Episode.3

Episode.3-1

 クルーエルア本土を発ち八度目の朝を迎えた。大きな戦闘に二度遭遇したにもかかわらず、国境くにざかいであるマスカー峠まで来られたのは大きな成果といえよう。この短期間に人の足だけでここまで辿り着くのは不可能に近い。皮肉な話だが、グレイが共に来てくれたことで目的地には早く行けそうだ。




「目的地は火といったところかしら」


 グレイに腰掛けたままエルザが口を開く。俺たちはマスカー峠に掛かっていたはずの大橋の前にいた。橋はラミスの村長が言っていた通り破壊されていた。谷は深く、谷底に流れる水の流れも早い。この絶壁の崖を下って向こう側に渡るのは不可能だろう。俺は振り返りエルザの問いに答えた。


「互いの目的については、落ち着いて話が出来る場所以外では話さないんじゃなかったのか」


 俺の答えにエルザは表情を変えることなく俺を見ている。エルザは目を閉じ、何かを探るように精神を集中させ口を開いた。


「先日あんな汚らしい小屋の中とはいえ、狭い空間で眼の近くにいたからかしらね。ほんの少しだけ勘が戻った気がする。周囲に何かの気配は感じないわ」


 エルザが目を開き俺を見る。俺はエルザがその話を口にしたことに驚きを隠せなかった。


 エルザは同行してからラミスの村まで決して自分の話をしなかった。グレイに声を掛けたり、空を見て天気を予想したりと、傍から見てもどうでもいいことしか口にしなかった。それがここに来て、(見晴らしは良いものの)戦いの最中とあの小屋の中でしか口にしなかった『眼』の話を平然と口にした。


「だったら……!」


 エルザを真っ直ぐに見る。少し睨んでしまっている自覚はある。しかし、口にして良いというのなら、あの話をここで聞いておきたい。


「ラミスで襲撃に遭ったせいで聞けずじまいになった、俺がエルザを殺したくなるという話をここで聞かせてほしい」


 エルザは「ああ、そんなこと」とでも言うように溜め息を吐く。しかし俺の視線を受けてか、エルザもまた真剣な顔付きになり、立ち上がり、顔を覆っていた髪を払いのけ答えた。


「別に話してあげてもいいわよ。私はそこまで困らないし。でもこんな場所で話してもいいのかしら。今この場で仲違いするのも嫌でしょう?」


 苛立ちを覚える。確かに、『俺がエルザを殺したくなる話』と前置きをしている以上、話を聞いた後に仲違いしないとは思えない。俺の考えを読んだかのようにエルザは言葉を続ける。


「坊やが話を聞いて私を殺したくなっても、今の坊やには私を殺せない。そして私は坊やから離れない。どうせ離れられない間柄なら、一晩で頭を冷やせるくらいの安全な場所にいた方がいいと思わないかしら」


 エルザの言葉に、俺は無意識に拳を握りしめていたことに気付く。荒ぶる心を無理やり抑えつけ、一度小さく息を吐き、言葉を零した。


「話せないわけじゃないんだな」


 俺の言葉にエルザは黙って俺を見ている。エルザは視線を外すことなく、俺の目を見て再び口を開いた。


「それほど望むのならこの場で話してあげてもいいわよ。本当ならラミスで話すつもりだったし。その代わり、坊やのその生真面目すぎる性格が仇になるわよ」


 俺の性格が仇になる……?


 エルザの放った言葉の意味が理解出来ず黙り込んでしまう。そんな俺を見て、エルザは続けて口を開いた。


「クルーエルアの王国騎士の地位を自ら返上する可能性があるけど、それでもいいのかしら?」


「えっ……?」


 言葉を失う。エルザの言葉を聞き、俺はそれ以上何も口にすることが出来なくなった。呆然と立ち尽くす俺にエルザの視線が刺さる。その視線から逃れるように俺は顔を背けた。


「王国騎士の地位を自ら返上する」、エルザは確かにそう言った。俺がエルザを殺したくなる話とは、間違いなくあの日の出来事のはずだ。もしあの出来事がエルザによって引き起こされたものなら、俺がエルザを殺したくなるというのも頷ける。だけどそれを聞くことによって、俺は王国騎士の地位を失うという。しかも失うというのが、『剝奪される』ではなく、『自ら返上する』という、意味だと言う。


 王国騎士の地位から自ら退いた人のことを思い出す。


 ガルシアさんは、王国騎士の仲間を見殺しにしてしまったことと、家族の過ちに気付けなかった己の落ち度に責任を感じ、王国騎士としての立場を返上した。それは、自身が王国騎士という立場に相応しくないと悟ったからだ。

もしエルザの言う通り、俺が王国騎士の地位を自ら返上することがあるとすれば、それは自身が王国騎士という立場に相応しくないと悟った時だ。あの日、礼拝堂があんなことになったのも、今王国騎士の皆がいないことも、まさか、全部俺が……?


 聞かなければいけないという王国騎士という責任ある立場の自分と、聞きたくないという子供染みた我儘な自分とが葛藤する。どちらを選んでも俺にとって苦渋の選択であることに違いはない。聞かない場合、国家への忠誠という意味では果てしなく裏切りに近くなる。とはいえ、聞いてしまえばその場で王国騎士の立場を返上する可能性があり、使命を遂行することが出来なくなる。どちらを選んでも王国騎士という立場には相応しくない。そう結論付けられる。


 ならばいっそ全てを知った上で王国騎士として使命を遂行するか? いや、それはできない。


 俺は、嘘吐きにはなりたくない。


 自身の両手を見る。大切な人と繋いだ手を。


 エルザの話もまたクルーエルアに関係のある話だ。だけど俺には、この手を繋ぎ、互いに交わした大切な人との約束がある。クルーエルアを発つ時に見たティアナ姫の顔。あの寂しげな顔を笑顔に変えてあげることが俺の責務。俺は、『ティアナ姫に任命された王国騎士』だ。絶対に、裏切れない。


「エルザ」


 エルザへ顔を向ける。エルザは変わらず俺を見ていた。


「その話は、いずれその時が来たら聞かせてくれ」


 エルザは黙って俺を見ている。


「俺はティアナに任命された王国騎士だ。俺は彼女に……嘘は吐けない」


 俺の言葉にエルザは一瞬間を置き、「分かったわ」と口にした。


 今にして思えば、ラミスで聞けなかったことを幸運というべきなのだろうか。もしあの場で聞いていた場合、俺は自分に嘘を吐いたまま王国騎士の使命を遂行できたのだろうか。いずれ、とは言ったものの、聞ける日は来ない気がする。聞けなかったことが、今となっては幸福なのかもしれない。


 一度大きく被りを振る。それから再びエルザを見ると、エルザは俺を見ていなかった。エルザが見ていたのはグレイだった。俺もつられてグレイを見ると、グレイは元来た林道の方へと威嚇していた。


「魔物よ」


 エルザがそう口にする。ラミスであの小屋にいた時も同じように口にした。俺にはまだ感知できない。しかしエルザは勘で言っているわけではない。なによりグレイが殺気立っている。それだけで十二分に強大な相手が迫っているのだと分かった。


 俺は腰に帯びている剣に手を掛けた。しかしエルザが俺を制し口を開く。


「背後が崖なのに、万が一相手が巨大な魔物だったらどうするわけ。逃げ場を無くして谷底に落とされて死ぬだけよ。ここは引いた方が身のためだわ」


 エルザはグレイに触れ、「グレイ、悪いけど怒りを鎮めてもらえないかしら」と口にする。グレイは呻き声をあげている。そこに、強大な威圧感が迫りつつあることを、俺にも感じ取ることができた。俺もまたグレイに歩み寄り諭した。


「グレイ、頼む。俺たちを乗せてこの場を離れてほしい」


 俺の言葉にグレイは威嚇を止め、背中を少し下げてくれた。俺とエルザが乗ると、グレイは背を上げ、威圧感から遠ざかるように北へと走り出す。その直後、林道から巨大な動物が姿を現した。ラミスで見た種とそう変わらない巨大な獣。それを見て背筋に悪寒が走った。エルザの忠告を聞かなかったらどうなっていたかは一目瞭然だった。


「目的地は火で良かったかしら?」


 前に座るエルザが俺に尋ねる。俺は黙って頷いた。


「そう。だったら、少し面倒だけどマスカー峠を通らなくても行く方法はあるわよ」


 エルザの言葉に、俺は驚きの言葉しか返すことができなかった。エルザは前に向き直りグレイに語り掛ける。


「グレイ、このまま真っ直ぐ海まで向かってちょうだい」


 エルザの言葉を聞きグレイは駆ける速さを上げる。凶暴化した動物が迫り来る中、俺はエルザに尋ねた。


「他に火の国へ行く手段があるのか?」


 元々頭の中に地図は入っている。各国へ通ずる道筋については把握しているが、それは正道から行く場合だけだ。獣道を進んでは来たものの、概ね正道に沿って進んでいる。

 エルザは海へ行くようグレイに言った。ここから海となると、クルーエルアの北北西に面した海となる。火の国はクルーエルアから見て西北西、中立地帯からは北西に位置する。クルーエルアから中立地帯へは、マスカー峠に掛かっていた一本の橋を除き、絶壁に阻まれているため、入ることは難しい。海岸へ向かえば向かうほど高低差は増していき、クルーエルア側から中立地帯への侵入はほぼ不可能となる。エルザはどうやって中立地帯へ入ろうというのだろうか。


「本当に何も知らないのね」


 エルザが呟く。


「まぁこればかりは当然か。あなたはこちら側ではないのだものね」


 エルザは振り返ることなく淡々と話をする。


「火の国に向かうのならデネル洞穴を抜けた方が早いわ。マスカー峠を通るより危険ではあるけど」


「デネル洞穴?」


 初めて耳にする洞穴の名だ。マスカー峠を通る以外にも、クルーエルアから火の国に向かう手段があったのか。だけどクルーエルアの地図に、『デネル』と称された洞穴を見たことがない。エルザはどうしてそんなことを知っているんだ。


 口を開きかけたところでエルザが俺に顔を向ける。その視線が真っ直ぐに俺を捉え、俺の考えなど読んでいたかのように、エルザは答えを口にした。


「知っていて当然でしょう。ヒトが中立地帯と呼ぶこの一帯は、私が管理しているのだから」

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