Episode.2-14

    ◇ルーノ視点◇


「あれは、まさか……」


 迫り来る凶暴化した動物を相手に、友は騎士剣を下げ無防備を曝している。誰の目にも勝利を捨てた愚か者にしか映らない。だけど、俺はこの光景に見覚えがあった。


「騎士様ー! お逃げ下さい! 騎士様ー!」


 後ろで膝を突く兵士が友へと叫ぶ。俺は咄嗟に振り返り、周囲の兵士たちへ声を掛けた。


「怪我人は急いで退避させろ。まだ戦えるものは今は身体を休めておけ」


 俺の叫びに兵士たちが驚いている。


「ルーノ、それはどういう意味だ!? 王国騎士様を見捨てるのか!?」


「違う!!」


 俺の叫びに兵士たちが怯む。俺は友へと顔を向け、小さく呟いた。


「あの時と同じだ。あいつはあの決闘の儀で、アーキユングの心に光を灯したんだ」


    ◇王国騎士試練初日(対アーキユング)◇


「病とは、表面上に現れる身体の不全のみならず。心を蝕む負の感情もまた病なんだ」


 ユングが続けて俺に語る。


「初めてそれを他人に話した時、それはもう大層馬鹿にされたよ。そんな考え方をしているお前の頭こそ病に侵されている。お前はフローライト家の本当の子供じゃないからそんな馬鹿げた考え方を持っているんだ、と何人にも言われた」


 ユングの強い視線が俺に刺さる。


「だけど、そんな俺の考え方を父上も母上も決して馬鹿にはしなかった。偉人とはいつも凡人には理解されぬもの、お前の考え方は他人よりも先を視ている、と父上は言ってくれた。でも、俺を心から支えてくれたのは、父上と母上の本当の娘、俺の妹のメリアルイズだった。メリーはいつも俺の話を聞いてくれた。俺が王国の書庫に行くときにはいつも付いて来て、一緒に本を読んでいた。俺とメリーが読む本は違ったけど、メリーは俺にとってかけがえのない存在だった」


 そこでユングは、目を見開いてから一度も見せなかった表情の変化を見せた。


「しかしメリーは生まれつき体が弱かった。医者の見立てでもそう長くはないと言われ続けていた。それでも、父上も母上も俺も、屋敷の者たちも、全員が一丸となりメリーを支え続けた。その甲斐あって、メリーは病など持っていなかったのではないかと思えるほど元気に育っていった。だけど運命とは残酷だった。裁定とはある日突然下されるものなんだと俺は知った。メリーは、何の前触れもなく倒れたんだ」


 ユングが唇をきつく噛みしめ一筋涙を流す。


「数日後、メリーは奇跡的に目を覚ました。けど誰の目から見ても明白だった。恐らくメリーは、もう一度目を閉じれば、二度と目を覚ますことはないだろうと」


 ユングは溢れ出る涙を拭おうともしない。


「そしてメリーは、最後の力を振り絞って、弱々しくもその場にいる全員へ言葉を残した。父上や母上。メリーに世話を焼いてくれた使用人たち。そして、俺にも……」


    ◆


「お兄ちゃんがいなかったら私はきっとこんなにも長く生きられなかった。お兄ちゃんがね、私の心から病を取り除いてくれてたんだよ。でも私が弱かったから病に負けちゃった。ごめんね。

 でも私、こんなにもたくさんの幸せを貰ったから、もう安心して天国にいける。お兄ちゃんならきっと皆に幸せを届けられる。私はお兄ちゃんの願いが叶うように、鳥になって空から見守ってるね」


    ◆


「そしてメリーは鳥になった」


 ユングの瞳から流れ出る涙が止まり、その頬に涙の跡だけが残っている。


「メリーが死んだのは俺のせいだ」


 ユングが声を低くして言葉を紡ぐ。


「俺という存在がフローライト家に不幸を齎した。余所者を養子にとった罰だと幾人もに言われた。だから俺はメリーへの償いのためにも、この国を守り、この国の人々の心を蝕む病を取り払わなければならない」


 その言葉と共にユングの瞳に再び闘志が宿る。


「俺はお前に一つの可能性を視た。お前の視る夢は、どんな者が視る夢とも通じ、そして異なる、集合意識の中心ともいえるもの」


 ユングが模造剣を上げその切先を俺へと向ける。


「俺の研究はまだ未完成だ。そして俺一人の力ではもう手詰まりなんだ。だけど、同じ境遇を経験し違う世界を視ているお前なら、俺が知らない可能性をきっと視せてくれる。だから俺に勝って、俺の考えは正しかったのだと証明してほしい」


 その言葉と共にユングは口を閉じた。


 ユングの話を聞き、俺は、余りにも自分勝手なその『思い込み』に煮えたぎるような怒りを覚えた。そして俺もまたユングを睨みつけ強く言い放った。


「勝手に話を進めるな。ユングがこれまで行ってきた研究は素晴らしいものだと俺だって思う。そしてこれからの未来、その研究が必要だということも。けど、他者の心を救おうとする余り、ユングは最も近くにある大切なものを見落としてしまっている」


「俺が見落としているものだと!?」


 ユングが俺を睨みつけ叫ぶ。俺は握る拳に力を籠め、真っ直ぐにユングを見据えた。


「ユングが本当に望んでいたもの。それは他の誰でもない。妹の、メリーの幸せだ!!」


 俺もまた模造剣を上げ切先をユングへと向ける。ユングは模造剣を下げ一歩後ずさった。


    ◇王国騎士試練初日(対アーキユング)〔シグムント視点〕◇


「勝負あり、ですね」


 隣でアルヴァが呟く。俺もまたアルヴァと同じ感想を抱いた。しかしアーキユングもまた既に王国騎士入りが決まった身、そう簡単に終わるはずがない。そう考えていると、アルヴァが(視線だけを俺に向け)俺の名を呼ぶ。


「シグムント?」


「さぁ、どうかな」


 俺の言葉にアルヴァが首を傾げる。


「アルヴァ、よく見ておけ。あの二人は今代の王国騎士となる男たち。俺たちと共にクルーエルアを守っていく、真の王国騎士だ」


    ◇王国騎士試練初日(対アーキユング)◇


「メリーの、幸せ……?」


 俺の言葉をユングが口にする。ユングは俺から視線を外し顔を伏せた。


「そうだ! 幼いころからずっと勉学に努め、来る日も来る日も書庫に入り浸り研究を重ねてきたのは妹のためだろう!? 本当は気付いていたんじゃないのか! 知っていたんじゃないのか!? メリーはどうあっても助からないと。だから医者になるのではなく、心だけでも救えるようにと、人々の心を知る研究に努めた。そうだろう!?」


 ユングの模造剣を握る手が震えている。ユングは今初めて己の心と正面から向かい合っている。俺は友としてその手助けをしてあげなければならない。

 ユングは俺に期待していると言った。同じ境遇、違う世界を視た俺だからこそ、まだ知らぬ新しい可能性を視せてくれると言っていた。だけど俺もまたユングと同じだ。俺がいなければローズお姉ちゃんは死んだりしなかった。俺がこの国に来たばかりにローズお姉ちゃんは……。

 俺がローズお姉ちゃんを殺したようなものだ。でも、だからこそ俺は、もうあんな悲劇を繰り返させてはならないと願い、騎士を目指した。俺がユングにしてあげられることは、同じように騎士を志すに至った、ユングの、いや……メリーの、本当の願いを思い出させてあげることだ。


「ユング、思い出せ。お前が無意識に遠ざけていた、メリーの本当の願いを」


    ◇ある日のできごと(アーキユング視点)◇


「メリーはいつも動物の本を読んでるよね。動物が好きなの?」


 僕が問いかけると、メリーは大きな書物の頁を捲りながら僕に答える。


「うん、大好き。動物ってね。みんなそれぞれに色んな意味があるんだって。ほら、この子とか。普段は四足で行動して、危険を感じたら立ち上がって戦う。恐怖に立ち向かう強い力? うーーん、よく分からないや」


 メリーが首を傾げながら説明する。僕はふと気になってメリーに尋ねた。


「メリーのお気に入りの動物っているの?」


 僕が尋ねるとメリーは嬉しそうに、「いるよ!」と答え、迷うことなく頁を捲りそこに描かれている動物を指差す。


「この子! 小さくて青くて可愛らしいなって。それにね。青い鳥は幸せを運んできてくれるんだよ」


「そうなんだ」


 僕はそこに書かれている内容を読み進める。だけど、最後の記述に目が留まり、その言葉を口にしてしまった。


「絶滅種……」


 メリーが「ぜつめつしゅって何?」と僕に聞く。僕は咄嗟に嘘を吐いてしまった。


「木陰に隠れてて普段は探すのは難しいみたいだ。メリーが大きくなって外に出られるようになったら一緒に探しに行こうか」


「うん!」


 メリーは嬉しそうに僕に答えた。僕は心が少し痛みながらも、メリーの幸せそうな笑顔を見て、いつか本当に、その青い鳥を一緒に探しに行ける日が来ることを願った。


    ◇王国騎士試練初日(対アーキユング)〔アーキユング視点〕◇


 俺へと切先を向け、メリーの本当の願いはなんだったのかと、目の前に立つ、名前のない男が俺に問う。


 メリーの本当の願い……。


    ◆


「お兄ちゃんがいなかったら私はきっとこんなにも長く生きられなかった。お兄ちゃんがね、私の心から病を取り除いてくれてたんだよ。でも私が弱かったから病に負けちゃった。ごめんね。

 でも私、こんなにもたくさんの幸せを貰ったから、もう安心して天国にいける。お兄ちゃんならきっと皆に幸せを届けられる。私はお兄ちゃんの願いが叶うように、鳥になって空から見守ってるね」


    ◆


 メリーが俺に遺した最期の言葉……。


 そうか、そういうことだったのか。


 俺は顔を上げ、俺にメリーの本当の願いを気付かせてくれた男を真っ直ぐに見据えた。


    ◇王国騎士試練初日(対アーキユング)◇


 ユングが顔を上げ俺を見る。まるで何かを悟ったように、乱れのない心の流れを感じた。


「分かったよ。メリーの本当の願い。それは、心の病を取り除くだけじゃない。心に未来を、皆に幸せを運ぶ、『青い鳥』になってほしいと俺に願っていたんだ」


 ユングが模造剣を握り直し、ゆっくりと円を描き下段の位置で止める。そして小さく息を吸い直し、空き手を添えた。


「悪いな。負けてやるつもりだったんだけど、今はもう、本気で負けられなくなった」


 ユングの瞳にこれまで感じられなかった小さな光が宿っている。それは本当は昔から持っていたもの。今それに気付き、たった一つの願いのため、開花させた。

 ユングの視線に俺も正面から返す。その想いに応えるため、俺もまた模造剣を構え、強く握り直した。


「ユング、お前に負けられない覚悟ができたからといって、俺だって最初から負けるつもりなんてない。いや違うな。俺たちは確かに似ているのかもしれない。だからこそ俺たちは、共にある考えを捨て、ある考えを得なければならないんだ」


 互いに模造剣を握る拳に力がこもる。地を踏みしめる足に力が入る。


「ユング。戦う前に、今朝見た夢はなんだったか剣で語ってくれって言ってたよな。あの時の約束を果たそう。俺が視た夢を、今お前に視せる!」


 俺の叫びにユングもまた大きく叫ぶ。


「行くぞ、オオルリ!」


 そして俺たちは駆け出し、互いの心を曝け出した。


    ◇


 凶暴化した動物が迫る。俺はだらりと下げていた腕に力を込め、ゆっくりと騎士剣で円を描き、下段の位置で止めた。


 あの時、俺とユングが共に誓ったこと。それは、『負けないという考えを捨てる』こと。俺たちは同じ境遇を経験したが故に同じ言い訳をしていた。俺はディクストーラとの戦いを経てそれに気付くことができた。そしてユングもまた、必ずやそれに気付いてくれると信じていた。


 騎士剣に空き手を添える。軸足に力を込め、体躯を落とし騎士剣を強く握り締める。凶暴化した動物が俺へと目掛け飛びかかる。


 あの時ユングと交わした誓いの一閃。互いの心を、形無き物を断った俺たちの剣を、今ここで視せよう。メリーが願った、幸せな未来を届けられるように。


「俺の剣はあくまで相手を知るための剣。その神髄は分析。故に俺の剣は殺す剣に非ず。あの日俺に打ち勝ったお前なら使いこなせるはずだ。『俺だけのクルーエルアの剣』。形無き物を断つ、アーキユング=フローライト=クルーエルアの剣を!」


 ユングの声が響き心が俺と重なる。騎士剣にユングの熱情が感じられる。


 俺は、全身で繋がる結合に己の全てを接続させ、共にあるユングの想いを解き放った。


「俺たちが断つのは形無きもの。俺たちは負けないために戦うのではない。勝つために戦うんだ。その勝利を人々へ! 人々の心に幸せを……届けるんだ!」


 俺は凶暴化した動物を真っ直ぐに見据え、心に幸せの未来を描き、騎士剣を振るった。

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