力だけで術を行使したわけじゃない。大きな後ろだてを得たことで、これだけの規模の術を行使し続けられるのよ」
大きな後ろだて、というところも気になったが、「心当たりがある」という言葉の方が気になった。だから俺は、それについて尋ねてみることにした。
「その、心当たりとは?」
俺の問いにエルザは顔をこわばらせる。そして、声を低くして、強かに答えた。
「……今、人の世を混乱に陥れている者たち。私が城を発つ理由にもなった、この世界に、『厄災』を齎す者たちよ」
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