Episode.2-23

 三人の視線が俺に集まる。中でもマリアライズさんはすがるような視線で俺を見ている。もう少し話の内容を掘り下げたいが、この視線を受け止めながら真相を探し出すのはあまりにも困難に感じた。


「申し訳ありませんが、私が知っているメリアルイズという人は女性です」


「そう、ですか……」


 マリアライズさんが肩を落とす。


 答えようがない。ユングがメリアルイズだというのはあくまで仮説。今ある全ての事実を繋ぎ合わせたらそうなったというだけだ。真実は未だ見えない。

 マリアライズさんは俺から離れ、玄関傍に置いてある植木鉢に手を伸ばす。それを手に取り大事そうに抱える。


「そろそろお花を咲かせてもおかしくないはずなのに、全然育ってくれないんです」


 マリアライズさんが悲しそうに話す。


「お母さんはお花を育てるのがとても上手だったのに私は下手で……。でも、このお花だけは絶対に絶えさせないって、お母さん、ずっと大事にしていたんです」


「その鉢には何が植えてあるんですか?」


 尋ねるとマリアライズさんは再び俺に顔を向ける。そして鉢を抱え、その花の名前を口にした。


「アストロメリアです」


 アストロ、メリア……?


 それを聞き急に心が熱くなる。俺の心は知らず知らずのうちに誰かと繋がり、その光景を映し出していた。


    ◇過去、ある日の出来事・クルーエルアにて〔アーキユング視点〕◇


「父上、どうしてそんなに僕の部屋に花を飾りたがるのですか」


 父上が花に水をあげている。僕の部屋には鉢が一つ置かれており、父上はその花に水をあげているのだ。当然僕の部屋だけでなくメリーの部屋にも同じように花は置かれている。だけど、どうして僕の部屋にも花を置くのだろうと疑問に思っていた。男の部屋に飾らなくてもいいと思うんだけど。


「ははっ。私の趣味だ。そんなに嫌そうな顔をするな、アーキユング」


 父上が答える。


 朝、日の当たる露台バルコニーに鉢を出し、陽の光を十分に与え、陽が沈む前には部屋に戻す。それを毎日続ける。父上が多忙なときは使用人が代わりにやっている。どうしてそこまでするのだろうと思ったことがある。父上に園芸の趣味はないのに、僕の部屋の花だけは可能な限り父上が手入れをしている。


「父上、どうして僕の部屋の花だけそんなに熱心に育てられているのですか? 父上の部屋には花瓶の一つすら置かれていないのに」


 僕の言葉に父上は笑って返す。僕は意味が分からず困り果てる。そんな僕に対して、父上は、花を見て目を細め小さく呟いた。


「お前が、大切なことを忘れないように」


 僕は父上の言葉の意味が分からなかった。父上は鉢を抱え僕の目の前に置いた。


「アーキユング、お前にはこれが何に見える」


「花、ですか?」


 質問の意味が理解できず見たままを答える。


「そうだ、アーキユング。私たちが見ているものは花だ。だけど花はいずれ朽ちる。しかし根が終わらない限り花は再び咲く。この意味が分かるか?」


 僕は父上の言葉の意味が分からず首を傾げる。父上は微笑み僕の頭を撫でる。


「お前は聡い子だ。すぐに理解できるようになる。メリアルイズは根で、アーキユングは花なんだ」


「どうしてメリーの名前が?」


 父上は僕の頭をぽんぽんと叩き、鉢を持ち露台バルコニーのいつもの位置へと持っていく。この時僕は、父上が何を言っているのか全く分からなかった。


    ◇


 俺は立ち上がりマリアライズさんの傍へと行く。マリアライズさんは悲しそうな顔で俺を見上げた。


「日中は日当たりの良い場所で管理してあげてください」


「え……?」


 マリアライズさんが驚きの声をあげる。鉢を見て、俺はどうして花が咲かないのか理解した。


「アストロメリアは暑い気候と強い水気を嫌います。もう少ししたら開花期を迎えるのでそれまでに今の鉢から移植してあげた方がいいでしょう。それと今この鉢に入っている土はどこの土ですか?」


「この家の裏の土です」


 マリアライズさんが答える。俺はマリアライズさんに再び尋ねた。


「以前マリアライズさんのお母様が育てられていた時は、どこの土を使っていたか……覚えていますか……?」


 尋ねる途中、急に目の前の景色がぼやける。


 なんだ? 目の前の景色が歪んでいく……。これは、いつもの黒い感覚……? いや違う。これは、何かが俺の意識に介入しようとしている……。


「以前まで父と母と住んでいた家の近くにある土を使用していました」


 マリアライズさんが答える。その言葉に、「そういうことか」と答える。

 そこで異変に気付く。いつの間にか、俺は俺を見下ろしていた。


「悪い、ルーノ。少し待っていてくれ。用事が出来た」


 俺の言葉にルーノは立ち上がり、「お前時間がないんじゃ」と口にする。しかし目の前の俺はマリアライズさんへと振り返り、「俺が持つよ」と伝え鉢を受け取った。

 マリアライズさんが不思議そうな目で俺を見ている。そして俺は玄関の扉を開け、マリアライズさんと一緒に外に出た。


    ◇〔???視点〕◇


「以前住んでいた家に案内してもらってもいいかな?」


 そう尋ねると、マリアライズさんは頷き「こちらです」と答え案内してくれた。


 どこかから大きな音が聞こえてくる。複数の男の声、壁を叩きつける鈍器の音。昨日の今日で、もう復旧作業が進んでいるようだ。近隣の村の生き残った人々を受け入れるだけあり、ラミスの人たちの意識はとても高い。昨夜現れた凶暴化した動物が特に強力な種だっただけで、それ以下の動物であれば自分たちでどうにか出来るとさえ思えた。

 ふと、隣を歩くマリアライズさんが俺を見ていることに気付く。俺は彼女に尋ねた。


「どうかした?」


 マリアライズさんは何度も瞬きをした後、「なんだか、雰囲気が変わられたなと思って」と口にする。俺は、「気のせいじゃないかな。俺は俺だよ」と返し前を向いた。彼女はその後も、俺を不思議そうに眺めていた。


 すました顔で何でもないように答えはしたが、俺の心は自問自答を繰り返していた。はっきりしていたはずの思考は継ぎ接ぎだらけのぼろ布のように飛び飛びになっている。足を進める度に頭の中は真っ白を通り越し透明になっていた。


 俺は誰だ。俺は今何をしているんだ。俺はどうしてこんなところにいるんだ?


 心は落ち着いているのに記憶がはっきりとしない。


 記憶喪失? なわけない。さっき俺はここがラミスだと心の中で呟いていた。じゃあ、これは俺が知らない記憶……。夢なのか?


 手の中にある鉢を眺める。それを見て、頭の中の霧が薄れていくのが分かった。先程の出来事が急速に思い出されていく。


 そうだ。俺はさっき、この鉢に植えられている花の名前を聞いて何かを思い出したんだ。その花の名前は……。


『アストロメリア』


 アストロメリア……。アストロ……メリア。メリア、ルイズ……。


 その名を思い出し周囲に目を向ける。見たことのない町の景色が新たな色を紡ぎ出し、砕け散った記憶の欠片が集まり、形を為していく。


 メリアルイズ。そうだ。それは俺の妹で、俺の大切な人の名前だ。じゃあ、俺は? 俺は誰だ? 俺の名前は、アーキユング……?


「どうかしましたか?」


 立ち止まった俺にマリアライズさんが声を掛ける。俺は「なんでもないよ」と答え隣に並んだ。マリアライズさんは俺を見てまた首を傾げる。笑って誤魔化すと、彼女は訝しげな表情をしたまま再び歩を進めた。


 どうなっているんだ?


 マリアライズさんの隣を歩きながら今の状況を整理する。


 ここは、ラミスだったよな? 俺はどうしてこんなところにいるんだ。俺は確か、騎士就任の儀で……。


 記憶に焼き付いている最後の光景を思い出す。しかし、思い出せるのはただ真っ暗な空間だけ。


 そうだ、あの暗闇の中で俺は何もできずに倒れたんだ。そしてその後は……。


「こちらです」


 隣から聞こえる声にびくりと肩を震わせる。いつの間にか目的地に着いていたようだ。


「あ、あぁ……」


 マリアライズさんに返事をし前を見る。そこには菜園の跡地が広がっていた。長い間耕していなかったせいか植物は枯れていた。少し離れた位置に葉がたくさんついた樹木が立っている。物置小屋もあり、半開きになっている戸の中には、今は使われていない鉢がいくつも入っていた。

 持っていた鉢をマリアライズさんに預ける。俺は物置小屋に入り、移植に使えそうな鉢を手にし、それを彼女に見せた。


「これ使ってもいいかな?」


 マリアライズさんが首を縦に振る。俺は傍にあった鍬も持ち、菜園の跡地に向かった。手に持っていた移植用の鉢を置き、両手で鍬を握り締め振り下ろす。俺は何度も土を掘り起こした。


 何をやっているんだ、俺は。


 混乱する頭を鎮めようとするが、次から次へと疑問が浮かんでくる。

 一つの光景を無限に広げ、その無限を一つに還す。それが俺の見出した答え。昨夜オオルリにそれを伝えたばかりなのに、どうして俺がそんな分かり切ったことを出来ずにいるんだ。


「昨夜!?」


 俺は何かを思い出し、鍬を振り下ろす度に腰の辺りで揺れる重みにようやく気付く。その拍子に手が止まり、それに見入ってしまった。


「クルーエルアの……騎士剣?」


 そこで俺は、今の自分が自分の身体ではないことに気付いた。そして同時にぽつりと呟いた。


「何がどうなっているんだ? もしかして俺はあの時……」


 死んだのか?


 急に不安が襲ってくる。メリーが倒れた時と同じ不安が再び訪れる。


 人々の心から病を取り除き、その心に未来を灯すと騎士就任の儀で王女に誓いを立てた。その後、騎士剣を賜り、俺は……俺は……。


 鍬が手から離れその場に落ちる。身体が小刻みに震えだす。後ろから声を掛けられるが何も耳に入ってこない。


 これは夢……。夢なんだよな……? 誰かそう言ってくれ。俺はやっと自分の願いを叶える力を手にしたんだ。その俺がどうして、自分の身体じゃない誰かの身体を動かしているんだ!?


 視線の先に両手を翳す。自分の手じゃない誰かの手。その手には乾いた土が付着していた。何故か、汚れた手を見て俺は落ち着きを取り戻す。その手に俺は見覚えがあった。


「この手の汚れ。この手をいつかも見たような?」


 その時、何かが鼓動を発する。それと同時に、誰かが俺を呼んでいた。俺は、鼓動の感じた方へと手を伸ばし、腰に提げていたそれに触れた。

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