Episode.2-12
◇
けたたましく警鐘が鳴り響く。音は正門から聞こえてくる。
急がなければならない。
そう思わせるだけの理由が、正門に近付くにつれ増していく。正門からは、何か大きなものがぶつかる衝突音が聞こえてきた。
途中、警鐘を聞いた大人たちが家から出て正門を眺めていた。(街に発展する程の)大きな村ではないが、暮らす人の数は想像以上に多い。不安そうに言葉を交わしているが、大きな騒ぎにはなっていない。この村ではこういう事態は少なくないのかもしれない。
正門に辿り着くと、来る前から聞こえていた衝突音がより一層耳を
「駄目だ。投石程度じゃ怯みもしない。松明で脅しをかけても火を怖がる素振りすら見せない。一心に正門目掛けて体当たりしてやがる。なんなんだよあれは」
エルザの予想は間違っていなかった。今この村を襲っているのは凶暴化した動物だ。襲ってきた理由も、恐らくエルザの言っていた通りなのだろう。
傍にいる兵士の方へ声を掛ける。何があったのかと尋ねると、「壁の外に暴れ狂う動物がいる。それもとてつもなく巨大な」と説明してくれた。状況を詳しく聞いていると、誰かがこちらに駆け寄って来る。振り向くと、そこにはルーノが険しい表情で立っていた。
「まさかとは思ったが、やっぱりここだったか」
ルーノの言葉を聞いた後、再び正門に視線を移す。夜目に見ても、激しい衝突と共に正門が揺れているのが分かる。俺はルーノに向き直り口を開いた。
「俺が外に出て相手をする。皆は、万が一に備え、村の人たちを避難させておいてほしい」
俺の言葉に、ルーノだけでなく周囲にいる兵士の方たちまでもが驚きの声を上げる。
「危険です。如何に王国騎士様であろうと一人で戦うなんて無茶です」
「そうです。今までも力の強い種による襲撃は何度もありました。しかしこれほどまでに気性の荒い種は見たことがありません」
兵士の方々が口々に俺へと声を掛ける。俺はそんな兵士の方々に「大丈夫です」と声を掛けるが、それでも兵士の方々は俺を行かせまいと前を塞ぐ。
今も衝突音は響いている。早く何とかしなければ、本当に門を破られラミスの村に被害が出兼ねない。そう考えていると、ルーノが割って入り俺に声を掛けた。
「一緒に戦っては駄目なのか?」
「えっ?」
ルーノからの申し出に、俺は何も答えられなかった。
先日のグレイとの戦いの時、守りながらの戦いに俺は苦戦を強いられた。その時の記憶が頭を過ぎる。
「俺たちは足手まといか?」
再びルーノが俺に尋ねる。俺は何も答えることができなかった。
足手まといだなんて思うはずがない。ただ、先程から感じる目の前の脅威は、恐らくグレイの一回り上をいくだろう。まだ姿は見ていないが、衝突音の響く位置がやや高めということを考えても、あの時のグレイの倍ほどの大きさはある。そんな奴が相手と分かっているのに、この村の人たちをみすみす危険に曝すわけにはいかない。
俺は視線を外し、黙って目を背ける。そんな俺の態度に、ルーノは悔しそうに目を伏せる。そして(ルーノは)歯を食い縛り、俺に背中を向けた。
「門は開けられない。壁の向こうに行くのなら上から降ろしてやるしかない。……ついてきな」
そう言い残し、ルーノは壁伝いに上から垂らしてある縄梯子に足を掛け登っていく。ルーノが登り切ったのを見届け俺もルーノの後を追う。その際、兵士の方々の中に、誰一人として俺を止める者はいなかった。
外壁の上に立つと、壁下で感じていた時とは比較にならない程の衝撃が感じられた。石壁に掴まり下を見る。そこには、人の身では到底敵わぬと思わされる動物が、その巨躯を一心に門へと叩きつけていた。
横目でルーノを見る。ルーノも同じものを感じ取ったのだろう。瞬きを忘れたように目を見開き固唾を飲んでいる。俺は視線を戻し、凶暴化した動物へと神経を研ぎ澄ませた。そして鞘から剣を抜き、それを強く握り締め、ルーノへ告げた。
「俺に何かあった時は……後を頼む」
一瞬ルーノの驚く声が聞こえた気がした。しかしその一瞬の間に俺は、外壁から飛び発ち、凶暴化した動物へと切り掛かった。凶暴化した動物は絶えずその巨躯を門へと打ち付けている。今まさに切り掛かろうとしている俺の存在に気付いてすらいない。
これ以上にない絶好の好機。
凶暴化する前の元の特性が分からない以上、正面から堂々と挑むのは余りにも無謀だ。騎士として相応しくない手段ではあるが、村への被害を最小限に抑えるためには奇襲により致命傷を与えることが最善手。つまり、この一撃に全てが掛かっている。
剣を大きく振り被る。狙うは背中。門へ打ち付けているその身体は、四足でぶつかっているため背中ががら空きになっている。
次第に大きく映りだす目の前の動物の背中に焦点を絞り、剣を振り下ろす。しかし、そこで動物は静止した。一心に門へと打ち付けていた身体はその場でぴたりと止まり、あろうことか、此方へと顔を向けた。
驚く間もなかった。恐怖を感じる暇もなかった。
門は、もう暫くはもったかもしれない。しかし、いずれこの凶暴化した動物の手によって破壊されるのは目に見えていた。だからこそ焦りがあった。奇襲を仕掛け、最初の一撃で大きな傷を負わせるはずだった。そのはずが。
傷を負わされたのは、俺の方だった。
◇
剣を地面へと刺し、それを支えに立ち上がる。立ち上がりはしたものの、強く叩きつけられた全身は、痺れ、思うように動かなくなっていた。
◇
凶暴化した動物の前足の一撃を受け、大きく飛ばされた俺は、無惨にも地面に叩きつけられた。
目標に対する分析が足りなかった。村への被害を恐れる余り、俺は凶暴化した動物をグレイと同じ四足で行動する動物と見誤った。凶暴化した動物は俺の姿を認めた瞬間、後ろ足で立ち上がり、前足を大きく上げ俺へと振り下ろした。
凶暴化した動物が俺の存在に気付き、迎撃に至るまでの時間が早すぎた。最初の一撃で手応えを得られることを期待していた俺にとって、これは大きな誤算だった。
咄嗟に剣を正面で構え直撃は避けた。そのお陰で殴られはしたものの、地面に叩きつけられただけで済んだ。グレイが繰り出した、あの異常発達した爪撃を目の前の動物が持っていたら、俺は間違いなく死んでいた。
◇
剣に体重を預け体を抑える。
大丈夫だ。(地面に叩きつけられた際の衝撃で)感覚が少し麻痺しているだけで大きな傷はない。叩きつけられた時の衝撃で軽傷を負ってはいるが、暫くすれば何の問題もなく戦え……!?
俺の考えを他所に、足元に見えていた影が消えてなくなる。いや、そうではない。正確には影がなくなったのではなく、俺を照らしていた月の光が遮られたのだ。
顔を上げる。するとそこには、俺に覆いかぶさる様に凶暴化した動物が眼前に迫っていた。咄嗟に剣を抜き後ろに飛ぶ。巨体とは裏腹に、早さも伴った腕が振り下ろされ、その馬鹿力が地面へと直撃し大地を砕く。飛び散った無数の堅土が宙に舞い、視界を遮り、凶暴化した動物の行動が追えない。
奴の次の行動が分からない……。
舞い散る堅土を剣で払い落とす余裕もなく、腕で顔を覆い目を守る。急いで腕を払い視界を確保するが、その時には手遅れだった。正面から視界を覆いつくすほどの巨大な顔が迫っていた。それだけじゃない。両側面から、巨大な前足二本が俺を拘束しようと迫っていた。
万全な状態ならともかく、身体が麻痺したこの状況下で連続して回避行動を取り続けることは今の俺にはできなかった。
咄嗟に腰に帯びている布――騎士剣に手を伸ばす。だが、それよりも早く目の前の脅威は迫っていた。
何も感じなかった。ただ死んだ、ということだけは分かった。
あの時、俺はどうして言い返せなかったのだろう。
悔しそうに歯を食い縛っていたルーノの顔が目に浮かんだ。
あの時俺は、この強大な動物相手に守りながら戦うのは不可能だと思った。ルーノや兵士の方々を足手まといだなんて思ったことはない。だけどルーノが口にした時、俺は、ほんの一瞬でもそう思ってしまったのだろう。だから言い返すことができなかった。
グレイと戦った時、俺はエルザを守りながらの戦いに焦りを覚えていた。エルザへ向かわぬように立ち回った上で倒さなければならない。言葉にするのは簡単だが、やり遂げるのは非常に困難だ。実際上手くいったのは、俺の力だけじゃない。誰かの助けがあったからだ。そう、それを俺は知っていた。知っていたのに、その想いを踏み躙る行為を、俺はした。
何をやっているんだ、俺は……。
凶暴化した動物の前足に締め付けられ体が悲鳴を上げる。
凶暴化した動物が大きく口を開ける。意識は消えつつあったが、その巨口が俺の頭部目掛けて迫ってきているのは分かった。俺を食おうとして、僅かに前足の締め付ける力が緩まるが、俺にはもはや抵抗する力はない。腕は垂れ、握っていた剣も落としてしまった。――が、その時、滑り落ちる剣が何かを裂く。剣はその何かを裂いた後、地面へと落下していった。
俺はそれに気付かなかった。しかしどこからか風が吹いたかと思うと、俺と凶暴化した動物の間に何かが割り込んできた。
それには見覚えがった。それは見慣れた布だった。
凶暴化した動物も目の前に舞う布に気付き、僅かながらに動きを止める。俺もまた、その布に目を奪われる。そしていつしか、力無く垂れた手に、俺は温かみのようなものを感じていた。
俺は、自分の手に触れている騎士剣の柄を、精一杯握った。
◆
「必ず使命を全うし、あなたをお守りするため、再び戻ってくると約束します。だから信じて待っていてください。私は、他の誰でもない。ティアナ姫に任命いただいた王国騎士なのですから」
◆
こんなところで死んでいいはずがない。俺は約束した。きみを守るため、再び戻ってくると。そうだ、俺は絶対に……。
「嘘吐きには……ならない!」
その時、声が聞こえた。正確には溜め息混じりの声。その声は苦笑しながらも、騎士剣を握る俺の声に応え、俺の心に寄り添い、力を貸してくれた。
「ここまでの事態に陥るなんて思ってもなかった。相変わらず頭が良いんだか悪いんだか。わざわざ警告までしてあげたのに無視するんだから、自業自得だ。でもよく諦めなかったよ。それでこそ俺たちと同じ、クルーエルアの、王国騎士だ!」
残る力の全てを集中させ騎士剣を鞘より引き抜く。騎士剣は俺の想いに応えるように、引き抜いた瞬間、大きな風を発した。
凶暴化した動物が風を受け怯む。その風は俺を護るように発せられている。凶暴化した動物は(掴んでいられなくなったのか)、俺から手を離し、風に圧されその場に倒れた。
凶暴化した動物が倒れ大きな振動が起こる。いつもならどうということはないが、傷を負った今の身体には酷く響いた。
風そのものに殺傷力はない。(凶暴化した動物は)倒れはしたものの、傷の一つも負ってはいない。今の俺の状態では奴の足からは逃げきれない。奴が倒れているこの隙に、何か策を考えなければ……。
必死に思考を巡らせるが、焦りが先んじてしまい考えが纏まらない。急げば急ぐほどに思考は纏まらず霧散していく。だからとて
「絶体絶命というやつか。良い案も浮かばないままだが……。だからといって、こんなところで諦めてなるものか!」
歯を食いしばり立ち上がる。動物相手に虚勢を見せつけたところで怯むはずもないことなど分かっている。それでも、膝を突き、ただ殺されるだけを待つなど、クルーエルアの王国騎士としてそんな真似ができるはずがない。
俺は騎士剣を構え直し、凶暴化した動物と真っ向から向き合った。
「リリアナ様もおっしゃっていたが、愚直なまでに真面目なのはお前の長所だ。だけどその真面目さが
再び声が聞こえる。先程聞こえた声は聞き間違いではなかった。だけど、この声はまさか……。
声に耳を傾けている間も、凶暴化した動物は再び俺に襲い掛かろうとしている。しかし俺はそれに抗うことはせず、騎士剣を下げ、静かに目を閉じた。
「少しの間だけ時間を稼いでくれないか、ルーノ」
そう俺が呟くと、後方から人の気配が迫る。それと同時に凶暴化した動物へ向け、大量の矢や投石が放たれた。
「相変わらずお前の気遣いは分かり辛いんだよ」
俺の隣に立ちルーノが苦笑する。ルーノは、共に苦楽を分かち合った騎士校時代を思い出させる顔をしていた。
「本当に足手まといだと思われてるんじゃないかって悲しんだのが馬鹿みたいだ。でも、お前が突っ走ったのを見てそうじゃないと分かったぜ」
ルーノの言葉に俺は困惑の言葉を零す。ルーノは俺に笑い掛け、俺を指差し口を開いた。
「『司令塔』。俺たちの間でそう呼んでいたことがあっただろう。ずば抜けて冷静なお前がいつも俺たちに指示を出してくれていた。そのお前が、あれ(凶暴化した動物)を見るや分析もせず飛び掛かっていった。らしくない言葉も添えて」
らしくない言葉……?
◆
「俺に何かあった時は……後を頼む」
◆
そういえばそんなことを言った気がする。俺は最初から凶暴化した動物に勝てないと思っていたのか?
「その言葉の直後に俺は気付いた。お前はラミスへの被害を考えるあまり冷静さを欠いていると。その結果、お前なら気付かないはずがない、あの凶暴化した動物の一撃をもらった。『あいつ』と渡り合えるほど、分析に長けたお前が」
「あいつ!?」
思わず口に出てしまう。俺は騎士剣に目を向けた。
今ルーノが口にした『あいつ』。それは紛れもなく先程から俺に語り掛けている、王国騎士の中でも『分析』に特化しているあいつのことだ。
ルーノが俺の肩に手を置く。
「本当なら、お前がいなくてもこの村にいる者たちで何とかするのが筋なんだと思う。もし次に同じような目にあった時、お前がいなくて村は滅びました、なんて言い訳をあの世でしても仕方ないからな。だから俺も腹を括った。俺は、この村の者たちと一緒にラミスを守ってみせる。その覚悟のために、騎士校で共に過ごした仲間として、今一度俺と一緒に戦ってくれないか?」
ルーノが真っ直ぐに俺を見る。俺は恥ずかしかった。俺のことをこんなにも理解してくれている仲間がいるにも拘らず、俺は一人で突っ走ってしまった。もし許されるなら、手を突き、この場で謝りたい。だけど今はそんなことをしている場合じゃない。
凶暴化した動物を目で追う。壁上から弓や投石で援護する衛兵たちと、盾で防御を固め確実に注意を引く歩兵たちで場が硬直している。余りに強大な力の前に、攻めの手が大きく欠けているように感じた。
ルーノに視線を戻す。ルーノは、俺を真っ直ぐに見ていた。
「状況は決して不利じゃない。俺の見立てではまだ暫くは耐えてくれると思っている。矢や投石はあとどれくらい持ちそうなんだ?」
俺の問いにルーノは、「今、別の場所に備えている防衛設備を可能な限りこの一角に集めさせている。ただ、現時点であそこに備えている量だけでいえば、もう暫くはもつだろうが、期待はしない方がいい」と答えた。
手を強く握る。しかし身体が疲弊しきっているせいか、強く握ったはずの手の感覚をあまり感じられない。もしルーノたちと共に戦おうとすれば、それこそ俺が足を引っ張るだけだろう。
今、俺がすべきことは一つしかない……。
「ルーノ、もう一度頼んでもいいか。少しの間だけ時間を稼いでほしい」
俺の言葉にルーノが笑みを零す。そして一歩前へ出て、再び俺に顔を向けた。
「じゃあ今度こそ約束してくれるよな。一緒に戦ってくれるって」
ルーノが真っ直ぐに俺を見る。俺の考えていることなど、きっと理解した上で。
「約束する。騎士を目指し、共に同じ時間を過ごしてきた、友として」
ルーノは満足そうに笑い、凶暴化した動物へと体を向ける。そして剣を構え直し、「待ってるぜ」と言い、駆けていった。
凶暴化した動物へと駆けていくルーノを目で追う。ルーノにはああ言ったが、長引けば長引くほど、こちらに不利な状況に違いはない。俺が今すべきことは身体を休めること、そして考えることだ。
多少落ち着きを取り戻したが、分析に至る思考が戻ったわけじゃない。未だ、焦りが完全に拭えたわけじゃない。
「駄目だ駄目だ。そんな焦ってたらあれのことを分析できやしないよ。皆があんなに頑張ってくれてるのに、このままじゃ無駄になっちまう。だけど今の精神状態じゃ難しいか。仕方がないな。力、貸してやるよ。あの時、俺を負かせるほどに分析しきった奴に力を貸すのは、正直癪だけどな!」
また声が聞こえた。その声の主は、ルーノも言っていた『あいつ』。口癖はいつも、
◆
「今日の夢は何だった?」
◆
だった。
騎士剣を強く握りしめる。俺は、意識を集中し、俺に力を貸してくれるといった声に耳を傾け、その意思に接続した。
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