Episode.2-26

「ディクストーラ、ここは?」


 立ち上がり周囲を見回す。上下左右どこを見渡しても色という色が存在しない。まるで生まれたばかりの無垢な赤子のように、滲み一つない真っ白な世界が広がっていた。


「頭はちゃんと働いているか? 俺の剣と異なり、お前の剣は思考を通して振るわれる剣だろう? まともに頭が働かないようでは、この戦いを無事に切り抜けるのは難しいぞ」


(俺の問いには答えず)ディクストーラがそう告げる。俺はディクストーラが何を言いたいのか理解できなかった。


「癪だが今の俺は言伝役みたいなものだ。切り込み隊長として先陣を切ったものの、結果このざまだ」


 ディクストーラがすね当てを外す。足からは血が流れ出ていた。重症ではないようだが、全力で駆け回るディクストーラにとっては致命的だと思われた。

 状況が理解できずディクストーラを茫然と眺めていたが、突如、不協和音が響き渡る。音の聞こえた方へと振り返ると、そこには他の王国騎士たちの姿があった。それだけではなく、皆がいる更に奥に、おぞましい気配を放つ黒い穴が開いていた。


「真っ暗な世界から今度は真っ白な世界かよ。ここは夢の世界なのか? それとも死後の世界なのか?」


 俺のぼやきにディクストーラが答える。


「他人の夢をごちゃごちゃ聞くようなやつが夢の世界とは、とんだ笑い種わらいぐさだな」


「なんだと!! って、どうしてお前がそのことを知ってるんだよ」


 ディクストーラの意外な反応に瞬時にして頭が冷える。


 俺とディクストーラは同じ貴族でありながら根本的な性格の不一致もあり、騎士校在校時も数えるほどしか言葉を交わしたことはなかった。俺が元々本土の生まれではなく養子であること。ディクストーラの性質である、強き者には敬意を払うが弱き者には興味を示さないこと。これらのせいで、俺たちは共に切磋琢磨する仲間と言えるほど仲が良いわけではなかった。だからこそ、ディクストーラは俺のことなど眼中にないと思っていた。


「共に肩を並べて戦う王国騎士の仲間だ。仲間のことを知っているのは当然の事だろう」


 ディクストーラが微笑する。俺はディクストーラに何かを告げようと口を開きかけた。しかし、再び響いてくる不協和音と剣戟の音に、それどころではないと気付かされた。先程の問いをもう一度尋ねてみる。


「ディクストーラ、ここはどこなんだ。一体何がどうなっているんだ」


 俺の問いにディクストーラが顔を背ける。ディクストーラは、今尚戦いが繰り広げられている場所を見て答えた。


「お前が気絶している間に色々あったんだよ。悪いが事情を説明している暇はない。お前が目を覚ました以上、俺もあいつらの加勢に行く」


 ディクストーラが脛当てを装着し騎士剣を握り立ち上がる。ディクストーラは俺を見て、真剣な眼差しで口を開いた。


「アーキユング、この戦いを切り抜けるにはお前の力も必要だ。この場に集った全ての王国騎士の力が」


「ディクストーラ……?」


「俺は先に行く。皆で待っている、とは伝えておく。だがあそこに行くのなら、たとえどんな光景が待ち受けていようとも、それが現実なのだと受け入れなければならない。そして何があろうとも信じる心がなければならない。強く、信じる心が……」


 ディクストーラの言いたいことが分からない。俺に何を警告している?


 立ち尽くす俺を他所に、ディクストーラは皆の元へと駆けていく。俺は気絶する前の(暗闇で起きた)出来事を思い返していた。


 あれは一体何だったんだ。人にあるまじきあの眼。あれと目が合った時、俺の中に黒い波が押し寄せてきた。波は、俺の全身を駆け巡り脳を浸食した。押し寄せた感情を処理しきれず俺は気を失った。あの眼は何なんだ? それに、シグムントが戦っていた相手は本当にオオルリだったのか?


 騎士剣を(鞘から)引き抜き強く握る。そして先に駆けて行くディクストーラの背中に目を向けた。


    ◆


「あそこに行くのなら、たとえどんな光景が待ち受けていようとも、それが現実なのだと受け入れなければならない。そして何があろうとも信じる心がなければならない。強く、信じる心が……」


    ◆


ディクストーラの言葉が脳裏を過ぎる。


「愚問だよ、ディクストーラ。俺たちは共に肩を並べて戦う王国騎士の仲間なんだろう。お前が立ち向かう相手は、俺にとっても立ち向かうべき相手だ」


 足を前へと進める。


「お前が行くのなら俺だって行くに決まっている。この先にどんな現実であっても俺は受け入れる。騎士剣を授かった時、俺の覚悟は王女とこの国に捧げた」


 一挙に駆けだす。


 俺は、ディクストーラが俺の問いに答えなかった理由について薄々気付いていた。何故あれほど強く警告したのかは、今尚聞こえてくる剣戟の音から理解できた。あそこには、九人の王国騎士を相手にできるだけの剣の使い手がいるということだ。

 確信はない。しかし、暗闇の中シグムントが戦っていた相手。この先で皆が闘っている相手は、間違いなくそいつだ。


 ディクストーラの背中が少しずつ大きくなる。俺に気付いたディクストーラが振り返り俺に笑い掛ける。


 受け入れられない現実がそこにあっても、俺はお前を信じる。理由もなく俺たちに剣を向けるなど、絶対にありえないからだ。だって俺たちは同じ王国騎士の仲間であり、俺たちは……。


 騎士校卒業日の最後の光景が目に浮かぶ。ライオデールと共に笑い合う友の顔がはっきりと目に映る。


「親友だから!!」


◇???〔アーキユング視点〕◇


 どうしてこうなってしまったのだろう。


 全身から赤褐色の泥が流れ出ている。身体は冷え、徐々に感覚が失われていくのが分かる。もう長くないと思った。滲む視界の向こう、白い世界から親友が叫んでいる。こちらへ戻ろうとする親友をシグムントが制している。もう何を話しているのかも聞き取れない。瞼を閉じる体力も瞬きをする力すらない。目の渇きは涙が潤すことで緩和してくれている。

 思い残すことはたくさんあった。かけがえのない人と交わした約束を守れないこと。王国騎士として誓った決意の言葉が嘘になってしまうこと。そして俺たち亡き後、あいつが一人で戦っていけるのか、それが心配だった。


 それでも悔いはなかった。あいつを救い出すことができたから。


 今にして思えば、俺なんかが王国騎士になれたのはあいつと出会えたからだ。俺の心と真っ向から向き合ってくれたあいつのおかげだ。俺の生は、あいつと出会えて意味のあるものに変わった。あいつが幸せを運んできてくれたんだ。


 シグムントの叫び声が聞こえる。その声と共に白い世界が見えなくなる。そこで俺の意識は完全に途絶えた。




 どれだけの時間が経ったのか分からない。もはや生きているはずがない時間が経った。それなのに、誰かに呼ばれるように俺は再び意識を取り戻した。


 声が聞こえてきた。

 誰かの声が。

 その声が泣いていた。


 声が聞こえた方へと顔を向ける。そこには白い世界を覗き込むあの眼の姿があった。眼球から伸び出た二本の腕が白い世界へ侵入しようと、その隔たりをこじ開けようとしている。しかしそれ以上広げることが出来ないのか、代わりに眼球から黒い霧のようなものを送り込んでいる。その黒い霧が送り続けられる先から、苦悩と悲痛の叫びが聞こえてきた。


 誰の声なのかはすぐに分かった。だけどどうすることも出来なかった。今の俺にはもう動くだけの力は残っていなかったから。


 そんな時だった。この何もない真っ暗な空間に、突然、風が舞い込んできた。


 巨大な眼は、風に飛ばされぬよう両の手で白い世界への入口を掴み、踏みとどまっている。風が吹き込むと同時に苦悩する声は止んだが、風が弱まると巨大な眼は再び白い世界へと黒い霧を送り始める。それに合わせて悲痛の声が再び聞こえてきた。


 もう俺には何もできないのか……?


 手の打ちようのない苛立ちに歯を噛みしめる。


 冗談じゃない。俺はまだ何も成していない。

 あいつを救えたから悔いはないだって?

 じゃあ俺はあいつに一生負けたままってことになっちまう。


    ◆


「だけど、次は絶対に俺が勝つ。だから俺と同じところまで上り詰めて来い。勝ち逃げなんてしやがったら許さねーからな」


    ◆


 全力でやりあって本気で負けた。

 だからこそ本当に悔しいと思った。

 次は絶対に勝ってやるって思えた。


 指先が僅かに動く。全身に神経が通っているのが分かる。


 それなのに、こんなところで這いつくばっているだけでいいのか?

 あいつに勝ち逃げさせることになってもいいのか?

 メリーの応援を……無駄にしてもいいのか!?


 心の内から風が巻き起こる。俺は、その風と共に叫びを上げ立ち上がった。


「「そんなこと許せるものかぁ!!」」


 立ち上がった俺の傍を誰かが駆けていく。切り込み隊長と呼ばれるに相応しいその男は、剣を振りかぶり、巨大な眼へと剣閃を放った。

 ディクストーラの咆哮が黒い世界に響く。先程戦った時、あの眼に俺たちの剣は一切通用しなかった。しかし今回は違った。ディクストーラの放った剣閃が眼球より伸び出る腕を切り落とす。巨大な眼は痛む素振りを見せることはなかったが、残るもう一本の腕を眼球の内に戻し、高い位置へと昇っていった。

 ディクストーラが白い世界への入口まで駆け、立ち止まる。その場で振り返り、巨大な眼を見上げ叫んだ。


「ここを通りたければ俺を倒してから通れ!」


 ディクストーラが叫ぶ。


「俺は奴に約束した。騎士就任の儀の後、俺と戦えと。そして奴は王国騎士の資格を手にした。俺との約束を守ったのだ。それなのに、奴へ言った俺がその約束を破るだと!? そんなこと許せるものかぁ!」


 ディクストーラが振りかぶり巨大な眼へと剣閃を放つ。眼は、今度はその剣閃を避け闇へと姿をくらました。

 ディクストーラが肩で息をしている。そんなディクストーラの元へ、一人また一人と立ち上がり、皆が駆け寄った。俺もまたディクストーラの元へと駆け付け、この場にいる王国騎士十一人が再び集った。

 皆で顔を見合わせる。一人たりとも微笑むことはない。しかし誰の顔を見ても、心に諦めという言葉は存在しないようだった。

 皆の視線が俺に集まる。俺はその意図を理解し、白い世界との隔たりを見て答えた。


「向こうの世界に戻るのは無理のようだ。戻るには向こうから開けてもらうしかない」


 俺の言葉にディクストーラが笑い答える。


「そうかい。じゃあ尚の事、俺たちの命は奴に委ねられたということか」


 ライオデールが笑顔で答える。


「大丈夫だって! ななのこと、皆信じてるんだろ?」


 アルヴァランが白い世界を見て呟く。


「私たちが向こうに行くのは無理のようですが、我々の半身とも言える騎士剣を通し、"彼"に力を貸してあげることは可能だと思われます。特にこの場所は、より"彼"との絆を強く感じられます。ここなら我々の『自分だけの剣』のみならず、意志も共有できるはずです」


 アルヴァランの言葉を聞き、今まで一人黙っていたシグムントが口端をあげる。


「くくくっ。そうかよ。なんだ。まだ希望は残ってんじゃねーか。こんな訳の分からない場所にいるせいか、いくら俺でも心が折れかけたぜ」


 シグムントを見て皆が笑い掛ける。皆の心に黄金の光が宿っているのが見える。


「てめえら! だったら分かってるだろうな!! この場所は何が何でも守り抜く! そして俺たちは必ず生きて帰る! 信じて、信じ抜いて。守って、守り抜いてやろうじゃねえか! 名無しの野郎との絆をよお! さぁてめえら、今こそ奴を本当の仲間として王国騎士に迎え入れる。剣を掲げろお!」


 そして俺たちは共に戦う仲間を、俺たちの親友を、王国騎士に迎え入れた。


    ◇ラミスの村◇


 目を開けると俺の手は酷く泥だらけだった。隣を見るとマリアライズさんが笑っている。彼女の手元の鉢には、保肥性の高そうな土と共に、アストロメリアの苗が移植されていた。


「信じて待っています。必ず兄を連れてきてくださるって」


 先程の寂しそうな表情から一転し、マリアライズさんはとても幸せそうな顔で俺を見ていた。俺は今のこの状況を理解できずにいた。だけど、彼女のその顔が余りにも幸せそうだったから、俺も微笑んで返すことにした。

 人の気配が近付いてくる。振り向くと(マリアライズさんの家の角から)ルーノが顔を出し俺たちと目が合った。


「余りにも遅いから来てみたんだが、ひとまずは何事もないようで安心した。お前、良いのか? すぐにでも発つ必要があると言っていたが」


 急ぎ空を見上げる。太陽は先程よりも高い位置にあり、随分と時間が経ってしまったことを教えてくれた。色々な意味で焦りを覚える。


「昨晩といい、お前らしくない失敗が続いているように感じるが、大丈夫か? ひとまず村長の家に戻ろう。さっき言われたこと覚えているか?」


 ルーノが俺の肩に手を置く。一瞬何のことかと思ったが、徐々に頭がはっきりとしだし、先程の出来事を思い出した。


    ◆


「二つほど話をさせてもらいたい。それだけ聞いてもらえるか?」


    ◆


 ルーノに頷いて答える。マリアライズさんに顔を向け、「戻りましょう」と伝えた。マリアライズさんは笑顔で「はい」と答え、手に持った鉢を強く抱きしめる。俺はそれを見て、「持ちますよ」と声を掛けたが、マリアライズさんは首を横に振った。


「ありがとうございます。でもこれは私が持つので大丈夫です。今はこの重みを感じていたいんです」


 マリアライズさんは本当に幸せそうに微笑んだ。だからそれ以上何も言うことができなかった。その後、俺たちは村長の家へと足を進めた。




 村長の家へと戻る道中、俺は俺の身に何があったのか思い返していた。


 自分があんなところ(マリアライズさんの家の裏)にいたことには驚いたが、気が付いてみると、マリアライズさんは別人のようになっていた。彼女は全てを理解した上で俺と話しているように見えた。俺が気を失っている間に何があったのだろうか。


「気にするほどのことじゃねぇよ」


 どこかから声が聞こえてくる。俺は思わず足を止めた。


「"オオルリ"は言ったよな。この世界、全ての光景、そしてまだ知らぬ俺たちの意識の側面を共に視ようと。そうだ。俺たちにはまだまだ知らなければならないことが山ほどある。これも、そのうちの一つ」


 その声は俺のすぐ傍で微笑み、空を見上げ答えた。


 心に声が響き渡る。心に響く声が、何があったのかは教えてくれないが、どんな感情があったのかは教えてくれた。


 傍に映る親友が空へと手を伸ばす。そこへ青い光が舞い降りる。その光は、手の上で青い鳥へと姿を変え、親友は慈しむようにその鳥を見て呟いた。


「俺は本当の自分を知るため、必ず生きてこの村を訪れる。だから"オオルリ"も絶対に自分の記憶を取り戻すんだ。お前のためなら、たとえどんな困難が待っていても俺は共に立ち向かう。だって俺たちは、同じ仲間で、同じ王国騎士で、あの日ライオデールと三人で誓い合った……」


 傍に感じていた気配が薄れ青い鳥が飛び立つ。青い鳥は一人の少女へと姿を変え、「がんばれ、お兄ちゃん」と声を掛ける。


 ユングが口にした最後の言葉は、俺の心の内から聞こえてきた。


「親友だから」

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