Episode.2-15

    〔ルーノ視点〕


「今こそ俺たちの手でラミスを守る時だ。皆、行くぞ!」


 俺の叫びに皆が呼応する。未だ半数以上の者たちが武器を持っている。俺たちは共に凶暴化した動物へと駆けだした。


    ◇少し前〔ルーノ視点〕◇


「あいつが騎士剣を振るったのち、あの動物は一時的に行動に異常をきたす。そこからは俺たちがあれ(凶暴化した動物)と戦うんだ」


 俺の言葉を聞き兵士の一人が口を開く。


「ルーノ。先程のあの動物の猛攻だが、一度凌いだだけでも奇跡みたいなものなのに、もう一度俺たちで渡り合えるのか?」


 その言葉に周囲の兵士たちから不安の声が上がる。俺は首を振り口を開いた。


「今言った通りだ。あいつが剣を振るった後、あの動物は行動に異常を来す。その間は俺達でも十分に戦えるはずだ。そして願わくば、その間にあれを倒す」


 俺の言葉に再び兵士から声が上がる。


「俺達でも十分に戦えるってどうして言い切れるんだ」


 その言葉に他の兵士たちも声を上げる。俺は、騎士剣を構える友に視線を戻し、かつて見た光景を思い出していた。


    ◇


 騎士剣を振り切りその場で膝を突く。俺へと迫っていた凶暴化した動物は、まるで糸が切れたように、無防備を曝したまま俺の頭上を通過し、地面に激突した。

 凶暴化した動物が激突した衝撃で大地が揺れる。その衝撃で再び身体が悲鳴を上げた。騎士剣を手にしてからたった一振りしかしていないが、元々俺の身体は戦える状態ではなかった。激痛が走り小さく声が漏れる。咄嗟に地面に両手をつきそうになる。しかし、まだ倒れるわけにはいかない。俺には、やらねばならぬことがある。そう、友と交わした約束が。

 凶暴化した動物が起き上がりこちらへと向き直る。その身体には一切の剣跡は見えない。凶暴化した動物は二足で立ち、大きく雄叫びを上げる。そして、再び俺目掛けて駆けてきた。


「ユングの剣は、相手を殺すための剣じゃない」


 歯を食いしばり立ち上がる。凶暴化した動物が俺へと駆けてくる。


「この剣は、形無き物を断つ剣。俺たちが断ったのはお前の身体ではない」


 俺の叫びにあわせるように、背後から多くの誇りたちが迫ってきているのを感じる。俺は騎士剣を天へと掲げ、迫る誇りたちへ心の限りを叫んだ。


「俺たちが断ったのはお前の最大の武器ともいえるその嗅覚だ! 今こそ皆の手で勝利を!」


 俺の叫びに呼応するように騎士剣が透緑色の光を放つ。凶暴化した動物はその光を遮るように、前足で顔を覆いその場で足を止めた。

 俺の傍を兵士の方たちが駆けていく。俺に労りの言葉を掛け、凶暴化した動物へと走っていく。そして一人、俺の傍で立ち止まった男が(俺へと)声を掛けた。


「ユングとの戦いで見せたあの剣は、やっぱり偶然じゃなかったんだな」


 騎士剣を下げ、傍に来たルーノへと顔を向ける。今の一閃を放っただけで俺の身体はもはや使い物にならない状態だった。しかし友を不安がらせないため、虚勢を張り、何とか繕ってみせた。


「俺たちクルーエルアの騎士の剣は、人々の想いと同じ、紡がれていく剣。騎士剣を通し、ユングが俺に力を貸してくれた。そして、人々の心から不安を取り除いたんだ」


 俺の言葉にルーノは驚きの声を零す。一瞬だけ何か言いたそうに口を開いたが、何も口にすることはなかった。ルーノは手を伸ばし、騎士剣を握る俺の手を握り微笑んだ。


「じゃあその想い、俺も分けてもらうぜ」


 ルーノが俺の手を強く握る。そして互いに頷きあった後、ルーノは手を離し、振り返り、凶暴化した動物に向き合った。


 兵士の方たちが凶暴化した動物を囲うように周囲から攻撃を仕掛けている。凶暴化した動物は力の限りその前足を振るが、兵士の方へは当たらず空を裂いている。


 どうやら、俺たちの狙いは上手くいったようだ。


 兵士の方が切り掛かり、凶暴化した動物から血飛沫ちしぶきが舞う。無数に舞う矢が全身に刺さり、刺さった部位より血が流れる。


 圧倒的に優勢、そう思えた。ラミスの村にいる者は、騎士や術士には劣れど、陥落させられることなくこの村を守り抜いてきた強者ばかりだ。一度戦いが始まれば統率力の高さも相まって、誰がどういった布陣で戦わねばならないのかまで把握しきっている。下手な部隊より統率が取れていると言っても過言ではない。


 俺は戦いを見守っていたが、時間が経つにつれ決して優勢ではないことに気付いた。そしてルーノではなく、心の内側から聞こえる声に、俺もまた同じ言葉を思い浮かべ、それを口にした。


「まずいな」


 俺の言葉を聞きルーノが振り返る。俺を見て、ルーノもまた険しい表情になった。


 確かに、凶暴化した動物からの攻撃は当たらない。一方的にこちらの攻撃が通っていることも事実。だが、どれだけ優勢に見えても、それはそう見えるだけだ。実際、凶暴化した動物は、矢が刺さり血飛沫が舞った状態でも、先程までと変わらない攻撃を仕掛けている。


「桁が違い過ぎる」


 俺の言葉に、「桁?」とルーノが口にする。俺はルーノに顔を向け尋ねた。


「ルーノ。ルーノの剣で、あの強靭な皮膚を裂いて、腕や脚の一本を切り落とすことはできるか?」


 俺の問いに、ルーノは凶暴化した動物へ顔を戻し、僅かに思案する。そしてその後、「無理だ」と答えた。


 つまり、そういうことだ。


 今戦っている兵士の方たちは、俺たち騎士とは異なり、必殺の一撃を持ち合わせていない。剣や矢でいくら傷を付けても、それは表面上に限られる。それが証拠に、凶暴化した動物は一向に衰えたような素振りを見せない。だったら同じ騎士であるルーノなら、騎士となった者なら誰でも放てる、くうを断つ一閃なら倒せるかもしれない、と思った。しかし、あれほどの強靭な皮膚を断ち切るとなると、直接体に打ち込まなくてはならない。ましてや倒すとなると首を刎ねる必要がある。だが、俺たちの身長の何倍以上もある相手に、どうやってその位置まで跳べばいい。


「俺の分析は間違っていたのか……?」


 奥歯を噛みしめ騎士剣を強く握る。再びユングの声が傍から聞こえる。


「違う。お前の分析は間違ってはいない。これは単純に決定打の差だ。お前が万全の状態で騎士剣による一閃なら、あれを倒すことはできた。しかし今のお前の状態では放つことはできない。かといって嗅覚を断ったことが無駄だったかと言われたらそうではない。嗅覚を断っていなければ、この場にいる者たちは全員、既に殺されている」


 ユングの言葉に、「じゃあどうすれば」と心で問い掛ける。ユングは口を閉じ言葉を発さない。


 目の前で繰り広げられている激闘を前に焦りが募る。騎士剣を握っていない左手に、焦燥感を表すそれが浮かび上がる。焦りが募る中、瞬きもせず目の前の戦いを見守っていたが、そこで不可思議な出来事が起こった。


 俺はいつの間にか白い世界に立っていた。いつかも、ここに来た覚えがあった。周囲に透緑色の光が溢れたかと思うと、その光は俺の前に集い、一人の男を形作る。その男――アーキユング――は、俺へと顔を向け、俺の目を真っ直ぐに見て口を開いた。


「それは、お前次第だ」


 ユングの言葉に、「俺次第?」と返す。ユングは深く頷き、俺の胸に拳をぶつけた。


「奴を倒す方法は確かにある。ただし、それによりどんな結末が訪れるのか、そこまでは俺も分からない」


 ユングでも分からないこと? ユングは一体どんな手を思い付いたんだ。


「俺が分析できるのは現在のことだけだ。未来のことは、俺よりもお前の方がよく視えるんじゃないか?」


 ユングが口端を上げ俺に笑って見せる。ユングの姿が薄くなり、再び俺の内側から声が響いてくる。


「どれだけ綺麗事を並べても力に抗うには力が必要だ。奴の強大な力に抗うためには、それと同じだけの力をぶつけるほかない」


 その言葉に、ユングが何を言いたかったのか俺は気付いた。




「どうしたんだ?」


 ルーノが俺に声を掛ける。ルーノは心配そうに俺を覗き見ていた。

 

    ◆


「ただし、それによりどんな結末が訪れるのか、そこまでは俺も分からない」


    ◆


 ユングの言葉を思い出す。


「同じだけの力をぶつけるほかない」、ユングはそうも言っていた。


「……ルーノ」


 騎士剣を握り直しルーノの名を呼ぶ。ルーノは黙って俺を見ている。


「ルーノ。この先何が起こっても、俺のことを最後まで信じてくれると、約束してほしい……」


 顔を伏せ、すがるようにルーノに頼む。


 この後起こるだろう出来事が、俺は恐い。あの凶暴化した動物よりも、この後起こるだろう出来事に、俺は恐怖を感じている。


 騎士剣を強く握るも恐怖は消えない。


 俺は、恐い。この後起こるだろう、俺を見る人々の視線。人々の、反応が。


 凶暴化した動物と兵士の方たちとの戦いに大きな変化はない。切っても切っても手応えのない剣。いずれ尽きる矢。そして時間と共に戻るだろう凶暴化した動物の感覚神経。このまま手をこまねき続けている限り、いずれラミスは滅ぶ。


 俺は己の弱さを棚に上げ誰かのせいにしようとしている。もしルーノが首を縦に振ってくれなくとも、俺は王国騎士として最善の手を尽くさなければならない。それなのに俺は、どうしても行動に移すことができない。


 恐怖と焦燥感が入り交じり心が警鐘を鳴らす。


 恐い、人々の俺を見る視線が……。

 恐い、皆と繋いだ絆が切れるのが……。

 恐い、約束を破ることが……。


 体が震えているのが分かる。悪寒に耐えようと必死に歯を食い縛るが、嚙み合わせがあっていないように齟齬が起きている。恐怖が全身を支配し、顔を上げることができない。しかし、そんな俺の不安を払拭するように、誰かの手が俺の肩に触れる。顔を上げるとそこには友が――ルーノが微笑み、俺を見ていた。


「たとえこの戦いがどんな結末を迎えたとしても、俺はお前を信じて疑わない。お前は、俺たち民出身の希望であり、そして何より、俺の大切な友だからだ」


「……ありがとう」


 俺は肩に添えられた友の手を強く握り、その手を俺から離す。そして痛む身体を引き摺るように、一歩、また一歩と下がる。

 ルーノと距離を取り、俺は、騎士剣を手にしていないもう一方の手(左手)を強く握った。そして身体の前で祈るようにその拳を胸に当て、強く目を閉じた。


 この後俺がとる行動は、傍から見れば国家への背信行為にも見えるだろう。もしそうなら、俺は俺を待つ大切な人を悲しませることになる。それでも、今この村の人たちを救う手段がこれしかないのなら、これに賭けるしかない。


 ディクストーラ。ユング。ルーノ。みんな。……ティアナ姫。俺のことを……信じてくれ!


「来い! グレイ!!」


 俺は拳を天へと突き上げ力の限り叫んだ。




 凶暴化した動物と兵士の方たちの戦いは未だ膠着状態が続いている。ルーノが見守る中、俺はこの場に走り寄る気配に気付き、残る力を振り絞り大地を蹴った。

 俺の伸ばした手は、大きな獣から伸びてきた優しい手と繋がり、それに引き寄せられる。俺はその手に導かれるまま、グレイの背に乗り空を翔けた。

 グレイと共に凶暴化した動物へと駆ける。グレイは強固な爪を大きく立て、凶暴化した動物の背後から勢いよく飛び掛かった。


 夜光の下、巨大な影から無数の水滴が舞う。同時に大きな雄叫びが夜の闇に響き渡る。グレイの強靭に発達した前足の一撃は、ユングの予想の通り、凶暴化した動物の表面の皮膚を穿ち、身体の内側まで損傷を与えていた。


「な、なんだあの動物は!?」


「また一匹でかい奴が増えたぞ」


「いや待て、よく見ろ。あの動物の背中に騎士様が乗っておられる」


 兵士の方々の声が聞こえる。


 グレイを目の前にしての恐怖の声。そのグレイが目の前の動物へ攻撃を仕掛けた驚きの声。そして、そのグレイの背に俺が乗っていることへの疑いの声。それらの声が周囲に響き渡っていた。

 グレイの爪撃を受け、凶暴化した動物が大きく前足を振り回す。グレイは穿っていた爪を抜き、その前足から逃れるように後方へと跳んだ。グレイが着地した振動が身体に伝わり、俺は小さく声を漏らす。ルーノや兵士の方々にその声を聞かれることはなかったが、俺の後ろで闇夜に映らぬよう外衣を纏い、他者には見えないよう姿を隠していたエルザが、俺の声に気付き口を開いた。


「全く。面倒な状況で都合の良いように使うのはやめてくれないかしら」


 外衣フードと顔を隠す長い髪の毛で表情は見えなかったが、エルザが溜め息を吐いたのだけは分かった。そしてエルザは溜め息の後、続けて口を開いた。


「グレイ、駆け回って少し時間を稼いで頂戴」


 エルザの言葉にグレイは雄叫びを上げ、凶暴化した動物をかく乱するように駆け回る。凶暴化した動物もまた四足になり、グレイを真っ直ぐに追いかけてきた。


「予想に反して随分酷くやられたものね」


 エルザが俺を見て呟く。


 俺は「面目ない」と答え顔を伏せる。エルザは俺の言葉には何も答えず、凶暴化した動物へ顔を向け小さく呟いた。


「あれも救う気なの?」


 エルザの問いに、俺は顔を伏せたまま答える。


「恐らく、あれは無理だ」


 俺の答えに「どうして?」とエルザが返す。


 俺は凶暴化した動物に顔を向け、その姿を凝視し言葉を紡いだ。


「『色』が感じられないんだ」


「色?」


 エルザが繰り返す。俺は頷き言葉を続けた。


「以前戦った凶暴化した動物やグレイの時は色を感じられたんだ。正確には視えたんだ。白い光と黒い光。二つの光を」


「二つの光?」、エルザがそう口にする。


「初めはそれが何なのか分からなかった。何故そんなものが視えたのかも。その時は直感的に黒い光を断った。そして断った後、その動物は元の意志ある動物へと戻った。本当に理由は分からない。でもそんな奇跡が二度もあったんだ」


 エルザは俺の話を聞き何も答えず考え込んでいる。俺たちが話しているその間もグレイは駆け回っていた。

 速さは恐らく互角。元の体格の都合上グレイが勝っているようだが、奴のあの巨体故に、完全に逃げ切れるわけではないようだった。

 凶暴化した動物が腕を上げ俺たちへと振り下ろす。グレイの身体能力は大したもので、それを上手く躱し続けていた。俺は凶暴化した動物の動向を見つつ、この後をどうすべきか考えていた。


「どうにかして奴に喰らいつくしかない。しかし、今の状態で満足に剣を振るえるかどうか……」


 きつく奥歯を噛みしめる。


 己の顧みない行動が、ラミスを、クルーエルアを、今危険に曝している。王国騎士として愚かと言わざるを得ない。


「せめて満足に剣さえ振るえれば……」


「……仕方がないわね」


 俺の懺悔を許すかのように背後から声が響く。(その言葉の意味を尋ねようと)振り返ろうとしたが、その前に、俺を包むように二つの腕が俺を抱き締めた。


「じっとしていなさい」


 背中にエルザの声が響く。一瞬「何を」と思ったが、その包まれた手を通じ、身体に温かいものが流れ込んでくるのを感じた。


「傷が、癒えていく……?」


 何が起こったのか分からなかった。しかしエルザの手から流れ込む何かによって、俺は身体が元の状態に戻りつつあるのを感じた。


 この感覚は、そうだ。この感覚は、あの日クルーエルア城で覚えたあの優しさと同じだ。

 ローズお姉ちゃんが生きていることを知った俺は、この先に訪れるかもしれない運命に耐えられず嗚咽を抑えきれなかった。その時そんな俺を介抱し助けてくれた人がいた。それはリリアナ王妃。この感覚は、あの日リリアナ王妃に抱き締められたあの時と、同じ感覚だ。


 エルザが俺の身体をぐっと掴む。しかし、凶暴化した動物の猛攻をグレイが躱す度に、その手から感じる温かみが途切れる。今エルザが行っている行為は、俺が想像しているよりもずっと神経を使うようだ。それが証拠に、エルザの苛立ちを抑えるような声が時折聞こえてくる。俺はエルザの手に触れ短く答えた。


「エルザ、ありがとう。もう十分だ」


 エルザの手を身体から離し顔を向ける。外衣フードと長髪の隙間から僅かに顔が覗き、その唇が小さく動いた。


「負けるなんて許さないわよ。私を守ると言った以上、その責任は果たしてもらうから」


 俺はその言葉に深く頷いた。


 エルザが俺の目を真っ直ぐに見る。そして何かを察したように、エルザは俺の胸に手を当て、黒い霧となって夜の闇に溶けていった。

 俺は瞳を閉じ精神を集中させた。騎士剣を握る右手と、もう一方のエルザと繋いだ左手、その双方に力を込める。


 俺を送り出してくれた人たち。同じ時間を過ごした友。出会って僅かにも関わらず助けてくれる仲間。そしていつか交わした約束を、その約束を信じ、信じ抜いて待ってくれている人。その人たちのために、俺はこんなところで負けるわけにはいかない!


「グレイ!!」


 目を見開き足に力を込める。


「奴の猛攻を躱し元いた方角へ駆けろ!」


 俺の叫びにグレイが大きく雄叫びをあげる。グレイは、凶暴化した動物が振り下ろす巨大な腕を寸でのところで躱し、村の方角へと駆けた。


 俺たちを追い凶暴化した動物が駆けてくる。前方に兵士の方たちが視界に入る。そこで俺は騎士剣を掲げ再びグレイに呼び掛けた。


「跳べ! グレイ!!」


 俺の声に併せグレイが大きく大地を蹴る。凶暴化した動物が俺たちへと顔を向けその場で立ち上がる。俺は心を静め、騎士剣を両の手で持ち、残る力の全てを込め再び友の心に接続した。


 これが俺が視た未来。友は、仲間は、きっと俺を信じ待ってくれている。だからもう一度最後にお前の力も貸してくれ!


「アーキユング!」


 俺の想いに応えるように騎士剣が透緑色の光を放つ。突然の眩い光に凶暴化した動物は顔を抑え、大きく雄叫びを上げた。


「一時的にだが視覚を断った。これが本当に最後の好機だ」


 ユングの声が傍から聞こえる。俺は騎士剣が放った光の影響を唯一受けない、グレイの影の下で待っている友の名を叫んだ。


「ルーノ!!」


 ルーノが剣を払い凶暴化した動物へと駆ける。凶暴化した動物は目を抑え、雄叫びをあげたままその場でもがき苦しんでいる。


 ルーノは間合いに入り、剣を両手で構え、その巨足に力の限り切り込んだ。


 凶暴化した動物の巨躯が傾く。しかし転倒には至らない。ルーノが言っていた通り、足を切り落とすには至っていない。しかし、切り落とすには至らないというその事実が、のち未来けつまつを確定付けるものとなった。


 グレイが上空より大きく口を開け、凶暴化した動物の左肩口を穿つ。


 凶暴化した動物は何かを訴えるように、グレイに穿たれた左腕を顔から離し、大きく雄叫びを上げる。その雄叫びが、怒りによるものなのか、痛みによるものなのかは分からない。しかし、一つだけ分かっていることがある。それは、俺はここまでの過程を、『既に視ていた』、ということだ。


 ユングの形無き物を断つ力により、視界を断つ。

 ルーノの一閃により、足に傷を負わせ身体を傾かせる。

 そしてグレイの凶牙を肩に穿つことにより、首を曝す。


 この結果は既に想定していたこと。そう、信じるもの全ての道筋が繋がった時、俺はこの結論に自然と辿り着いていた。俺はグレイの身体を離れ、上空にて騎士剣を振り被っていた。


    ◆


 この動物は救えない。


    ◆


 そう心が俺に告げた時、俺の胸は張り裂けそうになった。


    ◆


 命あるもの全てを助けたい。


    ◆


 いつしか俺はそう思うようになっていた。だけど、その願いは叶わないとでも言うように、この動物は手遅れで、助けることは叶わないと、俺は既に知っていた。それを俺に告げたのは、いつも俺の心を不安にさせるあの黒い感覚じゃなかった。もっと、もっと深いところにある、真っ白で、透き通っていて、僅かに黄金色おうごんしょくに輝くその光が、俺の心にそう告げた。


 メリーの言葉を思い出す。


    ◆


 「動物ってね。みんなそれぞれに色んな意味があるんだって。ほら、この子とか。普段は四足で行動して、危険を感じたら立ち上がって戦う。恐怖に立ち向かう強い力? うーーん、よく分からないや」


    ◆


 心が痛んだ。ユングの記憶を通して見えたその動物は、紛れもなく今俺の目の前にいる動物の元の姿なのだから。


 謝りはしない。後悔もしない。お前が生きてきたその証を、俺が記憶し続けよう。もし、お前が生まれ変わり、再びこの世界に生を受けることがあったなら……。その時には…。


「平和な時代に、愛するものと一緒に……ずっと……」


 そして俺は、一つの生命いのちを断った。

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