Episode.3-2

    ◇クルーエルア〔ティアナ視点〕◇


 透き通るような青色の空が今日も広がっている。快晴を告げる太陽が明々とクルーエルアを照らし、城下を道行く人々の賑わいがここまで聞こえてきそうだ。こんなにも素敵なお天気なのに、私の心はずっと雲に覆われている。”彼”が旅立った、あの日からずっと。


 突然扉を叩く音が響く。指の上で私の顔を見上げていたぴーちゃんはその音に驚き、私の手を離れ窓から飛んで行ってしまった。


「ティアナ、起きてる?」


 扉の向こうから声が聞こえてくる。リリィの声だ。私は返事をせずその場でうずくまる。黙っていると、リリィは扉を開け部屋の中に入ってきた。


「起きてるなら返事くらいしてよね」


 そう言いながらリリィが扉を閉める。リリィは、私が窓際の椅子に腰掛けていることに気付くと、私の傍まで来て立ち止まった。私はうずくまったまま、手に残るぴーちゃんの温かみだけを握り締めていた。"彼"が旅立ってからは、ぴーちゃんだけが私の心の拠り所だった。


「ティアナ、あれからもう一週間以上も経つ。何度も言っていることだけど"彼"は強い。必ず無事に戻ってくる。だからあなたも、あなたにしかできないことをやってはどうかしら」


"彼"が旅立ってから何度も言われている言葉。リリィの言いたいことは分かる。"彼"には"彼"にしかできないことがあるように、私にも私にしかできないことがあると、そう言いたいのだ。でも私には分からない。"彼"が戻って来るまでに、私は何をすればいいのか分からない。何ができるのかも分からない。"彼"はずっと傍にいてくれると思っていたから。


 もう一度会いたいと願い続けた。大切な約束をしたから。


 目の前で私を庇って"あの子"は切られた。私は"あの子"に言われるがままに、走って逃げた。そして私は助かった。今でも鮮明に覚えている。"あの子"が刃物で切られた光景を。


 もう二度と会えないと思った。あの時"あの子"は死んだと思っていたから。でも……。


    ◆


「死を看取ったわけじゃないんでしょ!? あなたがその"男の子"を信じないで誰が信じてあげるのよ!! あなたのそんな顔を見たら、その"男の子"はもっと悲しむわよ!!」


「ちょっとお姉ちゃん。言い過ぎだよ……」


    ◆


 そう。あの時は、二人のお陰で前を向くことができた。"あの子"は生きていると信じて、毎日を頑張って生きることができた。そして本当に"あの子"と……"彼"と再会することができた。"彼"は記憶をなくしていて、私のことも約束のことも覚えていなかった。それはとても寂しかった。けど、私は"彼"と一緒にいられると思っただけで嬉しかった。


 もう二度と離れたくなかった。ずっと一緒にいられると思っていた。それなのに……。


「ティアナ」


 私を呼ぶ声に、肩がびくりと跳ねる。現実に意識を戻された私は、(手に残っていたぴーちゃんの温かみは既になくなっていて)何も感じられない自分の手を握りしめていた。


「あの頃とは違う。あなたはもう、子供じゃないのよ」


 そう言い残しリリィが部屋を出ていく。扉の閉まる音と共に、部屋内には再び静寂が訪れた。私は顔を上げ、空を見たが、ちょうど太陽は雲に覆われ隠れてしまっていた。


「私には……私には、何ができるの……」


    ◇


 凶暴化した動物を振り切り北へと向かった。海に辿り着いた頃には西の空は茜色に染まっていた。茜色の景色が風に揺られる。風で歪む海面は蜃気楼のように、美しくも恐ろしいこの世界の行く末を映し出しているようだった。


 エルザがグレイから降り周囲を見渡す。俺もグレイから降りて周囲を見渡してみたが、(凶暴化した動物などの)脅威は感じられなかった。エルザは海岸沿いを進み、中立地帯の岩壁へと歩いていく。海へ流れ出る湧水が眼前に広がっているが、エルザは特に気にすることなく、足先を濡らしながら進んでいった。


「何ぼーっと突っ立ってるの。時間が惜しいんでしょ。さっさとついて来なさい」


 振り返り、エルザがそう言い放つ。西日のせいでエルザの顔が良く見えない。


「……? どうしたのよ。ぼーっとして。こんなところまで来て騙したりしないわよ」


 雲がかかり日の光が途絶える。その瞬間エルザと目が合った。


 エルザは再び岩壁へと進んでいく。グレイが俺に顔を寄せ、「追い掛けなくていいの?」という表情をする。俺はグレイを撫で、「ごめん、考え事をしていた」と声を掛けた。俺が歩を進めると、グレイは俺の後ろを付いてきた。


 岩壁の下で待つエルザの元へと向かう。エルザは俺が来るのにあわせ、もう一度周囲を見渡し、口を開いた。


「坊やはここがどこなのか知ってる?」


 突然の問いに理解できず言葉に詰まる。エルザは俺が答えられるはずなどないことは察していたのか、すぐに話を続けた。


「今立っているこの場所はどの国の領土かしら」


 質問の意図は分からないが、俺は「中立地帯だからどの国の領土でもない」と答える。しかしエルザは「違うわ」と答えた。俺は「じゃあクルーエルア?」と尋ねてみたが、エルザから返ってきた答えは別だった。


「今私たちが立っているこの場所は、本来海洋を移動する島内にしか領土を持たない、かの国の領土よ」


「海洋を移動する島……? アスクリード?」


「正解」


 エルザが答える。


「今の世界情勢では国境なんてそこまで意識しなくてもいいわ。人の暮らす地域が委縮したことで、正確な国境問題なんて失われつつある。『普通』の人たちにはね」


 エルザが『普通』のところを強調して説明する。


「坊やも知っての通り、世界には五つの大国が存在する。そしてそれらの国には当然、領土や領海が存在する。これらは、『目に見えないだけでちゃんと区別されている』の」


 エルザの話を黙って聞く。


「普通の人にはそれは分からない。でも、一度国境を越えれば、普通ではない人たちはすぐにそれに気付く」


「普通ではない人たち……?」


 疑問を口にする。俺が理解できていないことを察してか、エルザは外衣から手を出し、手の平を上に向け、力を込める素振りを見せた。


「まさか、術士?」


「ご名答」


 エルザが腕を下げる。


「風の術士であれば、クルーエルアの領土を出た場合、本来の実力の八割程度しか発揮することができない。当然他の国の術士たちも同じ。そういう理由があるから、他国への大使役に術士は抜擢されないの。持ち得る力が抑えられるというのは、いざという時に判断を鈍らせるからね」


 エルザの言葉を聞きいくつか疑問が浮かぶ。しかしそのうちの二つは、次のエルザの説明で解消されることになった。


「だけど例外は存在する。一つは、術士の中でも特に強い力を持つ者たち。クルーエルアでいう、護衛術士と呼ばれる者たちね。それだけの力を持つ者なら、他国の領土内であっても、後ろだてがなくても普段通りの実力を発揮することができる」


 後ろだて……?


 新しい疑問が浮かんだが、口を挟まず説明を聞く。


「もう一つは、ヒトが中立地帯と呼ぶ地域。私の後ろに広がる大地では、どんな術士であってもその実力を最大限に発揮することができる。これは元々、『ヒトが住むことを想定していないから』。知っているでしょうけど、各国へと続く道を外れない限り、この一帯ではヒトは動物たちに襲われない。これにもちゃんと理由はある。今は説明しないけどね」


 そこまで話しエルザは双眸を閉じる。エルザの話を聞いている内に殆ど日は沈み、足元には海水が押し寄せてきていた。早くこの場を離れないと、もうまもなく俺たちは海の水に浸かることになる。


「どうして、今その話を?」


 エルザが黙ったことで一番の疑問を尋ねてみる。一連の話を聞く限り、わざわざここで話す理由が思い付かなかった。


「重要な話だからよ。デネル洞穴は、水の国の術士以外、まともに入ることなんてできないから」


 そう言い、エルザは外衣を払い手の平を下に向ける。エルザの手の平から一筋の黒い光が発せられる。黒い光が地表へと届くと、足元から膜のようなものが広がった。その膜は俺たちを覆うように広がり球形の半透明の気泡となった。


「これは!?」


 周囲を見回す。エルザは俺に視線を向け、「あっちを見なさい」と、少し離れた岩壁の麓を視線で促した。そこは既に半分近く海水に浸かっている場所だった。日は沈み、もうほとんど何も見えない。しかし完全なる暗闇に変わる直前、その壁が動いていることに気付いた。


「壁が動いている……?」


 俺が言葉を零すと、エルザは俺に視線を戻し、口を開いた。


「デネル洞穴は元々ただの洞穴だった。それを、ある出来事の後に水の国の領土としたの。クルーエルアでいう、マスカー峠に架けられた大橋と同じと考えてもらえればいいわ。一言で言えば、国と中立地帯とを繋ぐ連絡路。ただし、水の国に限って言えば、中立地帯の要所にその連絡路があることから他の国とは異なるけどね。そこは、功労者……いえ、功労国に対しての賛美ともいえるかしら」


 そう説明しエルザが足を進める。エルザが進むのにあわせ、俺たちを覆っている気泡も前に進む。どうやらこの気泡はエルザを中心に構成されているようだ。見ていると、気泡にぶつかった海水が跳ね(返され)ている。つまりこの気泡は、周囲からの海水を弾くために使用した術……といったところだろう。


 エルザの後についていきながらもその背中を見て違和感を覚える。そしてラミスで聞いた話を思い出す。


    ◆


「たとえどの国の術士であっても五つの要素のうち一つを取り入れた術しか行使することはできない。それが世界の常識であり今の秩序を保っている。現代において一人を除き、この常識から外れる者なんていない」


    ◆


 あの時は俺の疑問に答えてはくれなかった。しかし、周囲を覆っているこの術が、火の術なんてことがあり得るのだろうか? 色こそ異なるとはいえ、エルザは火の術を行使できる。そして、これ(周囲を覆っているこの気泡)は恐らく水の術。じゃあ、エルザが言っていた、現代において常識から外れた一人の人物とは、エルザ自身のことを指していたのか?


 そんな疑問を浮かべながらエルザの後についていく。洞穴の前まで進むが、その頃には俺たちの周りは完全に海水に覆われていた。大きく広がる洞穴を前にエルザが振り返る。そして少し眉を顰め困ったように呟いた。


「グレイ、あなた通れる?」

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