Episode.3-End

    ◇


 その後、女の子から友達を救ってくれたことへの感謝の言葉を改めて言われた。誤解については謝りながらも、


「そもそも、デネルに人がいること自体有り得ないんですからね。勘違いさせられた私の気持ちも考えてください」


 と口を尖らせて言われた。




 女の子に治癒してもらったお陰で身体の痛みは感じなかった。横たわっていた騎士剣を手にすると、ギルトライルの笑う顔が目に映る。ギルトライルは、俺の王国騎士試練で戦い終わった時と同じように、とても満足そうな笑みを浮かべていた。




 元来た道を女の子とせっちゃんと共に進んでいく。行きは女の子と二人で、帰りは女の子とせっちゃんの二人と一頭で。結果だけ見れば、せっちゃんを元に戻すことができたので無事解決といえるだろう。しかし、過程に問題がなかったかと言われたらそうではない。繰り返しにはなるが、これについては今この場で結論を出さなければいけないと思う。その問題とは、せっちゃんが再び凶暴化した理由だ。


 原因が俺にあるのは間違いない。あの時俺が触れるまでは、確かにせっちゃんは今と同じように優しい顔をしていた。それが、俺が触れてすぐ、せっちゃんは再びおかしくなった。あの後のことは憶えていないが、触れた時のことは鮮明に憶えている。


 左手に意識を向ける。すると、唐突に女の子に声を掛けられた。


「何を考えているのか当ててあげましょうか?」


 女の子に顔を向ける。不安にさせないよう平静を装ってみたが、俺の考えなどお見通しと言わんばかりに女の子は真剣な顔をしていた。


「あなたが触れたことで、せっちゃんがおかしくなった理由について、ですね?」


 咄嗟に顔を背ける。その後、俺は自身の左手の掌を見詰め、「はい」と答えた。


「あの時、せっちゃんに触れた瞬間、俺の身体の中から何かが込み上げてきた。それは俺の手を通じせっちゃんの中に入っていった。勿論、俺はそんなことを望んでなどいない。俺の中にある何かが、せっちゃんを求め、身体の中に入っていったようだった」


 そこまで語り一つの仮定に行き着く。俺の身体の中の何かに心当たりがあった。その心当たりとは、エルザが言っていた『眼』のことだ。エルザが言うには、『眼』とは長年蓄積された力の全てらしい。今はそれがないため、本来の実力の半分も出せていないと言っていた。


 ラミスでの出来事を経て、少しだけだが力を取り出せたと言っていた。俺の傍を離れない理由として、俺が何者なのかというのも勿論あるが、それ以外の理由に、俺の傍にいることで『眼』から力を取り込めるかららしい。言い換えれば、俺の身体からは、常に『眼』の力が溢れ出ているということになる。


 ラミスでの戦いの後に倒れた俺を介抱してくれたエルザは、俺の身体を黒い炎で包み、凝固した血液を喰っていたとルーノが言っていた。直接その光景を見たわけではないのではっきりとしたことは分からない。しかし、俺の勘だが、ルーノの例えは間違っていない気がする。俺に付着していた血液は、凶暴化した獣の血液そのもの。そして恐らく、凶暴化した獣の力は、エルザの『眼』の力と同じもの。俺の身体を拭きとる必要がなかった理由は、ラミスの人々の怪我を治した後に、俺の身体に付着した血液を喰らうことで失った力を取り戻せるから。そう考えれば全ての辻褄が合う。エルザにとって俺は、あくまで『眼』の代用品でしかないということだ。


 大きな痛みが胸を抉る。これまで感じたことのない大きな痛み。女の子に治癒してもらったはずなのに、殴られたように胸が痛い。しかしその理由はすぐに分かった。


 術士校でローズお姉ちゃんが攫われた時ですら、俺は誰も責めることはなかった。ただ自分の無力さを嘆いていた。そして、その弱さを克服すべく、日々強くなっていった。それなのに俺は今、誰かに対し強く『疑念』を持っている。初めて覚えた黒い感情。それが、この胸の痛みの正体。


 溢れ出る黒い感情に発狂しそうになる。これまで感じたことのない嫌な感覚に自身を失いそうになる。怒りや憎しみ、疑い、そういった負の感情が胸の内に渦巻き、本来の自分が見えなくなっていく。

 徐々に顔が引きつっていくのが分かった。そんな俺の前に、透水色の光が大きく輝く。その光は、俺の手を取り、優しい言葉で俺を包んでくれた。


「そんなに自分を責めないでください。私には分かっています。あなたは悪い人じゃないって」


 女の子が微笑む。俺は女の子の目を見て弱々しく口を開いた。


「だけど先程の出来事が事実なら、俺が触れることで動物たちはおかしくなる、ということになる」


 涙を流したりはしない。それでも弱音を吐かずにはいられなかった。俺の言葉に女の子は目を逸らす。しかし再び俺の目を見て口を開いた。


「それは確かにそうでした。実際にそういう出来事があった後なので、ご自身では否定し辛い気もします。でも私は、もう先程のような出来事は二度と起こらないと思っています」


 女の子は強い口調で語る。


「せっちゃんが再び元に戻り、あなたが目を覚ました後に触れた時は何もなかったから、というのも一つの理由ですが。私個人の気持ちを言いますと、あの時あなたが手を差し伸べてくれた時の姿や、その時の言葉が、あなたが故意に誰かを傷付ける人ではないと思ったからです。あと……」


「あの時……?」


 咄嗟に話しを遮り尋ねてしまう。偶然口を突いて出た言葉だったが、どの時のことを言っているのか分からなかったため尋ねてみた。しかしそれは聞いてはいけなかったことなのだろうか。女の子は急に頬を赤らめ、少し恥ずかしそうに語った。


「えっ? その、あの台詞を私が言うのですか?!」


 女の子はもじもじと恥ずかしそうに視線を逸らす。繋がっている手からはどこか嬉しそうな気持ちが伝わってきた。


「その、「きみの心を俺に預けてくれ」って台詞です。あの時は何とも思いませんでしたが、こうして冷静になって考えてみると、あんな恥ずかしい台詞よく平気で言えますよね。私のことを守ると言ったり。あんな歯の浮くような台詞を、あの状況で口にできるような人が、悪い人だとは到底思えないです」


 女の子の言葉に俺は目を丸くする。しかし女の子は、続けてとても重要なことを話した。


「あと、一番の理由は、あの時大岩が落ちてきてちゃんと見ていたわけではないのですが、その後に洞穴を満たした光が、とても温かい色をしていたからです」


 女の子の言葉に、その瞬間の映像だけが脳裏に浮かぶ。俺は咄嗟に聞き返しそうになったが、その前に女の子が言葉を続けた。


「あなたと手を繋いだ時、私の心があなたに流れ込むのを感じました。それと同時に、あなたの心が私の中に流れ込むのを感じました。あなたから流れ込んだ心は、とても温かく、私の願いを……せっちゃんを救ってくれるという願いを、必ず叶えてくれると心の底から信じることが出来ました。その時感じた心が、洞穴内を照らし、せっちゃんを元の姿に戻したんです。全てに希望を与えるような、あの黄金の光が」


「黄金の光……?」


 何故かそこに違和感を覚える。俺が聞き返そうとした色は、女の子が口にした色とは別の色だった。


「術士以外の者に光を放つことはできませんが、クルーエルアの騎士剣のような例外的なものも存在します。あの時あなたは騎士剣を携えていなかった。あなたからは力を感じない。あなたは術士ではない。となると、あなたは何者なのかという疑問が浮かんできます」


 何者なのか……。もう、何人に言われたか分からない言葉。


「クルーエルアの王国騎士だと分かったからあなたを信用していました。そうだということは騎士剣を所持されていることからも明白です。しかしあなたが発した光は、クルーエルアを象徴する色ではなかった。つまりあなたは、クルーエルアの生まれではなく、どこか別のところから来られた方ということなのでしょう」


「えっ……?」


 女の子の言葉に驚きを隠せなくなる。女の子は俺から一歩離れ、手の中の透水色の光を大きく輝かせた。


「見て分かる通り、私が生み出せる色は水色。黄金が何を象徴するのかは分かりません。少なくとも私が読んできた文献の中に、黄金の光に関する記述はありませんでした。でも過去にあの子が……って、あれ? そういえば先日も黄金の光を見た覚えが……。確か、クルーエルアの方角だったような……?」


 急に女の子が胸を抑える。そして再び俺を見上げた。


「もしかして、あの黄金の光を発したのは……」


「……俺です」


 正直に答える。ここまで会話を続けてきて、この女の子には黙っていてもいずれ露見するだろうと予想が出来た。それに正直に答えることで、疑いを掛けられることもなくなり、他言しないようお願いすることもできると思った。


 俺の答えを聞き、女の子はとても驚いた顔をする。そして強く両手を握り、心からの笑顔を浮かべ、興奮気味に口を開いた。


「そうだったんですね! やっぱりあなたが、十年前にティアナを助けてくれた男の子なんですね!」


 その言葉に心臓が大きく高鳴る。今度は俺が驚きの表情を浮かべていた。今の会話から、どうやってそこに結び付けたのかも気になるが、それ以上に、そろそろ気にしないわけにもいかない疑問を口にすることにした。


「申し訳ございません。失礼ですが、ティアナ様とはどういったご関係なのでしょうか?」


 俺が尋ねると女の子は目を丸くする。そしてくすくすと小声で笑い答えた。


「勉強不足ですね。とはいえ、正直なところこのまま普通の女の子として接して欲しい気持ちもあるのですが」


 女の子はくるりと回り俺と距離を取る。髪をなびかせ笑うその姿が、今になって、俺の良く知っているその人に似ている気がした。


「自己紹介しておきますね。私、水の国アスクリードを預かる双子の一人、メイリル=ジェミス=アスクリードと申します。先代を務めていた双子の一人、リリルナ=ジェミス=アスクリードの娘です。私のことはリルと呼んで下さい」


 と、とても嬉しそうに言われる。そして、


「私とティアナがどういう関係かは想像にお任せします。間違っても本人に尋ねちゃだめですよ。ここで会ったことは、二人だけの秘密ですからね」


 と、悪戯っぽい顔を浮かべた後、リルは優しく微笑んだ。




 その後、俺もクルーエルアの王国騎士であることを改めて伝えた。王国の勅命でここを訪れていることは話さなかったが、恐らくリルは気付いていただろう。途中リルが予想していた通り、クルーエルア出身でないなどの、自身の身の上も掻い摘んで話した。当然、名前がないことも伝えたが、リルは驚くこともなく、むしろ俺が名前がないことを知っていたかのように、黙って頷いていた。




 長い通路を進み、足元に砂が混じり出す。リルが光を輝かせると、その光に共鳴するように、少し先から透水色の光が輝きを発した。光の中には産卵を終えた亀が、じっとリルの帰りを待っていた。リルが駆け足で亀に近付き優しく触れる。せっちゃんも急ぎ足(?)でリルを追い掛けていった。


 リルがそれぞれに笑い掛け優しく撫でる。言動や振る舞いのせいで忘れそうになるが、リルがまだ年端のいかない女の子だということを見ていて感じた。一頻り声を掛けた後リルが立ち上がる。そして俺に向き直り声を掛けた。


「ここまで来られているということは、灯りは大丈夫ですよね?」


 リルの問いに短く答える。騎士剣を手にすると、透緑色の光が洞穴内を満たした。それを見てリルもまた透水色の光を輝かせる。そして、俺の前まで歩み寄り口を開いた。


「改めてお礼を言わせてください。せっちゃんを助けて下さり、本当にありがとうございました。立場上、治癒以上の恩を返すことが、今は難しいことが心苦しいです。ですが、あなたがクルーエルアの王国騎士なら、また会えると思います。だから……」


 リルが俺の手を取り強く握り締める。そして、真っ直ぐに俺を見上げ、


「だから今度会う時までに、私のことも真剣に考えておいてくださいね」


 と、笑顔で俺の腕に絡みついてきた。突然のことに驚きを隠せなかった俺は、


「何を真剣に考えればいいのでしょうか?」


 と返してしまう。俺の返しにリルは、


「……もしかして、自覚無し?」

 

 と、とても不満そうな顔をしていた。




 リルがせっちゃんの背に乗り亀と共に海に潜っていく。リルは透水色の光の膜に包まれ、そのまま海の中に消えていった。


 リルが去り、人の気配が近付いてくる。俺は騎士剣を納め、声を低くして尋ねた。


「さっきのは、エルザの仕業なのか」


 そう尋ねると、黒い光が背後で輝く。俺はそちらに顔を向けた。


「ごめんなさい。二度とあんなことはしないわ」


 エルザは瞳を閉じ謝罪の意を示した。


 起きた出来事を考えれば、怒りのままにエルザを問い詰めてもおかしくはない。しかしリルのお陰か、俺の心は落ち着きを取り戻していた。だから、糾弾するのではなく、純粋に、そこまでしなければならないことなのかと尋ねてみることにした。


「そこまでして俺の正体に拘らなければいけないのか。それに、エルザは知っていたんだろう。リル……あの女の子がアスクリードの要人だということを。もしあの子に何かあったらどうするつもりだったんだ」


 俺の問いにエルザは何も答えない。瞳を閉じ、それと同様に唇を閉じ続けるだけだ。暫く黙っていたエルザだったが、やがてゆっくりと瞳を開き、俺の目を見て、固く閉ざしていた唇をようやく開いた。


「もう私には分からない。だから今後は坊やの邪魔はしない。坊やの後に付いていき、その中で答えを見付けるわ。勿論、私にできることは可能な限り協力する。先程の謝罪も兼ねての提案だけど、どうかしら?」


 エルザがそう口にする。初めに謝罪の意思を示したことと言い、今も再び示したことから、エルザ自身とても反省していることが伝わってくる。あんなことがあった後だ。信用できない、と突っぱねるのが筋だと思う。だが俺は、あることがずっと胸に引っ掛かっていた。


 俺は、リルとの会話の中でずっと違和感を感じていたことがあった。それを尋ねる前に、リルは俺が尋ねようとした言葉とは別の言葉を口にした。もしかしたら、エルザならその答えを教えてくれるかもしれない。


「エルザ、教えてくれ。俺はどうやってあの動物を救ったんだ。本当に黄金の光を放ったのか?」


 エルザが目を逸らす。反射的に取った行動なのだろうが、エルザにしては妙に珍しい反応だった。双眸を閉じ、何かに思案するのではなく、もう自身の中で答えは決まっていて、その答えを言うことに躊躇しているような、そんな反応だった。


「あの時、確かに坊やは黄金の光を放ったわ。アスクリードの巫女から水の力を受け取り、それを水色の弓に変え、自身の右手から黄金の矢を作り出し、その矢を放った。黄金の矢は、私が生み出した眷属の黒い矢と混じり合い、大きな力が渦巻いた。多分、力は互角だったのだと思う。そして、混じり合った二つの力が膨張し、大きく膨れ上がった球体が爆発を起こそうとした瞬間、その球体を突き破り、光が私の眷属を貫いたの」


 エルザが口にした最後の言葉を聞き、俺は咄嗟に尋ねる。


「その、球体を突き破った光は……何色だったんだ?」


 俺の言葉を聞き、そこでエルザは瞳を閉じる。その時の状況を思い出し、その光景を脳裏に浮かべ、知識という大海の中から、答えを探っている。


「赤は火、青は水、緑は風、茶は土、紫は雷、それが、それぞれの国家を象徴する色。そして黄金は、既に滅びた一族を象徴した色」


 そこでエルザは再び瞳を開いた。俺に顔を向け、これまで一度たりとも見せたことのない、正面からの真剣な目をして、俺の問いに答えた。


「あの時、私の眷属を貫いた色は……白。白は、何を意味し、何を象徴するのかしらね」










 Episode.3 End

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