Episode.2-21

    ◇


「今の話を聞く限りじゃ、エルザよりもルーノのお陰で俺は生きている気がするんだが」


 俺の言葉に、「相変わらずいい度胸ね。坊やだけ特別に殺してあげてもいいのよ」とエルザが答えた。


 毎度のことだが、からかっているつもりはないのに思ったことが口から出てしまう。本当に殺される前に何とかこの癖を直さなければならない。


「そんなことはない。怪我を負った者たちの傷をこの人が治してくれたからこそ、こんなにも早く復旧作業を進められている」


 ルーノの言葉に隣にいた男性も頷く。


「私は戦えるような強い身体を持っていません。そのため戦いには参加していませんでした。しかしそちらの方が皆を助けてくれたのだけは見ておりました。私からすれば、あなたはこのラミスを救ってくれた恩人です」


 男性の言葉にエルザは興味を示さない。再び髪で隠した顔からは、一切の感情を感じ取ることはできない。男性はそんなエルザに頭を下げ、「それでは私はまだ作業がありますので」と口にして去っていった。

 再び俺たち三人だけになる。エルザは固く口を閉じ何も語らない。そこにルーノが、少し急かすような口調で話を切り出した。


「村長から、お前が目を覚ましたら家まで来て欲しいと言われている。ええと、エルザさんとお呼びしても宜しいでしょうか? 差し支えなければ、一緒に来てもらえると嬉しいのですが」


 エルザに顔を向ける。エルザは、僅かながらに覗く髪の隙間から俺に視線を向け、否定の言葉を口にした。


「私は行かないわ。本来なら姿を見せるつもりもなかった。それに大人しくしているとはいえ、あそこにグレイを置いていって何かあっても困るでしょ。だから坊やたちだけで行って頂戴」


 そう言い残しエルザは元いた場所に戻る。こう答えるだろうことは分かっていたので、俺からエルザに頼みはしない。俺はルーノに顔を向け、「俺たちだけで行こう」と伝えた。ルーノはどうするべきか悩んでいたようだが、(俺がエルザに何も言わないという意図を理解したのか、)その場でエルザに一礼した。俺はエルザに「すぐに戻る」と伝え、ルーノと二人だけでその場を後にした。

 グレイの傍を通り過ぎる際、グレイが俺に気付き顔を上げる。手を出し頭を撫でてやる。俺はグレイと戯れる子供たちを一頻り見回し、グレイに「もう少しだけ遊んであげてくれ」と伝えた。俺の言葉を聞き、グレイは大きな欠伸をしてその場に伏せる。グレイに申し訳なく思ったが、グレイと戯れる子供たちを見ているとなんとなく嬉しい気持ちになった。


 村長の家へと向かう途中、ルーノが俺に尋ねる。


「あのエルザって女の人とお前はどういう関係なんだ?」


「どういう関係?」


 ルーノの問いに俺はどう答えればいいか悩んだ。「俺は既に滅びたかもしれない一族の生き残りで、エルザはそれと対になる存在」なんて、そんな馬鹿げた話誰も信じないだろう。そもそもこの話は憶測の域を出ていない。その話が仮に本当だとしても、今はまだ話す時ではないだろう。


「道中あの巨大な動物、グレイと戦った時に力を貸してくれたんだ。見てわかる通り、グレイはそこいらの動物とは一線を画す強さを秘めている。だけどなんとかエルザと共に戦いグレイを退けた。それから俺に協力してくれている」


 その後、目を覚ましたグレイが俺たちに懐いていた、というところまで補足して説明した。実際共闘したわけではなかったが。


「そうだったのか」


 ルーノは俺の話を聞きながら歩を進める。ルーノは前を向いたまま再び口を開いた。


「俺はてっきり、エルザさんはお前のことが好きで、一緒について来てるもんだと思っていたんだが」


 ルーノの言葉に、驚きや戸惑いよりも、いつも嫌な感覚の時に覚える黒い靄の存在を心の中に感じた。

 俺とエルザは出会って数日、互いに好き合って一緒にいるわけじゃない。騎士校時代、俺とルーノが同じ寮内の同室だったように、俺とエルザは、言わば同じ目的を持つ同士という関係だ。しかし、ティアナ姫そっくりのその顔に心奪われそうになった瞬間はある。だが、エルザはエルザ、ティアナ姫はティアナ姫だ。ただそれとは別に、俺の考えとは異なるもう一つの意志が、俺の中に存在する気がする。それが昔から感じている、今も感じるこの黒い感覚。エルザと出会ってから特に顕著になった。そして変化があった。

 それまでは、何かとても大切なことを思い出そうとする度に、黒い感覚が記憶を覆い隠していた。しかしエルザと出会ってからはそれだけじゃなくなった。俺がティアナ姫への想いを思い出す度に、目の前にいるエルザを欲するようその意志が働き掛けてくる。ティアナ姫のことを忘れ、エルザを欲し求めるように意識が語り掛けてくる。そう、俺の中にある感覚は間違いなくエルザのことを知っている。俺にそんな記憶はないのに。それとも、これも俺が覚えていないだけなのだろうか? ティアナ姫と同じように、俺はどこかでエルザと会ったことがあるのだろうか? だけど、ティアナ姫は俺のことを覚えていたのに、エルザは俺のことを覚えていない。俺の中の感覚は、エルザのことを知っているのに……。


「おい、どうした。大丈夫か」


 ルーノの声にはっとなる。俺は「大丈夫」と笑顔で返し、どうしてそういう結論に至ったのか尋ねた。すると、ルーノは昨夜の出来事の続きを話してくれた。


「エルザさんは、怪我をしたラミスの人たち全員の治療をしてくれた。俺は先に、お前の治療を優先したほうがいいと思い尋ねたんだ。すると」


    ◆


「どこかの家に……。そうね。あなたの家にでも運んで頂戴。こっちが済んだら私も向かうわ。場所を教えておいてくれるかしら。あと、体を拭くとか余計なことをしなくていいわよ」


    ◆


「と答えた。そう返すということは、命に別状はないということだと思った。お前を運び、全身に付いた血を拭くべきか悩んだが、先に言われていたためエルザさんを待った。暫くしてエルザさんが尋ねてきた。後ろにはあの大きい獣もいた。その獣に待つようエルザさんは伝え家に入ってきた。そして眠るお前の傍に行き、体に触れ」


 そこでルーノは一拍置いた。周囲に気を配った後、俺に視線を戻し、


「お前の全身を黒い炎で包んだ」


 と口にした。


「最初は俺も驚いたさ。急な出来事に止めに入ることもできなかった。だけどその状況で殺す理由が思い付かない。俺は黙って見守った」


 ルーノは立ち止まり辺りを見回す。人手の多くは正門及び外壁の修繕に出張っており近くにはいない。それでもルーノは物陰へと俺を連れて行き、そこで続きを口にした。


「お前の身体は黒い炎に包まれた。だけどそれはそう見えただけで、実際は炎ではなかったのだと思う。もし本物の炎なら俺の家は全焼しているはずだし、そもそもお前は生きていない。黒い炎は、まるで生き物のようにお前の身体を徘徊し、凝固した血の塊を……喰っていた、ように見えた」


 喰っていた……? 血の塊を……?


 嫌な感覚が頭を過ぎる。


 全ての力を使い切り、俺は凶暴化した動物が流した血の海へと倒れ込んだ。その時俺の手は、あのどす黒い血を貪り喰っていた。


「そんな人外じみた光景が目の前で繰り広げられていた。だけどそれが終わると、そりゃもう綺麗なもんだったよ、お前の身体は」


 ルーノの話を聞き俺は黙ってしまう。エルザに限って、そんな『見落とし』をするはずがないと思ったからだ。何故ルーノが見ているにも関わらずそんな行動を取った。そんなことをするのなら、ルーノに外に出て待つように指示すればよかっただけのはずだ。どうしてそんな疑われるような真似をする? わざわざその光景を見せつけた理由はなんだ?


 ルーノが俺を見ている。これ以上黙るのも不安にさせるだけだと思い、俺は心の中で謝りつつ話をはぐらかした。


「今の話のどこに惚れる要素があったんだ?」


 俺の言葉にルーノは「あぁ、それはだな」と口にする。はぐらかしはしたが、それもどういう意味なのか気になっていた。昨夜エルザと初めて会ったルーノがそう口にしたんだ。そう思わせるだけの何かがあったということだ。


「エルザさんがお前の怪我を治している時、長髪の隙間から僅かに横顔が見えたんだ。俺の気のせいでなければエルザさんは笑っていた。だけどその顔はどこか儚く寂しそうでもあった。嬉しさと悲しさを含んだ、そんな顔だった」


 俺を見てそんな顔を……?


 昨夜話をした時のエルザは、俺のことを殺したいと思わせる態度だった。それなのに、ルーノから見たエルザは、嬉しさと悲しさを含んだ顔をしていたと言っている。


「そんな顔を向ける相手と言ったら、大切な人なのかなって」


 大切な人……?


 俺はルーノに向き直り口を開いた。


「ルーノ、余り話を長引かせてエルザを待たせたくない。すぐに村長の家に行こう」


 俺の言葉にルーノは何か言いたそうだったが、黙って頷き、歩を進めた。昨夜互いに聞きたいと思っていた話をした後なのに、また聞きたいことが増えてしまった。エルザがルーノに見せた血を喰らう光景、何故ルーノに見せたのか、それはきっと俺に聞かせるためだ。

 本来なら他者に知られたくないことのはず。それなのに、そうまでする理由は、俺に深く考えさせるため。そして考えさせるための本当の理由は、俺が何者なのかを知るため。俺の正体を知るためなら、エルザは、どんなことでもする、と言いたいのだろう。

 そして襲撃があったせいで聞けず仕舞いとなった、俺がエルザを殺したくなるという話。そこで俺がエルザの『眼』を奪ったという。昨夜エルザが見せた、黒い霧の中に消えることのできる能力、あれを見て確信に変わった。ジークムント騎士長が口にしていた、騎士就任の儀の場にいた十五人目。それはきっと……。


 俺がエルザを殺したくなるという話は、それはきっと、あの日、あの出来事のことで間違いないのだろう。

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