Episode.2-20

    ◇昨夜〔ルーノ視点〕◇


「大丈夫か」


 倒れた"友"の元に駆け寄る。"友"は一度は立ち上がったものの再びその場で倒れた。しかも今度は完全に意識を失っていた。巨大な獣が支えたくれたお陰か、転倒による怪我はないようだった。しかし全身にこびり付いたどす黒い血液のせいで気付かなかったが、本人が負っている怪我は決して軽傷ではなかった。


「こんな状態にもかかわらず、お前は戦っていたのか……」


"友"の様子を見て驚く。全身に幾つものあざがあるだけでなく、赤褐色の血の跡も散見される。先程見た時はここまで酷くはなかったはずだが、恐らく、激しく動いた反動だろう。小さかったであろう傷口が大きく開いていた。

"友"へと手を伸ばす。しかし、そこで巨大な獣が俺の前に立ちはだかった。先程は俺の手を受け入れてくれた獣が俺に威嚇していた。俺はその姿を目の当たりにして、自分自身の愚かさに気付かされた。

 この獣は"友"に懐いている。先程俺の手を受け入れてくれたのは、俺が"友"を信じていたからだ。今の俺は"友"を信じるべきなのか、ラミスの人たちを優先するべきなのか迷っている。その迷いをこの獣は感じ取っている。

 振り返り向こうの(防壁の下で行われている)状況を確認する。放射線状に広がっていた黒い光が徐々に弱まり収束していっている。子供はうつ伏せで倒れ、女は肩で息をしていた。その光景を見て俺は走った。何故走ったか。そんなこと聞くまでもない。"友"なら迷うことなく駆け付けたからだ。


    ◇昨夜〔エルザ視点〕◇


 肩で息をし呼吸を整える。『眼』がないにもかかわらず『権限』を行使するのは想像以上に負担が大きいようだ。身体が思うように動かせない。頭はくらくらするし、指先も少し痙攣している。いくら幼い子供の願いだからとはいえ、『眼』のない状態で『権限』を行使するのはこれきりにした方が良さそうだ。


 いや、そんなことよりも……。


 目の前に倒れる男(泣き叫んでいた子供の父親)の姿を見る。


 本来なら『権限』の行使に必要となる代償はその者が捧げる全てとなるはず。それはつまり、この坊やがこれまで刻み込んできた父親との思い出全て。だけど、『権限』を行使する際、何かが割って入ってきた。その何かは、坊やから失われるはずだった代償を半分補った。どうやって代償を補ったのかは分からない。間違いなくこの坊やは大切なもの全てを失ってはいない。それじゃあ、この子の父親は……?


 坊やに目を向ける。意識を失ってはいるが命に別状はない。再び坊やの父親に目を向ける。胸に手を添え命の鼓動を感じ取る。


 生きている……。


『権限』の行使は成功したようだ。「何故」、という言葉が口から漏れそうになる。懸念はあったが坊やの願いを無事叶えることができた。そこだけは安心して良さそうだ。

 しかしそうなると、代償を補った何かというのを探らなければならない。我が一族の秘に介入し、それを補うなど、ただの人にそんなことできるはずがない。そんなことをできる者がいるとしたら、それは同じ能力を持った者、『間人はざまびと』しか有り得ない。


 じゃあ、やっぱりあの"坊や"は……。


 顔を上げようとしたところで周りを囲まれていることに気付く。よほど疲弊していたのだろうか、ラミスの者たちが迫って来ていることに全く気付かなかった。


 一つ大きな溜め息を吐く。


 確かに疲弊はしている。しかし、凡人に毛が生えた程度の力しかない者たちに後れを取るほど、私は落ちぶれてはいない。


「人に姿を模した妖め。覚悟はいいか」


 じりじりと刃を私へと向ける。その言葉を聞いて私は笑みが零れた。


「こんな奴らのために、――――は犠牲になったの? うふふ。あはは。あはははははは!」


 私の高笑いに怯んだのか、数人が後退る。尚も武器を構え私に突き付ける者もいたが、髪を拭い上げ、直にそいつらを睨みつけると、恐怖のあまりその場で腰を抜かした。

 笑わずにはいられなかった。永い時間の中で何度か人と関わる機会はあったが、ここまで愚かで自分勝手な者たちと出会ったことはなかった。繁栄がもたらす堕落。ぬるま湯に浸かった腐敗。それらを絵に描いたような光景が今の人の世だ。こんな者たちを生かしておく価値があるのだろうか? どうしてこんな者たちを救うために、――――もあの"坊や"も命を懸けたのだろう。あぁ、そうだったわね。――――も"坊や"も私とは立場が違う。『監視者』の私とは。


 立ち上がり外衣に手を掛ける。いつの間にか呼吸は整っており、『眼』がないにもかかわらず、身体はいつにもまして力が溢れているように感じた。


「私に対して、人に姿を模した妖などとよく言ってくれたわね」


 私を取り囲んでいた者たちはその場で怖気づいてしまった。武器を落とし戦意を失った者もいる。恐怖の余りひれ伏す者も。どいつもこいつも無様で滑稽だ。

 忠告はした。それを聞かなかったのはお前たち、人だ。私を愚弄した罪、その罪は……。


「死んで贖え」


 被っていた外衣を握る。


 私が素顔を見せるということが何を意味するのか、身をもって知るがいい。


「待ってくれ」


 外衣を取ろうとしたところで背後から呼び止められる。振り返ると、そこには先程私に剣を突きたてたクルーエルアの騎士が立っていた。私はその騎士一人に視線を注ぐ。騎士は一瞬だけ顔を歪めたが、その後一歩前に出て地面に剣を置き、頭を下げた。


「頼む。この場は俺に免じて許してもらえないだろうか」


 騎士は頭を上げることなく私に声を掛ける。私は外衣から手を放し騎士の次の言葉を待った。


「俺にはラミスの人たちの気持ちも分からないこともないんだ。一瞬とはいえ俺も、"あいつ"や"あいつ"が連れている獣、そしてあなたの人並外れた力に圧倒され恐怖した。だから、そんな存在を排除したいと思うその気持ちも理解できるんだ」


 騎士の訴える声が周囲に響く。私は変わらず冷酷な視線を向けたまま続きの言葉を待った。


「皆"あいつ"やあなたの強さを理解できないんだ。俺たちはあなたたちほど強くはないから、どうしても畏怖の対象として見てしまう。同じ人なのに……。お願いだ。考え直してほしい。皆は俺が説得する。だから、殺すなんて言わないでくれ」


 まるで"坊や"が言いそうな台詞。言っていることは女々しいが、言葉の内から確たる意志が感じとれる。かつて、私に指図した騎士はもっと態度が大きかったが、志そのものが共通して変わらないのは、やはり同じクルーエルアの騎士ということか。


「ルーノ、何を言ってるんだ。そいつらはあの巨大な動物を倒せたんだ。俺たちじゃ束になっても敵わなかったあの動物を。しかもその女に至っては俺たちのことを殺すとまで言っているんだ。あの王国騎士を名乗る奴だってあんな危険そうな獣を連れているし。この二人こそ、ラミスにとって災いじゃないか!」


 ラミスの者が目の前の騎士に対し叫ぶ。


 本当に愚かね。この騎士のお陰で見逃してあげても良さそうな雰囲気になっていたのに、自ら死刑台を選ぶなんて。殺したいという気持ちすら湧かないわ。いっそ苦しまずに消してあげるのが情けというものかしら。


 手に力を込める。そしてラミスの者へと手を向けようとした瞬間、目の前の騎士が村人たちの前に立ちはだかった。それも、無防備にも私に背中を曝して。


 ……もう少しだけ様子を見よう。


 私は双眸を閉じた。


    ◇昨夜〔ルーノ視点〕◇


 こんなにも怒りが込み上げてくるのはいつ以来だろう。俺は今、自分の中の何かを抑えられないでいる。背中を見せれば殺されると分かっている相手に背中を曝してでも、俺は今聞いた言葉を許すことができなかった。


「ふざけている。何が災いだ。命を救われたという事実を差し置いて、理解できないという理由で人はここまで愚かになれるのか。だとしたら、"あいつ"やこの女の人からすれば、俺たちの方がよっぽど災いじゃないか。命を懸けて守った者に殺されそうになる気持ちが、あなたたちに分かるのか。最後の戦いに臨む直前、"あいつ"は怯えていた。それはあの動物に対してじゃない。凶暴化した動物を倒した後の、俺たちの、"あいつ"を見る視線に……」


    ◆


「ルーノ。この先何が起こっても、俺のことを最後まで信じてくれると、約束してほしい……」


    ◆


「俺は"あいつ"と約束した。どんな結末を迎えても信じて疑わないと。もし皆が"あいつ"やこの女の人を殺そうとするなら、まずは俺を殺せ。俺はこのラミスを守るための騎士だ。あなたたちに手を上げることは絶対にない」


 俺の叫びに皆が怯む。一人、また一人と、皆が周囲の者と顔を見合わせている。どうやら俺の言いたかったことは伝わったらしい。だけど、今のままでは"あいつ"らをラミスから遠ざけるだけで受け入れてはもらえない。これ以上は無理なのだろうか。そう考えていたところに、突然後ろから声が聞こえてくる。この声は、死に至る重傷を負っていたはずの兵士の声。そこに、傍にいた子供も目を覚ましたようで、すぐに父親に寄り添い声をあげた。


「お、お父さん!? お父さん!」


 子供の叫び声を聞き兵士が息子の名前を呼ぶ。そして「大丈夫だよ。理由は分からないが、さっきまでと違い身体がすごく楽になった」と答え、子供を抱き寄せた。

 子供の泣き叫ぶ声と共に周囲の者たちが駆け寄る。皆が「本当に平気なのか」、「無事で良かった」など、兵士に声を掛けている。皆のやり取りを眺めていたが、そこで俺は違和感に気付く。何故気付かなかったのか分からないが、本来そこにいるはずの人物がいなくなっていた。


 「あの女の人がいない?」


 子供のすぐ傍にいたのに、いつの間にかあの女の人がいなくなっていた。周囲を見回すと、女の人は少し離れた小さな岩に腰掛け、足を組んでいた。再び輪の中心にいる兵士に顔を向ける。俺も実際にあの兵士の怪我は目の当たりにした。そしてもう助からないということも分かっていた。しかしあの兵士は一命を取りとめた。

 女の人へと顔を向ける。


 まさか、あの女の人がやっていたことは、命を救うための行為だったのか?


 女の人は瞼を閉じ微動だにしない。何か考え事をしているようだ。しかし突然、女の人は目を開き、近くにいた兵士を指差す。その兵士は、自分が指差されたことで震え上がったが、女の人は溜め息を吐いた後、その兵士に声を掛けた。


「あなた、足に怪我を負っているわね。ここまで来なさい。それくらいならまだ出来るでしょう」


 声を掛けられた兵士は驚き、慌てふためている。しかし足の痛みが酷くなってきたのか、その場でよろめく。そこで、兵士は女の人を見て、迷いながらもそちらへと向かった。

 兵士が(女の人の)目の前に辿り着くと、「足を出しなさい」と女の人が言う。兵士はその場で座り片足を前に出した。女の人は外衣より手を出し、兵士の足を手でなぞる。兵士はびくりと身体を震わせたが、声をあげたりはしなかった。

 女の人は、兵士の足を軽くなぞったかと思うと手を放し、「終わったわ」と告げた。その言葉を聞き、兵士は恐る恐るゆっくりとその場で立ち上がった。そして、


「治ってる……。さっきまで感じていた足の痛みを全く感じない」


 と口にした。その言葉を聞き、俺たちは一斉に女の人を見る。しかし女の人は眉一つ動かさない。女の人は、少しの時間月を見上げていたが、顔に掛かっていた髪を拭い上げ、俺たちを見て口を開いた。


「怪我人がいたら連れてきなさい。死人は救えないけど、軽傷までなら何とかしてあげるわよ」


 と、ずっと感じていた殺気を欠片も感じさせない、まるで子を労る母のように、俺たちへと声を掛けた。

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