Episode.2-End

    ◇


(村長の家に戻ると)村長は先程と同じ椅子に腰掛けたまま俺たちが帰ってくるのを待っていた。マリアライズさんが「ただいま」と伝えると、村長も「おかえり」と返した。俺たちの帰りが遅いことをルーノは気にしていたようだが村長はそうでもなかった。むしろ、マリアライズさんがとても幸せそうな顔に変わっていたことから、村長はとても満足そうだった。

 マリアライズさんが「私、鉢にお水をあげてきますね」と口にし家の外へと出ていく。そんな彼女を見送ると、村長は改めて俺に向き合い「ありがとう」と口にした。


 村長に促され再び椅子に腰掛ける。自業自得とはいえ結構な時間が経ってしまっていた。先程、村長が言っていたもう一つの話を聞く必要がある。しかし俺は先に、マリアライズさんがどうして笑顔になったのか、その補足をしておくことにした。


「本来ならマリアライズさんの兄の件でもう少し話をしておく必要があると思います。しかしそれについては彼女自身が答えを見付けたようです。彼女が口にするまで、それまで待ってあげてくれないでしょうか」


 俺の言葉に村長は笑顔で頷いてくれた。


 仮に理由を尋ねられたとしても俺に話せることなんて何もなかった。俺が知っているのは、気が付いた時に見たマリアライズさんの幸せそうな笑顔と、彼女が口にした「兄を連れてきてくださる」の言葉だけだった。だから、俺はそれ以上は何も話さず、先程村長が口にしていたもう一つの話について尋ねることにした。


「不躾ですが、先程話されようとしていたもう一つの話について伺ってもよろしいでしょうか」


 俺が尋ねると「そうだな」と村長が答える。村長は長卓の上で手を組み、俺を見て尋ねた。


「もしやとは思うのだが、この後マスカー峠に向かおうとしているのではないか?」


 村長の言葉に俺は黙る。沈黙が続けば肯定を意味する可能性が上がることは理解しているが、「そうです」とも「違います」とも答えられなかった。


 マスカー峠とは、この国と他の国とを隔てるいわば国境くにざかいだ。峠の先は中立地帯と呼ばれる各国無干渉の地域が広がり、気性の荒い野生動物が数多く生息している。理由は分からないが、凶暴化した動物の目撃例は聞かない。

 中立地帯には人が通るための道がちゃんと存在しており、その道を進む限り野生動物が襲ってくることはない。しかし、一度ひとたびその道から外れれば、道なき道を進むことになり、生きて帰って来る者は殆どいないとされている。そのため中立地帯においては、『どんな状況であれ争ってはならない』、と国家間を通じて定められているのだ。


 言葉の意図を探るが、到底理解できそうにない。何を言いたいのか分からなかったため尋ねてみることにした。すると意外な答えが返ってきた。


「先日、マスカー峠に架けられていた大橋が破壊されたと連絡が入った。そのため、峠を越えて中立地帯に進むことはできない」


 その話を聞き、(顔には出せないが)内心非常に焦っていた。マスカー峠を通らずに火の国に向かうとなればかなりの遠回りを強いられる。峠を越えるのは諦め、迂回して中立地帯に入る場合、予定していた日数に遅れが生じてしまう。

 俺はどうするべきか悩んだ。しかし、黙って見守る二人に誤解を与えぬよう、顔を上げ口を開き答えた。


「お心遣い感謝いたします。ですが、仮にマスカー峠の先に行かなければならないとして、大橋を渡れないとしても、私は行かなければならないのです」




 村長との話を終える。最後に村長は、「ラミスのために戦ってくれてありがとう」と口にした。俺は一礼し、「クルーエルアの王国騎士として当然の責務を果たしたまでです」と答え、村長の家を後にした。

 家の外ではマリアライズさんがしゃがみ込み、アストロメリアの苗を眺めていた。俺たちに気が付くと、マリアライズさんは立ち上がり頭を下げた。そして祈るように両手を握り、「旅のご無事をお祈りします」と口にした。


 村長の家からの帰り道、ルーノが俺に尋ねる。


「マリアライズさん、別人みたいに嬉しそうな顔をしていたが、何があったんだ?」


「さぁ」


「さぁ、ってことはないだろ」


 ルーノが呆れたように溜め息を吐く。


 実際、彼女がどうして笑顔になったのか理由は分からない。ただ理由は分からないが、嬉しいという気持ちだけは共有している気がする。言葉にするのは難しいが、彼女の笑顔を見ていると、理由なんてどうでもいいんじゃないかと思えた。


「そういえば、ラミスに立ち寄ったのは落ち着いて話をしたいからと言っていたが、それとは別に理由はあったのか?」


 ルーノが再び俺に尋ねる。それに肯定の意を示した。


 ラミスでなくとも構わなかったが、ずっと野宿というわけにもいかないというのが一つの理由だ。時には人里で休むくらいのこともしておかないと、道中気を張り続けることになり、いずれ(疲れで)剣に影響が出ただろう。使命の内容は話せないが、旅の疲れを取るためちゃんとした場所で休みたかった、というのも、一つの理由として伝えておいて良いのかもしれない。


 掻い摘んで話をしつつルーノの家に戻る。広場には、伏して目を瞑るグレイの姿があった。大人たちが疑いの視線でグレイを見ているが、子供たちが楽しそうにグレイの背で遊んでいることから、大きな犬程度で様子を見ているようだ。

 傍に近寄ると、俺の匂いに気付いたグレイが大きな目を開ける。そのまま立ち上がり俺の前まで歩いてくる。グレイが歩いたことで子供たちは大はしゃぎしていた。グレイの頭を撫で、「もう少しだけ待っていてくれ。すぐ迎えに来るから」と伝える。俺の言葉を聞き、グレイはどこか残念そうな目をしてその場に伏せた。子供たちは「もっと歩いてよー」など話し掛けているが、グレイはぐったりしてしまう。俺は心の中でグレイに謝りつつ、ルーノの家へと足を向けた。


 ルーノの家へと向かうと、エルザは先程と同じ場所で待っていた。俺は「遅くなった」と伝えるが、エルザは形容しきれない程の蔑んだ視線を俺に向け鼻で笑った。


「殺すわよ」


 第一声がそれだった。そんな気はしていたのだが、やはりエルザは怒っていた。申し訳程度に早足で戻ったが許されなかったみたいだ。

 素直に頭を下げ謝罪の意を伝える。エルザは汚物でも見るような視線を俺に向けていたが、怒りの言葉を抑え込むような大きな溜め息を一つ吐き、改めて口を開いた。


「で、どうするの。


 エルザが俺に尋ねる。「この後」を強調して言ったあたり、そこには二つの意味が含まれているように感じた。俺は、「ルーノがいる以上、昨夜の話の続きは話せない」と視線で返し、視線とは別の答えを言葉で返した。


「エルザの準備ができているのなら、すぐにでもラミスを発とうと思っている」


 俺の言葉を聞きエルザは、「準備なんて坊やが目を覚ます前からできているわ」と返した。その言葉に頷いて返すと、エルザは外衣を深く被り直す。俺はルーノに向き直り口を開いた。


「ルーノ、俺たちはラミスを発つ。世話になった」


 ルーノは黙って俺を見ている。最後に何か聞きたい、ということを視線が語っていた。ルーノは一度瞼を閉じ、意を決したように顔を上げ、口を開いた。


「一つだけ教えてくれ。昨夜お前が放った剣はアーキユングの剣だよな? どうしてお前に振るうことができるんだ?」


 ルーノの問いに心臓が大きく跳ねた。それは、知る者からすれば当然の疑問だった。ここまで聞かれなかったことの方が不思議なくらいだった。

 どう答えればいいのか迷った。正直に言えば、「分からない」というのが本音だ。以前から何度もこのことについては考えてきた。しかしどうしてなのかはずっと分からなかった。

 ディクストーラの剣とアーキユングの剣。その二つを俺は振るうことができた。どうして振るうことができたのか、どんな状況で振るうことができたのか、共通点は一つしかない。


 腰に帯びている騎士剣を抜き、払う。そして己の前で持ち、その剣身を眺める。


 そう、騎士剣だ。騎士剣を手にしている時にしか彼らの剣を振るうことはできない。彼らの心に接続されるのは騎士剣の有無は関係ない気がする。しかし、彼らの剣は、騎士剣を手にしている時にしか振るうことができない。


 すっと目を閉じ、心で彼らを探す。けれど、今は騎士剣を手にしていても彼らの存在を感じられない。


 やはりこれについては何も答えられない。理由がまだはっきりとは分からないからだ。しかし確かに感じとれることがある。意識や存在は感じられなくとも、騎士剣を手にしていると温かみが伝わってくる。彼らのであったり、ティアナ姫であったり、それだけじゃない、他の誰かの想いも。


 目を開ける。そして真っ直ぐにルーノを見て答えた。


ユングの剣を振るうことはできないさ。でも、騎士剣を通じてあいつの心を感じられるんだ。その心が、俺に力を貸してくれている」


 俺の言葉を聞きルーノは口ごもってしまう。同じ立場なら俺もきっとそうなったことだろう。

 暫くしてルーノが俺から視線を外す。俺に背を向け、どこか遠くを見詰めるルーノの背には、少しだけ寂しさを感じた。


「他国からも一目置かれるクルーエルアの王国騎士。それはもしかしたら、単なる強さだけじゃなく、どこにいても通じ合えるその絆こそが、本当に一目置かれる理由なのかもな」


 その後、ルーノの家に置いたままだった荷を取り、グレイを連れラミスを発つことにした。子供たちが悲しむ中、グレイは解放された喜びのようなものを得て身体を大きく震わせていた。エルザはグレイの背に腰掛け、外衣で姿を隠し、誰に声を掛けられても反応を返すことはなかった。


 正門に向かうと、夜通し修繕を行っていたと分かるほどに沢山の人がいた。無造作に置かれているように見える資材の山もきっちりと管理されていた。修繕に伴う人員の配置も無駄なくされており、しっかりと統制はされているようで、周囲の村の生き残った人々を受け入れるだけはあると納得させられた。戦いに関しても、昨夜のような桁外れの強さを持った相手でもなければ助けはいらない気さえする。ここラミスの人たちは、本当の意味で、『助け合う』ということを理解しているように思えた。


 俺とエルザとルーノ、そしてグレイが正門前に着くと、修繕作業を指揮していた男が俺たちへと向き直る。顔付きや身体から溢れ出る潜在的な威圧感が、この男が、このラミスの村で一番強い男だということが分かった。男が俺を見て一礼する。


「昨夜はラミスを救って下さりありがとうございました。私は戦いでの指揮を行っていたのですが、過去に負傷し、前線で戦うことができなくなってしまいました。今はまだ私の後任が育っておらず、ルーノさんが代理を務めてくれています。本土からの勅命とはいえ、遠路はるばる来られている騎士の方に、あまり負担を掛けすぎるのもいかがなものかと思っています。ラミスのことはラミスでなんとかできるよう、今は後任を育てつつ、立て直す案を考えているところです」


「負担だなんてそんな」


 ルーノが答える。俺もまた、ルーノの言葉にかぶさる様に答えた。


「負担だなんて思っていません、私もルーノも。だから遠慮なんていりません。私がいなくなった後も、もっとルーノを頼ってやってください」


 俺の言葉に男は、「しかし……」と口にする。俺は続けて口を開いた。


「あなたたちをお守りするのが私たちの役目です。クルーエルアの騎士となった私たちの。だけど、使命感だけを理由に私たちは戦うわけではありません。私たちが戦う理由は、力を……守るだけの力を持っているからです。弱き者、戦えぬ者を守ることは、力を持つ者の責務だと、私は思っています」


 俺の言葉を聞き、瞬きを忘れたように男は俺を見ていた。その後、男はゆっくりと微笑み、優しい口調で俺に尋ねた。


「あなたは王国騎士である以前に、とても心の強い方なのですね。名前を伺ってもいいですか?」


「……名前はありません」


 俺の言葉に男から驚きの声が漏れる。


「私は、気が付いた時にはこの国にいました。この国に来た時には名前も記憶もなくしていました。私の記憶は、この国で刻まれたものが全てです」


 男は黙って聞いている。


「そんな記憶のなかった私でも、たった一つだけ覚えていた言葉があります。信じること、信じ抜くこと。守ること、守り抜くこと。本当の私を知るための唯一の手掛かりにして、私の心を支える信念の言葉です」


 その言葉を口にする。そこで、誰かの視線を強く感じた。


 それは、外衣で隠れている上に、俺の後ろにいるはずのエルザからの視線だった。その視線にどういう意図が込められているのかは分からない。だけど確かに感じた。それも、とても強く。


 俺の言葉を聞き男は目を閉じる。しかし男はまたすぐに目を開け、俺を見て口を開いた。


「あなたのような記憶のない方がこの国を守るために命を懸けている。あなたが王国騎士であることを、ラミスというクルーエルアの末端に生きる者ですが、とても誇りに思います。あなたを見ていて、私にもできることがまだあるのだと感じました。またいつかいらしてください。歓迎致します」


 俺は微笑み頷く。そして差し出された手を取り、共に笑いあった。




 正門が開けられ外へと出る。昨夜の大きな戦闘があったせいか、動物の気配の欠片すら感じられなかった。


 振り返ると、大勢の人たちが俺たちのことを見送ってくれている。昨夜のことを申し訳なく思っている人たちが顔を伏せているが、その人たちのことはルーノに任せればきっと大丈夫だ。俺が恨んでなどいないことは、ルーノが一番よく分かっている。


「お世話になりました」


 俺は腕を上げ大きく手を振る。ルーノや他の方々が手を振り返してくれる。中には、エルザに対して声を掛けている人たちもいたようだが、エルザは向こうを向いたままだった。

 振り返り、俺たちはラミスへと続いた道を戻ろうとした。そこで一つ大きな声が俺たちを呼び止めた。


「待って」


 その声に驚き振り返る。すると、村の人たちを押し退け、マリアライズさんが息を切らせながら駆け寄ってきた。「大丈夫?」と声を掛けると、彼女は呼吸を整えた後、手に持っていたそれを俺に差し出してきた。


「すぐ枯れてしまうとは思いますが、持っていってください」


 マリアライズさんが手に持っていたのは花だった。


「父と母と暮らしていた家の近くで見付けたんです。何の花なのかは分からないですが、きっと良い意味があるような気がします」


 マリアライズさんの言葉に、「マーガレット」と、どこかから聞こえてくる。


「ありがとう」


 ゆっくりと受け取り花を見る。


 美しく咲く花を見て、クルーエルアのティアナ姫のことを思い出した。


「お気をつけて。兄と一緒にまた来てくださる日を、楽しみに待っています」


 そう言い、マリアライズさんは花のように眩しい笑顔で俺に笑い掛けた。




「男がいつまでも花ばかり眺めて、気持ち悪いわよ」


 前を歩く俺にエルザが苦言を呈する。俺は、歩きながらもマリアライズさんから受け取った花をずっと眺めていた。


 マーガレットの花にはどんな意味があるのだろう。


 そんなことを考えながら歩いていると、またどこかから声が聞こえてくる。その言葉は俺には聞き取れなかったが、声の主はどこか嬉しそうに微笑んでいた。


「また来るよ。今度は親友の身体じゃない、俺自身の身体で。でもそれはメリアルイズとしてではなく、俺として。きみの兄、アーキユングとして、だ」










 Episode.2 End

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