Episode.3-5

「すみません、少しお時間を下さい」


 洞穴の奥に向かう直前、女の子がそう口にする。そしてすぐ傍にいる亀の元へ歩み寄り、しゃがみ込んで声を掛けた。


「すぐに戻って来るからね。それまで安心して待っててね」


 その言葉に、亀もまた応えるように頭を上げる。女の子が亀を撫でると、その瞬間、亀は透水色の光に包まれた。女の子はそれを見て満足そうに微笑み、「行ってくるね」と告げ立ち上がる。そして俺へと向き直り、凛とした顔をして告げた。


「行きましょう、せっちゃんを助けに」


 ひれを持つ動物が去っていった横穴は広い一本道だった。あの動物が何度もここを通った影響かもしれない。これまで歩いてきたごつごつした地面と異なり、横穴の中は平らになっていた。隣には透水色の光を発する女の子が歩いている。代わり映えのない景色が続いていたが、僅かに生物の吐息を感じられるようになり、ひれを持つ動物はもう目前に迫っているのだと分かった。


 俺は前を向いたまま女の子に声を掛けた。


「今から俺が言うことを心に留めてほしい」


 女の子は何も口にせず、不思議そうな目で俺を見上げる。


「きみが信じるものを最後まで信じ抜き、守りたいものを守り抜いてくれ」


 俺の言葉に女の子が驚きの声を漏らす。


 先程、ひれを持つ動物と相対した時、動物の中に見えた黒い感覚はそれほど大きくはなかった。しかし、この先から感じる黒い感覚は先程の比ではない。ほんの僅かな時間しか経っていないのに、この短期間でどういう変化があったのだろう。もしこの先にいるひれを持つ動物が、ラミスで相対した動物のように、白い感覚を全く感じられなくなっていたら、きっと助け出すことはできない。その時は、あの時と同じように殺すことになってしまうのだろうか。いや、そんなことにはならない。なぜなら、ひれを持つ動物――せっちゃん――には、信じて待っていてくれる人がいるのだから。


「その言葉……。もしかしてあなたは、ティアナが話していたあの男の子なんですか?」


 女の子がそう口にする。その言葉に俺は立ち止まり、隣を歩いていた女の子に顔を向けた。女の子もまた立ち止まり、驚いた表情で俺を見ていた。


「ティアナ姫が話していた男の子……?」


 女の子が口にした言葉を俺は自然と繰り返していた。『ティアナ』という呼び方から、この女の子がティアナ姫と面識があることは明白だった。それだけでなく、この女の子はティアナ姫と相当深い関わりがあるのだと推察される。

 女の子は驚いた表情でずっと俺を見上げている。俺もまた同様に女の子を見ていた。何か声を掛けようとしたが、そこに、奥から呻き声が響いてくる。俺は急いでそちらに向き直った。女の子もまた呻き声が聞こえた方へと向き直る。女の子の手より輝く透水色の光が洞穴内を照らし、この先に広い空間が広がっていることを認識させた。


 背筋に悪寒が走った。先程の予想は間違いなく的中している。ひれを持つ動物は凶暴化している可能性が高い。手を強く握る。その手には、あの日誓った温かさやくそくが今も宿っていた。


    ◆


「必ず使命を全うし、あなたをお守りするため、再び戻ってくると約束します。だから信じて待っていてください。私は、他の誰でもない。ティアナ姫に任命頂いた王国騎士なのですから」


「あの子の友達なんだろう。だったらそこにそれ以上の理由なんてない。もしきみが危険な目にあうようなことがあれば、その時は俺が必ず守る。だから一緒にいこう。きみの友達を救うために」


    ◆


 俺がやるべきことは、信じる者、信じ抜く者を、守り、守り抜くこと。そのためならば俺は……。


 騎士剣の柄に手を掛け、強く握りしめる。俺の鼓動が騎士剣に伝わり、騎士剣から感じられる鼓動が俺の全神経を奮い立たせた。

 騎士剣を引き抜き、払う。透緑色に輝く残光が軌跡を描き、騎士剣へと収束する。俺は騎士剣を強く握りしめ、歩を進めた。


 不規則に滴り落ちる水音に混じり二つの足音が響く。しかしその足音すら掻き消すほどに、目前に迫る呻き声はさらに大きく響いている。残り十歩にも満たない。この先に女の子の友達、せっちゃんがいる。先程までは苦しみに抗い続けている呻き声だった。それが今は、まるで外敵に対して威嚇するような呻き声に変わっている。


 横穴を抜け、広大な石灰洞に足を踏み入れる。女の子の手の中の光が周囲を照らし、天井や壁一面に広がる鍾乳石が輝きを放つ。そこには、目を奪われそうな光景が周囲に広がっていた。そんな美しい景色の中、俺たちの前で巨大な影が動く。それは、ゆっくりとこちらに向き直り、俺たちの姿を認めるや否や大きく口を開け、地上まで響くほどの巨大な咆哮を発した。


「くっ……」


 俺は女の子を庇うため騎士剣を構え前に出る。しかし、凄まじいまでの咆哮にそれを受け止めきれず後退った。

 面倒なことに、洞穴内ということもあり、足元は程よく湿り気を帯びていた。一瞬でも気を抜けば足を取られかねない。駆け回って速さで勝負を仕掛けるのは余りにも危険すぎる。それに対し、向こうにとっては絶好の領域。この状況でどう立ち向かえばいい。


 咆哮が止み、抑えつけられるような凄まじい衝撃が和らいでいく。俺は防御の姿勢を崩し、騎士剣を構え直した。俺の隣に女の子が並ぶ。手の中の光が大きく輝いている。女の子はひれを持つ動物へと叫んだ。


「せっちゃん、私だよ。迎えに来たよ。一緒に帰ろう」


 女の子の叫びに、ひれを持つ動物は上げていた顔をゆっくりと下ろす。そして女の子へと顔を向け静止した。女の子の発する光がひれを持つ動物を照らす。女の子は微笑み、一歩を踏み出し、手を伸ばした。しかしその瞬間、ひれを持つ動物の目の色が変わった。


「危ない!」


 咄嗟に女の子を抱え跳ぶ。しかし、巨大なひれが眼前に迫って来ていた。騎士剣でひれを受け止めようとしたが、当然受け止めきれるはずもない。俺たちは殴り飛ばされるように壁に激突した。


 壁にぶつかった衝撃で大きな音が響き女の子が悲鳴を上げる。背中に痛みを覚えたが耐えられないということはない。女の子に「怪我はないか」と尋ねると、女の子は「私は大丈夫です」と答えた。

 そんな、怪我のやり取りを行う間もなく再び重圧が迫ってくる。俺は、急いで騎士剣を鞘に納め女の子を抱え走った。俺たちの後ろからは、ひれを持つ動物が大きな振動を鳴らし迫って来ていた。壁や地面、天井から生える鍾乳石を壊し、自身が怪我をすることなどおかまいなしに。


 女の子が不安そうな目で俺を見上げる。女の子が発する光で正面が照らされているため何とか走ることはできている。しかし遠くまで見えるわけではなく、足元が滑ることもあり、追いつかれるのは時間の問題だと感じた。

 女の子が後方へと顔を向ける。そこには、俺たちのことを執拗に追いかけるひれを持つ動物の姿があった。その姿を見て女の子が涙を流す。俺は抱える腕に力を込め、口を開いた。


「きみが信じないで、誰が信じてあげるんだ」


 俺は立ち止まり、女の子を抱えたままひれを持つ動物へと向き直る。俺の言葉に女の子は顔を上げた。


「俺は約束した。きみを守ると」


 それは、かつて誰かと交わした約束と同じもの。今はまだその光景は見えない。だけど、信じ続ける限り、守り続ける限り、いつかはその光景に辿り着けるのだと、俺は信じている。


「俺が必ずきみを守る。だから叫び続けろ、きみの大切な友達の名前を。せっちゃんのことを」


 俺の腕の中で女の子が不安そうに声を漏らす。俺を見て、せっちゃんを見て、そしてもう一度俺を見て強く頷いた。


 俺は女の子を下ろし、再び騎士剣を抜き、構える。そして女の子の前に立ち、眼前に迫り来るひれを持つ動物を見て口を開いた。


「せっちゃんは病にかかった。その病は一度かかるときみを傷つけてしまう恐ろしい病だ。それをせっちゃんは分かっていた。だからきみの元から離れた。けれど、心の奥底でずっときみを想い、この場所で耐えてきたんだ。自分を無くさないように。それを、俺がここに来たせいでせっちゃんを怖がらせてしまった」


 そしてそれが引き金となり、凶暴化を加速させた。


 ひれを持つ動物を真っ直ぐに見る。あの遠征時の動物や、グレイの時に感じた魂の色は感じられず、黒い感覚が体中を駆け巡っている。


 ラミスでエルザに言われた。「あれも救う気なの」と。魂に色を感じられない動物は救うことができない。あの時の俺はそう思っていた。だけどもし、もし深い闇に落ちても、手を差し伸べてくれる存在がいるのなら、それはまだ、助かる道があるということではないだろうか。


 目を閉じ、正面から迫る感覚に神経を集中させる。似ている。俺の内側から感じられるあの、『悪意』と呼ばれる感覚に。


「きみの友達は俺が必ず救い出す。だからきみも最後まで絶対に諦めるな」


 そう女の子へと叫び目を見開く。そして騎士剣を両手で強く握り、俺は駆けだした。


「いくぞ、ディクストーラ!!」


 俺の叫びに呼応するように騎士剣の輝きが増す。俺は心に友との繋がりを感じ、友と一緒にひれをもつ動物へと立ち向かった。


 鈍い音が響き渡る。ひれを持つ動物の突進を騎士剣で受け止めた音。


 相当の力でぶつかりあったにもかかわらず、ひれを持つ動物の双牙には傷の一つも入っていない。牙の硬度は、凶暴化していた時のグレイの比ではないようだ。また、全力を出しているにもかかわらず力の差は歴然だ。正面から力業による迎撃を試みたが、結果的に押し返されている。それだけでなく、足場の悪さもあり後ろに滑らされている。


 顔がこわばり、噛みしめる歯の音が骨を伝い直接耳に響く。俺とディクストーラ、二人分の力が何の足止めにもならない。だが、俺の後ろには女の子がいる。このまま俺が後ろに押され続けたら、その子も一緒に壁に打ち付けられることになる。そんなことは絶対にさせない。


 ひれを持つ動物を見上げ叫ぶ。友もまた声を上げる。俺たちの叫びは一つになり、それに応えるように騎士剣から風が巻きおこった。その風は俺たちを包み込み、僅かながらにひれを持つ動物を足止めさせた。


 目の前にひれを持つ動物の顔がある。俺は一切の力を抜けずその場で騎士剣を握りしめていた。そこに、女の子が俺の傍に来て口を開く。


「せっちゃん、私だよ。いつもの優しいせっちゃんに戻って」


 女の子が両手を伸ばし、ひれを持つ動物に触れようとする。しかし、ひれを持つ動物は牙を振り払い、そのまま再び滑り出し俺たちから距離を取った。


「せっちゃん!!」


 女の子が叫ぶ。俺は騎士剣を構え直し女の子の隣に並んだ。


 ひれを持つ動物は離れた位置から俺たちの様子を窺っている。女の子が何度も叫んでいるが、感じられる魂の色に変化はない。しかし、距離を取る直前、女の子が手を伸ばした際に、僅かに感じ取れたことがある。女の子が触れようとした瞬間、ほんの一瞬だけ、ひれを持つ動物の力が弱まった気がした。その際にも魂の色に変化はなかった。だけど、まるで直感的に感じ取り、女の子から離れたように見えた。


 間違いない。どれだけ狂おうと、どれだけおかしくなろうと、繋がれた絆は断つことはできない。ましてや決別したわけでもないのなら猶更。記憶をなくし忘れたとしても、心は覚えている。その心がある限り、必ず……。


 俺は騎士剣を強く握り締め女の子に声を掛けた。


「せっちゃんを救うためには、どうしても動きを封じる必要がある」


 女の子が俺を見上げる。


「さっき一瞬だったが確かに感じ取れた。きみが手を伸ばした瞬間、せっちゃんは……いや、せっちゃんの中にある何かがきみを避けた」


「何か……?」


 女の子が俺の言葉を繰り返す。俺は目を閉じ心の中で呟いた。


 その何かこそが、今まで形容できなかったそれそのものではないだろうか。俺の記憶を、心を覆い隠す、あの黒い感覚と同じ。目の前の魂から感じられる黒い感覚こそが、俺の心の中に浮かび上がる、『悪意』の正体のような気がする。


 目を開き、ひれを持つ動物を真っ直ぐに見据える。再び女の子へと声を掛ける。


「その何かの正体は、今はまだ分からない。だけど、それがきみをせっちゃんに触れさせまいと邪魔をした。きみがせっちゃんに触れることが出来れば、きっとせっちゃんを救うことができる」


 ひれを持つ動物の目に強い殺気が宿る。


「言葉だけじゃ届かない。言葉と共にぬくもりを……。大切な人に触れたいと想うその心を、感情を、思い出させるんだ!!」


 ティアナ姫の部屋で、その手に触れた時の感覚を思い出す。決して記憶が戻ったわけではない。だけど心は、ティアナ姫のその心に触れたことがあると、確かに思い出した。そしてその心が形となり、感情を思い出させ、ティアナ姫へと伝える言葉となった。


 先程ディクストーラと共にひれを持つ動物にぶつかった時のことを思い出す。


 あの牙は断つことはできない。牙以外の部位であれば傷を負わせることはできるかもしれないが、それはできない。速さはグレイよりも遅いとはいえ、一撃は圧倒的に此方が勝る。真っ向からぶつかり続けたところで結果は同じ。とはいえ、アーキユングの剣ではどうすることもできない。アーキユングの剣は、知らない相手に対しては真価を発揮できない。そのための知識、そのための分析なのだ。それに今回はラミスの時と違い、殺してはいけないという制限が付く。感覚を奪うということは、そのものを殺すことと同義。それもまたできない。つまり、この巨体の身動きを封じ、これ以上暴れないように『物理的』に追い詰める必要がある。幸いここは洞穴の内部。壁に押し付けることが出来れば、女の子がひれを持つ動物に触れることができる。


 騎士剣を握り直し、刃ではなく、腹が正面に向くように持ち替える。そして剣閃を放つ姿勢を取り、両の手で騎士剣を握り、ある男を心に思い浮かべた。


 自身よりも大きなもの、力のあるものに対し、いつも劣等感を抱き続けてきた。しかし最後にはそれを乗り越え、身体の小ささすら感じさせない、誰よりも強い力を身に付けた。そう、あいつの剣ならば、一時的にとはいえ、『物理的』に自分よりも大きな相手を圧倒することができる。


 気持ちを落ち着かせ、心を接続する。あいつが感じた嫉妬や劣等感、そのすべてが心に映る。しかしその先に輝く小さな光が見える。決闘の儀の時あいつはこう言った。


    ◆


「人はきっかけ一つで変わることができる。それを気付かせてくれたのが、お前だよ。変われない者にとって、変わるきっかけというのは、それだけで全てなんだ。俺にとってお前は、俺を照らし導いてくれた光そのものなんだ」


    ◆


「一人一人は小さな存在なのかもしれない。だけど共に戦うことで大きな相手とも渡り合うことができる。相手を倒すことではない、次代へと繋げる剣……。大切な友達を救うため、力を貸してくれ! ギルトライル!!」

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