Episode.3-11
◇???◇
ここは、どこだ……。
真っ暗な世界で意識を取り戻す。目の前には黄金の光が輝いていた。綺麗な輝きを放つ黄金の光だが、暗闇の世界に侵食され徐々にその輝きを失っている。光から声が聞こえてきた。
「泣かないで。僕が、きみを守るから。だから安心して」
その声に聞き覚えがあった。正確には声にではなく、その言葉に覚えがあった。その言葉は、俺があの子に掛けた言葉。不安に押し潰されて泣いていたあの子を安心させるため、泣き止むまで抱き締めてあげた、あの時の。
光が暗闇に侵食され声が小さくなっていく。俺は言葉の続きを聞くため、黄金の光へと必死に手を伸ばした。しかし、俺が光を掴もうとすると、光はさらに侵食され輝きを失っていく。そこで俺は違和感に気付いた。
光を頼りに自身の身体を確認するが、そこに俺の身体は存在しない。まさかとは思ったが、俺はこの真っ暗な世界の中にいるのではなく、この世界そのものが俺なんだと、そこで初めて気付いた。自分がこの真っ暗な世界そのものだということに、何故か違和感を覚えなかった。黒という色は、俺が最も嫌悪する色だというのに。
黄金の光が暗闇に呑まれるように、俺の意識も呑みこまれていく。光が暗闇に呑まれていく様を、俺はただ傍観している。自分の存在が分からなくなるほど意識が消えかかっていた時だった。黄金の光が大きく輝きを放ち、この真っ暗な世界に声を響き渡らせた。
「わたし、――――。あなたのお名前は?」
それはどこかで聞いた覚えのある女の子の声だった。その言葉を聞き正気に戻る。そして、胸が強く締め付けられるような痛みを覚えた。
黄金の光が僅かばかりに大きくなる。光の中には、どこかで見たことのある
全てをなくした俺が、十年という時間を経て手に入れた大切な記憶。シグ、ライオデール、ユングたち、騎士校の仲間だけでなく、父さん、母さん、カール、エリー、それ以外にも沢山の人たちがそこに描かれていた。それを見て温かい気持ちになる。黄金の光に照らされ気付く。いつの間にか俺の身体は世界に存在していた。
俺が自分の存在を認めると、暗闇が不協和音を発し襲い掛かってくる。俺は、騎士剣を引き抜き、迫り来る闇へと一閃を放った。
「……俺は、自分が誰なのか分からない。皆に支えられなければ一人では生きていけない程に弱い。だからこそ、信じたい心がある。守りたい人たちがいる。この気持ちだけは、たとえ何者であっても覆させることはできない。これが今の、王国騎士となった俺の……覚悟だ!!」
俺の放った剣閃は、闇を切り裂き、世界に大きな穴を空ける。その穴から透水色の光が流れ込んできた。透水色の光は、回廊のように一本の道となり、俺をこの世界の出口へと導いてくれている。俺は、透水色の光が導く先へと歩を進めた。
俺を元の世界へ帰すまいと暗闇が襲い掛かろうとしたが、透水色の光に遮られ俺の元まで届いていない。俺は、最後に振り返り、黄金の光へと顔を向けた。黄金の光の中に、暗幕の掛かった
「約束だよ」
その声を聞き、騎士剣を強く握り締める。クルーエルアで待つ大切な人の顔が思い出される。俺は振り返り、先程の
◇デネル洞穴◇
「うっ……」
日の出のような眩しさを覚え目を覚ます。瞼を開くと、そこには透水色の光を輝かせる女の子の姿があった。
「おはようございます」
女の子が俺に声を掛ける。俺は体を起こそうとしたが、女の子が強く俺を抑えつけたため、起き上がることができなかった。
「まだ駄目ですよ。治癒の途中です。私の大切な友達を救ってくれた恩人なのですから、このくらいのことはさせて下さい」
そう話し、女の子が優しく微笑み掛ける。顔を横に向けると、女の子の友達、せっちゃんが、とても穏やかな目をして俺を覗き込んでいた。
「良かった。無事だったんだ……」
その姿を見て安堵する。よく憶えていないが、今こうしてせっちゃんが無事だということが何よりも嬉しかった。
再び女の子へと顔を向ける。すると女の子は、真剣な眼差しをして俺に話し掛けてきた。
「ごめんなさい。最初はあなたのことを疑っていました。デネルに人がいるなんて思ってもいなかったから。世界を混乱に陥れている者たちの一人なのかと思って。でもあなたの持っている剣を見て分かりました。あなたは、クルーエルアの王国騎士ですね?」
俺は女の子の目を見て「はい」と答えた。俺の身の上を考えれば、ここでクルーエルアの王国騎士である身分を明かすのは良策ではない。女の子が自身の身の上を明かしたわけではないため、俺も明かす必要はないのだが、女の子の視線からはかつてリリアナ王妃が俺に見せた『国を背負う者ののみが持つ威光』を感じたため、正直に答えることにした。
「たとえ何者であっても、我が国の領土に無断で立ち入っている以上、理由を伺わなければなりません。ですが、私も黙って出てきているので、今日のことは誰にも知られたくありません。あなたを見たことは誰にも言わないので、ここで私と会ったことは秘密にしてくれませんか?」
そう言って女の子は罰が悪そうに笑い掛ける。俺としては願ってもない話だが、そんなに簡単に済ませても良い話だとは思えなかった。ここはクルーエルアの領土ではない以上、向こうに主導権があるといっても過言ではない。女の子も正式に名乗ったわけではないため、その限りではないのかもしれないが、何も聞かれないというのも腑に落ちない。女の子が秘密にしたい理由は分かったが、それと俺がデネルにいる理由は別問題だと思う。疑うわけではないが、念のため尋ねておいた方が良いのかもしれない。
「あなたが水の国の……いえ、アスクリードの要人であることは気付いていました。ここで見たことは口外しないとお約束致します。しかし、そのことと、私がどうしてデネルにいるのかは別の問題と存じます。誠に失礼ながら、そのことについて、尋ねられなくても宜しいのでしょうか」
そう聞き返すが、女の子は真剣な表情のまま俺の目を見て口を開いた。
「聞けば、答えてくれますか?」
その返しに今度は俺が黙る。続けて女の子は語った。
「クルーエルア王国において王国騎士が自国を離れるということはそれだけで意味を成すのです。デネルを訪れているということは、その先に向かうつもりなのでしょう? 我が国を訪れるつもりなら、こんな回りくどい方法をクルーエルアが取るはずがありませんから」
女の子の話を聞き俺は黙る。その意味を考えるべく、女の子の言葉を心の中で反芻させ、これまでの出来事を思い返していた。
これは歴史的な背景の話だが、有史以来クルーエルアと密接な関係を気付いてきた国家がある。それが、アスクリード。使者の勅命を受けた時も、「アスクリードは後回しで良い」と説明された。念のためその理由について尋ねたが、「その時になれば自ずと知ることになる」と言われた。
女の子の口ぶりからも、クルーエルアとアスクリードの間には重要な秘密が隠されているということは分かる。シグが言っていたが、「政治は理解している」という言葉の中には、こういうことも含まれているのだろう。いつか、アスクリードに訪れる日も来るのかもしれない。その時には、クルーエルアとアスクリードの関係性について、俺も知ることになるのだろう。
俺は何か答えようとするが、女の子は首を横に振る。そして再び微笑み、優しい口調で俺に答えた。
「大丈夫。何もおっしゃらなくても分かっています。お話は、改めて本島に訪れた時にしてください」
そう話し女の子は目を閉じた。俺を包む透水色の光が一層大きくなり、温かみが増していく。その温かみに釣られるように俺も目を閉じた。
とても心地良い気分だった。身体の痛みが和らいでいくだけでなく、心も満たされるような感覚だった。
一時はどうなることかと心配したが、一先ず安心といったところだろう。しかし、ただ安心するのもよくない。なぜなら、ひれを持つ動物が正気に戻れた経緯を、俺は憶えていないからだ。
ギルトライルと共に騎士剣を振るい、ひれを持つ動物を抑え込み、女の子の呼びかけで一度は正気に戻すことができた。だが、その後再びひれを持つ動物は黒い靄に、悪意に包まれた。どうしてあんなことになったのかは、はっきりとは憶えていない。そうだ、あの時確か、俺が……!?
双眸を開き起き上がる。突然起き上がったことで女の子が小さく悲鳴を上げた。女の子が、「急にどうしたんですか?」と尋ねるが、俺は自身の左手をじっと見詰めたまま答えない。その時の出来事が鮮明に蘇ってきた。
そうだ。あの時、ひれを持つ動物に触れた瞬間、俺の身体の中を何かが駆け巡った。その何かは俺の左手を通じ、ひれを持つ動物の身体の中へと入っていった。そして、ひれを持つ動物は再びおかしくなった。まさか、ひれを持つ動物が再び正気を失うことになった理由は……俺が原因なのか?
咄嗟に女の子から距離を取る。女の子は俺を心配しているようだった。隣にいるひれを持つ動物も俺を見ている。ひれを持つ動物の目は、先程と変わらず、優しい色を映し出していた。
周囲を見回すと、美しかった鍾乳洞は影も形もなく、砕け落ちた鍾乳石がそこらに転がっている。少し離れた位置に騎士剣が横たわっている。その惨状を見て、俺は言葉を失った。
俺が憶えているのは、女の子を庇い倒れたところまでだ。その後どういう経緯で今に至るのかは分からない。しかし、今に至る過程の中で、この惨状を引き起こした原因が誰にあるのかは分かっている。
俺だ。俺の中の何かが、ひれを持つ動物を再び狂わせた。俺のせいで女の子もひれを持つ動物も傷付けることになってしまった。
「大丈夫、ですか……?」
女の子が俺に声を掛ける。俺は、反射的に後退ってしまった。
「すみません、何か恐がられることをしてしまいましたでしょうか? それとも、どこかまだ痛みますか? それなら私が治しますが」
女の子がそう答える。俺は、無意識に目を逸らしてしまう。そして、呼吸が荒くなっているのを感じた。
「違う……。俺は、俺はきみに優しい言葉を掛けて貰える資格なんてない。なぜなら俺は……俺のせいで、きみの友達が……せっちゃんが……!!」
目を見開きその時のことを思い出す。胸を鷲掴みにし、顔を大きく歪める。吐きそうになる口許を抑えつけ、俺はその場に膝を突いた。
「俺が、俺のせいであんなことになったんだ。俺が、俺の中の何かが、再びせっちゃんを狂わせた……。俺のせいで……!!」
洞穴の中を俺の声が木霊する。繰り返される俺の声は、責め苦のように俺に罪の意識を植え付ける。思えば、最初からそうだった。ひれを持つ動物は、おかしくならないぎりぎりを耐えることができていた。それが、俺が女の子の前に現れたせいで、耐えることが出来なくなり、おかしくなってしまった。もしかしたら、俺がこの場に現れなければ、ひれを持つ動物は女の子と再会し、元に戻ることができたのかもしれない。俺さえいなければ、女の子もひれを持つ動物も、傷つくことなんてなかったのかもしれない。
守ると約束しておいて、その実、全ての原因は俺にあった。俺は女の子にどんな顔をすればいい? どんな言葉を掛ければ許される? 俺は、絶対に許されないことをしてしまったんだ……。
手を地面に突き嗚咽する。苦しさを伴う程の眩暈が襲い、目の前がぐらぐらと揺れる。俺の声がみっともなく洞穴内に響き渡った。そんな俺に、女の子がゆっくりと歩み寄ってくる。顔を上げることが出来ず、女の子に謝るような姿勢で、俺はただ地面に手を突くことしかできなかった。女の子は無感情な声で俺に話し掛けてきた。
「そうかもしれません。せっちゃんは、確かに一度正気を取り戻しました。でも、あなたが触れた時、せっちゃんは大きな黒い光に包まれ、再びおかしくなってしまいました」
女の子がそう告げる。女の子は続けて口を開いた。
「でも、あなたがいなかったら、きっとせっちゃんを救うことはできなかった」
その言葉を聞き顔を上げる。俺が顔を上げると、女の子は手を伸ばし、優しく俺の頬に触れた。
「あなたが来てくれたことで、あなたが助けてくれたことで、せっちゃんは救われたんです。せっちゃんの命が守られたんです。それは、紛れもない事実」
女の子は続けて語る。
「おかしくなってしまった動物たちは、皆同じように凶暴になり、人や他の動物たちを襲う。そして、元の優しい動物には決して戻ることはないのです。それはこれまでがずっとそうでした。だから、せっちゃんがおかしくなってしまった時は、私が……、私がせっちゃんを殺すしかないと思っていた。それが、私の務めでもあるから。でも、あなたはせっちゃんを元に戻してくれた。もう一度、一緒に生きる機会を与えてくれた。私はそれだけで、あなたに感謝することはあっても、あなたを責めるなんてことは絶対にありません」
そう話し女の子が手を離す。女の子は、涙を流し、俺に笑い掛けてくれた。女の子の隣にひれを持つ動物が這い寄ってくる。女の子はひれを持つ動物の首に腕を回し、抱き締め、優しく声を掛けた。
「せっちゃん。せっちゃんと王国騎士さんは友達だよね?」
女の子の言葉にひれを持つ動物が嬉しそうに鳴き声を上げる。何度も何度もその言葉に同意するように、左右に顔を揺らし、鳴き声を上げている。その姿を見て、俺はぽつりと呟いていた。
「友……達……?」
その言葉は、かつて王国騎士試練の時に、あいつの口からも出た言葉。あの時、あいつがどんな気持ちでこの言葉を口にしていたのか、俺は今理解した。
ひれを持つ動物に手を伸ばす。ひれを持つ動物は、抵抗することなく、俺の手を受け入れてくれた。そして、嬉しそうに鳴き声を上げ、俺の手に頬を寄せる。俺は、ひれを持つ動物……『友達』を見て、「ありがとう」と答えた。
横たわっていた騎士剣が透緑色の輝きを静かに放つ。俺と女の子とひれを持つ動物の抱き締め合う姿を見て、友は嬉しそうに笑っていた。
「俺の剣は繋げる剣。それは、人と人だけに限ったことじゃない。互いを想い合えるもの。心が通じ合えるもの。言葉や種族という壁を越えて俺たちは繋がり合うことができる。立場も身分も違った俺たちが、共感し、繋がり合うことができたように。ありがとう。今ここに、俺の……ギルトライル=ラシュマー=クルーエルアの剣は、真に完成を見た」
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