Episode.3-4

 鋭い音が響き渡る。剣と牙がせめぎ合い、光がほとばしった。全力で切り込んだが牙には傷一つ付かない。凶暴化していた時のグレイほど速さがある訳ではないが、重量は圧倒的にこちらが勝っている。更に足場が砂地ということもあり、巨体から掛かる重圧のせいで足が沈んでいく。俺は後ろにいる女の子へと叫んだ。


「離れろ」


 女の子の手の中の光が小さく輝いている。その光に照らされ女の子の顔が見える。女の子はただただ、驚きの表情で俺を見ていた。


「離れろ、早く」


 俺はもう一度叫んだ。俺の叫び声を聞いた女の子ははっとなり、困ったように視線を逸らす。女の子は何かに迷っているようだった。その間も、ひれを持つ動物の重圧は衰えることなく俺に圧し掛かってくる。砂に足が埋まり始め、重さに耐える腕に歪みを感じ始める。


 このままではまずい……。


 しかしそこでどうして女の子がこの場を離れないのかを理解した。俺の後ろには女の子だけでなく、産卵中の亀もいる。その亀がいるからこそ、女の子もこの場を離れようとしないのだ。


 みしりと、身体から嫌な音が聞こえそうなほど圧が掛かっている。このまま受け止め続けることはできない。俺はグレイを呼ぼうと思った。しかしその瞬間、受け止めていた圧が急に弱まる。何故かは分からないが、ひれを持つ動物は俺から離れ、その場でのたうち回りだした。

 一瞬、何が起こっているのか分からなかった。のたうち回るその姿は、正常な動物からは想像もできないような光景だ。身悶えるその姿に、心からの苦しみが伝わってくる。何か制御できない大きな力に抗っているような、そんな光景だった。


 迷いはあった。何かに苦しみ抗う姿は、かつて見たあの動物の親子を思い出させた。しかし今は、女の子を守らなければならない。


 歯を食い縛り、剣を構え直す。ひれを持つ動物を正面に捉え、手に力を込める。俺は、剣を振り被り一閃を放とうとした。だがそこで、俺とひれを持つ動物との間に誰かが割って入った。


「やめて、友達を殺さないで」


 目の前には、先程まで俺の後ろにいた女の子が両手を広げ、ひれを持つ動物を庇うように立っていた。その言葉と共に女の子が発していた光が消え、洞穴内は暗闇に包まれた。


 何も見えなくなった。しかしすぐ傍にいるひれを持つ動物の暴れ狂う気配は今も顕在だ。目の前に再び透水色の光が灯る。女の子が両手を合わせ、その手から光を放っている。女の子は祈るように両手を握りしめたまま振り返り、ひれを持つ動物に声を掛けた。その声を聞いたひれを持つ動物は、拒絶するように、巨大な咆哮を上げ、洞穴の奥へと戻っていった。


 女の子はその場に膝を突き座り込む。俺は女の子に歩み寄り声を掛けた。


「大丈夫か」


 女の子は手を強く握りしめたまま悲しそうに俯く。しかし、すぐに俺へと顔を向け、口を開いた。


「あなたは、せっちゃんを殺すつもりだったんですか」


 女の子が俺を睨みつける。その目には困惑と恨めしさ、そして悲しみの色が映っていた。俺は肯定も否定もできずにその場に佇んだ。


「せっちゃんは苦しんでるんです。いつからか体調が悪くなって、それから姿を見せなくなりました。今日はこの子(亀)が無事かどうかを確認しにここに来たんです。そうしたら、姿を見せなくなったせっちゃんがここにいました」


 女の子は強い口調で話す。女の子は更に強い口調で、俺を睨みつけ言葉を続けた。


「どうしてせっちゃんに切り掛かったんですか? 何のためにせっちゃんを殺そうとしたんですか?」


 女の子の言葉に、俺は「きみに、危害が及ぶかもしれないと思って」と返す。だが女の子は、先程よりもより強く恨めしい表情をして答えた。


「見ず知らずのあなたに、助けてほしいだなんて頼んだ覚えはありません」


 何も言い返せなかった。守りたいと願う気持ちは俺の信念そのもの。しかし俺は今、守りたいと願うそのものから否定された。独善と言われればそうなのかもしれない。相手から拒まれてまで助けるというのは、それは自分勝手な我が儘だ。俺の信念は間違っていたのか……?


 女の子を見る。強く俺を睨みつける怨霊のような目。その目に見覚えがあった。


 女の子は今、強い感情に囚われ自分自身を見失っている。発端となった理由は違えど、負の感情に支配されたこの目を俺は見ている。そう、忘れはしないあの日に。


 目を閉じ、拳を強く握る。俺はあの日のことを思い出していた。


 ティアナ姫は、俺が使者としての使命を帯び旅立つと知った時、王女としての立場など省みず、母親であるリリアナ王妃にその使命を取り消すよう話しに行こうとした。その場では説得することはできた。しかしその後、俺が使者の命を正式に受ける時、ティアナ姫は再び感情に支配された、ただの我が儘な女の子に戻っていた。


 目の前の女の子もまた、あの時のティアナ姫と同じなのだろう。先程、俺からあの動物を庇う時に言っていた。


 友達だと。


 俺が助けに入る前、女の子は手の中の光をあの動物へと向けていた。それはきっと、あの動物を戒める術。だけど女の子にはできなかった。友達を傷つけたくなかったから。この女の子は、自分自身の怪我よりも友達を優先した。


 友達を、せっちゃんを守りたかったんだ。


 俺が助けに入ったせいで、女の子はどうすればいいかわからなくなった。友達が殺されるかもしれないと思い、必死に守ろうとした。でも、守り方も救う手段も分からない。それでも救いたい気持ちがある。だから俺をここまで拒絶するんだ。


 目を開く。目の前には女の子が立っている。ずっと変わらない恨めしさと怒りを含んだ瞳。俺は剣を鞘に納め口を開いた。


「俺はきみに謝らなければならない。俺はあの時、きみを守ることを優先し、あの動物を倒すことだけを考えていた。でも、本当はある。いや、できるんだ。きみの友達を救うことが」


 女の子は訝しげな表情をし、「急に何を言っているんですか」と口にする。俺は後ろ腰に帯びている布に手を伸ばし、布からそれを取り出した。女の子はそれを見て驚き、声をあげた。


「その紋様は、クルーエルア王国の紋章……。もしかしてあなたが手にしているのはクルーエルア王国の騎士剣? まさか……王国騎士!?」


 女の子が俺を見てそう口にする。俺は騎士剣の納まった鞘を握りしめたまま、女の子の目を見て口を開いた。


「きみの友達は俺が必ず救ってみせる。信じてくれ」


 俺の言葉を聞き、女の子は目を逸らしてしまった。それ以上のことは何も告げず、しばらく女の子の答えを待った。女の子は俯き何も口にしない。ひれを持つ動物が去った洞穴からは、時折呻き声が聞こえてくる。

 俺はそちらへと身体を向けた。しかしその瞬間、後ろから服を引っ張られる。顔を向けると、(両手は合わせたままの手で)俺の服を引っ張る女の子の姿があった。


「本当に、せっちゃんを助けることができるんですか?」


 女の子は俯きながら俺に尋ねる。俺は女の子に向き直り答えた。


「本当だ。俺を王国騎士に任命してくれた姫様に誓って、嘘は吐いていないと約束する」


「クルーエルアの姫様? もしかしてティアナに……?」


 女の子がティアナ姫の名前を口にする。一瞬驚いたが、そこに結びつけられるだけの条件は揃っていた。

 先程から見せている手の中に輝く透水色の光、ここが水の国の領土、そしてエルザの「あの少女なら放っておいても大丈夫よ」と呟いた一言。まさかこの女の子は、ただの水の国の術士ではなく、水の国の……。


 答えを導き出そうとしたところで、女の子が俺の服から手を離す。そして両の手を胸の上で強く握り直し、再び大きな透水色の光を発した。


「せっちゃんを助ける方法があるのなら私もお手伝いします。海に生きる動物たちが、安心して(海で)暮らせるようにすることが私の役目です。だって私は! 私は……」


 手の中の光が小さくなる。その後に続く言葉を口にしない。恐らくそういう身の上なのだろう。


 少し悩んだ。グレイの時と同様、救うことができたとしても激闘になるのは必至。決して一筋縄ではいかないだろう。そんなところに、こんな華奢な女の子を連れて行っても大丈夫なのだろうか。だけど……。


 女の子の目を見る。俺は覚悟を決め、口を開いた。


「あの子の友達なんだろう。だったらそこにそれ以上の理由なんてない。もしきみが危険な目にあうようなことがあれば、その時は俺が必ず守る。だから一緒にいこう。きみの友達を救うために」


 女の子が俺を見上げる。不安げに見上げてくるその瞳が、かつての誰かと重なった。


 この弱々しい可憐な瞳。この子は泣いてこそいない。でも、あの子はずっと泣いていて、泣き止まなくて、だからその不安を取り除いてあげたくて、僕は……。


「その、そんなにじっと見詰められると、照れてしまいます……」


 女の子が顔を赤らめながら目を逸らす。俺は心の中で顔を覆った。この場にリリアナ王妃かリリィがいたら何と言われただろう。甲斐性なしに続き、また不名誉な称号が与えられそうだ。


 被りを振る。改めてひれを持つ動物が去った横穴へと向き直る。心を落ち着かせ、女の子を真っ直ぐに見て、「行こう」と声を掛けた。女の子は大きく頷き、手の中の透水色の光を煌々と輝かせ、「はい」と答えた。


    ◇

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