Episode.3-8

    ◇現代◇


 ひれを持つ動物の牙に剣閃が防がれる。巨木を薙ぎ倒すほどの威力を持ったギルトライルの剣閃でも、凶暴化し硬質化した牙には傷一つ付けられない。だが狙いはそこじゃない。牙を使い、剣閃を防がせたことに意味があるのだ。


 一撃目の剣閃は相手の『武器』を封じるため。二撃目の突進は相手の『動き』を封じるため。そしてその後に続く、第三撃目こそが、誰かに繋げる『ギルトライルの剣』だ。


 ひれを持つ動物は牙を払い剣閃を防いだことで、懐(頭部の下)に隙が生じている。俺は騎士剣を構え、懐へと飛び込んだ。ひれを持つ動物に、透緑色に輝く騎士剣を押しあて、そのまま洞穴の壁へと押し込む。眼前にはひれをもつ動物の巨大な身体が広がっていた。


 輝きと共に騎士剣から風が発せられ、ひれを持つ動物の動きを封じている。線ではなく面を封じるギルトライルの剣は、前方に対しては限りなく最強に近い。更に、相手を傷付けずに動きを封じるとなれば、彼の剣以外では不可能だろう。後は、力の続く限り抑え続け、女の子がせっちゃんに触れ、せっちゃんの魂を呼び戻すだけ。


 そう思っていた。しかし、ひれを持つ動物に変化が起きた。身体の内に潜む黒い塊から靄のような何かが発せられ、ひれを持つ動物を守るように覆っていく。次第に黒い靄は膨れ上がり、騎士剣より発せられていた風を押し返してくる。俺は騎士剣を強く握り、抑えつける両の手にさらに力を込めた。


 俺たちの力と、目の前の黒い力、その二つの力は完全に拮抗していた。この力の拮抗に負けた瞬間、俺たちは圧し潰される。今だからこそ力の均衡が保たれているが、時間と共に黒い力が増大するとなれば二度目はない。この瞬間、この一度きりの、最初で最後の好機にせっちゃんの心を取り戻さなければ、次はない。


「だめ! やめて! せっちゃん!!」


 女の子の叫び声が響く。顔を上げると、そこにはひれを持つ動物が顎を上げ、巨大な牙を振り下ろそうとしていた。その瞬間、俺は大きな勘違いをしていたことに気付いた。俺が戦っている相手は、一つ(一頭)ではないことに。


 俺は目を閉じ、騎士剣を強く握り、かつての決闘の儀の光景を心に浮かべ、俺のために涙を流してくれた友と一つになり、その心を解き放った。


「ギルトライルの剣は『繋げる剣』。この剣は一人では決して振るうことはできない。後に続く誰かがいて初めて振るうことができる。今俺が繋げるべきはあの女の子。せっちゃん、きみのことを想い、きみを信じて迎えに来た、あの女の子だ!」


 叫びを上げ大きく目を見開く。その瞬間、振り下ろされた牙は俺の頭上で制止した。騎士剣が輝きを放ち、その輝きに呼応するように牙から風が巻き起こる。それは、剣閃を受けた衝撃により発生した風の残滓。風は、ひれを持つ動物の牙を縛り上げるようにその動きを封じていた。


「一撃目の剣閃は相手の『武器』を封じるため。二撃目の突進は相手の『動き』を封じるため。お前の武器は、俺たちの剣を受けたことにより既に封じられている!」


 声を上げ騎士剣を強く押し当てる。ひれを持つ動物の巨大な咆哮が響き渡る。力は完全にこちらが上回っていた。俺は振り返り、ギルトライルと共に叫んだ。


「「今だ!」」


 俺たちの声を聞き女の子がはっとなる。女の子は不安そうな顔を浮かべながらも、両の手を強く握り締め、顔を上げ、此方へと駆け寄ってきた。女の子は、俺の隣に並び、手を伸ばし、優しくせっちゃんに話しかけた。


「せっちゃん、ごめんね。私、せっちゃんが苦しそうにしてたこと、気付いてた。でも、どうすれば治してあげられるのか分からなかった。せっちゃんは、私を傷付けないようにするために離れていったんだよね? だけど、大丈夫だよ。せっちゃんはどんなことがあっても私のことを傷付けたりしないって信じてる。だから、一緒に帰ろう」


 女の子がそう告げ、ひれを持つ動物に触れる。優しい透水色の光が輝き、ひれを持つ動物の身体を覆う。しかしそれに抗うように、ひれを持つ動物の身体の内より黒い靄が溢れてきた。女の子の透水色の光を押し返し、その光を打ち消さんばかりにその靄が広がっていく。女の子はその靄を前にし、悍ましいものを見るような表情を浮かべた。


「なに、この嫌なの……。凄く不快で、凄く気持ちが悪い。こんなのが、こんなのがせっちゃんの身体の中にあるの……?」


 女の子は顔を引きつらせながらも必死に透水色の光を放っている。しかし、ひれを持つ動物の身体の内より溢れてくる黒い靄がその光を覆い隠していく。ひれを持つ動物自身は俺とギルトライルが抑え込んでいるが、このまま抑え込んでいるだけでは、ひれを持つ動物を正気に戻すことはできない。


「せっちゃん……。せっちゃん……」


 女の子が涙を流し必死に訴える。透緑色に輝く光の隣で大きく輝いていた透水色の光が、徐々に黒い靄に呑まれていく。透水色の光を発していた女の子もまた、その靄に呑まれようとしていた。次第に闇に喰われていく女の子。その光景を目の当たりにし、俺は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。この光景に、俺は見覚えがあった。


    ◇


 俺と繋いだ手を離し、離れていった女の子。その直後、その子は黒い世界に喰われた。黒い世界はそのまま俺を喰らい尽くし、俺は色を失った。しかしそんな黒い世界の中にも、一筋の光が残っていた。それは、手を離す前に交わしたその女の子との約束。顔も声も覚えていない。だけど、俺は確かに、その子と手を繋ぎ、大切な約束を交わしていた。


    ◇


 俺はいつの間にか、透水色の光を発する女の子の手に、自身の右手を添えていた。まるで、いつかも泣き喚いていた女の子に手を添えてあげた時のように。その時と同じように、優しくその手に触れた。


 女の子が俺を見上げる。俺はゆっくりと女の子に顔を向け、女の子の目を真っ直ぐに見て口を開いた。


「泣かないで。『僕』が、きみを守るから。だから安心して」


 俺は女の子に優しく微笑み、ゆっくりと頷く。俺が頷いたのにあわせ、女の子は再びひれを持つ動物へと向き直り、透水色の光を放つ手に力を込める。俺は、身体をギルトライルに委ね、心を、ひれを持つ動物へと手を伸ばす女の子に委ねた。


 透水色の輝きが大きく光を放ち、黒い靄が光に搔き消されていく。俺は、女の子に触れている自身の手に、強く意志を込めた。


 魂に色を感じられない動物は救うことができない。これはきっと正しいのだろう。グレイはまだ光を感じ取ることができたから救うことができた。しかし、ラミスで戦った凶暴化した動物は、桁違いの強さを有していただけでなく、魂に色を感じ取ることができなかった。だからこそ、命を絶つという手段でしか救うことができなかった。それなのに、同じように魂の色を感じられないにもかかわらず、今回は救い出せると確信を持っている。それは、その者にとって、大切な人が、愛する者が、信じるものがあるから。


『信じること 信じ抜くこと 守ること 守り抜くこと』


 記憶のない俺が覚えていた唯一の言葉。俺の信念を支える言葉。俺を信じて待ってくれている人が、ずっと覚えていてくれた大切な言葉。


 そう。信じる者が信じ続ける限り、俺はその者を守り、守り続けていく。女の子がせっちゃんを信じ、せっちゃんが女の子を信じているのなら、俺がその二つの絆を守り抜いてやる。この世界の全ての命、それを救い、守り抜くことが、俺の……!


 光が爆ぜる。透水色の光に混じり、黄金の光が僅かに差す。その僅かに差した黄金の光の中に、見たことのない光景と、会ったことのない人々が映り込む。


「せっちゃん、お願い! 正気に戻って!!」


 女の子の叫びと同時に光が爆ぜ、洞穴内に透水色の光が迸った。


 俺は、光の中に映った光景と人々を目にし、知らず知らずのうちに涙を流していた。知らない光景なのに、知らない人たちなのに、どうして俺は涙を流したのだろう。そして、先程俺は、心で何を叫ぼうとしていたんだ。


「守り抜くことが、俺の……俺の……何だっていうんだ……」


 透水色の光が黒い靄を覆い尽くす。黒い靄が消え去りそうになるほど小さくなった時、ひれを持つ動物の身体の中に再び白い光が宿った。それに合わせるようにひれを持つ動物の体が小さくなっていく。先程まで感じた殺気も感じられなくなり、目も穏やかな色に変わっていく。おおよそ、俺たちと変わらない大きさまで小さくなったかと思うと、ひれを持つ動物がゆっくりと頭を下げた。女の子に寄り添うように顔を近付け、その頬に顔を寄せた。


「せっちゃん? いつものせっちゃんに戻ったの……?」


 女の子の言葉に応えるようにひれを持つ動物が優しく鳴き声を返す。女の子は涙を流し、ひれを持つ動物の顔に抱き着いた。


「せっちゃん……。よかった……。本当に良かった……」


 その光景を見て俺も胸を撫で下ろし、ひれを持つ動物に押し当てていた騎士剣を下げる。俺の目から見ても、ひれを持つ動物の表情は笑って見えた。女の子が泣き叫ぶ度に透水色の光が明滅する。その光景を見守っていると、どこかから声が聞こえてきた。


「良かった。上手くいったんだな」


 その声に笑って返す。俺は目を閉じ、心の奥から聞こえてくる大切な友の声に耳を傾け、あの決闘の儀の結末を思い出した。


    ◇同時刻〔エルザ視点〕◇


 透水色の光が洞穴内を迸った。覆っていた外衣を払い、そこにいるであろう二人と一頭に意識を向ける。グレイがいるため近くに行くことができないが、洞穴内に迸った光が黄金ではなかったことを考えると、始末を付けたのは坊やではないようだ


「相変わらず水の国の双子巫女の能力は大したものね。片割れだけでもこれだけの能力を有しているのだから。それにしてもあの魔物、グレイと同じように魂に色が残っていたのかしら。私には坊やの言う色が視えないから分からない。だけど、魔に憑りつかれた動物が、――――の光もなしに正気に戻るなんてことが有り得るのかしら」


 口許に手を添え考える。永い時間を生きてきたが、魔物は殺して処理し続けてきただけにそれ以外の手段を考えたことがなかった。ましてや元の動物に戻すなど、そんなことを考えたことすらなかった。なぜなら、魔物は命を脅かす危険な存在。放っておけば際限なく数を増やし、強さを増していく。元に戻すなどという面倒な手段を取ってはいられなかった。それに、それは私に限ったことではない。現に、近年では各国において魔物の存在が知れ渡ることになり、その対処に追われている。その対処方法は、勿論『殺害』だ。

 それなのにあの坊やは、魔物を『救う』……手段をとった。元に戻す方法を。人々が誰一人思い付くことのなかった方法で、魔物を救ってみせた。そんなことを考えつくこと自体が、――――の証明としか言いようがない。


 先程の光景を思い浮かべる。


 あの動物は少女の大切な存在だ。坊やもそれを分かって戦いに臨んでいった。あの大きな光と今の静けさ、もしかしたら、あの動物を救うことができたのかもしれない。それは本来なら喜ばしいことだ。しかし、今の状況も捨ておくには惜しい。もし、少女が大切にするあの動物が、決して戻ることのない『悪意』に呑まれたら、その時坊やはどうするのかしら。


「あの少女には悪いけど、これも世界のためだと思って、坊やの正体を暴くのに一役買ってもらうわ」


 私は強く念じ、坊やの中にある眼に接続した。

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